ネロベルク
のロシア正教会
に立ち寄ったところでやおら「ナッサウ王国」を持ち出しましたが、
このナッサウ王国は統一前のドイツにたくさんあった領邦国家のひとつでありまして。
近隣ではヴォルムス
やフランクフルトが帝国自由都市、
マインツが大司教お抱えの司教都市であるのに対してヴィースバーデンは
領邦国家ナッサウ王国の首都であったのですね。
ドイツの統一にあたっては
プロイセン主導の小ドイツ主義とオーストリア主導の大ドイツ主義とがありましたけれど、
これが激突した普墺戦争(1866年)でナッサウ王国はオーストリア側に立つも、
結果はプロイセンの勝利。
それがために戦後処理ではナッサウ王国はお取り潰しの上、
領土はプロイセン直轄にされてしまうのですなあ。
考えてみれば、先にリューデスハイムで見たニーダーヴァルト記念碑
が
いかにライン川の向こうにフランスを見据える高台とはいえ、あの場所に建てられたのは
プロイセン直轄の領地であったからということになりましょうか。
…と話をネロベルクを下りてきたというこれまでの流れに戻しますが、
ネロベルクの山裾にある谷筋に沿う公園を歩いて町側への出口に到達すると、
ここにもまた大きな記念碑がひとつ建てられてあるのですね。
「Kriegerdenkmal」ということですので「戦士の記念碑」となりますか。
やっぱり普仏戦争の勝利と関係があるようで、いかにもプロイセンは…と思ったりして。
ということで、ちょいとばかり歴史の中のヴィースバーデンに目を向けてみたですが、
それでもやっぱりその名が最も知られるのは温泉保養地としてでありましょう。
ドイツの地名で「バート何々」や「何とかバーデン」とあれば要するに温泉地なわけでして、
南西ドイツのバーデン・バーデンなぞは「温泉温泉」と言いますか、「お風呂お風呂」と言いますか。
こうした温泉地が結構たくさんあるところから、明治日本
でのベルツ博士
の活躍に繋がるのでしょうね。
とまれ、ヴィースバーデンもそうした温泉地のひとつ。
先の公園の出口がバスに乗って二つ三つ先の停留所で下車しますと、
「なるほど!」と思える場所に到達することになります。
広場の片隅に何やら火山の噴火を模したかのようなモニュメント?と思うところながら、
これのてっぺんから噴出しているのが温泉なのでありますよ。
日本でも温泉旅館の風呂場では、温泉成分に溶かされてしまったのか、
浴槽が変色してがたがたになっているところがありますけれど、この色合いはまさに!です。
写真では分かりませんが、はっきり湯気もたっていましたし。
この噴泉があるところは「コッホブルンネン・プラッツ(Kochbrunnenplatz)」という場所でして、
その名についた「コッホブルンネン」とは噴泉の奥にある円形ドームの建物、これのことであると。
外壁にはめ込まれた装飾はこれまたユーゲント・シュティールを思わせるものがありますけれど、
この屋根の下には、このように水飲み場にも似たふうになっているのでありますよ。
日本語的には「飲泉場」とも言われるように、飲用することで温泉の効能を得るのだという。
確か先に読んだ「ゲーテさん、こんばんは
」の中に出てきたのだったと思いますが、
ゲーテも温泉保養地に出かけて(ベートーヴェン
と邂逅したりもして)いたことに触れて
その当時の温泉利用はもっぱら飲泉であったことが紹介されていました。
たくさん飲泉するために、また飲泉する以外することがないので、
誰も彼も散歩して歩き廻る…というのが、当時の温泉保養地の姿であったのだとか。
まあ、コッホブルンネンもそういう飲泉用の設備ということでありますので、
ちょいとすくって飲んでみるかと手を出したところ、「あっち~!!」と。
傍にいて写真を撮っていたドイツ人(らしき)旅行者に笑われてしまい…。
後付けで見た解説によりますと「摂氏68.75度の温泉水」であったらしい。
それでもぺろりと舐めてみますと塩気が結構ある、つうことはナトリウム泉とか
そういうことになるんでしょうか。
そんなふうにヴィースバーデンの温泉保養地たる一端に触れたわけですが、
いわゆる温浴施設がないのかと言えば、そんなことはない。
ユーゲント・シュティール風味(またまた登場!)の内装が特徴でもあるらしい癒し空間、
「カイザー・フリードリヒ・テルメ」というのがあって興味のそそられるところながら、
漏れ聞くところによると、基本的にここではすっぽんぽんの混浴てな話でして。
君子危うきに近寄らずとばかり、退散したのでありました…。


