節分のレイラインを追いかける(1) | 西陣に住んでます

節分のレイラインを追いかける(1)

節分の三輪山



節分は、太陽暦の季節を分ける特別な日といえます。


具体的には春分・夏至・秋分・冬至の中間点、つまり

立春・立夏・立秋・立冬の前日を節分といい、

特に立春の前日の節分がもっとも重要視されています。


これは立春の前日の節分が

旧暦の元旦に近いということ(ちなみに旧暦は太陰太陽暦)と、

陰陽道でいう鬼が侵入しやすい節分に当たるからです。

詳しくは、こちらの記事をお読みください。→[平安京の節分の謎に挑む-1]

さて、節分が太陽暦であることから、

太陽信仰の国である日本には節分に出現するレイライン(太陽の方位線)

が存在する可能性があります。


すでに過去記事の[平安京の節分の謎に挑む-3]

京都の神社信仰においてその存在を示しましたが、

太陽信仰が特に古代に重要であったことを考えると、

古代に栄えた地域を中心に、他にもレイラインが存在すると考えるのが

合理的と思います。


日本では緯度の関係上、節分の日の日の出と日の入りは

東西から19~20度南にずれた方位になるといえます。

しこで、正確にその方位を求めて[→ke!san] 検討を行った結果、

いくつかの節分レイラインの存在がわかりました。

以下、分けて示したいと思います。



1出雲-三輪山ライン


出雲-三輪山


出雲の猪目洞窟から大和の三輪山まで

上図のようなレイラインが存在していると推察されます。


まず、このレイラインを説明するにあたって、

日本書紀の次のようなエピソードを紹介したいと思います。


神産み
イザナギとイザナミの神産みによって、日(アマテラス)、月(ツクヨミ)、蛭子(ヒルコ)、スサノオが生まれた。スサノオは性格が悪く常に泣いたり怒ったりし、国民が死に木が枯れた。イザナギとイザナミはスサノオが国を治めるのは無理と考え、根の国を治めるよう命じた。ヒルコについては樟の船に乗せて流した。この後、火の神のカグツチを産んだイザナミは、火傷をして亡くなった(以上一書第二)。イザナミは紀伊国の熊野の有馬村に葬られた。イザナミの嘔吐物からは金山彦という神が生まれた(以上一書第四)。イザナミは恨んでカグツチを斬った。その血からフツヌシとタケノミカヅチの祖先が生まれた(以上一書第六)。


黄泉の国
その後、イザナギはイザナミを追いかけて黄泉の国(よみのくに)に行った。イザナミは「黄泉の国の食物を食べてしまったので(連れて帰るのは)もう遅い」と言った。また「私を見ないでください」と言った。ところがイザナギはこっそりイザナミを見てしまった。イザナミには歯がなく、体には膿が流れうじがわいていた。イザナギは驚いて逃げ出した。容姿を恥じたイザナミは鬼にイザナギを追わせた。イザナギは葡萄や筍を投げて鬼の気をそらして逃げようとしたが、鬼はそれでも追いかけてきた。イザナミもまた追いかけてきた。イザナギはなんとか泉津平坂(よもつひらさか)についたところで千引きの磐で坂道をふさいで逃げ切った(以上本文)。なお、一書によればイザナギは桃を投げつけたところ鬼(雷)が逃げ帰った。これが桃で鬼を防ぐいわれのはじまりである(一書第九)。


禊祓と三貴子
黄泉の国から帰ってきたイザナギは、黄泉の国の汚れをとるため、筑紫の日向の橘の檍原(あわぎはら)で禊を行った。このとき、左目を洗うとアマテラスが生まれ、右目を洗うとツクヨミが生まれ、鼻を洗うとスサノオが生まれた。イザナギは、アマテラスには天を、ツクヨミには海を、スサノオはに天下をそれぞれ治めるよう命じた。ところがスサノオは天下を治められずに泣き恨んでいた。イザナミがなぜ泣くのかたずねると、スサノオは「母について根の国に行きたいと思って泣いている」と答えた。イザナミは望みどおりするよう言って追いやった(以上本文)。


古事記も日本書紀とほぼ同様の記述ですが、

違っている部分のみを書くと次のようになります。


神産み

イザナミの死にイザナギが悲しみ泣くと、涙から泣沢女神という神が生まれ、香具山のふもとの丘にいる。イザナミは出雲国と伯耆国の境にある比婆山に葬られた。


黄泉の国

黄泉比良坂は今の出雲国の伊賦夜坂という坂である。


禊祓と三貴子

イザナギは、アマテラスには天を、ツクヨミには夜を、スサノオはに海をそれぞれ治めるよう命じた。


以上のエピソードを総合すると、

黄泉の国は出雲にあって、イザナギは出雲に葬られているイザナミのもとを

訪れたと仮定するのが合理的であると思います。

日本書紀ではイザナミが紀伊国に葬られたことになっていますが、

これはパラレルワールドの一書と仮定します。


さて、レイラインの端にある猪目洞窟ですが、

黄泉比良坂の候補地として知られています。

まさにスサノオは墓場と黄泉の国の間にいるわけです。


猪目洞窟

(猪目洞窟:Google street view)


イザナギが岩で道をふさいだということと

スサノオが地下を意味する「根の国」にイザナミを訪ねると言っていることから

勘案すると、この話は洞窟内の出来事であると考えられます。

(幾何学的に岩で空間を塞ぐには、境界が閉じている洞窟に限られます)

したがって、ここに黄泉の国が存在すると考えます。


次に比婆山はイザナミの墓があったところです。

いくつかの比定地の中から有力なポイントを選択してプロットしました。


熊野大社は、出雲では出雲大社と並ぶ由緒正しき神社で

その祭神はスサノオであると考えられています。

イザナミを訪れたというストーリーとよく一致します。


中山神社も由緒正しき神社の一つ(名神大社)で金山彦を祀っています。

イザナミの墓の手前にあるのもストーリーと整合します。


そしてこれらのポイントが節分の日の出の方位に

完全に一致して並んでいることには大きな意味があります。


節分は鬼が侵入してくる日です。

イザナギは逃げながら桃を投げて鬼を敗走させます。

これぞまさに節分の趣旨にもよく合致するストーリーです。

ちなみに、このエピソード自体は鬼を退治する桃太郎伝説に発展した

と考えられている(岡山といえば桃太郎ですね)一方で

桃が豆に変わって節分豆になったとも言われています。


さて、このラインが三輪山まで伸びているのが興味深いところです。


三輪山に鎮座しているのは、出雲の代表者であるオオクニヌシの

幸魂・奇魂(神格の中にある魂の一部)であるオオモノヌシです。


オオクニヌシがアマテラスに国譲りをする前に

オオモノヌシが自分を三輪山に祀るようにリクエストして

それ以来鎮座しているといえます。

私は、大和朝廷がこの地を制覇する前の段階で

スサノオの末裔である出雲の勢力がオオモノヌシをこの地に祀ったと

考えています。


時は流れ、崇神天皇の時代になると大和に疫病が発生します。

この疫病の原因は、大和朝廷が滅ぼした出雲のオオモノヌシの祟り

であると考えた崇神天皇は、

龍田神宮に天御柱命・国御柱命を祀ると同時に

オオタタネコに三輪山のオオモノヌシを祀らせて疫病を抑えました。

龍田神宮がこのレイライン上にあるのも興味深いところです。


なお、崇神天皇は、オオタタネコにオオモノヌシを祀らせる前に

宮中で祀っていたアマテラスを笠縫邑に遷して祀りました。

これは檜原神社であると言われています。

実は、この檜原神社もこのレイライン上にあります。


巻向-三輪山


私が考えるに、実は崇神天皇はアマテラスをレイライン上に配することで

出雲とオオモノヌシの霊力を分断して祟りを抑えようとしたのではと

考えています。

しかしながら、結果的に疫病はおさまらず

オオタタネコにオオモノヌシを祀らせるにいたったのではと考える次第です。


ちなみに、次代の垂仁天皇は伊勢神宮を創設し、アマテラスを遷座しました。


ところで・・・


三輪山は高さ467mであり、大和からはぼちぼち見上げることになります。

そのため、実際に太陽が現れる箇所は、

水平線上に太陽が出現する位置よりはさらに南になります。


このため、レイライン上に存在しなくても

節分に三輪山の頂上から太陽が出現するのを

見ることができる場所があります。


それは、邪馬台国の遺跡であることがサスペクトされている

纒向古墳なんです!


巻向-三輪山


ますますミステリーが深まってきたといえます(笑)


次の記事は明日の節分にアップしたいと思いま~す。




[平安京の節分の謎に挑む-1]
[平安京の節分の謎に挑む-2]
[平安京の節分の謎に挑む-3]

[節分の前後で変わる京都の風景]

[晴明神社 節分祭]
[吉田神社 節分祭]
[壬生寺 節分祭]