ショートエッセイ3 「夜のバス」

テーマ:

「夜のバス」という井上陽水の歌がある。

 

高い音域の歌いだしと同時に、いきなり胸を鷲づかみにされるような不可思議で幻想的な作品世界を持つ歌で

 

歌詞からは、心奪われた女性の気まぐれに翻弄される若者の、成熟とは縁遠い、だからこそ純粋で尊い恋心が痛いほど伝わってくる。

 

北朝鮮拉致被害者救出を訴える街頭活動のために、日帰りで博多へ通う時に高速バスを使っていた。

 

昼過ぎに着くと、鹿児島への帰路はどうしても夕暮れ時になった。

 

黄昏迫る博多駅からバスが出て、育った町の久留米を過ぎ、お茶どころの八女にさしかかる頃に車窓は真っ黒な夜に塗りつぶされる。

 

九州各地から博多へ集まった参加者毎に一人ずつ交代で、主催者から5分ほど与えられた放送時間を使ってマイクを握り、

 

雑踏へ話しかけた自分の声が胸の奥に響き、じっと耳を傾けてくれていた主催者側のお嬢さん達の美しく澄みきった瞳が,外を流れていく夜に浮かんだ。

 

日本が戦争をできない国であることが、何十年もさらわれたままで人生をすりつぶされていく国民を見殺しにする原因になっている。

 

交渉を成功させるために必要ならば軍事力を使用することをためらうべきではないし、そうできる国を一刻も早く創るべきだ。

 

そう訴える私の声は、九州随一の繁華な街を急ぎ足で吹き過ぎていき、楽しげに行き交う大勢の人々の胸に小さな影ひとつ落とせなかった。

 

「バスの中はとても寒いけれど 君の嘘や偽りほどじゃない」

 

そんな胸に沁み通る歌詞があるけれど、時として男性を破滅させてしまうほどの女性の狡猾な残酷さと、

 

そうと知っても思い切れない、身悶えするほどのどうしようもない恋の辛さが、日本という祖国へ抱くひたむきな恋心にオーバーラップした。

 

ロダンに捨てられて、狂気に襲われて死んだカミーユ クローデルの例もあるけれど、

 

男性の身としては、どんなヤクザな男にも心の奥底には最後まで女性崇拝が息づいているんだと、やはり小さく呟き続けたい気もする。

 

どんなに騙されても、弄ばれても、無我夢中になって想い続ける女性とめぐりあったのなら、その時どんなに辛くても決して虚しくはない。

 

そんなふうに思ってバスに揺られている元若者の胸で、陽水の澄み切った歌声が美しくリフレインしていた。

 

「絆抱くペリリュー・日本を愛する島」

 

AD

昨年暮れの報道ステーションで「皆さんは,憲法まで超えることのできる日米合同委員会というのをご存じでしょうか?」なんて,

 

「あんたらが国民に言わないようにしてきたんだから,お茶の間がご存じのはずないだろう?」と思わず言いたくなる特集があった。

 

米軍施設のニュー山王ホテルに,在日米軍副司令官や害務省北米局長,法務省幹部殿が隔週木曜の午前11時に集まる「日米が対等のフリをするための秘密裏の会合」だ。

 

地位協定第25条に基づく設置で,安全保障について結ばれた条約は日本の国内法より上位にあるから,米軍は行政権も司法権も保持しているに等しい。

 

この会合で,米軍のグアム移転費用も「水増し」され,「ねえ アメリカさんったら!日本から出て行かないでヨ~」で,

 

利権漁りのわが盗人官僚共と政治屋達は,見返りに法外な駐留経費と軍需費,沖縄県民等の負担を差し出しているわけである。

 

Fー35やオスプレイなどの「お買い物予算」は,例によって例の如く,

 

機体価格がいくら,メンテがいくら,技術サポートがいくらといった「内訳」をナチス謹製・記者クラブ殿が報じない事になっているから,

 

国民は,自分がどれだけ割高でアホらしい「カモネギショッピング」をさせられているかは知らされない仕組みになっている。

 

自分のことはまず可能な限り自分でやる覚悟を固めないと,アメリカにというよりは,植民地支配のお先棒を担ぐ盗人官僚と政治屋達に,

 

血税を盗み放題にされ,好き放題に祖国を叩き売られ,自主独立を妨害され続けるばかりだ。

 

わが国を見くびり,思い切り蔑んでいるキッシンジャーの愛弟子みたいなトランプ爺さんは保守主義者で現実主義者。

 

米中露の「実利第一トライアングル」にいずれ翻弄されるであろう植民地総督府は,AIIB絡みでルーピー鳩山に助力を求める仕儀と相成るかもといった観測もあるようだ。

 

なにしろ彼は「AIIBの顧問」だから。

 

 

実質的に諜報能力皆無の「後手後手悲劇」は今後も延々と続くし,友愛の海に浮かんでいるはずの?アメリカ頼みの尖閣で真っ青になる日も遠くないのかもしれない。

 

胸が高鳴る新春ではある・・・

 

「絆抱くペリリュー・日本を愛する島」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AD

梅雨寒の夜に立ち寄った場末の駅近くの食堂で、ふと気づくとカウンターの隅に金魚鉢が置いてあった。

 

餃子とチャーハンに瓶ビールを、この組み合わせは大学以来かなと思いつつ注文した。

 

いきなりビールだけが運ばれるのではなく、焼き上がった餃子と一緒に冷やしたグラスを添えて運ばれてきた麒麟のラベルを嬉しく思いながら一杯目を注いだ。

 

テレビのナイター中継を観るともなく観ながら、二本目のビールを始めたところでチャーハンが置かれた。

 

懐かしい味わいが舌で踊り、酔いが心地よくめぐり始めた時、テロップで「大阪府議会で君が代条例成立」と流れたのが目に入った。

 

儀式での国歌斉唱では、心ならずも長く身を置いた公立学校の世界で、私もさんざん反対派と対立したけれど

 

こんな国際常識をわざわざ条例で決めなければならず、初めてのケースだと色めき立ってテロップまで流す日本は相変わらず妙な国だなと思いながら煙草に火を点けた。

 

目を転ずると紫煙の向こうに金魚鉢が浮かび、水面に浮かんでは口をパクパクさせているオレンジ色の金魚が見えた。

 

何かに似ている。

 

そう、選挙期間中に、職員室で共産党候補のビラを配る教員に注意もせずに見て見ぬふりをしていた校長が、卒業式の国歌斉唱ではパクパクと口だけ動かして発声はせずにごまかしていた、情けなくて見苦しいあの姿だ。

 

日教組と対決して毅然とした学校経営を貫いた校長は出世しないし、定年後にも決して大きな市の教育長になれないのは公立学校の世界での「常識」だ。

 

それはとりもなおさず、県教育委員会の保身第一の卑屈で姑息な体質を現している。

 

金魚みたいな校長先生は、日本の国歌を堂々と歌うと日教組に睨まれるのが嫌だったに違いない。学校現場が混乱すると県教委に嫌われて出世と定年後の安楽な暮らしに響く。

 

児童生徒諸君!金魚の学校で騙されると、日本人にも、その先の国際人にもなれないよ。

 

「絆抱くペリリュー・日本を愛する島」

 

AD

マキャベリは今も死なない

テーマ:

「国家にとって,厳重の上にも厳重に警戒しなければならない事は,軽蔑されたり見くびられたりすることである」(君主論)

 

「いかなる政体を持つ国家であろうと,国家を維持していこうと望むならば,自国民を武装させ,自国民による軍隊を持たねばならない。

 

国益の防衛を他人に任せたままで,平和と繁栄を保てた国家は一つとして存在しない」(政略論)

 

現植民地総督殿に限らず,歴代の(トップ?)には,ひょっとしたら軽蔑されたり見くびられることが恥だといった観念すらないのかもしれない。

 

アメリカとなら地の果てまで「おつきあい」して戦争もやるゾ~!の割には,軍隊を持つ気はサラサラない無責任さだし。

 

事あるごとに脳天気で不誠実極まりない「不戦の誓い」を立てまくっては,地球を俯瞰しつつ?国民の血税を世界中にバラ撒いて歩くだけならば,

 

「気の利いた子供でもできることだがなあ・・・」と,イタリア・ルネサンス期を生きた透徹した政治思想家のマキャベリも,大霊界で呆れかえっていることだろう。

 

「絆抱くペリリュー・日本を愛する島」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テレビのCMに、きれいに作られたお弁当が映ることがある。

 

切り込みを入れた赤いソーセージが、まるで茹でたてのタコのように収まっているのを見ると、息子の同級生が亡くした母親のエピソードを思い出す。

 

彼女は末期癌の痛みと迫り来る死の恐怖に気丈に耐えて、最後まで愛しい息子のためにお弁当を作り続けた。

 

ソーセージひとつ、蒲鉾ひとつに丁寧な愛情がこもった切り込みが入れられ、帰宅した息子が周囲の友達に羨ましがられたと話すとただ嬉しそうに微笑んでいたという。

 

高校の部活で汚れた衣服の洗濯も、掃除も、食事の準備も、最後の最後に病院へ出向くまで、彼女は不平ひとつ漏らさずに自分の務めとして懸命に果たした。

 

家族を送り出した後に一人残った家で、沸き上がる悲しみを持て余してやるせない涙を流したり、

 

今のうちにと身の回り品を整理しようとして、自分が健康だった頃の家族写真に見入り、いつのまにか陽が傾いていたこともあっただろう。

 

思わず叫びだしたくなるような、たとえようのない不安と無念と苦しみが襲ってくる時に彼女を支えたのは、家族へのひたむきな愛だったに違いない。

 

病名を知らされていなかった息子は、母親が亡くなってから祖父母にそれを知らされた。

 

今は社会人として元気に働く彼は、月ごとの母の命日に、ちょっと奮発して仕出屋さんの上等なお弁当を買ってきて仏前に備えるという。

 

「少ない給料なのに、こんなことはもういいよ」と、優しく微笑む母親の面影に、彼は生前に言えなかったことや伝えたかった思いを真心こめて話しかけるのだろう。

 

親が子を、子が親を殺す事件が珍しくなくなってからもう久しい。

 

尊さに思わず拝みたくなるような「母の背中への思い」を、どうして日本は失ってしまったのだろうか。

 

反抗ばかりで、ただの一度として優しい言葉をかけることもなく、母を死なせた我が身の不孝を恥じながら、テレビのお弁当に瞼を熱くすることがある。

 

おかあさん いつまでも不肖の息子でごめんなさい。

 

「絆抱くペリリュー・日本を愛する島」