無縁社会は社会的排除が横行する貧困社会 - 自己責任でなく社会的包摂が必要 | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 「無縁社会」という言葉は、「2010年新語・流行語大賞」のトップテンに入り、NHK「無縁社会」制作チームが表彰されています。「流行語」にまで浸透させたことには一定敬意を表したいと思うのですが、厳密に考えると、今の日本社会を「無縁社会」と言って批判してしまうと、昔のような「有縁社会」に戻ればいいと主張しているかのような誤解は招きやすいでしょう。


 実際、上武大教授の池田信夫さんは、ブログで「『無縁社会』キャンペーンの恥ずかしさ」 と題して、NHKに対し、「日本は本来『有縁社会』で、その縁が失われるのは嘆かわしいという湿っぽいノスタルジアだ」、「『無縁社会を解消』して古きよき有縁社会をいかに取り戻すかというノスタルジア」、「個人主義にもとづく市民社会は快適ではないが、日本が自由経済システムをとった以上、後戻りは不可能である。政府の役割は縁を作り出すことではなく、個人の自立を支援する最低保障だ。未練がましい無縁社会キャンペーンは有害無益である」と切り捨てています。こうした、「無縁社会」という言葉だけをとらえての批判はいろいろ出てくるでしょう。


 私自身、これまでブログで3度取り上げてきたのは、「無縁社会」というネーミングはともかくとして、日本社会の貧困問題の実態を一定リアルに告発していると思ったからです。(※過去エントリー参照→①NHKスペシャル「無縁社会 -無縁死3万2千人の衝撃」 -壊れる家族・地域・仕事 ②NHK「無縁社会」の衝撃 - 若者を無縁社会の悪循環に追い込む自己責任社会 ③NHK無縁社会 - 人はつながりの中に自分の存在や役割を感じられて初めて生きていける


 湯浅誠さんが、自著『反貧困 -「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書) の中で、貧困状態に陥る背景には「5重の排除」――①教育課程からの排除、②企業福祉からの排除、③家族福祉からの排除、④公的福祉からの排除、⑤自分自身からの排除――があると指摘しているように、これまでNHKが取り上げてきた「無縁社会」の実態というのはまさに現代日本社会の貧困の実態に他ならなかったのだと思います。


 「無縁社会」が「貧困社会」のことだとすると、何も「古きよき有縁社会をいかに取り戻すかというノスタルジア」にとらわれているわけではなくて、NHKの「無縁社会キャンペーン」というのは実質は「反貧困キャンペーン」だという見方も一定できなくはないと私は思っています。(※もっとも「反貧困キャンペーン」だとしても、池田信夫さんは同様に「有害無益である」と批判するでしょうが)


 そんなこんなで、2月12日に放送された「日本の、これから×無縁社会 - 働く世代の孤立を防げ」です。これは、前日の11日に放送された「NHKスペシャル無縁社会 - 新たな“つながり”を求めて」を受けた形でのスタジオ生討論です。


 ひとことで言って、ゲストコメンテーターのミスキャストと司会進行のまずさで、番組内容は低調だったと思います。せっかく、NPO北九州ホームレス支援機構理事長の奥田知志さんはじめ、NPOほっとポット代表理事の藤田孝典さんなど生活困窮者の支援団体の方々が多く参加されていたのに、そうした方を討論の中心にしようとする姿勢がなかったことが大きな失敗だったと思います。そもそも、番組のタイトルは、「働く世代の孤立を防げ」だったのですから、そのための「新たな“つながり”を求めて」、支援団体の方々の経験などにもとづき、具体的で建設的な討論ができたと思うのです。


 ところが、またぞろ「自己責任論」の話に引き戻されてしまった。なかでも、人材プロデュース会社ザ・アール社長の奥谷禮子さんのキャラクターは相変わらず強烈で、それが生討論の場ということもあり、全体の討論の流れによくない影響も与えてしまったと思います。


 強烈だった奥谷禮子さんの発言要旨を紹介しておくと――


 「大企業でも本当に必要とされている人は限られているわけで、自分が必要とされているかと強く考える必要はない。自分なりに満足する仕事をしていけばいいと思う」


 「『支えられてない』と言うが、では、『あなたは誰かを支えたことはあるのか』と問いたい。何かいつも受け身の状態で、『支えてくれない』とか『何々してくれない』とか『くれない、くれない』ばかり言っていてもしょうがない。若い人は考え方自体を変えた方がいい。何でも受け身で待っていれば誰かが何かしてくれるという期待があまりにも強過ぎて、何もしてくれないと不満を言っている」


 「基本的に人間は力強く自立していかなければいけないもの。それが今の若い人は、頼ることが先にきてしまう。人に何かしてもらうという考え方を考え直す必要がある」


 (製造業の生産ラインなど誰でもできるような派遣労働で、どうやって働きがいを持てばいいのか?という問いに対して)「ほとんどの仕事は単純労働ですよ。その中で、自分のやり方なりを考えていくしかない。日本は自己責任が弱すぎて、むしろ社会責任ばかりを言い過ぎたので、甘えの構造ができてしまった。それで自己責任が後から遅れて出てきてしまったのが日本社会だ。それを厳しいと言っている」


 ――以上が、奥谷禮子さんの発言要旨で、身も蓋もない「自己責任論」を開陳されました。むしろ、「自己責任論」が弱すぎたことが日本社会の問題で、甘えている若者は、誰にも頼らず「自己責任」で力強く自立すればいいだけ。若者を鍛え直すしかないと言うわけです。


 疑問なのは、あまり討論時間もなかったのに、いまさらという感じの「自己責任論」を奥谷さんにとうとうと語らせたことです。そもそも、討論テーマ「働く世代の孤立を防げ」に対して、「自己責任」という答えしか持っていない奥谷さんを出演させたことに首をかしげます。


 これまでの「無縁社会」の企画で、「若者を無縁社会の悪循環に追い込む自己責任社会」はすでに批判 した上での、「働く世代の孤立を防ぐ、新たな“つながり”」を模索しようという次のステップだったのに、NHKはミスキャストでそれを台無しにしてしまったように思います。


 それに、出演されていた女性と貧困ネットワークの栗田隆子さんが指摘していましたが、そもそも「社会的排除」が根本的な問題であることも、前回の番組で、EUが社会的排除をなくし「社会的包摂」を進める「包摂社会」をめざしていることも指摘 されていたわけです。その上、いま日本においても、湯浅誠さんや清水康之さんによる「一人ひとりを包摂する社会」特命チーム が動き出しているのですから、昨年の流行語大賞を受賞していようと「無縁社会」は実質的に「社会的排除」の問題をターゲットにするステージへと進む必要があったのだと思います。


 全国各地で、一人ひとりを包摂しようと、生活困窮者に様々な支援を地道に続けている方が多く参加していたのに、いまさら「自己責任論」と対決して何だというのでしょうか? 「働く世代の孤立を防ぐ、新たな“つながり”」というテーマはどこに行ってしまったのでしょうか?


 ただ、みずほ情報総研主席研究員の藤森克彦さんによる「トランポリン型の再就職支援」をイギリスにならってつくっていくべきという問題提起は一定大事だと思いました。(※じつは、労働総研が昨年、イギリス現地調査をして、この点に関わってのブックレットを近々出す予定になっています)


 藤森さんの話の要旨は以下です。


 イギリスは、トランポリン型の再就職支援を行っています。失業した人には、担当の「個人アドバイザー」がつきます。「個人アドバイザー」は、失業した人の再就職支援はもちろん、家庭環境も把握し、生活全般の相談に応じます。さらに失業者本人のさまざまな能力を診断し、本人も知らなかった適性なども発見していき、新たな仕事へつなげる可能性も広げていきます。


 「個人アドバイザー」は、求人のある企業をさがして、いったいどのようなスキルのある人間なら企業側が採用するのかを把握します。そして、その把握した求人に見合うように、失業した人に足りないスキルを習得させるのです。たくさんある職業訓練メニューの中から、たとえば、フォークリフトの運転やIT技術の習得、仕事をする上でのチームワークの習得などといったそれぞれのスキルを習得する職業訓練を受けます。その費用はすべて国が負担しています。個人が新しい仕事に就けるスキルを習得するとともに、「個人アドバイザー制度」によって、それぞれの人の適性に合わせた雇用のマッチングがおこなわれていくわけです。これは、失業でいったん仕事の場から滑り落ちてしまった人を、こうしたセーフティーネットで受け止めて、トランポリンのようにまた仕事の場に戻していくということで、トランポリン型の再就職支援・生活支援と言っています。


 また、イギリスでは家族の介護などで仕事ができなくなることがないように、「柔軟な働き方」の導入が進められています。たとえば、「柔軟な働き方」のメニューとして、「在宅勤務」「ジョブシェア」「集中勤務」「負担の少ない業務への異動」「年間労働時間契約」などが、イギリスでは運用されています。こうした「柔軟な働き方」によって企業にもメリットが生まれています。これまでスキルを身につけてきた労働者が仕事をやめないで続けられることに企業にもメリットがあるのです。


 こうした「個人アドバイザー」や「柔軟な働き方」の背景には、多くの人が働き続けられることが何よりも生活防衛、セーフティーネットになるのだというイギリスの考え方があります。日本においても国の責任で、たとえば非正規の単身労働者にもこうしたサポートをする必要があります。


 以上が藤森さんの話の要旨だったのですが、これに対して奥谷禮子さんはすかさず、「日本で実現するには、消費税を20%に上げても無理だ。本当にどうしようもない弱者にだけやるべき」と発言。それに対して、藤森さんは、「仕事を失った人を放置するよりも、イギリスのように、きちんと国の責任で支えていく方が、長期的に見ればコストはかからない」と反論していました。


 フィンランド人の翻訳家のシルクさんという方が、「日本は企業が男性正社員だけでなくその家族も支えてきたが、フィンランドは社会がみんなを支えている。日本も社会がみんなを支えるように変えるべき。とりわけ、日本は長時間労働で休みも取れないような人たちがいる一方で、まったく仕事がない人たちがいる。みんなに仕事がいきわたる社会に変えるべきだ」と本質をついた発言をしていました。


 ▼関連エントリー


◆クローズアップ現代「“助けて”と言えない~共鳴する30代」-孤独死もたらす自己責任論の呪縛


◆オランダのフレキシキュリティ - 雇用不安のない社会へ、同一労働同一賃金、社会保障の充実を


◆デンマークの「解雇自由」「フレキシキュリティ」を支える組織率87%の労働組合


◆日本経済の処方箋 - 北欧型ワークフェア国家(新しい福祉国家)へ、同一労働同一賃金・内需拡大を


 最後に、「一人ひとりを包摂する社会」特命チームが、1月18日の第1回会議の図表等をサイト にアップしていますのでいくつか参考までに紹介しておきます。


 上から順に、①13年連続で3万人を超える年間の自殺者数と自殺率、日本の自殺率はアメリカの2倍、イギリスやイタリアの3倍と先進国中、最も深刻。女性の自殺率は世界第2位。②20代、30代の死因1位が自殺であり、若年世代の自殺率は年々上昇。この20年間で、20代の自殺率は1.7倍、30代は1.6倍に急増。③自殺による国の負担増など経済的損失は2009年の1年間で約2.7兆円。④うつ病患者数は9年間で3倍増。⑤将来に対し不安を感じている人は23カ国で日本が一番多い。⑥子どもの孤立も世界最悪。「自分は孤独と感じる」、「自分は不器用で居場所がないと感じる」とした15歳の割合は24カ国で日本が一番高い。⑦EUは、「社会的排除」の克服に向けた4つの共通目標を「雇用への参加、および資源・権利・財・サービスへの万人のアクセス促進」、「排除のリスクの予防」、「最も弱い立場の人の支援」、「すべての関係者の動員」とし、「包括的経済成長」に、雇用・技能の増進や貧困削減を位置づけ、社会的包摂の取り組みを促進。


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(byノックオン。ツイッターアカウントはanti_poverty)