ポプラの秋

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ポプラの秋 [DVD]/本田望結,中村玉緒,大塚寧々
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湯本香樹実の小説を映画化した作品。原作は未読です。

父を亡くした8歳の少女、千秋は、母のつかさと一緒にポプラ荘というアパートへ越してきます。新たな場所での生活への不安と期待、大好きだった父がいなくなった深い悲しみが入り交じる中、千秋はポプラ荘の大家のおばあさんと徐々に親しくなっていきます。ある日、おばあさんに天国に手紙を届けられるという話を聞かされた千秋は、父への想いを綴った手紙を書いてはおばさんに渡すようになり...。

電車に乗るつかさりと千秋。とある駅で電車を降りたつかさは、新しい生活の場をポプラ荘に決めます。その過程が、ほとんどセリフがなく静かに描写されるのですが、生きる気力をなくしたようなつかさの表情と自身も傷を抱えながら母を気遣う千秋の言動から、2人が悲嘆の中にあること、互いに相手を思いやる気持ちを持っていることが伝わってきます。2人を捉えた繊細な映像が印象的でした。

大家さんが意地悪ばあさんから親切おばあさんに変身してしまう過程は、ややあっさりした感じもありましたが、"死者へ届ける手紙"に関する2人の遣り取りなど、心の交流を通して変わっていく心情が落ち着いた静かなテンポで丁寧に描かれ、千秋の健気さと大家さんのちょっとツンデレな優しさが温かく伝わってきて、胸に沁みます。

千秋役の本田望結の豊かな表情が千秋の想いをしっかりと伝えていましたし、大家さん役の中村玉緒も大きな存在感で作品の雰囲気をまとめ上げていたと思います。

ポプラ荘の前の大きなポプラの樹。大き過ぎず小さ過ぎず、程よい大きさで、存在感が光っています。魂が籠っているような葉を千秋の顔に落としていて、その場面も印象的でした。

ほんのりとした温かさがしんみりと伝わってくる小春日和の陽射しのような作品でした。地味ですがとても印象的。一度は観ておきたい作品だと思います。
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1001グラム ハカリしれない愛のこと [DVD]/アーネ・ダール・トルプ,ロラン・ストッケル,スタイン・ヴィンゲ
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ノルウェー国立計量研究所で働くマリエは、計測や測量を行う生真面目な女性研究員。研究所の重鎮である父が病気になり、代わりにフランス、パリ郊外で開催される国際会議に出席することになります。マリエは"1キロ"の基準となる大切なキログラム原器を持って会議に出席。その会場で、パイという男性と出会い...。

几帳面で生真面目で、あまり感情を表に出すこともないマリエと自由な雰囲気のパイ。異質な2人が出会って、恋に落ちて...というありがちな展開ですが、そこに、"キログラム原器"という、恐らくは現代の私たちの生活をきちんと成り立たせるために不可欠なものなのにも拘わらず、普通の人々が普段の生活で意識することがほとんどないようなものに纏わる物語を絡ませたことで、独特な雰囲気を作り上げています。

会議の場面などで、"アボガドロ定数"とか"ワットバランス"とか、馴染みのない専門用語らしきものも登場しますが、その意味が分からなくても、物語そのものの面白さを味わうためには特に支障はないと思います。(まぁ、分かる人が見れば、分からない人よりも楽しめたりするのかもしれませんが...。)

国際会議に集まった各国の担当者がキログラム原器を持って歩く場面とか、記念撮影する場面とか、皆で国際キログラム原器を眺める場面とか、本当かどうかは分かりませんが(あまりリアリティが感じられませんし、実際な違うのではないかと思われますが)、シュールでユーモラスで面白かったです。青い傘をさして並んで歩く場面など不思議な美しさがありましたし...。

「人生で一番の重荷は、背負うものがないこと」というノートに書かれていたという叔父の言葉が印象的。重荷を背負って坂を上がるがごとき人生は辛いものですが、けれど、ある程度の重しがなければ、フラフラと彷徨ってしまうものなのかもしれません。

正確さを大切にするマリエとは違ってカオスを愛するパイと恋に落ちても、測らずにはいられないマリエのマリエらしさが維持されていることが表現されていて、恋愛も大問題だけれどそれだけが全てではない大人の味わいが感じられました。最後にマリエが測るものと、パイが主張するサイズとの違いも、ちょっと大人なユーモアが感じられて印象的でした。

ちなみに、このラストで計測される部位のために、本作はR-12指定を受けたのだとか。これは、本作の趣旨とは違い杓子定規な気がします。

観ておいて損はないと思います。

ちなみに...
本作で、重さの基準をどうするかについて議論されている様子が描かれていましたが、2011年10月にパリで開かれた国際度量衡総会で、1889年にメートル条約に基づいて作られた国際キログラム原器を廃止することが決定されています。本来、質量が一定にはずだったキログラム原器が洗浄などにより1億分の6程度軽くなったこともあり、より正確で安定的な定義が求められていたとのこと。長さや時間が現代的な定義に置き換えられる中、キログラムは唯一、人工物を基準にしていたのですが、これで、最後の原器が役割を終えることになります。今後10年ほどかけて新定義の精度を確かめ、移行する見通しとのこと。
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裸足の季節

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ソナイ、セルマ、エジェ、ヌル、ラーレの5人姉妹は、10年前に事故で両親を亡くし、イスタンブールから約1000キロ離れたところにある小さな村で祖母に育てられています。彼女たちは美しく成長し、青春を謳歌していましたが...。

確かに、この姉妹、男尊女卑な理不尽な扱いをされているかもしれません。けれど、日本目線で見ても、結構、お転婆な姉妹です。下の子はともかく、一番上のお姉ちゃんは、高校生くらいでしょうか。美人でスタイル良しなオネーサンが濡れてスケスケ状態で男子とはしゃいでいるのですから、日本だって厳しいお家なら、相当、怒られるレベルだとは思います。まぁ、本作で描かれるような"監禁"まではいかないでしょうし、それで学校を辞めさせられ、すぐ花嫁修業に専念させられるという流れにもならないでしょうけれど...。

彼女たちの言動を縛る背景にはイスラム教の考え方もあるのでしょうけれど、宗教的背景よりは、イマドキの若者と親や祖父母世代との価値観の違いという面が強調されているような印象も受けます。今、宗教的な価値観を批判するような描き方はしにくいのかもしれませんが、そんなこともあるのか、彼女たちを縛るものが何に原因するのかは、少々、曖昧になってしまっています。彼女たちがサッカーの試合を観に行くことが禁止されていた時も、村の他の女性たちはバスで応援に出かけているところを見ると、彼女の叔父や祖母は、周囲よりも厳しい考え方の持ち主なのかもしれません。海での大はしゃぎを"密告"した隣人は高齢のようなので、若者と年寄りの価値観の違いという部分が大きいのかもしれません。

彼女たちの振る舞いが、トルコにおいて普通なのか不良チックなのか、叔父や祖母の考え方が厳しいものなのかよくあるレベルなのか、イスタンブールのような都会ではなく田舎だから問題になったのかといった辺りがよく分かりませんでしたが、そんな中でも、"花嫁の処女性"を重視する風潮はとても一般的なようで、それも、かなり衝撃的なレベルで驚かされました。そして、それに対するソナイの"対策"もお見事。様々な理不尽と因習に縛られている女性たちにも、なかなかに強かな部分があることが描かれ、そんなところでも、明るさが感じられます。そして、叔父さんと同じ立場にいるようで、裏では姉妹を庇ったり、彼女たちに力を貸したりしている祖母や叔母たち。対立する立場にもありながら、一方で、抑圧されている者同士の連帯が感じられます。

幸いにして相思相愛の相手とでは会ったけれどすぐに結婚させられるソナイ、叔父や祖母の言いなりに結婚させられるセルマ、意に沿わない結婚を命がけで拒絶するエジェ、嫌な相手との結婚から逃げることを決意するヌル、自らの力で運命を切り開こうとするラーレ。5人5様の生き方に、彼女たちを取り巻く状況が浮かび上がっていきます。久し振りにソナイ、セルマ、ヌル、ラーレの4人が顔を合わせた時、十分な時間をともに過ごすことができず、帰るよう促される場面では、彼女たちの結婚がどのようなものであるかを仄めかします。愛があってもなくても、結婚した以上、夫の意向に縛られ、思うように実家で過ごすことなどできないのは同じということなのかもしれません。

ラーレの"決死の行動"が、男性の力を借りて初めて成功するという展開には、少々、不満が残ります。まぁ、彼を巻き込んだのはラーレの迫力ですし、彼も、社会からははじかれがちな存在だったりするようですが、"女が自立するには、男の力が不可欠"という流れになってしまったような感じもして...。何といってもまだ13歳のラーレなのですから、"手助けを得て成功"という流れの方が現実味が感じられるのは確かだと思うのですが、協力者が女性であった方が、"女性自身の力で運命を切り開いていく"という雰囲気が出たのではないかと...。

ラストは希望への第一歩となるのか、不幸の始まりなのか...。未成年であれば親権の問題は出てくるでしょうし、まだまだ独り立ちできないヌルとラーレを曲がりなりにも社会で自立できるようにする手立てをどう整えるのか...。叔父のヌルに対する犯罪的行為がほのめかされ、それを叔父にぶつける場面もありますが、そこを逆手にとって叔父から何らかの権利を勝ち取ることになるのかもしれませんが...。

スッキリ解決、というわけにはいかないけれど、がんじがらめでどうにもならないように思える状況も、自身の力で動かすことはできるのだということなのでしょうし、物語をラーレのナレーションで進行させているのは、彼女が自身の人生を勝ち取ったことを暗示しているのかもしれません。

宗教的な要素を含む社会的問題を提起しつつも深刻になり過ぎず、軽やかに明るく少女たちの青春を描いています。原題の"Mustang"が意味する"飼い主を失い野生化した小型馬"を思わせる躍動感のある5人姉妹の姿が印象的でした。

観ておいて損はない作品だと思います。


公式サイト
http://www.bitters.co.jp/hadashi/
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SAINT LAURENT/サンローラン

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SAINT LAURENT/サンローラン [DVD]/ギャスパー・ウリエル,レア・セドゥ,ジェレミー・レニエ
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ホテルに偽名で部屋を取ったイヴ・サンローランは、チェックインしたのち、電話でのインタビューに応えて自身のこれまでを語り始めます。革命的なショーで成功を収め過密スケジュールに追われ1967年、公私ともにパートナーだったピエール・ベルジェの目を逃れモデルのベティ・カトルーとクラブに繰り出した1968年、世界中に出店。新たなインスピレーションを求めてモロッコに旅立ったものの帰国後のショーは批判を浴び、世間を挑発するように男性用香水の宣伝のために全裸になった1971年、オートクチュールの売上はガタ落ち。重圧からアイデアが全く浮かばない日々が続く中、ジャック・ド・バシェールに心を奪われた1972年、カール・ラガーフェルドの愛人でもあるジャックに惹かれていった1973年、イヴの命にかかわるアクシデントが起きたため、激怒したピエールに脅されたジャックがイヴの前から姿を消した1974年、ショーを目前にして1点のデザインも描けず、人々の前から姿を消した1976年のエピソードが描かれます。

イヴ・サンローランについては、他にも映画が作られていて、以前、ここにも2014年に公開された「イヴ・サンローラン」と2010年制作のドキュメンタリー、「イヴ・サンローラン」の感想を書いています。

本作では、デザイナーとして成功を収めたサンローランが、インタビューに応えて自身の人生を振り返るという形をとっています。サンローランに纏わる数々のエピソードが描かれます。ただ、本作で描かれるエピソードは、デザイナーとして名声を得た後のもので、いかにして成功を収めたかについてはほとんど語られず、時代の寵児となった彼が、大きな重圧の中で、自身の名声に対してどう振る舞ったかということに焦点が当てられています。

殺到する仕事の依頼、過密なスケジュール、世間から期待されるプレッシャー、そうした重圧からの逃避行動...。天才との評価を得てしまった者がそれを維持するために支払わなければならない代償の大きさが伝わってきます。

ただ、時系列が前後しますし、きちんと名乗らない登場人物もいたりして、ある程度、予備知識がないと分かりにくい内容となっています。まぁ、有名人なので、"誰でも知っている程度のことについては敢えて触れなかった"ということなのかもしれませんが、2時間半を超える作品にするのであれば、もう初心者にも親切な描き方にしても良かったのではないかとも思います。

個々のエピソードの描き方も、濃淡がつけられず、一つ一つの出来事が淡々と描かれているので、結構、波乱万丈な人生を描きながらも、物語にあまり起伏が感じられず、全体としては散漫な印象の退屈な作品になってしまっています。個々の登場人物もそうですが、主役であるサンローランのキャラクターも、その輪郭がはっきりせず、薄味な感じもします。

なるべく感情的なものに流されないようにとの意図があったのかもしれませんが、干渉やドラマ性を排除しようとしたあまり味気ないエピソードの羅列になってしまった感じがします。一つの作品を纏まりのある印象的な物語として作り上げるためには、核となる部分を作り、濃淡をつけながらバランスをとるということが必要なのかもしれません。

1976年のコレクションのシーンなど、美しい場面も多く、サンローランの生み出す数々の衣装が見られたことは良かったと思うのですが、今一つ楽しめませんでした。

帰ってきたヒトラー

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ティムール・ヴェルメシュの小説を映画化した作品。原作は未読です。

ナチス・ドイツを率いて世界を震撼させた独裁者、アドルフ・ヒトラーが、現代に甦ります。彼は、非常識な物真似芸人かコスプレ男と人々に勘違いされますが、クビになった局への復帰を目論むテレビマン、ファビアン・サヴァツキに見出され、テレビに出演することになります。何かに憑りつかれた様な気迫に満ちた演説をする彼は人気を呼び、次々にテレビに出演。ヒトラー芸人としてもてはやされるようになり...。

現代に甦ったヒトラーは、最初、状況を飲み込めず、自身の時代にいた時と同じように振る舞います。そのちぐはぐな感じが滑稽で笑えます。ヒトラーを取材したサヴァツキも、テレビに出演させたテレビ局も、ヒトラーに声援を送った人のほとんども、ヒトラーに同じ歴史を繰り返させる心算はなかったはず。けれど、本作で描かれた先に、ドイツがヒトラーを担ぎ出すことになるかもしれません。

実際、過去に、ヒトラーに熱狂し、彼に権力を委ねていった人々にしても、疲弊したドイツ経済を何とかしたい、自分たちが普通に仕事を得られる社会にしたいという想いを彼に委ねたわけで、最初から第三帝国の建設とか、ユダヤ人の抹殺とかを望んでいたわけではないでしょう。けれど、いつの間にか、ヒトラーの"理想"の追及に飲み込まれ、身の危険を感じずに反対することができなくなっていったのです。

ある日、突然、戦争や殺戮が起こるわけではありません、必ず、何らかの伏線や予兆があるワケで、どこかでその種が育まれ、少しずつ大きくなっているのです。

経済格差、貧困、失業といったなかなか解決策を見出せない問題を抱える人々は、明瞭な答え(らしきもの)と簡単な解決策(のように見える方策)を提示する人物に惹かれていくものかもしれません。鬱積した不満の出口を見つけた爽快感を味わえたことで、彼についていこうという気持ちを強くするのかもしれません。困難な問題を簡単に解決する爽快感に打ち勝つことは難しいものです。

ヒトラー登場に対する一般の人々の反応を見せるドキュメンタリー的な場面が現代社会の裏を覗かせ、本作で描かれる怖ろしさを際立たせているのですが、一方で、フィクションな部分との繋ぎがギクシャクした感じもありました。全体的な纏め方やドキュメンタリーな部分とフィクションの部分のバランスなどについては、もう一工夫欲しかった気もしました。

完全に過去の遺物であり、葬り去られたはずのヒトラーのおかしな言動を笑いながら観ているうちに、いつの間にか、悪魔かと思っていたヒトラーが意外に真面目で真摯に国の行く末を憂う愛国者で、徐々にヒトラーが善い人に思えてきます。ヒトラーが本来存在した時代に、彼を担ぎあげ、権力を持たせた人の多くは、彼のその後の非道を予測できなかったことでしょう。けれど、私たちは、その所業を知っていて、それでも、多くの無辜の人を殺戮し、世紀の大悪人とされた"悪魔"に引き寄せられていくのです。

本作を観ていて、ヒトラーにちょっとした魅力を感じてしまう人は少なくないと思います。そこにこそ、現代の私たちが抱える危うさが隠されているのだと思います。民主主義の社会にいるはずの私たちにも、ヒトラーを生み出す可能性があることを認識し、その道を避ける方策を考えなければならないのでしょう。まずは、問題のすべての責任を移民に押し付けるなど、安易に原因を決めつけないこと、原因を排除すれば全て解決といった安易な打開策に頼らないことが大切なのだと思います。複雑な問題を着実に改善していくためには、時間も手間もかかり、知恵も必要だし、関係者個々の自制心も必要。その複雑さと手間暇にどこまで私たちが耐えられるかが問われているのかもしれません。

本作を観て、私たちへの警告として真摯に受け止めなければならないのだと思います。より良き未来を築くためにも、一度は観ておきたい作品です。

原作も読んでみたいと思います。


公式サイト
http://gaga.ne.jp/hitlerisback/

オデッセイ

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オデッセイ 2枚組ブルーレイ&DVD(初回生産限定) [Blu-ray]/マット・デイモン,ジェシカ・チャステイン,クリステン・ウィグ
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アンディ・ウィアーの小説「火星の人」を映画化した作品。原作は未読です。

宇宙飛行士のマーク・ワトニーは、火星での有人探査中に嵐に巻き込まれます。乗組員はワトニーが死亡したと思い、火星を去りますが、彼は生きていました。十分な空気と水もなく、通信手段もなく、わずかな食料しかない危機的状況で、ワトニーは生き延びようと努力します。何とか、通信手段を確保したマークは、地球との交信に成功。NASAは彼の救出作戦を練り...。

人命を維持するために不可欠な空気も水も食糧もない場所に置き去りにされ、相当な極限状態に置かれているのは確かですが、ワトニーを襲う敵はいないし、地球上の人々は、ワトニーを救出したいという想いにおいては一致していることもあり、予想したよりはドキドキハラハラがありませんでした。ワトニーが基本的には冷静で、ユーモアもあり、そこに余裕が感じられたからかもしれません。ワトニーが優秀な科学者で、その知識や能力、そして、何より諦めない気持ちが自身を救う力となったということなのでしょうか。

ワトニーが、自身の知識や能力を総動員して必死に危機に対処し、地球上の仲間たちもワトニーを救うために努力を重ね、あまりアメリカに友好的とは言い難い中国まで多大なる協力を申し出てハッピーエンドという、あまりに素直な流れの物語ですが、火星の状況や宇宙のアレコレがいかにもそれっぽく現実的な感じで作られているため、臨場感があって結構楽しめました。(かなり"科学的に正確に"作られているようですが、地球よりかなり気圧の低い火星では大きな嵐が起きるはずがなく、その部分だけはフィクションのようです。)

そして、この手の作品としてありがちな"恋人のために"、"愛する家族のために"何とか帰還したいという形ではなく、ただひたすら、生き延びたいという意思を描いた点が、本作のオリジナリティを出しています。余計な物語を削ぎ落し、科学とユーモアとチームワークと敵に塩を送る好意によって支えられた"強い意志によるサバイバル"を純粋な形で描いた作品ということになるのかもしれません。

この"為せば成る"という価値観は、人知を超える自然の脅威などに負けることなく、万物の霊長である人間が強い意志で全てを克服し自らの人生を切り開いていくことをヨシとするとてもアメリカ的なもののようにも思えますが、その前向きな明るさは、ちょっと底が浅く単純に過ぎる感じもしましたが、それはそれで、スッキリ感がありました。

中国の存在感の大きさが印象的です。世界で最も多くの人口を抱え、広大な領土を持つ国。歴史上、世界最大の帝国であった時期もあり、世界をリードする技術や文明があった国でもあり、その底力に対しては、やはり、一目置かれているというか、警戒されているというか、まぁ、注目されているということなのでしょう。その中国が、機密を表に出すという大きなリスクを冒しながら助け舟を出すという流れは、今後、ますます存在感を強めていくであろう大国への配慮なのかもしれません。(ハリウッドにおける中国マネーの存在感の大きさの問題かもしれませんが...。)

火星の風景なども見応えありましたし、観ておいて損はないと思います。
ロマン・ポランスキー 初めての告白 [DVD]/ロマン・ポランスキー
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1977年のわいせつ事件のことで2009年に身柄を拘束され、その後スイスの自宅で軟禁中だったポランスキーに、長い交流のあるアンドリュー・ブラウンズバーグがロング・インタビューした様子を収めたドキュメンタリー。戦争体験、チャールズ・マンソン・ファミリーによる妻シャロン・テートの殺害事件など、スキャンダラスなエピソードも含め語られています。

天才的な映画監督として、映画史に残るであろう作品を生み出してきたポランスキー。ユダヤ人としてナチスの迫害を受け、母がアウシュビッツで殺された戦争被害者で、性犯罪の加害者でもある"振れ幅の大きな人生"について、本人の口から語られています。都合の悪い真実についても冷静に率直に語られている印象を受けました。実際の事件から時間が経過していることもあるのでしょう、抑制のきいた静かな語り口で紡がれる物語が胸に沁みてきます。

インタビュアーが、ポランスキーと親しい人物ということで、他の人ではなかなか聞けないようなことも引き出せているのかもしれません。ただ、一方では、仲の良いおじいちゃんたちのお茶飲み話的な甘く柔らかい雰囲気になってしまった感じも否めませんが、それでも、ポランスキーの語り口は魅力的で、話も分かりやすく、惹き付けられるものがありました。

こうした有名映画監督に関するドキュメンタリーとなれば、映画作品の背景などについて語られているであろうことを期待してしまいます。本作でも戦争体験が背景にある「戦場のピアニスト」とか、初の長編作「水の中のナイフ」、「反撥」、「袋小路」といった初期の作品やその後の数作が生み出された経過とか、彼を一躍有名にした"ローズマリーの赤ちゃん"とか、若干、触れられている部分もありますが、そこを期待して観てしまうと物足りない感じがします。

13歳の少女への暴行事件があったり、「テス」で主演したナターシャキンスキーとは、彼女が15歳の頃から性的な関係を持っていたりと、性的趣向については問題のある人なのかもしれませんが、この辺りへの踏み込みが緩めなのは、インタビュアーがビジネス上の繋がりも濃い相手で、今後のビジネスについても配慮されたからか...。どちらかというと、"ずっと昔の、本人同士の間ではそれなりに解決していることについて蒸し返し、更に、量刑などについて判事側の約束違反があった"という流れで、纏められています。まぁ、本人の許諾なしで作れないインタビュー作品である以上、誰がインタビュアーであっても、ある程度本人寄りの視点になってしまうのは仕方ないのだとは思いますし、それが真実だったのかもしれませんが...。

いずれにしても、ポランスキーの様々な面に触れた内容にはなっていると思います。わざわざ映画館に足を運んで観たいと思うような作品でもないと思いますが、ポランスキーのファンであればDVDなどで観ておいて損はない作品だとは思います。

ディセンダント

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ディセンダント [DVD]/ダヴ・キャメロン,クリスティン・チェノウェス,ソフィア・カーソン
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魔法のバリアで覆われたロスト島。ここにはマレフィセントやイーヴィル・クイーンといったディズニーヴィランズたちが暮らしています。彼女たちを島に閉じ込めたのは、海を隔てたオラドン合衆国の王、ビースト。ビーストの息子ベンはもうすぐ16歳を迎え、王位に就こうとしていました。ベンはヴィランズたちの罪はその子どもたちにはなく、子どもたちは解放されるべきだと考え、彼らをオラドン合衆国に呼び寄せます。生まれて初めて島を出ることになったマレフィセントの娘マル、イーヴィル・クイーンの娘イヴィ、ジャファーの息子ジェイ、クルエラ・ド・ビルの息子カルロスの4人。彼らは親たちからオラドンでフェアリー・ゴッドマザーの魔法の杖を奪ってくるよう命じられます。マレフィセントは、魔法の杖を手に入れ、島に閉じ込めた善人たちに復讐を願っていて...。

結局は、性善説ということになるのは、ディズニーらしい感じがします。そして、誰もが善くなれる可能性を持っていて、ちょっとしたチャンスを得ることができれば悪から善に変化できるはずでありながら、どうしようもない悪役がいないと物語が成立しないところも。本作の物語で一番悪いヤツなのは、マレフィセントのようですが、彼女だって、元々は罪のない子どもだったはずなわけで...。

眠れる森の美女にはマレフィセントが、白雪姫にはイーヴィル・クイーンが、アラジンにはジャファーが、101匹わんちゃんにはクエラ・ド・ビルがいるからこそ、オーロラ姫も、白雪姫も、アラジンも、ボンゴたちも、ヒロインやヒーローになれたわけです。けれど、物語が終わってから年月を経た今、かつての活躍の面影も薄く、島に閉じ込められています。けれど、そんな彼らにも子どもができた様子。で、親たちは悪人に育てようとしているらしいのですが、皆、親思いの良い子ばかりで...。この"悪なのに親孝行"という部分、もっと、巧く理屈を作って欲しかったです。

そして、折角、これだけ豪華なメンバーを揃えているのですから、ヴィランズたちが物語の根幹を支えたヴィランズとしてのプライドを持ち、ヴィランズとしての尊厳を取り戻すための戦いを繰り広げるとか、最終的には、ヒーローたちも物語におけるヴィランズたちの役割の大きさを認めざるを得なくなるとか、ヒーローたちもヴィランズたちもそれぞれの特色を生かせる場を持ち共存するという結末を迎えるとか、もっとヴィランズたちの存在を大切にしてあげても良かったのではないかと...。

そして、オーロラ姫の娘、オードリーの性格があまりよくないのですが、その背景があまりきちんと描かれないので、とってつけた感が否めなかったりします。ヴィランズたちのキャラクターにもブレが感じられますが、全体に、登場人物たちのキャラクター設定に甘さが感じられます。

まぁ、子どもたちが、清く明るく正しい世界の中で善に導かれて善きものになっていくという物語はいかにもディズニーで、そこに、ディズニーのキャラクターたちが大勢登場し、明るく歌い踊るという光に満ちた世界は、浅くて面白みがない感じもしますが、単純明快で軽く楽しめる作品にはなっていると思いますが...。

あまり期待せず、旧作扱いになってからのレンタルDVDで観るには悪くない作品だと思います。

わが命つきるとも

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わが命つきるとも [DVD]/ポール・スコフィールド,ウェンディ・ヒラー,ナイジェル・ダベンポート
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1528年、英国。当時の国王、ヘンリー8世は宮廷の女官だったアン・ブーリンに恋をし、王妃、キャサリンとの離婚を望んでいました。けれど、当時はカトリックが国教で、離婚は認められていません。キャサリンとの婚姻を解消する唯一の方法は、ローマ法王にキャサリンとの婚姻が無効だったと認めてもらうこと。ユートピアを夢見た偉大な文学者としても有名で、深い教養と厚い信仰心ゆえにヨーロッパの人々から尊敬と信頼を寄せられており、法王に対して国王の婚姻無効を認めさせることができる唯一の人物と目されたトマス・モアは、王の婚姻無効を法王が承認するよう協力を求められますが、拒絶します。結局、国王は法王から離脱、強引に離婚を成立させてアンと結婚。一方、モアは大法官の地位に就き、王に忠誠こそ誓いましたが離婚には賛成せず...。

以前、ここに感想を書いた「ブーリン家の姉妹」は、本作でトマス・モアが裁かれる原因となったヘンリー8世の愛人、アンとその妹について描かれた作品でしたが、本作はヘンリー8世の離婚を認めるかどうかについて命を賭けて信念を貫いたトマス・モアの物語となっています。

信仰に殉じて国王に反する者、国王に従い信仰を変える者、その間で逡巡し苦悩する者、巧く立ち回って利益を得る者。まあ、大きなこと、小さなこと、いろいろな場面で、こうしたことは起こるワケですが、そこに関わる人々の心情が丁寧に描かれています。

命を賭けても信念を曲げないということの美しさが感じられる一方で、その陰で苦悩を背負わされる家族にも視点が当てられています。こうした場合、家族の意向を汲んで信念を曲げるべきなのか、信念を貫いた姿を示すことこそが家族にとっての誇りとなり得るのか、どちらが、本当に"家族のため"になるのかというのも難しい問題ではあります。

いずれにしても、モアは、誰にどのように説得されようとも、その後に死刑が言い渡されることを知りながらも、信念を曲げず、自身の正義を貫きます。ただ、このモア=正義、モアを陥れたもの=権力にすり寄った自己中心的な者という図式には疑問が残ります。

法王は婚姻無効を認めなかったのですが、その背景には、宗教的な理由だけでなく、キャサリンの実家であるスペイン王家との関係悪化を避ける狙いもありました。また、本作でも触れられていますが、チューダー朝は歴史が浅くて基盤が弱く、ヘンリー8世が結婚を繰り返したのも、チューダー朝基盤強化のために男子の王位継承者を得たいと願ったことも一因となっていることを考えれば、王家に仕える立場にある者としては、そのために協力するのは、ある意味、正義だと言えるでしょう。

ヘンリー8世とモアの確執の背景には、この離婚問題もあったのかもしれませんが、法にも神の意志を反映させるべきと考えたモアと伝統や宗教とは離れたところに新たな法体系を作ろうとしたヘンリー8世の法に対する意識の違いが大きかったようにも考えられます。"政治を宗教の束縛から解き放つ"という面を考えると、それまで、各国の王たちが逆らえなかったローマ法王に反旗を上げたという点で、ヘンリー8世の功績は大きいとも言えるでしょう。

ヘンリー8世とアン・ブーリンは、モアの処刑後、1年もしないうちに離婚、アン・ブーリンも処刑されます。ヘンリー8世とアン・ブーリンの結婚の成立後すぐに生まれ、後に女王となるのがエリザベス1世で、その統治下で大英帝国の黄金期が築かれます。もし、エリザベス1世出生時に結婚が成立していなければエリザベス1世に王位継承権が与えられることもなかったでしょう。勿論、それはモアにも他の人々にとっても与り知らぬことですが、その後の歴史を見ると、モアの信念が通らなかったことの是非について、また、違った視点から考えさせられます。

物語自体は地味ですし、物語の描き方は起伏に乏しく、映画作品としての面白さは薄いのですが、衣装や装飾など、その時代を彷彿とさせ、力のある演技陣に支えられて、重厚な作品となっています。

田舎の日曜日

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田舎の日曜日[デジタルリマスター版] [DVD]/ルイ・デュクルー,サビーヌ・アゼマ,ミシェル・オーウェン
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1912年、パリ郊外で、家政婦のメルセデスと2人で暮らす年老いた画家、ラドミラル。今日は、日曜日。定期的に訪ねてくる息子、ゴンザグの家族がやってくる日です。ゴンザグとその妻、マリー・テレーズ、3人の孫。穏やかな日差しの中、うたた寝をしていると、滅多に顔を見せない娘、イレーヌが突然、現れ...。

家族を連れて頻繁に田舎に住む親を訪ねるというのは、そう簡単なことではありません。堅物で融通が利かなそうなゴンザグですが、誠実そうで、かなりの親孝行。けれど、父は、そんな孝行息子よりも、滅多に顔を見せない娘を心配し、彼女の訪問を心待ちにしている様子。ゴンザグはそんな父の心情に気付きながらも、それについて口に出すことも態度に出すこともせず、老いた父を支えようとしています。

けれど、子どもたちも成長し、徐々に、おじいちゃんのところに遊びに行くことに物足りなさを感じるようになってきている様子。孫たちの成長と気持ちの変化、マリー・テレーズの気持ちや彼女に対するラドミラルの想いなども丁寧に描かれます。


一方のイレーヌ。うたた寝をしている父を起こし、自分のペースで振り回します。恐らく、幼い頃から溺愛されてきたのでしょう。そして、イレーヌも、父の自分への愛情の深さを知っているのでしょう。確信犯的な振る舞いが見られます。

孝行息子のゴンザグと放蕩娘のイレーヌという雰囲気ですが、それぞれのラドミラルとの関係を見ていると、イレーヌの方が、父親の内面を深く理解している様子が窺われます。イレーヌがゴンザグをドライブに連れ出してカフェでお茶をする場面がありますが、イレーヌの父への細やかな気遣いが感じられて印象的なシーンとなっています。

特別に父に会いたいわけではないけれど、父を心配して訪ねてくるゴンザグ。父に会いたいという想いを抱えながら、他に優先したいことがあり過ぎてなかなか父の元を訪ねることができないイレーヌ。ゴンザグは、自分よりイレーヌに父の気持ちが置かれていることを知っていても、子どもたちが田舎に飽きていると知っても、訪問をやめることはないでしょうし、イレーヌも他の都合を差し置いて父を訪問することはないかもしれません。そして、ラドミラルのゴンザグとイレーヌへの想いも大きくは変わらないでしょう。理屈では割り切れない互いへの想いを抱えながら生きていく人々の日常は、私たちに繋がるものでもあります。

何でもない、際立った物語のないよくある日曜日。けれど、そんな何気ない日常の積み重ねの中には、人々の様々な想いが積もり、感情が蠢くものなのかもしれません。そして、そんなことの積み重ねが、人々の関係や生活を大きく変えていくのかもしれません。

切り取ると一枚の絵画になるような美しい場面が多く、日差しの温かさ、休みの日の穏やかさの中で、親子というもの、年老いた親との関係といった多くの人が人世のどこかで直面させられる問題が描かれ、自分自身の状況についてもしみじみと考えさせられました。

ただ、あまりにお節介なナレーションが残念でした。映像とセリフで十分に伝わっている部分を喋ってしまっているところがあり、作品の世界への集中力が削がれてしまって残念でした。