平安京の災害と怨霊と祇園祭 | 西陣に住んでます

平安京の災害と怨霊と祇園祭

西陣に住んでます-祇園祭



祇園祭の季節ですね~!


祇園祭は、一言でいえば毒をもって毒を制する厄除けの祭です。


もう少し具体的に言えば、
日本神話の最大の暴れ者であるスサノオノミコト
災害をもたらす怨霊から平安京を守ってもらうと言う祭です。


平安京の穢れ(ケガレ)山鉾巡行で取り除いた後に
平安京外の国中神社(綾戸国中神社)にあるスサノオの荒魂
平安京外の祇園社(八坂神社)にあるスサノオの和魂を祇園社で合体させ、
その合体によって復活したスサノオを平安京の御旅所神輿で運び、
一週間の間、怨霊からの厄祓(ヤクバライ)をします。

一般に祇園祭のメインと考えられている山鉾巡行は
実はスサノオを平安京に呼ぶにあたっての下準備なんですよ。


西陣に住んでます-スサノオの霊魂の移動


ここで平安京に災害をもたらす怨霊というのは、
朝廷が日本のガヴァナンスを掌握するプロセスで
憤死させてしまった皇族公家怨念がこもった霊です。
祇園祭の起源は、これらの怨霊を安全な御霊に変えるべき行った
宗教的儀式である御霊会であるとするのが一般的な説であり、、
このことについては自論をふまえて以下の記事で書いてきました。


[祇園祭のルーツを探る-1]

[祇園祭のルーツを探る-2]

[八坂神社]

[御霊会]

[京都.祇園祭の起源をひも解く]


さて、この記事では、その災害と怨霊と御霊会の関係を
時系列で考えてみたいと思います。


下表は、主として日本の正史に書かれている
平安京の災害水害地震疫病内裏火災)と
不幸な出来事(飢饉天皇崩御)、
怨霊を発生させた事件(赤の点線)、
そして御霊行為(赤の実線)との関係を示したものです。


西陣に住んでます-平安京の災害

(クリック拡大)


朝廷は、平安京に災害が生じると
それは怨霊が超自然的な能力で起こしているものと信じ、
その怨霊を心を静めるために御霊会を行ったものと思われます。


祇園祭の起源となったと考えられる863年の最初の御霊会の前には、
たび重なる水害と地震に代表される天変地異が発生していて、
それに伴って疫病の蔓延して飢饉が生じています。

朝廷がそのことに危機感を感じて
最初の御霊会を行わせることに至ったのは極めて合理的と言えます。


この後しばらくすると水害の頻度が減少しましたが、
このことが祇園祭を定着させた大きなファクターになったと考えられます。

祇園祭りにはそれなりの効果があるということです。


もちろん水害が減ったのは、御霊会が成功したからではなく、
気象条件が好転したか、治水の効果が上がったためと考えられますが、
宗教が最先端の科学と考えられていた時代の朝廷にしてみれば、
御霊会が成功したためと考えるのはごく自然なことかと思います。


その後、菅原道真と言う強力な怨霊を造ってしまった朝廷は、
天皇の住居の清涼殿落雷被害にも見舞われ、
御霊行為のために北野天満宮を創建します。

この創建の後で水害は減少しますが、疫病は引き続き発生したため、
西暦1000年前後に再び御霊会が実施されたものと考えられます。


そしてその後、保元の乱日本の大魔縁(大魔王)を自他ともに認める

崇徳院という最大の怨霊を造ってしまったわけです。


[崇徳上皇-1] [崇徳上皇-2] [崇徳上皇-3]


ところで最近、平安京の災害史にフォーカスを当てた

「平安京の災害史」という(そのまんまですが・・・笑)という

とっても興味深い書籍がリリースされました。


西陣に住んでます-平安京の災害史


平安京という時代の本質をついた素晴らしい本だと思います。


もちろん平安京の歴史については、以前からあるこちらの本が

良いガイドブックだと思います。


西陣に住んでます-平安京年代記




最後に、祇園祭の過去記事はこちら↓


[祇園祭総合ガイド}


[山鉾巡行2010]

[山鉾巡行2011]


[京都の中心で混んでる~って叫ぶ2008]
[京都の中心で混んでる~って叫ぶ2010]
[京都の中心で混んでる~って叫ぶ2011]




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すべてをつなぐ接点は渡辺梓さんとみました。

根拠薄弱ですが・・・(笑)