中国では宗教の自由はほとんど認められていません。


法律では一応、「信仰の自由」があるらしいですが・・


・第36条
 1.中華人民共和国公民は、宗教信仰の自由を有する。

 2.いかなる国家機関、社会団体又は個人も、公民に宗教の信仰又は不信仰を強制してはならず、

宗教を信仰する公民と宗教を信仰しない公民とを差別してはならない。

  3.国家は、正常な宗教活動を保護する。何人も、宗教を利用して、社会秩序を破壊し、公民の身体・健康を損ない、又は国家の教育制度を妨害する活動を行ってはならない。

 4.宗教団体及び宗教事務は、外国勢力の支配を受けない。


法律以上に優先されるのが政策だそうです。(法律の意味は・・・?)


ウイグル族(他少数民族)が信仰するのはイスラム教。

中国では、イスラム教への弾圧が一番厳しいそうです。(その中で特にウイグル族への)


・全てのモスク(礼拝堂)は「中国イスラム協会」に登録されなければならない。

・聖職者でイマム(導師)以上は当局からの許可が必要であり、定期的な愛国教育を受けなければならない。

・2007年より、メッカへの巡礼を阻止するためにムスリム、特にウイグル人のパスポートが没収されている。

など。


中国共産党に認められたモスクでなければ閉鎖される。

文革時代が一番酷く、その後多少の改善があり、また90年代には数百のモスクが閉鎖されたそうです。


東トルキスタンの学校では、

・宗教の祭日を祝うこと、

・宗教のテキストを学ぶこと

・宗教的な衣装をまとう事

   などが禁止されている。


・18歳以下の者がモスクへ入ること

・自宅で宗教教育を受けること

   これも禁止されている。


また、中国共産党によって、誰が聖職者になれるか、どのコーランを使用して良いか、

催事でどんな内容の話をしていいか、等が厳重に監視されている。




中国に認められたモスクで、中国に認められ、毎年の「愛国教育」試験を合格した導師だけが、

中国に認められた内容だけを話す、 、 この「宗教活動」は本当に自由でしょうか?



取り決めに違反した人は

職場から追放、罰金、ブラックリストへの追加、

家族への嫌がらせ、拘留、労働矯正などの行政処分があるそうです。






↓こちらも参考に。。↓

大紀元

http://jp.epochtimes.com/jp/2007/02/html/d31944.html



このblogの記事・「東トルキスタン問題の概要」で貼った動画より↓



  「計画生育」の名目に今まで 
  数百万人の胎児が強制中絶され 現在も続けられています。

  現在、中国共産党により種々の迫害を受け、
  出産を過度に制限されているウイグル民族。
  政府に、“生むことを許可”され、
  生まれてきた子供の数は恐ろしく少なく・・・・

  “少数民族”であるウイグル族の“出生率”は
  少子化が叫ばれる日本と比べ 1/10以下なのです。

  この数字が示すことは、近い将来、
  ウイグル族が地上から消滅してしまうことに他なりません。





中国の「計画生育」で知られている主なのものは「ひとりっ子政策」でしょうか。


そもそもこの政策は、1979年から開始されました。

原則として、夫婦で子供一人だけ許可するというもので、他に細かい規定が設けられています。

これに違反した場合には罰則が科せられるが、

実際にはその地域の担当者による強制中絶が頻繁に行われている。。。とのことです。


【強制中絶】。。。


そんなことが普通に行われているというだけで恐ろしいですが、

ウイグル族が受けているものはもっと凄惨です。



↓「東トルキスタンに自由と平和を」サイトより。

 在外のウイグル団体や、人権団体によって、

強制的な中絶措置で妊婦に多数の犠牲者が出ていると報告されている。

 医師が施す堕胎の手法は残酷であり、お腹の胎児に毒薬を注射して殺す、

頭を鉗子で挟んで潰す、出産直後の赤ん坊でさえも、頭部にホルムアルデヒドを注射する、

ポケットに常備している「首絞め用の留め具」を使って絞め殺すなど行われている。

(中略)

また、計画生育には、たんなる人口の抑制という目的だけではなく、優生学的な面もある。
 1993年ワシントンポストは、甘粛省で26万人が、知的障害者として不妊手術を受けさせられたと報じた

また政府高官からも、度々優生学的な意図を含んだ発言がされている。
 「少数民族の人間は『知的に劣っていたり、体格が貧弱だったり、こびと、狂人』である場合が多い」

というような、少数民族への人種的差別意識がよく現れている発言も漢族の行政当局者から出ている。

ナチスのユダヤ人虐殺に用いられた優生思想と通じるものがある。




ということです。。。




生まれてくることすら許されない、

それは、いったいどういうことなんでしょうか。

どんな権利があって、中国共産党はそんなことが出来るのか・・・


日本は世界大戦で 広島と長崎に原爆を落とされました。

その被害は、日本人なら誰でも知っていると思います。


日本は唯一の被爆国だと、最近まで思ってました。


でも違う。


45回(以上)も、住民に知らされることなく核実験を行われた場所がある。


東トルキスタンのロップヌル(Lopnur、ロプノール)。



sinbun


:1964年東トルキスタンのロップヌル(Lopnur日本ではよくロプノールと表記される)核実験基地で

:初めての核実験が行なわれた当時の英語新聞


以下、↓より転載。

http://www.turkistanim.org/japan/archive/20051011.htm





極秘に実施された恐怖のテスト


 文化大革命の混乱期に、共産党中国は世界征服の野望の実現へのステップとして、

東トルキスタンのロップヌル地区で密かに連続して核実験を行なったのである。

数え切れない人々を放射性中毒にし、

彼らは若くして、自らの死の原因も知ることなく、命を失っていった。

75万人を死に追いやった東トルキスタンのロップヌル地区の核実験は、

国防部長までつとめた張愛萍将軍が指揮した。

天から放たれた“厄災”

これらの核実験のうち1969年の実験では、以下のように恐ろしいことが実行された。
 張愛萍将軍の指揮下、核実験部隊は、予定の3カ月前にはロップヌル基地入りしていた。 
 50年代にソビエトで造られた爆撃機は、密かにこの基地を飛び立ち、核実験場に向かった。

この実験場は地上にあり、今回は“戦場”という設定になっていた。

そこには敵役を勤める兵士や、その戦闘機などが配置された。

 その上に核兵器を落とすという情報は極秘扱いとされ、

中国中央政府の一部の指導者以外は誰も知らなかった。

解放軍の陸軍、空軍の指揮官、兵士などが互いにどういう任務か質問するのさえ禁止されていた。

核実験場から200キロ離れた場所で、命令を待っている軍事演習部隊も、

今回の軍事演習の本当の目的を全く知らなかった。

 当時、陸軍部隊の兵士らは核実験場の“戦場”から

敵役の軍用機の残骸と負傷者を輸送する任務のために派遣されていた。

後方部隊の兵士らも“戦場”から水や土など、さまざまなサンプルを取ってくるように命令されていた。

 北京時間午前10時に爆撃機は核実験場の上空に達した。パイロットがスタートボタンを押した瞬間、核爆弾の取り付けられた落下傘がゆっくりと落ちていった。

任務を済ませたパイロットは無線で総司令部に報告しながら方向転換し、基地に戻ろうと急いだ。

爆撃機がこの危険な戦場を離れたとたん、鼓膜を破らんばかりの爆発音が聞こえ、

爆撃機は激しく揺れ、大陸も激しく振動した。巨大な火柱が立ち上り、みるみる大きくなり、

地上と空を占領し、高さ11キロのキノコ雲を形成した。

 部隊はキノコ雲こそ合図だと教えられていた。

この雲を見た5万人の演習部隊は命令に従って戦場へ急いだ。
 戦場は「敵側の基地だ」と教えられていたので演習部隊は戦場を“占領”した。

今回の核実験中、陸軍部隊の兵士らは通常の制服を着ていたのみで、

放射能防護装備などは全くしていなかった。かくして、彼らのほとんどはまもなく死亡した。

このように中国の解放軍を実験台とした核実験も行われている。

。。。。。。。。。(転載終わり)





核実験は、1999年9月まで実施されていたそうです。

そのうちの1980年までの実験は、全て地上で。


風に流れて広がる放射線が どれだけの人に影響を与えたんでしょうか・・・。



治療にあたったウイグル人医師のアニワル氏という方が、こう告発しています。

「中国では被曝者が団体を作ることも抗議デモをすることも許されないし、国家から治療費も出ない。

中国政府は『核汚染はない』と公言し、被害状況を隠蔽しているので、

海外の援助支援団体も入れない。(略)原爆症患者が30年以上も放置されたままなのだ」

(『諸君』2月号115頁「シルクロードに散布された死の灰」)



核実験場は最も近い居住エリアから10キロしか離れていなかったそうです。。。






 東トルキスタンは、シルクロードの舞台であり、
 東西の文化の交流の場で、独自の歴史と文化がありました。

 石油、天然ガスをはじめとした鉱物資源、農産物、畜産物に恵まれた天然資源が豊富です。

 東トルキスタンは世界で最も海から遠く離れた地域であり、周囲は高山に囲まれている。
 カザフスタンやロシア、モンゴル、チベット、インド等および、
 中国と国境を接している国でした。


 その国(だった場所)のたどった歴史を見てください。
   ↓↓




1933年
東トルキスタン共和国 を宣言、建国する。

1944年
東トルキスタン共和国 を宣言、建国する。

  ―1933年に、宗教指導者の下「東トルキスタンイスラム共和国」が誕生しますが、
   約半年という短い期間で終焉を迎えました。―
  ―1944年には、テュルク系諸民族が各地で武装蜂起し、「東トルキスタン共和国」が誕生します。
   しかし、この国も誕生してから1年少々で、ソ連と中国国民党の間で交わされた
   ヤルタでの密約により、中国の新疆省政府に合流させられることになりました。
   その後、元東トルキスタン共和国政府の指導者達は殺害され、
   この国は名実共に消滅することとなったのです。―
 


1946(49)年
東トルキスタンは 中国共産党の
人民解放軍により征服される。


1955年
東トルキスタンは中国に支配され、
新彊ウイグル自治区に名前を変更させられた。


中国に支配され、中国共産党の政策により、
資源を搾取され、テロ民族だと吹聴されています。


民族の文化、伝統が消滅の危機に瀕しています。


「政治犯」として 数十万人の人々が虐殺されました。

45回もの核実験により、数十万人が 放射能の汚染で死亡しました。

「計画生育」の名目に今まで 
数百万人の胎児が強制中絶され 現在も続けられています。

  現在、中国共産党により種々の迫害を受け、
  出産を過度に制限されているウイグル民族。
  政府に、“生むことを許可”され、
  生まれてきた子供の数は恐ろしく少なく・・・・

  “少数民族”であるウイグル族の“出生率”は
  少子化が叫ばれる日本と比べ 1/10以下なのです。

  この数字が示すことは、近い将来、
  ウイグル族が地上から消滅してしまうことに他なりません。



。。。


現在でも東トルキスタンの人々は中国の圧政の下にあり、
9.11テロ(米国同時多発テロ)以降はテロ対策の名目で、
政治犯の投獄、処刑がさらに厳しく行われています。

また、大量の漢族の移住と、中国共産党による民族浄化政策のもとに、
独自に培われてきた文化や言語、風習は消し去られようとしています


  (動画以外の情報転載元:http://saveeastturk.org/jp/)




これが「東トルキスタン」(新彊ウイグル自治区)です。



この現実を知って、動画を見て、
「助けたい」「なにかしてあげたい」と思うことは
自然な人としての反応だと思う。

弾圧を受けている人がどんな人たちか、顔も名前も何も知らないけど。

問題を知ったそのときに感じた気持ちのまま行動したいと思う。


ぜひ一緒に考えませんか?



uchu-jinです。はじめまして。

つい数ヶ月前に、「東トルキスタン」という名前を知りました。

これは、“かつて国だった場所”の名前です。

今は、中華人民共和国によって「新疆ウイグル自治区」と呼ばれています。

ここで行われていることを、
少しでも聞いたことがあるでしょうか。

わたしはありませんでした。

知ったのは、3月にチベットで“暴動”があったから。
チベットを調べていく中で この国のことを知りました。


どちらが酷くてどちらがマシなんて話じゃなく
どちらも恐ろしく悲惨な運命をたどっています。
それでも、この国の知名度はとても低い。

誰もが知らない間に、消えている命がたくさんある。


知ってほしいんです。
せめて、この地で何が起こっているのかを。


わたし自身が、今、勉強している最中です。
一緒に、知っていきませんか?

考えませんか?
自分に何が出来るのか。


ここを訪ねてくださったのは何かの縁です。
このblogを少し、覗いていってください。