初対面の人には話せるんです | kyupinの日記 気が向けば更新

初対面の人には話せるんです

広汎性発達障害系でさほど消極的でない人々は、診断以内、以外も含め、わりあい初対面の人には普通に話せる傾向がある。もちろん自閉性が強く、人と目を合わせられないような人や、全く外出できないような人はその機会がない。

例えば、行きつけのデパートや繁華街のお店では、自然に店員さんと話していることがある。また「私は内向的ではない」と言うやりとりの中で、本人からそういう話題が出てくることもある。

初めての人には普通に話せるんです。

つまり、良く知らない人には外交的なのである。厳密に言えば、初対面の時は少し対人緊張がある人もいる。これは彼らが社会不安障害を伴うことがあるから。

しかし、2~3回目以降は緊張が取れて自然に話せるようになる。これは店員・顧客くらいの関係でいる限り、それ以上の親密な人間関係にならないことがポイントである。このケースでは関係が悪くなることは稀である。

それに比べ職場では、仕事上のストレスもあるし人間関係がより親密になるため、些細な事件がしばしば生じる。その積み重ねで、次第にうまく人間関係がコントロールできなくなる。これは過去ログ「統合失調症っぽくない妄想」「器質性うつ状態と広汎性発達障害」も参考にしてほしいが、

親密になればなるほど、相手の気に入らない、あるいは嫌な部分が自分の脳に沈殿してくる。これは記憶の処理の問題も大きい(嫌なことのみ強く記憶すること。100回に1回の失言が彼らは許せない。忘れられるのも才能のうちである)。

あの人はあんな人だったのか!なんて怒り狂っているのは、そういう認知の問題の方がずっと重大である。だから、広汎性発達障害系の人は「偽善者」というワードを良く使う。これは正体が見えたと本人は思っているのであろうが、錯覚か誤解の可能性の方が高い。実は自分の中に問題が潜んでいるのである。(敵は内にあり)

最初に挙げたように、店員さんはその人の背景がわからない上、一定の距離があるので、よほどの事がない限り、良い人のイメージのままで終わる。※1

つまり、親しい人に客観的で正しい評価ができない。最も親しい人や家族に優しくなれなくて、どうすんの?と言いたい。また、自分が良く知らない人を相対的に高評価するといった奇妙な認知にも繋がっている。※2

非定型うつ病?などと言われている疾患は、つまりこのままである。だからこそ、会社には行けないが、カラオケやキャバクラには遊びに行ける。本質的に内因性うつ病とはかなりの距離がある。

いつだったかこのブログでは「非定型うつ病」は認めていないのでは?という質問があったが、悪性症候群アダルトチルドレン気分変調症などと同様、書籍、新聞、テレビなどでよく出てくるので共通語として使っている。イメージがすぐに読者の皆さんに湧くからである。(いちいち説明するのが面倒。過去ログを見よ)

広汎性発達障害的な人が、時に自分の恩師や友人を逆恨みしていることがあるのは、この器質性所見によるものが最も大きい。こういう視点では、職場の同僚らと次第に円満な関係が保てなくなるのは器質性所見である。広汎性発達障害の人で仕事を辞めたくなって来るのも、この精神所見に由来する。

重要な点はリテラシーの問題である。

その恩師や友人さえ気付かないような受け答え、言い回しなどを悪意に取るため、相手に聴いても何にカチンと来たのかサッパリわからないということもある。

これこそ、器質性の被害関係念慮なのであろう。※3

今回の記事を読んで、自分の過去を洞察できる人はまだ軽い人たちと思われる。真にリテラシーの悪い人は、僕が何を言っているのか良くわからないか、この記事さえ悪意に受け取るであろう。

※1
この視点では、広汎性発達障害の人たちが時に国際結婚することがなんとなく理解できる。相手のことをよく知らない上に、繊細な交流がやや難しいために、デパートの店員さんのレベル以上になりにくいことが大きいのかもしれない。(参考

※2
2ちゃんねるのサッカー板では、試合に出ていない選手の高評価がしばしば見られる。つまりいつも出場している選手は叩くが、その水準に達せず、あるいは不調のためにベンチ入りすらできない選手をなぜか高評価する。(良くわからない人は素晴らしいという認知。一度、練習を見に行ってみよう)

※3
文脈に荒唐無稽の人が出てこず奇妙さがさほどない。本人の言うまま聴いていると、全くその通りのことが起こっているように思う。家族が聴いた場合、もちろん真実と誤解する。児童・思春期の場合、学校に怒鳴り込む家族がいるのはそのためである。(担当教諭は大変である)

参考
このブログは難しい事が書かれておらず、わかりやすいらしい
児童・思春期の患者さん