私が道庁に入ったものの約半年で自殺未遂にまで追い込まれた事は以前たっぷり書いた。
一命を取りとめた私はもう道職員は辞めようと決意していた。
そりゃそうだろ。
自殺未遂をした時の話を読めば、誰だってそう思うんじゃないだろうか?
入院していたから、詳しくは分からなかったが、滝川の女の子の自殺のように、私の自殺未遂は本庁どころか、管轄の網走支庁にも報告されず、「私が勝手に起こした事故」として内部処理されていたのだ!
つまり悪いのは全部、私・・・。
そんな腐りきった職場に戻れと言う方が酷だろう。
でも、公務員にはおいしい制度があることも入院中に知った。
前にも書いたが、医師の診断書さえあれば、給料貰いながら3年も休めるのだ!
そこで私は考えた。職場でズタズタにされた傷を癒すのには時間が欲しい。環境も変えたい。こうやって心に傷を持った人のためになる仕事・・・。精神科医?いや、だめだ。右手が不自由では解剖などが出来ないし、見てると投薬ばっかりみたいだし。
まだ回復しきっていない頭で必死に考えた・・・。医師にも相談した。そして・・・
臨床心理士になろう!
なれるかどうか分からないし、なれても食えるかどうかわからないけど、ひとまず大学で勉強すると言うのはいいリハビリにはなるだろう。そう思うと暗い精神科病棟の中で一筋の光が見えた気がした。元気になった!
しかし・・・
両親の猛反対にあった。それもそうだ。両親の夢は息子3人のうち1人でも道庁の職員にして、老後はたっぷりおいしい思いをする・・・。その夢が叶いかけた所で、潰されてはたまらない。本人がどんな思いをしてようが、知ったこっちゃない。バラ色の老後か、極貧の老後になるかは全て、私の決断にかかっているのだ。
両親の反対ぶりは常軌を逸していた。半狂乱で、どなる、おどす、何でもありだった。それでも私は冷静に繰り返し説得を続けた。
そして父親が「わかった、好きにしろ」と言った。嬉しかった。しかし3日後・・・
また母親が半狂乱になった。今度はさすがに私が折れた。そして死のうと思った。
しかし自殺は未遂に終わり、両親の狂乱ぶりは更に激しくなった。これにはさすがに参った。降参だ。
でもその時点でまだ2年半、給料貰って休めるのだ。資格の一つも取っておくのもいいのではないか。
金も時間もある。まだ司法書士なら取れる自信があった。で、早速資料請求。資料が来た。
「何だぁー、こぉれぇはぁぁぁぁぁ!」(以下省略)
もはや、1年の休職後に復帰する以外の選択肢は残されていなかったのである・・・。
病人は俺なのに・・・。
死にかけたのに・・・。
また地獄を見て来いと・・・?
「良い子」の私はキッチリ1年の休職で職場復帰となりましたとさ。
この話がひどいのは、1年では私のウツは全く治っていなかった!というオチまでついている。
今から8年前の話である。