天職起業で「人生は逆転できる!」講演家・作家

創業・起業・小さな会社やお店の成功事例
ベストセラー16万部


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弟への腎臓移植、無事に終わりました。「人工透析になった」とLINEで聞いたのは2年前。昔から透析受けてる知人から、その毎週3回4時間の壮絶さ(今はかなり進化?)を聞いたことあったので、こりゃ辛いだろう。「いや、透析で楽になった。慣れたら大したことないよ」と強がり見せない自然さにちょっと安堵。が、年に1、2回会う度、副作用?で顔がシワシワ爺ちゃんみたいになった外見を見て、驚かないフリをするのに慣れた昨秋、生体間腎臓移植という手段を初めて知った。そういえば腎臓バンクとか聞いたことあったが、全く忘れていた。検索で超簡単とわかり、でも自分の腎臓を摘出手術は怖い。が、「麻酔で寝て起きたら終わってる」という体験談を見まくり、知って数日後に弟へLINEで「俺の腎臓、一個やるぜ!」に、すぐ「あ、ありがとう」。全部上手くいった2日前、「人工透析になった2年前、透析でなく腎移植もあることは知った。でも、移植して欲しいとは自分からは絶対に言わない。言えるはずがないと思った」。まあ、そうかもね。が、チャンスが来た。懺悔の。私は兄らしいことを何もしてない。親孝行もゼロのまま。そして妻。9年前に妻は腎臓ガンで一個摘出の大手術をしたんですが、私は全く無関心でした。仕事が絶好調で、さらにJALとか某コンサルとか内容証明裁判沙汰の真っ最中で、腎臓ガン?初期で一個とればイイんやろ?と、手術前の家族同席インフォームドコンセントの説明も「もうイイよ。適当にやってて」。妻の手術は無事成功で再発もないんですが、私と妻の人間関係は破綻し(妻から見ると。私はそれまでと同じ感覚)、その後の家族内問題でも私は見て見ぬ振り。妻は精神的にもズタズタになり、家を出て1年前から別居中です。というわけで、今回は弟へ腎臓提供ドナーになったんですが、実は妻への懺悔の代わり。人として。が9割。弟よ、俺の嫁さんに感謝せよw あと、検索で普通に出ますが、人工透析より腎移植の方がはるかに体に良く、寿命も格段に伸びる。腎臓は2つあり、一個摘出してもほぼ問題ない。最新技術で痛くない。寝て目が覚めたら終わり。ちなみに腎移植は、血の繋がった親族以外、血の繋がってない夫婦や、三親等までの親族はOK。厳密な事前検査がありますが。今回初めて知ったのは、というか忘れていたのは、赤の他人でも移植はOKということ。日本で腎臓バンクからの移植待ちは15年で、希望者の1%台しか実現しない。親族以外もOKなら、それも三親等以内とか無くせば、いつでも誰でも移植できる。そこに臓器売買の市場があるのだ。闇の世界や新興国では普通か?中国とかでは数百万円で売買らしい。上手くやれば数千万でも売れるのでは?人工透析センターに通う人のリスト入手か、直接手渡しチラシで。バレたら逮捕かもだが、ノンバンク日栄の「金返せないなら、目玉売れ!腎臓売れ!」は脅迫ではなく、現実的な返済方法の一つと今回初めて知った。キチンとやれば救われる人がたくさんいるのだ。中古リサイクル市場と同じく。やっぱ親族でもドナーになれない人が99%のようだから。
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■4/29福岡・起業経営の失敗と成功の実録セミナー!講師2名!

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01c3da352e7542528faf25e78bfdf3ff563fbf965fe0039513_1215086なんと!また拙著が増刷になった。初版から13年目で。昨年も増刷していただいたので、まさにロングセラーだ。が、ここまで来たら、今後30年、50年、100年後も残る古典になりたい。つくづく、原理原則系の凄さを実感する。この本の中身は私のオリジナルはゼロ。共著者の竹田陽一の話をまとめ、その解説に私が関わった成功事例をエッセイ風にいれた。中心理論の「弱者の戦略」は1970年代から先輩コンサル著者が連綿と伝えてきたもの。焼き直し。目新しいことはない。勉強オタクの間では。が、世間はこの真逆の「強者の戦略」が普通なので、いつの時代も「弱者の戦略」に触れると、一定数の人が反応する。簡単に言えば、世の中の会社は99%が中小零細企業で、大企業は1%もない。が、一般の目に触れる情報は大企業系の情報が多いので、それを中小零細自営の弱者が真似ると、まともにぶち当たると勝ち目はない。つまり、世間一般の逆をしましょうと。天の邪鬼。へそ曲がり。ことわざ系で言えば「人の行く、裏に道あり花の山」とか、「戦わずして勝つ」とか、「負ける戦はしない」とか、小が大に勝つには「一点集中」「一寸法師」とか。勘の良い人は、こんな本とかコンサルとか無視して、自然にやっている。自然界の動植物も、結果として棲み分け=ニッチ=で生き残りをはかっている。それでもいつかは死に絶えるのだが。個体は。が、種族としては一定の割合で永続的に生まれ変わりを繰り返して生き延びている。諸行無常的に。諸行は常ではない。生命もモノもすべてはいつか無くなる。生まれ変わる。生と死を繰り返し、生き延びていくのだ。で、なぜこの本はロングセラーの末席に選んでいただいているのか?レベルは高くない。なにせ、書いたのは竹田陽一の本来はゴーストライターだった私が書いたのだから。しかも、この本を書いた当時は単なる広告代理業。まさに代理執筆。経営戦略とか儲けのルールも知らなかった。昔も今も経営者としての器はない。が、それは大学教授も評論家もコンサルも同じ。あのドラッカーも、経営書の著者・コンサルとしては一流かも知れないが、自らは一人の職人。が、それが仕事なんですね。著者・講師・コンサル・大学教授・評論家系は。それでいいんです。餅は餅屋。それぞれの役目がある。

で、今回のFaxで気になったのは、公称部数。つまり、ウソ。誇大表記。今回で印刷部数は98500部だが、公称は118000部。=ウソです。流通在庫があるので、実売はもっと少ない。が、台湾語版も出てるので、それも加えると10万部は超える。

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■私が生まれた時代は、まさに日本の高度成長期。

以前、映画「三丁目の夕日」を観たが、まさにあの昭和の時代だった。

 父はイイ時代の銀行員で、当時としては珍しく、生まれたときからテレビがあり、大学へ出て社会に出るまで生活に不自由したことはない。逆に、贅沢をした覚えもないが、あとから考えると、私は充分、坊ちゃん育ちだった。 生まれつきの天然パーマだったからか、小学校時代は「リボンの騎士」(当時流行っていた漫画)と呼ばれ、女の子とよく遊んでいた。親を「パパ、ママ」と呼ぶ、いつも笑顔のニコちゃん。

そんな私が、親への憎悪を抱いたのは、いつのことだろうか。
                                 
「金属バット殺人事件」

あなたはこの事件を知っているだろうか?

あれは私が大学生だった1,980年代に起きた。予備校生だった当時20歳の予備校生「一柳展也」が、就寝中の両親の頭を、金属バットで殴って殺した。父親の頭蓋骨はパックリ割れて血しぶきが天井にまで達し、母親も脳漿があたり一面に飛び散っていたという。

展也の父親は当時46歳。学歴は東京大学卒で、一部上場の旭硝子(株)東京支店長。母親は山口県の名門酒造家の娘で、兄も早稲田大学を卒業して大手電機メーカーに就職という、絵に描いたようなエリート一家だった。展也以外は。

展也も父や兄と同じく、一流大学を目指すが、早稲田、上智、中央、明治学院、成城と全部に不合格。浪人したが、またも早稲田、立教、明治、法政、日大に落ちる。

父から「一体おまえは何を目標に勉強をやっているんだ!どうしようもないヤツだ。こんな調子じゃダメだ。もういい。大学行くだけが人生じゃない。就職しろ!」と父から云われたが、兄と母が必死に説得して二浪を許される。

予備校を変えたが、早稲田専科コースでの成績は、英語が111人中80番、国語は最下位だった。展也は予備校をサボるようになり、父親のカードから金を盗んでは映画や喫茶店やパチンコで遊んだ。

母親に「オレは自衛隊に入る」とか「相撲取りになる」とも云ったが、また予備校通いをするようになった11月、早稲田模擬試験の結果は偏差値43。絶望的な結果だった。

11月29日の犯行前日、帰宅した父親は、展也が自分のキャッシュカードを盗んだことを知り、きつく叱った。さらに、受験浪人している展也に小言を云おうと、2階の部屋に入ると、展也はウイスキーをラッパ飲みしていた。「バカが!一人前に大学にも入れないくせに、このざまは何だ!おまえはクズだ!家を出て行け!」と、展也が座っていた椅子を足蹴にした。

それまで、展也の見方だった母親も、「あなたはダメな子」と言い放つ。

その3時間後、犯行は起こった。

(参考:ネットサイト「無限回廊」事件インデックスより)
                  
                 ◆

この事件が起きた当時、私は大学生活を謳歌していて、失恋以外の悩みはなかった。が、何かが心に引っかかった。年齢も近く、親に対する似た想いを抱いたことがあったからか、はたまた、事件の数年後に作家・藤原新也のベストセラー「東京漂流」で一柳展也のことを読んだからか、その後の人生でたまにノスタルジックに思い出すことがあった。

■裏口入学

父が銀行とやらに勤めていることを知ったのは、小学校4年の時。生まれ育った福岡市から、山口県下関市に引っ越した時。父が福岡相互銀行の下関支店長として赴任したのだ。家は丸山町の高台にある、豪華な一戸建ての支店長社宅だった。

ある日、私は何かの理由で遅刻しそうになり、父を毎日送り迎えしていた車のおじさんが、文関小学校まで送ってくれた。始業ギリギリの時間で、校門や校庭には誰もいない。

が、校門で高級車から降ろしてもらうと、校舎の窓から大勢の友達が私の方を見ていた。恥ずかしかったが、何か誇らしくて気分がいい。以来、私はたびたび、わざと遅刻しそうになり、父を銀行まで送り、車庫で車の手入れをしているおじさんに送ってもらった。

下関は2年で、その後はまた福岡市西新の銀行アパート社宅へ戻った。そこには小学校5年と6年を過ごしたが、事ある事に父に叱られ殴られ、私はアパートの物置に泣きながら逃げ込んだ。理由は覚えていない。怖いのは地震・雷・火事・親父の時代。が、友達と比べても、あきらかにオレは怒られる頻度が多い。オレはダメな子なのかと思っていた。

■中学は校区内にあった、進学校の福岡県立百道中学へ。成績は350人中100番くらい。その頃、社宅アパートを出て一戸建てに引っ越した。どうやら、父が栄転したらしい。
 ある時、父の給与明細を偶然見たが、月給で30数万円とあった。昭和46年だから、今の価値では月給200万位か。あとで知ったが、父は39歳で銀行の最年少取締役に就任。下関時代と同じく、毎日、黒塗りの役員車が家に出迎えていた。

高校受験を控え、親の計らいで中学の教員がバイトでやっていた塾に通った。校区の一番の進学高校は修猷館。当時も今も、毎年数十人の東大進学者を出す、名門公立高校だ。
 しかし、私の成績では到底無理。校区で2番目の城南高校を受験する事になったが、そこもかなり難しい。自分なりに必死で勉強しようとしたが、私はラジオから流れる南沙織や天地真理、洋楽のベストテン番組に夢中になった。特に南沙織が好きになり、月刊「明星」や「平凡」の切り抜きを集めまくっていた。

■当落ギリギリの成績で迎えた城南高校の受験日。午前中の試験が終わって休憩時間になった時、試験監督が2~3人、私の机に寄ってきた。「君が栢野君か・・」。なんでオレの名前を知っているのか?しかし、特に疑問を持つことはなく、午後の試験を受けたが、あきらかに失敗した。落ちたと思った。

ところが合格発表日、奇跡的に合格した。百道中学からも多くの友人が受けていたが、私を含め、中の上くらいの成績のものは、ほぼ全員不合格。馬場、入江、土井、山崎・・・・皆、首をうなだれて下を向いている。その姿を横目に見ながら、同じく合格した飯山の手を取り、「やった!やった!」と喜んだ。飯山は落ちた皆に気を使い、困ったような苦笑いをしていたが、私はお構いなしにはしゃぎまくった。本性が出たのだ。

その時、近くにいた入江が呟いた。

「おまえが受かって、なんでオレが落ちるんだ」

 オレの成績は入江より少し良かったから、お前に云われる筋合いはない。それに、お前は汚い中華料理屋の息子じゃないか。住む世界が違うんだよ。
 私は聞こえないふりをして、心の中で「ザマアミロ!」と喝采を上げ、落ちたヤツラを見下して冷笑した。あれは生まれて始めて、自分の非情さに気づいた瞬間かも知れない。

また、中学時代に大好きだった中村恵子という、施設から通っていた同級生がいたが、彼女は池田という成績優秀なヤツに惚れていた。その修猷館合格間違いなしの池田が、まさかの不合格と聞いたときも、心の底から快感が湧き上がった。

■しかし城南高校に入学後、最初の試験の結果には愕然とした。成績が350人中、200番台だったのだ。それまでの小学・中学で、平均より下になったことはなかった。悪いときでも、いつも真ん中よりは上だった。人間の価値は成績で決まると思っていたので、もの凄い劣等感に襲われた。

が、次の試験も、そのまた次ぎの試験でも、結果は学年の平均を下回った。オレはダメな人間なのか・・・・。次第に高校に行くのが嫌になり、同級生や先生から「このバカが。劣等生が・・」という眼で見られている気がした。

ある日、オレは「いつものごとく」、両親の寝室外にかけてある、父の背広のポケットに手を入れていた。そこにはいつも小銭があり、たまに盗んでいたのだ。何やら父と母が話している。

「・・・・まあ、こうして入れば、克己も何とかなるだろう・・・・」

前後の言葉は聞こえなかったが、その瞬間、私はあることを思い出した。城南高校の受験時に、「君が栢野君か・・」と机に集まった試験監督の言動。あの不可解な、何やらバカにしたような笑みと、寝室の父の言葉が結びついたのだ。

「裏口入学?」

その勘は数ヶ月後、実証されることになる。

■高校1年の夏、父が取締役小倉支店長で転勤することになり、私も転校することになった。校区で一番は福岡県立小倉高校だったが、そこは修猷館と並ぶほどの進学校で、到底私の実力では無理。次は小倉西高校だったが、当時の成績は悪く、合格できるかどうかわからない。その下の小倉南高校は確実と思ったが、一か八か小倉西高校を受験することになった。

果たして受験の前日、まだ引っ越しの段ボールで溢れる中、「家庭教師」という男が家に来た。心配で親が呼んだのだろう。私は、男から渡された数学の問題をやったが、そのペラ一枚が終わると、解答用紙を渡してすぐに帰った。少し疑問に思ったが、翌日の試験問題を見て驚いた。

試験科目は国語、英語、数学だったが、なんと数学は、昨日やった家庭教師の問題とほぼ同じ。比較的得意だった暗記英語もなぜか簡単なレベルでほぼ満点の出来。苦手な国語は70点くらいの感触だったが、合計では300満点中、少なくとも250点は取れたと思う。

予想通り合格したが、クラス担任の若狭先生は私の転校試験の成績表を見ながら、「これはスゴイ生徒が入ってきた」と、私の前で呟いた。「そんなの当たり前ですよ。だって、数学は家庭予習の問題と同じなんですから・・・」とは言えない。子供心に、これは悪いことをしていることはわかった。

が、先生にはもちろん、親に聴くのも憚れ、友人にも言えない。転校してきたばかりで、知り合いは誰もいなかった。

「オレと両親は、限りなく、犯罪に近いことをやっている」

■疑いが確信に変わったのは、小倉西高校に転校してまもなく。数学の時間になり、入ってきた白い制服の中年男性を見て、「アッ!」と声が出そうになった。転校試験前日に家に来た「家庭教師」だったのだ。

「そういうことか」。

先生の名前は江上と言った。噂ではイン金タムシだったようで、頻繁に机の端に局部を押しつけ、掻いていた。

担任の、英語の若狭先生をはじめ、他の先生は「不正入試」のことはまったく知らなかったようで、事実は私の両親と江上教諭、江上教諭を紹介したであろう人物の、ごくわずかしか知らないはずだ。そして、当事者の一人である私。

この数年後、高校か大学時代かは忘れたが、新聞で同じ様な事件を何回か見た。大人になって知ったが、公務員相手に金品の授受で不正な取引をすることは、立派な贈収賄事件だ。新聞記事を見て、オレもいつかは逮捕されるのでは?と怯えた。

同時に、これはなんと48歳になって気づいたことだが、「犯罪」を犯した親への憎しみの芽も、この頃から生まれていたと思う。さらに、そんな不正に身を委ねるしかなかった「共犯者」としての自分への苛立ち。
 これがのちの、社会人になって出逢う様々な不正に対する、特にずる賢い強者に対するルサンチマン的な復讐心、破滅的な正義感の萌芽になったと思う。

その原点が「犯罪者の親」であること。尊敬すべき、感謝すべき対象を、憎まねばならなかった状況。これは望んでも得られない、貴重な経験だ。相手が大手だろうが有名人だろうが、お世話になった先輩や会社でも、お客でも容赦しない。間違っていることも多いかもだが、相手が誰であろうが、ウソや不正や騙しは許さない。これはなんとも貴重な資質だ。・・・そう思えるようになったのも、2007年になってからだが・・。

■こうして福岡県立小倉西高校へ裏口入学した私だが、この高校は居心地が良かった。というのは、入学は不正だったが、成績がまた昔のように、300人中で100番以内に戻ったから。平均すると50番全後だったか。

 この小倉西高校は、以前の、同じく不正入学した福岡県立城南高校に比べると学業では劣る。今もそうだが、現役で早稲田や慶応、九州大学へも合格する生徒はほとんどいない。よって、私の成績でも、上中下で言えば、学年で常に「上」だった。が、それは学業で二流高校だったからで、偏差値自体は60を上回ることはほとんどなかった。55位か。その成績では、いわゆる一流大学には程遠い。

私は恋愛と音楽に夢中になった。とくにあるアイドル歌手には惚れ込み、部屋中にポスターや切り抜きを貼りまくり、ファンクラブにも入った。勉強するふりしてオールナイトニッポンや歌謡曲番組に夢中になり、歌手やスターに憧れた。

また、クラスの一つ年上の不良・中嶋が女の子とイチャイチャしているのに刺激を受け、高校2年の夏、クラスの女の子を見渡し、松原まり子に焦点を定めた。特に話したこともなかったが、なんかアイドル風で好みにあった。
 ちょうどその前の試験成績がよく、何かの科目は学年で10番以内に入り、その表が全学年に配られ、体育のクラスでも目立っていた。

今がチャンスと思い、つき合って欲しい旨のラブレターを書いて靴箱に入れると、まさかのOKが出て舞い上がった。が、「つき合う」ことの意味を知らず、OKの返事はもらったのだが、どうすればいいのかわからない。今考えても素晴らしいプラトニックラブだ。デートの場所は小倉玉屋や小倉城を歩いたり、図書館で一緒に勉強する程度。

菅生の滝で、初めて手を繋いだが、もうそれだけで息子は勃起状態。きついジーパンに締め付けられた状態が何時間も続いたからか、腹が痛くなって困った。草むらに寝そべり、キスのタイミングも計ったが・・・そんなことをするのは不良だと、キスなんかは結婚してからだと思いとどまった。まさに青春!?

そんな姿を父は察していたのだろう。オレをいつも見下していた。

「金属バット殺人事件」一柳展也の父のように。

■父はエリートだった。大半が中卒か高卒の昭和24年、「商科の雄」神戸大学経営学部に入学。卒業後は当時の花形である大日本製糖に入社。その後福岡相互銀行(今の西日本シティ銀行)に転職し、30代で取締役になっていた。当時は小倉支店長を兼務で、これはあとで知ったが、この小倉支店は福岡県北部の本部も兼ねた、役員への登竜門だった。

(これは35歳を過ぎて知ったが、父の父、オレの祖父は、福岡相互銀行の前身である「福岡無尽」創業期のメンバーであり、やはり取締役検査部長をやっていた。オレが小学校低学年の頃に亡くなったので、詳しくは知らなかった)

そんな家系だったからだろう。オヤジとしては、オレは修猷館か小倉高校→東大や早稲田慶応、腐っても九大を期待していたが、到底無理な話。その努力もせず、女とデートしてアグネスチャンの日々。

ある日オレが部屋にいるとき、オヤジがスッとオレの部屋を開けた。そしてアグネスチャンだらけの部屋を見渡し、軽蔑するような目でオレを見た。

「なんね!?閉めろよ!」

そういうと、オヤジは無言で去った。既に身長ではオヤジを越し、気性も荒くなっていた。昔は何かというとオヤジはオレを殴ったが、もう手出しは出来ない。別に腕力は強くなかったが、キレた時の狂気は、かなり凶器じみていたからだ。


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福岡◆12/27セミナー交流会「目標達成の技術2015」
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◆地獄の始まり 「1億円の連帯保証」

それは一本の電話からだった。平山さんという、亡くなった父が勤めていた九州シティ銀行時代の後輩で、当時は地場中堅ゼネコンの副社長。私は東京や大阪で就職・転職・起業で失敗を繰り返し、6社目となる東京の出版社「ビジネス新社」で、文字起こしのバイトをしていた。

「克己さん、私はあなたのお父さんが銀行の取締役時代、大変世話になった者です。実は、あなたのお母さんが1億円の借金をかぶり、土地も差し押さえになりました」

「えー!?何ですか?それは!」

「お母さんが、ある男の連帯保証人になっていたのですが、その男が返済せず、請求がお母さんのところに来たのです。一度、こちらへ帰って来れませんか?」

実家が1億円の借金?土地が差し押さえ?そんなバカな。嘘だろう。悪夢のような話だ。しかし、博多へ帰ってみると現実だった。
母が連帯保証した相手は佐賀県唐津市和多田の浦山康史。年齢は60代前半で妻子持ち。職業はフリーの地上げ屋。

地上げ屋!

権利などの入り組んだ土地をまとめ、マンション用地などにする裏方の仕事。暴力や脅しでの立ち退き・・ヤクザというイメージもある。

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当時、世間では「バブル崩壊」という言葉が流行っていた。私自身はほとんど実感がないが、1980年代前半から好景気が続き、80年代後半は株や土地が高騰。それが1990年代に入って下落し始め、「不況」とか「バブル崩壊」とかいう言葉が使われるようになっていた。

地上げ屋の浦山が借金した相手は、博多駅南の「エビス信販」と「なにわ商事」。いわゆる高金利でお金を貸す街金、高利貸しだ。約1億円にのぼる借金を浦山が返済しなかったので、街金は連帯保証人である私の母に請求。かつ、福岡市の中心部、大名にある先祖代々の栢野家の土地も差し押さえた。
Uターン後に登記簿謄本を見ると、裁判所による「競売開始決定」も記載されていた。

母が他人の連帯保証人として1億円の借金をかぶり、土地も差し押さえになった。このままだと家屋敷を全部取られる。相手は地上げ屋と街金。
さらに、母とその妻子ある地上げ屋は「できて」いた。こんな火曜サスペンスドラマのような出来事、ホントかよ。

しかし、私は平山さんと一緒に母、弁護士、司法書士、街金、浦山に会ったが、全部事実だった。かつ、浦川は資産も金もないこともわかった。

借金1億!・・・

といっても実感が湧かない。どこか他人事のような感じ。

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地場相互銀行の取締役だったオヤジは、44歳の時に脳血栓で倒れ、2週間で亡くなった。オレが高2の秋。詳しくは知らなかったが、財産は福岡市早良区野芥にある一戸建て、西新の2LDKマンション、九州シティ銀行の株券が数万株に現金少々。そして福岡市のど真ん中の天神地区、大名に17坪の土地があった。

実は今回の騒動の原因はこの大名の土地だった。この土地は、父と同じく九州シティ銀行の前身である九州無尽の取締役だった祖父から父が相続し、父の死後は母に相続された。

私は知らなかったが、成長著しい福岡都心の土地ということで、バブル時代後半には、なんと坪2500万円の値が付いた。と言っても正式な話ではなく地上げ屋からの話。17坪だと約4億円。

そういえば以前、母との電話の中で、そんな値が付いたという話があったが、私は実家の財産には感心はなかった。私の中では実家とか親とか故郷は年末年始に思い出す程度。

仕事が定まらずに東京や大阪を転々とし、失敗だらけの人生だったが、故郷へのUターンは一度も考えたことはない。
なんとか東京で成功しようと、いつも目の前のことで精一杯だった。
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●狂った母と俺
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それにしても、母はなんで地上げ屋なんかとつき合ったのか。ある日、母をつかまえて尋問した結果は、驚くようなことだった。

出逢いはその7年前。西新のパチンコ屋という。西新とは私が高校まで育った街で、福岡市内では天神・博多駅に続く副都心。昔ながらの屋台も多く出る商店街があり、海も近くて進学校も多い。そこに小中高と過ごした銀行社宅アパートがあったので、私ら家族には第2の故郷だった。

父の死後、1年後に長男の私が大学進学で京都へ。その後、次男も就職で東京へ出た。結果、母は購入した西新の2LDKマンションに一人で住んでいた。「一人」で。

しかし、出逢いがパチンコ屋とは。
俺も昔はたまにパチンコをしたが、基本的にはああいう場所は、不良やダメ人間が行くものと決めつけている。

父の死後も億単位の財産があるので働く必要はなく、私ら子供が巣立ち、暇になった母は自然とパチンコ屋の常連になったらしい。

同じく常連だった浦山と顔見知りになり、ある日、浦山は母に3万円を借りた。が、浦山はすぐに返したという。その後、また5万円の借金申し込みがあったが、これまたすぐに返済された。

そんな貸し借りが何回かあったあと、母は30万円を貸した。すると浦山は期限通りに返済しただけでなく、「自宅にバラの花束を持ってきてくれたのよ~」と母は遠くを眺めながら、懐かしそうに、半ばうれしそうに、後悔もなさそうに言った。

これで母は「落ちた」のだと思った。典型的な詐欺師の手口だ。
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こうして母は浦山と男女の仲になった。浦山は唐津に妻子がいたが、浦山が福岡方面で仕事する場合は母の家に住むようになった。

「パパと好みが似ているのよ。私が作る味噌汁とか料理がうまいうまいって・・・」

私は耳を疑った。

「それにパパは忙しかったでしょ。(浦山と)あちこち一緒に旅行に行って楽しかった」

母の愛の告白。サイテーだ。

私は今回の件で浦山と数回会ったが、その獣のような60男の顔姿を思い出し、かつ、50代後半の母が近年、以前よりキレイになっていたのを思い出した。
オスとメスとの交わり、母と浦川のセックスを想像し、なるほど、このメスはあのオスの陰茎にやられたのかと、異常な汚らわしさを感じた。そしてドンドンやられていき、気づいたら1億円の連帯保証人になっていたのだ。

数億の資産を持つ元銀行役員の未亡人が、妻子ある悪徳地上げ屋ブローカーと恋に落ち、いまやその財産を奪われようとしている。女性週刊誌やワイドショーのような話。

人の不幸は密の味。

なんとも痛快というか、絵に書いたような醜聞事件だ。
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ある時、実家マンションで母を詰問した後、ふと、玄関の靴箱を開けた。果たしてそこには男物の革靴が山のようにあった。明らかに浦川の靴だ。母が浦川と暮らしていた何よりの証拠。そして、母が承諾している証拠。愛の暮らし。堕落の証明。

それは俺の実家に棲んでいる獣のもの。あの鬼畜が身につけている、汗がしみ込んだクサイ靴。見つけて10秒も経っていなかっただろう。私は靴を次々につかんで外のゴミ捨て場所へ投げ捨てた。「この野郎!」と雄叫びを上げながら。憎しみを込めて叩きつけるように。いや、叩きつけた。

自分の縄張りに入り込んだ、ライバルのオスを排除する動物本能でもあった。おれ達の財産を奪い取ろうとしている悪人、俺の実家、俺の古巣に入り込み、占領し、母と財産を奪い取った獣のオス。

狂ったように靴を投げ捨てる俺を、母は呆然と見ていた。首をうなだれながら。仕方がないと自分の罪を認めるように。
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●父のいた銀行へ駆け込む
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とにかく、連帯保証1億円をかぶったのは事実。つまり、栢野家は債務者・浦川清の代わりに、早々に「なにわ商事」と「エビス信販」に計1億円を弁済せねばならない。

しかし、そんな金は手元にない。私自身は思考能力がなかった。それは母も同じ。茫然自失。事件発覚以来、事の全貌解明と対処策はほとんど平川さんが代行してくれていた。私らは平川さんの言うとおりに行動した。他に、こんな面倒な事件を解決してくれる人はいなかった。ある意味で、平川さんは亡き父のようだった。

事実、平川さんがこんなにいろいろ面倒見てくれるのは、俺の親父の部下で世話になったこと、住宅会社に転職した平川さんから野芥の家を購入したこともあるが、ある意味では母の近くにいて、今回の事件を防げなかった負い目がある、恩人の奥さんを救えなかった自分にも責任があると言っていた。

私と母は平川さんに連れられ、福岡シティ銀行の本店へ行った。そこには父の同僚で、副頭取を経て監査役になっていた森田さん、野口専務、他の銀行役員が数名待っていた。今回の恥ずかしい事情を話し、なんとか救済してもらえないかと。平川さんが状況を説明し、私と母は下を向いてうなだれるだけ。

救済策とはこうだ。西新のマンション、野芥の一戸建て、大名の土地など全財産を担保に入れて銀行から1億円の融資を受け、金利が高くて怖い街金へ弁済。その後、土地や家の売却、株券の処分などで銀行側へ返済する。

幸い、土地や家の価値は計算上、合計で1億円以上ある。まあそもそも、今回の事件は財産があったからだ。あったから狙われたのだ。財産がなければ1億の連帯保証人にはなれない。なっても返済する原資がない。浦川のように。
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浦川は落ちぶれた地上げ屋だったが、浦川の父は資産家で、唐津の和多田地区に相当な土地を持っていた。ありがちな話だが、浦川の代になって絵に書いたような放蕩息子ぶりを発揮し、すべての資産を消滅。それどころか、私らをはじめとして方々から借金し、完全に落ちぶれてしまっているという。いわゆる資産家のバカ息子だ。

しかし、それは俺も同じ。親の資産こそ食いつぶしていなかったが、銀行エリートのバカ息子として、甘い考えと堪え性の無さ、根性の無さで就職・転職・起業に失敗。落ちぶれてしまっているのは同じ。

かつ、不倫をして堕落した母を罵倒したが、実はその頃、俺も東京で同級生の人妻と不倫していた。親子で不倫のバカ同士。そんな駄目な自分と同じような浦川に、実家を破壊されて歯がゆい気持ちだ。目くそ耳クソを笑うか。

今回の福岡シティ銀行側に対する直接の債務者は母。しかし、私と弟、それに平川さんも連帯保証人となることになった。土地や家は計算上は借金以上の価値があったが、これで私も1億円の借金を背負う羽目になった。

借金1億円!

想像がつかないね。かつ、こうなっても他人事という感じ。当事者ではない。自分のせいではないし、平川さんがあれこれ対処してくれるおかげで、余計そう感じる。母も俺も自分の意志で考えて行動することがほとんどなかった。上の空。手取り足取りされると人間は成長しないね。適当に放っておくのがいいね。
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それにしても借金1億円をかぶるなんて。個人レベルでは大事件だ。実は帰郷してすぐ、通りかかった福岡県・早良警察署に駆け込んだ。

「・・・そんなこんだで借金1億円をかぶることになったんです。どうにかなりませんかね・・」

「・・・ならんね。民事不介入だから」

そうだろうな。強盗とか騙されてならともかく、今回は母が同意している。浦川が街金から借金する。返せなければ代わりに弁済する連帯保証人に、母は直筆でサインし、実印も押している。仕方がない。どうしようもない。警察が云々いうことではない。

ならば、警察沙汰にすればいいのかと、私はエビス信販に殴り込んだ。というか、わけのわからぬ大声を上げてケンカを売り、殴られれば暴行事件で街金を悪者にできるのではと思ったが、海千山千のエビスの社長は顔色一つ変えなかった。
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もちろん、今回の事件の真犯人である浦川清には直接、何度か詰め寄った。借金を返せ!と。1億円の金銭消費貸借書にもサインさせたが、その借用書のサインは浦川清史。実名は清なのに清史と書いて誤魔化す汚さ。こうして素人を騙してきたのだろう。

浦川は電話をすれば出てきた。逃げも隠れもしなかった。憎らしい。職場というか待機場所というか、ある会社へ電話すると、いれば浦川は電話に出て、指定場所へ現れた。

そして、「金は返す。今は金はないが、来月には金を返す」と毎回言う。逃げずに金を返す意志は表明する。しかし結局、最後まで一円の返済もなかったのだが・・・。
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●帰郷
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こうして借金1億円を背負った。私は福岡での当面の処置が終わって東京に戻ったが、平川さんからは再三、福岡へ戻って欲しいとの電話があった。まあ、当然だろう。

「いや、東京で独立したばかりで、仕事がありますから・・・」


しかし、起業に失敗し、会社は実質休業状態で、出版社で週に三日バイトしているだけ。帰ろうと思えばいつでも帰れる気軽な身分。

実家は最大の危機だ。弟は兼松日産農林という、オンボロだが一部上場のキチンとした会社のサラリーマンで結婚もしている。ブラブラしているのは俺だけ。俺しかいない。帰るしかない。

「潮時」

そんな言葉が頭を過ぎった。

借金事件が発覚して3ヶ月後、私は東京を離れ、福岡へ帰ることを決めた。大学卒業以来、ビジネスマンとしての成功を夢に見て、ヤマハ発動機、リクルート人材センター、コンピューターシステムリース、ミッドと転職し、「無料職業相談業」アントロポスデータジャパンでの独立も失敗。まだ東京では何も成していない。

しかし、今回は帰るしかない。東京でも大阪でも負け犬人生。非常に心残りだが、今回の帰郷は誰がどう聞いても納得するだろう。撤退理由としては十分だ。
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東京にはヤマハ時代に6カ月、リクルート時代に2年10カ月、失業+ミッド時代で2年半、独立後に1年半、都合7年ちょっといた。23歳で初めて上京し、途中2年半ほどは大阪だったが、33歳まで東京にいた。

20代から30代前半の、社会人として一番多感な時期を過ごした東京。多くの失敗を繰り返し、リクルート時代とミッド時代にホンの少しの成功体験があるが、全体では1勝9敗といった感じ。

敗北者。青春の蹉跌。挫折。苦い思い出ばかり。

恋もしたが、その多くは実らなかった。まじめな交際は2度あったが、その一つは大阪の婚約破棄事件で悲惨。もうひとつは同級生で人妻。

後者の人妻にはかなり癒された。気が紛れた。サラリーマンとしてドツボで先が見えない時代、その後のダメ独立起業時代、寂しいときの心の拠り所だった。

「かっちゃんは何かを成す人よ」

お世辞でもうれしかったが、その片鱗はまったくなかった。

大学を卒業した時点では、少林寺拳法の関西大会で2年連続優勝するし、本も小説や経済・経営系を1000冊は読み、文武両道でこんなヤツはそういないと自信満々だった。

が、社会に出てから立て続けに就職・転職に失敗し、起業もダメ。学歴も勉強も、何の役にも立たなかった。

しかも、まさか俺が、同級生の人妻と不倫するとは・・・。

俺も堕ちた。仕事もダメだが、私生活も堕落している。なるようになれ。

人生に失敗し、単純に性欲に、快楽に溺れたのだ。
同じ時期に、母も妻子ある獣と不倫していた。最悪の親子だ。
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結果があれば原因がある。

今回の1億連帯保証事件は起こるべくして起こったとも言える。父は高校2年の時に死んだが、高校卒業以来、俺は親のこと、母のことはほとんど考えなかった。考えるのは自分のことだけ。

いかに自分の青春、恋、仕事、人生を成功させるか、そのことだけで精一杯だった。実家と母のことは捨てていた。忘れていた。眼中になかった。

結果として、母は独りだった。父が死んだのは44歳の時で、母は41歳。私はその1年半後に大学進学で家を離れ、小学6年生だった弟も大学卒業後は福岡を離れた。

幸か不幸か、母は働かなくても十二分に食っていける財産があった。しかし、俺が故郷を捨て、弟も巣立ったあと、実家に一人残った母には特にやるべきことがなかった。友人は多かったが、家に家族はいない。孤独で寂しかったと思う。

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だいぶ以前に帰郷した時、母がポツリと漏らしたことがある。飼っていた小鳥が死んだときだ。

「チイちゃんがね、死んだときは泣いたんよ。やっぱ鳥でも寂しいね」

家に帰っても母一人。心の優しい弟はもちろん、喧嘩ばかりしていた俺でも、世話をする相手がいなくなるのは寂しいらしい。ご飯を作っても「美味しい!」という相手がいなければ料理のし甲斐はない。ケンカばかりでも、ケンカ相手がいるだけ幸せなのだ。

財産があっても寂しい一人暮らし。財産があるから働く必要がなく、だからこそ新たな知り合いも出来ず、そこに「浦川清史」に突け込まれるスキがあった。

「なんでこんなことになった!いつからのつきあいだ!」

懲らしめて白状した母によると、浦川とつきあい始めたのは、弟が大学を卒業して家を出た年。つまり、母が一人になった時期と同じだ。寂しかったのだろう。

現れた浦川は亡き夫と年の頃は同じで、一所懸命に作った「ご飯を美味しい、おいしいと言って食ってくれ」、「いろんな場所に旅行に連れていってくれた。夢のようだった」と母は白状した。実態は母を保証人にして街金から借りた金で遊び回り、返済することなしに栢野家に押しつけたのだが。

いずれにしろ、母に巡ってきた青春。遅れてきた青春。母にとって、愛する浦川の連帯保証人になるのは当然のことだったのだろう。

のちに、最悪の形でそのつけを払うことになるのだが。
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■孤独な帰郷
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世間はバブル崩壊していたが、オレの人生も崩壊した。

その6月、「青春」を共にしたリクルート人材センター時代のバイト仲間が、四谷の居酒屋で壮行会をしてくれた。その他、何人かの人に別れの挨拶をした。

四谷の木造風呂なしアパートの荷物は、ヤマト運輸の小さな軽トラック「独身引っ越しパック」一台に収まった。家を出た18歳から33歳まで、15年間の荷物にしてはあまりに少ない。人生で何も成していない証拠だった。

テレビドラマの「北の国から」で、東京に出たが失敗と挫折ばかりの「純」が寂しく帰郷するシーンがあったが、まさにそれと同じだった。

軽トラックが出たあと、私はヤマハのオフロードバイク・セロー220ccに跨り、陸路で博多を目指した。典型的な都落ち。これで東京ともおさらばだ。

が、俺は逃げるのではない。いかんともしがたい実家の理由があるのだと、正当な感傷に浸ろうとした。四谷から、最初に独立起業した新宿御苑、新宿通から青海街道を通り、東京で最初に間借りした阿佐ヶ谷のアパートに寄った。

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そして環八通りを南に下って厚木街道を南に向かい、甘くて酸っぱい思い出のある相模大野のアパートに別れを告げ、国道一号線を西へ。ロングツーリングは学生時代以来だ。

しかし、神奈川県の秦野を越えて足柄あたりに来たとき、降り続いていた雨足が一段と強くなってバイクの視界を遮った。カッパの中まで水浸しになり、この先長い旅のことを考えると心細くなった。まさに泣きっ面にションベン。

暫し考えたあげく、バイクでの東京→博多横断を断念。東京湾からフェリーで行くことにした。

意外にすんなりと乗れたフェリーの三等船室で寝ころび、近くの出稼ぎみたい男たちと四方山話をした。

「こんなヤツラと話をしても仕方ない。どうせ人生の失敗組だ」

が、ほどなく、オレも同じと気づいた。

オレの人生はどこでどう狂ってしまったのか?

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◆人生は逆転できる!

それは、学業・進学に一人悩み、就職・転職で社会の厳しさと自分の甘さを嘆き、天職がわか らず追い込まれて、それでもわずかな淡い夢と希望はあった独立起業も失敗の連続で明日の金もなく、世間には内緒で恥ずかしいバイトや副業で日々を乗り切 り、それでもやっぱり夜になると悲観と絶望の考えが頭に巡り、振り払おうと自己啓発本やマルチ商法や悪徳商法や研修や寺巡りや内観や滝撃ちに行ったがその 日だけのごまかしで終わり、やっぱり神頼みかと神社や寺を見つけると一人涙を流して神様、私を救って下さいと懇願し、それでも人前や家族やお客の前では元 気なフリをしてなぜだか皆が家路に帰り始める夜7時過ぎには虚脱感と同胞感がごちゃ混ぜで安心し、しかし、深夜に散歩して見かける浮浪者は他人事でなく、 自殺者年間3万人の記事にハッとし、このままではダメだが精神科には行きたくないので心療内科やリラクゼーション・癒しのセミナーにこっそり参加し、もし 知人に見られてもいやー、過労で気分転換にという言い訳の練習をし、ありがとう1万回で人生が変わる、トイレ掃除で経営が変わると聞けば実行するも1週間 も持たず、様々な業績アップセミナーに出るも、教材ばかり買わされて効果が出ず、コレがダメならあの先生だと勉強のはしごでますます金がなくなり、追い込 まれたら借金も実力のうちだなんて開き直り、それでも支払いの月末が近づくとポストの街金チラシが気になって捨てず、もっと営業せねばと思っても意欲が沸 かず、考えてばかりで会社に籠もり、たまに外に出たかと思うと公園でさぼり、いや、今はむやみに仕事するよりここはちょっと立ち止まって思案に暮れるが、 考えるのはマイナスのことばかりで、結局お客を廻る頻度が落ちてますます落ち込み、いや、人生は仕事ばかりじゃないとボランティアや所属団体の無償活動に 精を出すが、それを本気でやっている人には勝てず、しかし仕事に手が着かず、なんとなく食えてはいるが1年先はおろか1ヶ月先も収入に不安で、本当に俺の 人生はどうしたらいいんだ!!!!!!・・・・

と悩んでいた44才までの自分、就職に失敗した23歳の自分、転職も失敗した26歳の自分、3度目の転職も失敗し、婚約破棄して自殺未遂した 29歳の自分、明日が見えずに自棄になって不倫した32歳の自分、脱サラしたが半年で資金が無くなり風呂なし木造アパート移転して節約のために台所で体を 洗い、食費が無くなると百貨店の試食コーナーで食いつないだ自分、しかし、作家は貧乏な境遇から生まれると、当時バイトしていた出版社で椎名誠のようにな りたいと淡い夢を見るが実家の破綻で都落ちせざるを得ず金がないのでフェリーの3等室で雑魚寝し、翌日の朝にドス黒い暗雲が垂れ込める関門海峡をくぐると きにいよいよ俺の闘いが始まると誓った33歳の自分、そしてその後の福岡で阿修羅になった自分の性を再発見してやっぱり俺は高校生の鬼の子時代と変わって ないのかと恐ろしくなった35歳の自分、2度目の脱サラするもまた半年後にはウツになり、好調だと思った我が世の春も1年持たず落ち込んだ41歳 の自分、それから3年もヤル気が起きず、本は出したが売れるはずもない、いったい俺は何をしたらいいのかと嘆いていた44歳になったばかりの自分に言いたい。

大丈夫だ、人生は逆転できる!

今の苦しみは試練だ。こう言っても信じないかも知れないが、過去は未来で変えられるんだよ!さあ、一緒に歩こう!という話を、同じ経験をしたあなたに話したい。 

つづき
http://yumesenkan.jp/modules/guidebook/index.php?cat_id=1#mokuji

◆栢野克己/【裏】のプロフィール
新卒入社のヤマハ発動機を9ヶ月でノイローゼ退社、バイトのリクルートは3年弱で正社員試験落第。失意と復讐を誓い、大阪のIBMリースへ転職するが、またも仕事失敗+ウツ+婚約破棄+自殺未遂で退社。東京へ逃げ、半年失業後チラシ宅配ベンチャーへ転職。しかし、そこも詐欺的FC会社でまたも転職に失敗。もはや「同級生に勝つには独立しかない」と決意し、様々なセミナーや交流会に参加後に「無料職業相談業」で起業。しかし、半年で金がなくなり、出版社:ビジネス社でテープ起こしのバイトをするも先の人生が見えない。そんな92年実家が他人の連帯保証1億円かぶり博多へUターン。6度目の転職で広告代理店へ。同時にビジネス交流会「九州ベンチャー大学」立ち上げ。 95年、借金返済のため2度目の起業。97年完済するも実家失い親は自殺。2002年~今までの人生への復讐スタート。お楽しみはコレからだ。

◆栢野克己/【表】のプロフィール
ベストセラー「やずやの秘密」「弱者の戦略」「小さな会社★儲けのルール」「大逆転バカ社長」はお陰様で17万部。日本・中国・韓国・タイ・インドネシア語版も。「小企業・起業☆人生逆転」の講演・執筆・勉強会主催。(株)インタークロス代表取締役。主催のセミナー交流会「九州ベンチャー大学」「経営人生計画」「早朝サロン会」は18年1000回以上で累計約1万人が参加。ブログ「人生は逆転できる!」は年間約100万アクセス・年間講演約100回・2007年に世界一周。

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■第3回 「”うつ”との闘い」20年目の大逆転勝利 (アントレ2008年・大逆転じゃないけどねw)

男の“うつ”の原因は、大半が仕事での挫折。
環境を変えることは、治療の第一歩でもあるんだ。

■今回のファイター(株)インタークロス 代表取締役
栢野 克己さん (49歳)福岡市中央区

福岡県生まれ。大学を卒業後、大手機械メーカーに入社するもノイローゼで退社。2社目の大手広告代理店は、正社員登用試験に落ち退社。3社目のリース会社でうつを発病、退社。上京し、怪しいベンチャー企業、無料職業相談業での起業、出版社と職を転々とする。92年、福岡に戻り広告代理店に就職し、同時にビジネス交流会「九州ベンチャー大学」を開設。95年、経営コンサルティング会社、インタークロス設立。以降、出版した著書『逆転バカ社長』『小さな会社★儲けのルール』が累計15万部のベストセラーとなり、今では年間100 回の講演をこなす。新著『弱者の戦略』も発売中。http://www.q-venture.com/

うつ病に苦しむ日本人は、実際に治療を受けている患者だけでも推定66万人以上(2005年/厚生労働省調べ)。最悪の場合、自ら命を絶つことにもなりかねないうつは、今や脅威である。この病について語ってもらうのに、栢野克己ほどふさわしい人物はいないだろう。何しろ彼は、新卒入社した年から20年以上、この内なる敵と闘ってきたのだから。

病の原点は、少年時代の家庭環境にまでさかのぼる。栢野は父が地元福岡の銀行役員というエリート一家に生まれた。そんな父に劣等感と反感を抱きながら、結局、彼自身も高学歴、そして一流企業での出世こそが人生の成功という偏差値至上主義に傾いていった。就職後も「自分はできる男」という根拠なき自信が彼を支配していた。が、社会はそんなに甘くない。たちまち仕事につまずき、うつとなる。転職を繰り返しても挫折はついて回り、うつも繰り返した。

しかし49歳の今、栢野は経営コンサルタントとして福岡では知る人ぞ知る存在だ。零細企業経営者や個人事業主の力強い応援団となった彼に、もはやうつの影はない。そこに至る波瀾万丈のストーリーを語ってくれた彼には、むしろ治りすぎ(?)の感すらあった。

■新卒で入った1部上場企業を、9カ月で退職したそうですね。

入社当初は、同期の連中を出身校の偏差値順にランキングして、 「将来社長になるのはオレだ」って本気で言ってました(笑)。ところが仕事はバイクショップへの営業。「何でこのオレが『中卒・高卒のバイク店のオヤジ』に頭を下げにゃいかんのか」と思ってしまう。今は価値観が違うけれど、当時はね。当然、成績は上がらない。たちまちノイローゼになって寮に引きこもり、12月には辞表を出していました。その後、アルバイトで入った大手広告代理店では、自信満々で受けた正社員登用試験に不合格。社内で泣いてしまうほど悔しかった。それで辞めました。

■プライドが許さなかった?

「もっと偏差値の高い会社に入って見返してやる!」と(笑)。そんな考えでIBM関連のリース会社を受けたら、合格。ところが皮肉なことに、今度は同僚のほうが偏差値も実力もはるかに高かったんです。ごまかしごまかしやってはきたものの、新人が下につくようになると、化けの皮がはがれて自滅。とうとう“うつ”になって。初めて神経科に行きましたが、怖かったですね。しかも最悪なことに、僕はその頃、社内恋愛の彼女と結婚を控えていた。自殺未遂寸前まで追い詰められた末に、結婚3カ月前に式場の予約を取り消し、会社も辞めました。そして一人、東京に逃げてきたんです。

■周囲に助けてくれる人は?

いません。というか、自分の弱みを他人にさらけ出すことができなかった。けれど、うつは回復に向かったんですよ。よく「うつになって仕事ができなくなった」っていうけど、それは逆ですね。特に男の場合、大半は仕事がうまくいかなくなってうつになる。僕は仕事を辞めたから、いったんは良くなった(笑)。でも、以降の人生も鳴かず飛ばずで、うつも一進一退。福岡に戻ったのは92年。おふくろが地上げ屋にだまされて、1億円の借金を負ったのがきっかけです。その後、おふくろは自殺してしまい、僕が借金の残りを抱えることになった。会社員の稼ぎじゃ返済は無理なので、経営コンサルタントとして起業したんです。※追記・最初は前職の延長で広告代理店でクライアントもらって起業。資産売却8700万円+自力返済1300万円でかぶった借金は弁済。

■人生が好転する兆しが見えたのはいつですか。

起業してからもうつはひどくて、心療内科に通いながら怪しげな宗教セミナーに出たこともありました。完全な転機は2002年、44歳の時ですね。僕の経営の師、竹田陽一さんと共著という形で出した本がベストセラーになったんです。自分の負け犬人生なんて、何の価値もないと思ってたのに、実は多くの経営者が同じような挫折に遭い、立ち直るための助けを求めていた。そんな彼らの心にストンと落ちるのは、天才経営者の言葉じゃない。経営が人生そのものである零細企業の社長や、独立・起業した事業主にとって、僕の失敗続きの人生は貴重な事例の宝庫だったんです。今では講演を年間100回はこなしますし、92年から始めた起業の勉強会も1000回を超えるまでになりました。

■独立を考える人たちに、仕事でうつにならないための助言を。

引きこもる前に人に会う。雑誌記事などで興味を引かれた人には、コンタクトを取る。とにかく本音で話せる人や、集まりを見つけること。各都道府県の中小企業家同友会なんかもお勧めですね。異業種交流会やセミナーをいくつも回って、自分に一番しっくりするところを探すのもいい。本もたくさん読めば、100冊に1冊はいいのが見つかる(笑)。何より、今までの自分の人生を無意味、無価値だと思わないこと。どんな人生にも、必ず逆転できる時が来る。その瞬間、すべての経験が価値あるものだったことに気づくんです。

取材・文 / 神戸 真  撮影 / 加納 拓也  構成 / 内田 丘子

以下より抜粋 http://entrenet.jp/contents/revenge/0003/index.html

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◆栢野のコラム

偶然、ネット検索「独立起業コンサル 福岡」で自分の記事を見つけた。これは2008年のアントレ記事。そうか。オレのキーワードの一つは「ウツ」経験だ。これは相当豊富。ビジネス系で。これで行くか。次の私小説は。どうすか?検討頂いてるPHP研究所の文芸書籍担当さまw

しかし、今、私は金はほぼないが、未来は明るい。なにせ、この1ヶ月で商業出版がいきなり3冊決まったのだ。もしかしたら4冊目も。いつから作家になったのだ。そうなんだよ。100年経っても残せるのは本しかないと気づいた。いや、50年か、30年か。30年後もアマゾン中古1円で残る。他は誰も知らない忘れ去られている。のが実態だ。まあ、別に死ねばいいんだが、死ねば終わりだが、普通の人は1年経てば、深い関係者以外には完全に忘れ去られる。そんなもんだよ人生は。稼いでも成功しても失敗しても夜逃げしても、別に誰も困ってない。悲しまない。「どうで死ぬ身の一踊り」。父親は強姦犯と知ってぐれて自らも犯罪者でサイテー人間でダメ人間ぶりを告白した私小説で芥川賞とったが芸能人気取りになったので読んでない西村賢太w

今日も相談者。うーん、やっぱ有料だと力が入る(友人知人は気軽に寄ってね。金はいらん)。が、言いたい放題で容赦無いのがいいね。わからんが。「いいんだよ。それで」とかクソ承認コーチングとかカウンセラーにはならないぞ。とくにかく一発で、本人も私も気づいてない、人生を変える答えを出したい。リピートさせない!が、人はそうは簡単に変わらない。たまに来ていいよ。でも、オレレベルは早く卒業せな。自分より上の人が集まる居心地悪い切磋琢磨系にあえて飛込み、そこもさっさと卒業するのだ。

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写真: ■第3回 「”うつ”との闘い」20年目の大逆転勝利 (アントレ2008年)

男の“うつ”の原因は、大半が仕事での挫折。
環境を変えることは、治療の第一歩でもあるんだ。

■今回のファイター(株)インタークロス 代表取締役
栢野 克己さん (49歳)福岡市中央区

福岡県生まれ。大学を卒業後、大手機械メーカーに入社するもノイローゼで退社。2社目の大手広告代理店は、正社員登用試験に落ち退社。3社目のリース会社でうつを発病、退社。上京し、怪しいベンチャー企業、無料職業相談業での起業、出版社と職を転々とする。92年、福岡に戻り広告代理店に就職し、同時にビジネス交流会「九州ベンチャー大学」を開設。95年、経営コンサルティング会社、インタークロス設立。以降、出版した著書『逆転バカ社長』『小さな会社★儲けのルール』が累計15万部のベストセラーとなり、今では年間100 回の講演をこなす。新著『弱者の戦略』も発売中。http://www.q-venture.com/

うつ病に苦しむ日本人は、実際に治療を受けている患者だけでも推定66万人以上(2005年/厚生労働省調べ)。最悪の場合、自ら命を絶つことにもなりかねないうつは、今や脅威である。この病について語ってもらうのに、栢野克己ほどふさわしい人物はいないだろう。何しろ彼は、新卒入社した年から20年以上、この内なる敵と闘ってきたのだから。

病の原点は、少年時代の家庭環境にまでさかのぼる。栢野は父が地元福岡の銀行役員というエリート一家に生まれた。そんな父に劣等感と反感を抱きながら、結局、彼自身も高学歴、そして一流企業での出世こそが人生の成功という偏差値至上主義に傾いていった。就職後も「自分はできる男」という根拠なき自信が彼を支配していた。が、社会はそんなに甘くない。たちまち仕事につまずき、うつとなる。転職を繰り返しても挫折はついて回り、うつも繰り返した。

しかし49歳の今、栢野は経営コンサルタントとして福岡では知る人ぞ知る存在だ。零細企業経営者や個人事業主の力強い応援団となった彼に、もはやうつの影はない。そこに至る波瀾万丈のストーリーを語ってくれた彼には、むしろ治りすぎ(?)の感すらあった。

■新卒で入った1部上場企業を、9カ月で退職したそうですね。

入社当初は、同期の連中を出身校の偏差値順にランキングして、 「将来社長になるのはオレだ」って本気で言ってました(笑)。ところが仕事はバイクショップへの営業。「何でこのオレが『中卒・高卒のバイク店のオヤジ』に頭を下げにゃいかんのか」と思ってしまう。今は価値観が違うけれど、当時はね。当然、成績は上がらない。たちまちノイローゼになって寮に引きこもり、12月には辞表を出していました。その後、アルバイトで入った大手広告代理店では、自信満々で受けた正社員登用試験に不合格。社内で泣いてしまうほど悔しかった。それで辞めました。

■プライドが許さなかった?

「もっと偏差値の高い会社に入って見返してやる!」と(笑)。そんな考えでIBM関連のリース会社を受けたら、合格。ところが皮肉なことに、今度は同僚のほうが偏差値も実力もはるかに高かったんです。ごまかしごまかしやってはきたものの、新人が下につくようになると、化けの皮がはがれて自滅。とうとう“うつ”になって。初めて神経科に行きましたが、怖かったですね。しかも最悪なことに、僕はその頃、社内恋愛の彼女と結婚を控えていた。自殺未遂寸前まで追い詰められた末に、結婚3カ月前に式場の予約を取り消し、会社も辞めました。そして一人、東京に逃げてきたんです。

■周囲に助けてくれる人は?

いません。というか、自分の弱みを他人にさらけ出すことができなかった。けれど、うつは回復に向かったんですよ。よく「うつになって仕事ができなくなった」っていうけど、それは逆ですね。特に男の場合、大半は仕事がうまくいかなくなってうつになる。僕は仕事を辞めたから、いったんは良くなった(笑)。でも、以降の人生も鳴かず飛ばずで、うつも一進一退。福岡に戻ったのは92年。おふくろが地上げ屋にだまされて、1億円の借金を負ったのがきっかけです。その後、おふくろは自殺してしまい、僕が借金の残りを抱えることになった。会社員の稼ぎじゃ返済は無理なので、経営コンサルタントとして起業したんです。※追記・最初は前職の延長で広告代理店でクライアントもらって起業。資産売却8700万円+自力返済1300万円でかぶった借金は弁済。

■人生が好転する兆しが見えたのはいつですか。

起業してからもうつはひどくて、心療内科に通いながら怪しげな宗教セミナーに出たこともありました。完全な転機は2002年、44歳の時ですね。僕の経営の師、竹田陽一さんと共著という形で出した本がベストセラーになったんです。自分の負け犬人生なんて、何の価値もないと思ってたのに、実は多くの経営者が同じような挫折に遭い、立ち直るための助けを求めていた。そんな彼らの心にストンと落ちるのは、天才経営者の言葉じゃない。経営が人生そのものである零細企業の社長や、独立・起業した事業主にとって、僕の失敗続きの人生は貴重な事例の宝庫だったんです。今では講演を年間100回はこなしますし、92年から始めた起業の勉強会も1000回を超えるまでになりました。

■独立を考える人たちに、仕事でうつにならないための助言を。

引きこもる前に人に会う。雑誌記事などで興味を引かれた人には、コンタクトを取る。とにかく本音で話せる人や、集まりを見つけること。各都道府県の中小企業家同友会なんかもお勧めですね。異業種交流会やセミナーをいくつも回って、自分に一番しっくりするところを探すのもいい。本もたくさん読めば、100冊に1冊はいいのが見つかる(笑)。何より、今までの自分の人生を無意味、無価値だと思わないこと。どんな人生にも、必ず逆転できる時が来る。その瞬間、すべての経験が価値あるものだったことに気づくんです。

取材・文 / 神戸 真  撮影 / 加納 拓也  構成 / 内田 丘子

以下より抜粋 http://entrenet.jp/contents/revenge/0003/index.html

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◆栢野のコラム

偶然、ネット検索「独立起業コンサル 福岡」で自分の記事を見つけた。これは2008年のアントレ記事。そうか。オレのキーワードの一つは「ウツ」経験だ。これは相当豊富。ビジネス系で。これで行くか。次の私小説は。どうすか?検討頂いてるPHP研究所の文芸書籍担当さまw

しかし、今、私は金はほぼないが、未来は明るい。なにせ、この1ヶ月で商業出版がいきなり3冊決まったのだ。もしかしたら4冊目も。いつから作家になったのだ。そうなんだよ。100年経っても残せるのは本しかないと気づいた。いや、50年か、30年か。30年後もアマゾン中古1円で残る。他は誰も知らない忘れ去られている。のが実態だ。まあ、別に死ねばいいんだが、死ねば終わりだが、普通の人は1年経てば、深い関係者以外には完全に忘れ去られる。そんなもんだよ人生は。稼いでも成功しても失敗しても夜逃げしても、別に誰も困ってない。悲しまない。「どうで死ぬ身の一踊り」。父親は強姦犯と知ってぐれて自らも犯罪者でサイテー人間でダメ人間ぶりを告白した私小説で芥川賞とったが芸能人気取りになったので読んでない西村賢太w

今日も相談者。うーん、やっぱ有料だと力が入る(友人知人は気軽に寄ってね。金はいらん)。が、言いたい放題で容赦無いのがいいね。わからんが。「いいんだよ。それで」とかクソ承認コーチングとかカウンセラーにはならないぞ。とくにかく一発で、本人も私も気づいてない、人生を変える答えを出したい。リピートさせない!が、人はそうは簡単に変わらない。たまに来ていいよ。でも、オレレベルは早く卒業せな。自分より上の人が集まる居心地悪い切磋琢磨系にあえて飛込み、そこもさっさと卒業するのだ。

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●青い鳥を求めて

俺は今後何をしていけばいいのか?今の広告代理業を続けていくのか?求人広告や販促の広告を受注して文面コピーを考える・・・はどうも違う。しかし、他に何が出来るのか、自分の天職は何か?青い鳥はどこだ?

 私は新興宗教や勉強会の門を叩いた。幸福の科学、阿含宗、生長の家、天理教、金光教、善隣教、その他新進の教祖が開いている勉強会など。本やセミナーにも様々出た。それなりに胸を打ち、気づきもあった。だが、自分ができる仕事は何かとなるとわからない。

 結婚情報サービスはどうか?仕事で、出版社サンマークグループの結婚情報会社の広告作成に関わり、業界のいい加減さ、入会金ぼったくりで後はほったらかしな体質を知ったが、一方で、結婚相手を探す大変さは、36才まで独身だった自分も経験している。

 男女の出逢いを提供するという意味では、1992年から毎月やってきた異業種交流会の経験も活きる。俺もこの会がキッカケで結婚したし、他にも数組いる。

 まずは他の結婚情報サービス会社も廻ってみよう。この点、営業マンは得だ。営業です、広告はどうですか?と営業を装うことで堂々とその会社に入れる。営業マンの特権だ。

 電話帳を見ると、山ほど結婚情報サービスの広告がある。タウン誌にも必ず毎回載っている。その中から、まずは日本仲人協会福岡支部という会社に飛び込みした。社名からして、歴史は古いらしいと思っていたが、雑居ビルの上の階にある薄暗いドアを開けると、果たして老女のようなお婆さんが現れ、とりあえず広告営業に来ましたと素直にいうと、暇だったのか、「まあ座りなさい」と好意的な言葉を投げかけられ、ソファに座れた。

 日本仲人協会の長い歴史や素晴らしい実績のことなどを聞いたが、ここは加盟店の一つであることがわかった。それも相当萎びた加盟店。店主がそうだ。資料や写真も古い。事務所も暗く、森の中の洋館のようだ。ここの家賃は払えているのか?自社物件か?などをつらつら頭に浮かべながら、ここではあまりノウハウみたいなことは聴けないなと思っていると、相手も興味がないとわかったのか、話をガラリと変えた。

 「あなたは神を信じますか?」

 確かそういう質問だと思ったが、女社長は世界何とか教の話を始めた。五井さんとかいう教祖の素晴らしさや、教えの深さなどを等々と話し始めた。「世界人類が幸せになりますように」という、街角にたまに立てかけてある白地に黒い文字で書かれた棒きれも、この宗教団体の信者が立てているのを知った。

 あのパネルや棒は、おそらく誰でも一度は見たことがあるのではないか。信者数は30万人くらい。にしては、あの棒は全国あちこちにある。教団のことは知らなくとも、「世界人類が幸せになりますように」という板きれの認知度は相当のものだ。PR戦略としては素晴らしい。勧誘もしやすい。あの棒の団体ですと言えば、ああ、あの棒のですかと、話を受け入れやすい。

 事実、私もあの白い棒がこの世界・・教だと知ってからは、素直に話を聞くようになった。人はまったく初めてのことには警戒感を抱くが、前に目にして知っている、見たことがある、聞いたことがあるものや人には親しみを抱きやすい。広告PRの効果だ。

 あの棒が素晴らしいのは、宗教団体名を書いていないこと。まあ、実際は、棒の裏のどこかを詳しく見れば、なにがしかの名前が書いてあるかもだが、宣伝臭、宗教臭がないからこそ、棒きれの地主も「世界人類が幸せになりますように・・・素晴らしい言葉と願いですね。建ててもいいですよ」と受け入れているのではないか。

 最初は興味深い話もあったが、次第に飽きてきて、しかし、抜け出すタイミングがなかなか見つからず、結局1時間以上勧誘話を聞かされ、最後に集会案内をもらって出た。

 あの女加盟店主はどうやら仲人協会の仕事は趣味で、本業は世界なんとか教の勧誘活動なのだろう。当面の金とか資産もあり、仕事はあまりしなくても、食っていくには困らない。夫や先祖の資産があるのだろう。わからんが。

 他には、JMS福岡という、やはり全国組織の結婚情報サービス会社の福岡支部にも飛び込みで行ったが、広告にいつも出ている、年輩だが若く見える美人風の支部長がいて、「ああ、広告でいつも拝見してます」と愛想笑いをして、広告のご紹介ですが・・・と俺が言うと、けんもほろろに追い出された。広告では親切そうだが実際は怖かった。

 次に行った「太陽倶楽部」というのは中高年のネルトン倶楽部のような感じ。「苺倶楽部」は50代の女性が経営者で、一人で細々と経営。しかし、だからこその丁寧な感じで、男女の出逢いを真摯に取り持とうとしていた。やるならこういう感じだと思った。

 大手のオーネットやツヴァイには資料請求をしたが、このオーネットの営業電話がしつこかった。会社と携帯に毎月かかってきて、「ぜひ一度来店を」と勧誘する。こちらが「今はいいいです。忙しいです!」と多少強い口調で断っても、明らかにノルマに追われてフォロー電話をかけている感じで、イケイケガンガン主義なのだと思った。

 後年、ツヴァイが株式店頭公開したのにはビックリした。イオングループで企業と団体契約するなど堅実そうだったが、まさか怪しい結婚情報サービスで公開できるとは思ってもみなかった。逆に言えば、マジメにやれば立派な産業になるのだ。

 他にもお見合い倶楽部やネルトンサークルも調べたが、既に結婚している自分は、もはや恋愛とか結婚には興味ない。やはり性に合ってないと諦めた。

●タクシードライバーや陶芸教室はどうか

 ある日、在日韓国人で作家のヤンソギルさんが、事業に失敗したあとタクシー運転手をしていたと自伝小説で知った。そういえばどこかの通販会社の社長も、昔、食えない時にタクシーに乗っていたなあ。場末の転職先のイメージだが、俺も一度やってみるかと、天神タクシーの本社へ行った。面接を受けようか迷っていると、外にタクシーが停まっていたので聞いてみた。

「タクシードライバー考えているんですが、実際、どうですか?」

「やめときな。せいぜい、手取り年収で200万とかだよ」

「そうですか。わかりました」

と意外にあっさり引き下がった。

 「陶芸教室」も考えた。FCフェアで陶芸を焼く窯メーカー主催の「陶芸教室ビジネスセミナー」を聞き、陶芸かあ、なんか癒されるなあ、それで食えたらいいなあと本を買い込み、陶芸教室を10ヶ所くらい廻り、自分でも器を創ってみた。しかし、やっぱり自分にはそういうセンスはないし、先発の同業には勝てないと諦めた。

 繁盛している和洋菓子メーカー「いしむら」の菓子再販業はどうか?生菓子などが多いから、毎日残り物が出る。でも充分食えるはずだ。それを各店舗を廻って回収し、どこかに再販できるのではないか?社長は知り合いだから、頼んだらやれるかも。

 いやいや、そんなのやっぱり無理だ。他には何かないか?と迷っていると、ネットワークビジネスの会合へ誘われ、好きではないが、もしかしたら奇跡が起きるのではと参加。すると、著名なコンサル会社・日本LCAの小林会長がプレゼンテーターで驚いた。

 曰く、「自分はネットワークビジネスの本も出しているが、イメージが悪いので自分ではしなかった。しかし、今回のこのサボテン長寿健康食品はスゴイ。明らかに効果が出ている。だから、自分が本部でやるのです」と。

 有名なコンサル先生がやるなら本物かもと思ったが、あまりにセールストークがうま過ぎて逆に不安。何より、自分がネットワークビジネスで他人を勧誘しているシーンを想像すると反吐が出た。やはりこういうのも向いていないのだ。

●「まな板の会」で自分をさらけ出す

 こうして自分の天職探しをしていたが、お金はじりじりと無くなっていく。鬱状態は相変わらず続いていた。追い込まれる感覚。何とか打開するチャンスはないかと、様々な会合にも参加した。その一つは福岡県中小企業家同友会という、中小企業経営者の勉強団体がやっていた「まな板の会」。これは毎回、課題や問題を抱えた経営者が前に立ち、現状を素直に吐露、発表する。それに対して、参加した聞き手の経営者が自由に意見を言うというもの。ルールが一つある。それは、発表者の反論は許されないこと。素直に聞けと。

 何回かは話を聞くだけの参加だったが、ある時、意を決して発表する側に手を挙げた。私は精神的に追い込まれていて、自虐的な気分だった。自分を虐めてみたいと。私は簡単な自己紹介をした後、仕事自体にやる気がない、どうしたらいいかわからない、ウツだ、みたいなことをウダウダと述べた。半ば、ヤケクソ気味に。

 それに対する意見として、「頭も体も普通に動くじゃないの。何でもできるよ」「甘えてるねえ」「贅沢言うな。世の中には体が不自由でどうしようもない人も沢山いる。感謝が足りない」「生きてるから大丈夫」「原点に戻る。毎日が初心」「一つに絞る」「人助けを第一に考える」「目標を持つ、理念を持つ」「何が好きか。何がデキルか」・・・数々の助言を戴いた。その場でガーンと来る気づきはなかったが、有り難いことだと感謝した。

●四肢切断の中村久子

 その他、過酷な状況や絶望から立ち直った人の本を探しては読みまくった。一番、印象深いのは「中村久子」という四肢切断になった体で逞しく生きた女性の話。

 昭和の初め頃、貧しい山村で生まれた久子は、凍傷が悪化して突発性脱疽を併発。壊死した部分を切断した。小学校に上がる前のことだった。その後も、金がないのと、惨めな姿を他に曝したくない家族の気持ちもあり、久子は家の中で暮らすことが多かった。唯一の友だちは人形。「あなたは手手も足もあっていいわね。私に貸してちょうだいな」

 母は厳しかった。朝起きてから寝るまで、食事や野良仕事の手伝いや裁縫なども、手を貸さずに久子にさせた。そしていつの間にか、裁縫も口とわずかに残った腕の先でできるようになった。が、家の食い扶持を減らすため、20歳前後で久子は売られた。

 売られた先は、なんと見世物小屋!全国の祭りや露店市をドサ廻りする旅芸人の一人になり、短い手や口で裁縫や字を書く「だるま娘」をやることになった。

 極貧生活の中、夫の早死や離婚もあって結婚は4回経験。身体以外の苦労も多かった。その後、口・耳・目の三重苦であるヘレンケラーとも対面。ヘレンケラーは「私より不幸な人。そして偉大な人」とたたえたという。40代後半より全国から講演に呼ばれ、その困難を克服した体験は多くの人を勇気づけた。

 その他、神渡良平さんの書いた「下坐に生きる」では、掃除修養団体「一燈園」の高弟で三上さんという人が刑務所に講演で訪れ、結核末期で自暴自棄に荒れる18歳の少年を諭すシーンに感動した。未婚の母は少年を産んだ直後に死亡。父になる予定だった男は行方不明。天涯孤独の孤児で心がひん曲がった犯罪者を、なんとか死ぬ前に更正させたいと周囲は気をもむが、少年は暴れて言うことを聞かない。

 そこで三上さんは少年の独房に泊まりこむ。結核が伝染する可能性のある少年の残飯も食い、体をさすって看病し、様々な会話をする。その捨て身の接し方に感服して少年は改心し、三上さんを「おとっつぁん!」と呼んで感謝するが、少年はまもなく死ぬ。

 しかし、布団を剥ぐと、少年は微笑んで胸の前で合掌をしていた。世を恨んでばかりいた少年は、最後に感謝しながらあの世へ旅立ったのだ。
 ほれ見ろ、こんな少年に比べれば俺の悩みなどないに等しい、と自分に言い聞かせた。

 続けて「一燈園」創始者・西田天香さんの伝記「懺悔の生活」では、人生に迷いまくり、乞食をやって死にそうになったお寺の境内で「光」に目覚めたとあった。なるほど。苦しんだ末に光が見えてくることがあるのだと、俺にも「光」が見えることを切望した。

 この本を読む数日前に次男が生まれた。正直、家計が苦しい時に家族が増えるのは大変と悩み、名付けも悩み、届け出の締切前日に「光」と名付けた。俺を何とか救ってくれ。生まれたばかりの赤ちゃんにもすがりついたのだ。

 その他、当時ベストセラーになった飯田史彦さんの「生きがいの創造」「生きがいのマネジメント」も読んだ。国立大学の教授が書いた「生まれ変わり」と「生きがい」の研究論文だったが、生まれ変わりを信じることができない私にはピンと来なかった。

(しかし、この4年後、夫を亡くして悲嘆にくれていた社長夫人にこの本を贈ったところ、見事に琴線に触れたようで、その会社の経営計画書の冒頭に<私はこの本で立ち直った>と書き、その女社長の会社は8年後には10倍に成長。通販の(株)やずやです)

●金がなくなり、土下座で廻る

 こうして本やセミナーや人づてに、失敗や挫折人生を逆転した話を探しまくった。なんとか俺も逆転させたい。そのためには行動。が、うずくまっているばかりで足が動かない。

 その年の夏、ついに来月には金が無くなるまで追い込まれ、私は既存顧客と見込み客に頭を下げて廻った。何でもやります!仕事をさせて下さい!

 私はそれまでの自分を客観的に振り返り、仕事が欲しいクセにカッコウをつけて営業活動をしていないことに気づいた。かつ、新規開拓にばかり頭が向いていて、既存客や知り合いの見込み客を廻ることをまったく忘れていた。

 果たしてその効果はすぐに現れた。ラーメン一風堂の河原社長には、地元のタウン情報誌が毎年出すラーメン読本への広告を扱わせて欲しいと頼むと、「なんだ栢野君はそういう仕事をしているのか。今までと値段とか変わらないのならいいよ」。

 九州一の宅配鮨チェーン「ふく鮨本舗の三太郎」蔀社長からは突然電話を貰い、「今度、テレビCMをやろうと思うけど、栢野さんのところでお願いしますよ」「ええっ、それはうれしいです!でもなぜ?他に大きな広告代理店もあるのに・・」「CM料金はどの代理店でも同じだし、栢野さんには今まで、人脈紹介などで世話になっている。その恩返しですよ」

「・・・ありがとうございます!」

と涙が出た。有り難い。

 こうして1カ月頭を下げて走り回った結果、約2500万円の注文をもらった。前月までの平均受注額が月100万円だったから、一気に1年分以上の仕事を頂いたのだ。

 いつのまにかウツも治っていた。私の場合、ウツの原因はいつも、仕事の行き詰まりとそれに伴う経済的貧困。サラリーマン時代から変わっていない。仕事に満足し、収入的にも充分食えている場合はウツにはならない。

 ただ厳密に言うと、この時は仕事に満足しているわけではなかった。サラリーマン時代の延長で求人広告や販売促進の広告代理業をやっていたが、何かが違うと悶々としていた。だから新規開拓に意欲が出なかった。でも、青い鳥は見つからない。金がなくなり追い込まれ、ハングリーパワーが出たのだろう。

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