【20】「日本の過激派の変遷」 プロフェッショナルとしての本格犯罪【連載】 | a.k.a.“工藤明男” プロデュース「不良の花道 ~ワルバナ~」運営事務局

赤軍

<指名手配されている日本赤軍・警視庁ホームページより>



■安保闘争、学園紛争が日本を席巻した時代

 60後半から70かけて、安保闘争というよりも学園紛争を発火点に、学生や若い労働者を主体にした騒擾(そうじょう)が日本を席巻したのは、もう記憶に古いかもしれないが、とにかくそういう祭りのような時代があった。

 ヘルメットをかぶってゲバ棒を持ち、顔はタオルの覆面をしてジグザグデモや投石で機動隊と衝突する。デモの人数が多い場合には、そこいらにある車を引っくり返してバリケードを築き、歩道の石を剥がしては礫を投げ、準備があるときは火炎瓶を投げて暴れまわる。

 筆者はそういうことはあまりしたことはないのだが、今の60代以上の人たちには、実際にそういうふうに暴れまわった経験があるのではないだろうか。

 ベトナム戦争反対だとか核空母の寄港反対だの、戦争につながる軍事空港建設反対という具合に、いろいろ大義名分というかスローガンをもった大衆運動がほとんどだった。中には戦争反対どころか流血の革命戦争を準備しようという本格的な革命組織もあって、その中から赤軍派というグループが生まれたのだった。

 生まれ方も相当に荒っぽくて、それまでの親分(本当はブントという組織の議長だけど)だった人を拉致して、殴る蹴るの暴行をはたらいては、これまでの無責任かつ穏健な方針を自己批判させて、自分たちの過激な方針に従わせようという。

 親分の弱腰に不満のある血気さかんな若頭が、自分の組の兵隊を率いて親組織の本部に乗り込み、親分に引退を強要するような荒っぽさと同じである。

 そんなことをした彼らの主張はどういうものかというと、いくら気合を入れて機動隊とデモでぶつかっても、なかなか勝てないではないか。一生懸命やっても勝てないのでは仕方がない。

だったら敵(機動隊)は団子になって押してくるのだから、その中に爆弾を投げ込んでやれば手っ取り早いんじゃないか。憎むべき機動隊を爆弾でやっつけろっ、それいけドンドン。というようなもんである。


■武装蜂起へと発展していった赤軍派

 やがてブント(共産主義者同盟)から分立した赤軍派は、大衆デモや学園紛争の騒擾に紛れて爆弾を試してみる。やってみると、なかなか爆弾の威力は凄い。

 労働者のデモに紛れ込んで爆弾を投げるのは、巻き込まれるほうにとっては大変な迷惑だが、時代の気分を捕らえたところは巧みである。すぐに彼らは派手なことの好きな若い連中の人気者になった。なにしろ過激なほうがカッコいい時代である。

 そうするうちに、いっそのこと国会議事堂や首相官邸、霞が関一帯を占拠して、臨時革命政府をつくろうという方針が出てきた。まどろっこしい大衆運動はヤメて、イッキに政権を奪取してしまうのだから、方針としてはモノ凄いというか、いい加減ともいえる。


 これが前段階武装蜂起という考え方で、首相以下の閣僚を人質に世の中をひっくり返そうというのだ。

 自分たちはいったん制圧されるかもしれないけれども、派手にやっているうちに敵が本気になって自衛隊が治安出動するとかアメリカ軍が介入するとか、ロシアのツァーリのような弾圧に出てくれば、今のところためらっているグループがきっとわれわれに賛同して合流するであろう。

 だとか、これまでの学生運動のゲバではなくて本物の武装蜂起を見聞すれば、革命の主体である労働者階級も目覚めて、いっきょに日本は革命前夜になる。そこからが勝負だよ、諸君、覚悟はいいか!! ってな具合で盛り上がったのである。


■爆弾から銃器へ、武器の選択

 ところが、霞が関武装制圧の構想のもとに中里介山ゆかりの大菩薩峠で訓練をしようと集まっている途中、これを察知した警察に、おもだった活動家が逮捕されてしまうのである。これで彼らがもくろんだ前段階蜂起という投機的な戦術はいったんついえた。


 計画はダメだったとはいえ、彼らのやり方を真似たグループがさかんに爆弾を作っては投げ、いまや火炎瓶とゲバ棒の時代から爆弾闘争の時代に変わっていた。マニアックに過激派の真似をする素人衆まで出てくる始末である。

 そうするうちに、残った赤軍派の若い幹部たちがいろいろと考えた結果、たしかに爆弾の威力は凄まじいけれども、関係のない一般の人々をまきぞいにしてしまう点で、どうもよろしくないのではないか。爆弾闘争は、人民とその敵を峻別(しゅんべつ)しないところがダメだ。ということになる。


 革命運動の中で武装闘争をリードする気分でいる赤軍派にとっては、以降の戦術の選択が日本革命の鍵を握っているような切迫した雰囲気になっているから、このあたりの路線選択も真剣で、いよいよ本気になってくる。

 少なくともこれまでのやり方ではダメである。とくに爆弾闘争は無政府主義の結果を生むからダメで、共産主義の戦術は目的意識的に敵を殲滅する銃がよろしい。銃を持つ主体を作るには、革命兵士を共産主義化することだ。となったのである。こうして、のちに「銃による殲滅戦」が彼らのスローガンになった。


■プロの軍人を育てることで革命へとつなげる

 やっぱりわかりにくいので、どういうことか説明すると、革命のためにいろいろとやってる連中はいるけど、爆弾を投げて政府と警察を相手に派手に暴れまわるだけなら、共産主義革命とはいえないのではないか。そういうのでは、全共闘運動のようにお祭りみたいな流行で終わってしまう。それでは困る……。

 本物の革命を起こせる正規の軍隊をつくるには、投げた爆弾がどうころぶかわからない方法よりも、冷徹沈着に銃を敵に向けて撃てる軍人が必要なのだから、兵士そのものを鍛え上げるべきだ。ようするに武器に習熟したプロの軍人を育てることが必要なのだ。ということになったわけである。(続く)

(作家 横山茂彦)