解放

新しい革新運動


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 帝國憲法を復元させると云ふ考へ方がある。
其れ自體は筆者も唱へた事があり別段否定しない。
然し、一つ覆せない事實がある。其れは現行憲法の「上諭」の後に、

御名御璽があり、「帝國憲法の改正を裁可」とある事實である。
其れゆゑ、帝國憲法全文を其の儘復元し改正しても、「御名御璽」及び其れがなされた上諭を絶對に否定する事は出來ない。
帝國憲法を復元したとしても 昭和天皇の御名御璽、現行憲法の上諭を其の儘載せなければならないのである。之れを否定し得る御仁があらうか。
況や御名御璽をも含み「破棄すべし」等と、意味を吟味せずに、或は意味を知つてゐながら敢へて口にする者は非國民に他ならないのである。

【西洋の産物=成文憲法は明治憲法を含み非日・反國體的である】
 國體觀念上、成文憲法自體が「國體」全體のうち、近代政治とゝもに「俗事」に當たる低次元のものであり、歐化主義者=外国禮讃者伊藤博文が作つた獨逸プロシア憲法の模倣たる明治憲法も此れに當たる。其れは現行憲法と同等の外來物であり、西洋の霸權主義に對抗するためにうちたてられた「假のもの」に過ぎず、本來的な國體とは無關係なのであるが、當然乍「御名御璽」は絶對に否定できないのである。

 先づは帝國憲法を復するとしても、帝國憲法にも重大なる問題が在る事を認めざるを得ない。
即ち「絶對神聖の御地位」にあらせられ、「帶刀無用」の御地位であらせられる
皇尊を帶刀せる軍人の地位、「大元帥陛下」と貶め、民たる者が不遜にも「規定」し「評價」し奉る帝國憲法すらも反國體的性質を帶びてゐるのであり、日本的ではないのである。帶刀あそばされると云ふ事は、本來軍人たる者が代行すべきを御自ら刀を手になされる事を前提としてゐるのである。
明治憲法にも「玉體を不浄にさらし奉る事を前提としてゐる」と云ふ、斯様な誤謬があるのである。

 日本は理窟の國に非ず「言擧げせぬ」を旨とする國である。
從つて大日本帝國憲法發布の敕語と
御名御璽 のなされた現行憲法の上諭とを永遠に奉り

將來的には國體に合致せる慣習憲法=不文憲法とする事が國體に合致してゐると愚考するのである。

 

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