【18】「国家の盟約と裏切り」 プロフェッショナルとしての本格犯罪【連載】 | a.k.a.“工藤明男” プロデュース「不良の花道 ~ワルバナ~」運営事務局
■極道の、政治組織への業態変化

 三代目山口組の組織拡大が、変化する時代のニーズに合致した組織経営にあったのは,
それでも例外的な成功であって、大半の極道組織は大規模な組織に系列として吸収されるか、地場にとどまって今日でも小規模な生業を固持している。

 戦後の極道組織が山口組のような組織体質の刷新もなく、それでも今日まで生き延びてきた理由に、政治組織への業態変化をあげておく必要があるだろう。じつはこれが、極道業界の今後の命運を暗示するキーワードなのである。

 三代目山口組が近代的な産業組織を胎内に熟成させつつあったころ、日本は高度経済成長前夜の動乱期にあったことはすでに書いたとおり。社会的な混乱の要因は、共産主義革命の胎動である。

 50年代の共産党武装闘争を経験した中には、軍隊経験のある人は当時の火炎瓶闘争や拳銃での武装を述懐して、あんなチャチな武器を使った戦争ごっこで、圧倒的な米軍に支えられた国家権力が転覆するとは、どうしても思えなかったと言う人もいるが、本気だった人も大勢いたのである。


■一部で信じられていた、朝鮮戦争が引き起こす「革命」

中国義勇軍
<朝鮮戦争に向かう中国の義勇軍>



 九州で鉄道雪だるま闘争を経験した老練な左翼活動家の話によれば、朝鮮戦争が勃発したときは本気で革命が起きると思っていたのだという。

 マッカーサーの仁川上陸で中国の義勇軍が参加する前のことだが、やがて朝鮮半島から駆逐されたアメリカ軍が小倉に逃げてきて、それを追って金日成の人民軍が九州に渡ってくる。まるで古代大和政権の時代にもどったような戦争観だが、考えているほうは本気なのである。

 そうなれば在日朝鮮人をふくむ日本の共産主義勢力は国際共産主義者の任務として、九州で武装蜂起して極東革命の拠点にする、などということが数カ月後には確実にやってくると、本気で計画されていたらしい。

 このときおこなわれた鉄道雪だるま闘争というのは、ストライキの拠点に列車に乗ったオルグ団を派遣し、そこで入れ代わりに運転士を貨車に乗せて、次々と拠点を確保していく戦術で、中津や門司、鳥栖の各機関区をそうなめにして列車ストを拡大するのである。今ほど道路が整備されていないので、当時は鉄路を支配する力がものを言う。



■革命に対抗する勢力としての極道

 このほかにも集団で警察署を襲い(菅生事件のようなデッチあげとされるものも多い)、署長以下をつるしあげて一般刑事犯をふくめた拘置されている人を解放する、とかの戦術も盛んだった。

 港湾労働者や炭鉱労働者も例外ではなくて、三代目山口組の組織する労働組合が革命に対抗する勢力として期待された理由がここにある。


 鉄道関係ではのちに下山事件(国鉄総裁の轢死事件)や三鷹事件(無人列車の暴走)などの謀略で、組合員が大量に処分されたり共産党関係者が逮捕されたりということもあったが、GHQと日本政府にとっては60年安保にいたる過程は国家存亡の危機と感じられていた時代である。


 そこで、政治家たちは左翼の暴力に対抗する手段として、極道組織を日米安保賛成の国民運動に参加させたのである。国民運動といえば聞こえはよいが、その実態は全学連のデモ隊に武器を満載したトラックで突っ込むだとか、労働者や市民の集会を攪乱(かくらん)するなどの手段であって、各所で流血の武装衝突も起こっている。



■国家主義のスローガンを掲げる極道

 極道の各組織が神棚の天照大神、八幡大菩薩、春日大明神などの御符のほかに、国家主義のスローガンを掲げるようになったのは、じつはこれが4度目である。

 最初は明治の初期に身分制度が攪乱された騒擾(そうじょう=集団で騒ぎを起こして社会秩序を乱すこと)の時期で、これは士族の不満分子を背景に藩閥政府への反乱(自由民権運動)や、いっぽうでは明治政府にしたがう勢力も少なくなかった(清水の次郎長)。


 大正期の一時期にモダニズムの流行に乗って政治的右翼に看板替えをした、今日の生業の原型ともいうべき総会屋ふうのヤクザ組織があらわれたのが第二の時期。第三は、太平洋戦争にさいして大日本国粋会に組織されたときである。


 もともと、お上の傍若無人な言動や弾圧にはなびかない反権力を体質としていた任侠道の気風は、これで半分骨を失ったことになる。だが、今回は前の3度のゆきががりとは明らかに違う。


 戦後世界はすでに、米ソという国際的な体制間の矛盾を背景にした政治世界である。国家の庇護と要請にもとづいて、左右の衝突の渦中に身を晒すことになったのだった。いらい、極道と右翼は同じ名刺に印刷された二足の草鞋(わらじ)を履くことになるのである。



■高度経済成長によって、国家体制に排斥される極道

 しかしながら、極道が国家体制の内側にいる時期は、それほど長くは続かなかった。

 大資本や政治家としても、戦後の混乱期には極道の暴力を利用してきたが、高度成長が軌道にのり市民社会が成熟してくると、いつまでも凶暴な番犬を飼っているわけにはいかない。

 大衆消費社会が社会の隅々まで浸透して、あまねく家庭に冷蔵庫や洗濯機、電話、テレビをもたらし、アメリカ風の生活をもとめる富裕層はマイカーやエアコン、カラーテレビまで持っている時代がやって来た。もはや民衆が飢えて闇市をさまよった戦後ではないのである。


 いつもワシントンの意向を気にしているとはいえ、すでに独立国家として軍隊なのかそれとも違うのかよくわからないが、とにかく国家防衛のための武装組織も拡充し、治安警察力にいたっては世界に誇るものがあるという時代に、独自の論理で好き勝手なことをする連中がいては困るのである。

 60年代後半から70年代の左翼の過激派壊滅作戦と同時平行しておこなわれたのが、暴力団壊滅のための頂上作戦だった。



 それ以来、ヤクザは蛇蝎(だかつ)のごとく排斥される。いわく、ヤクザは市民の敵、極道は人間のクズ。いっぽうで東映の任侠映画で人気を博しながらも、任侠団体が暴力団という蔑称でさげすまれるようになったのもこの時期である。

(19)革命家というプロの犯罪者、に続く

(作家 横山茂彦)