ゴッドファーザー PARTⅢ

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ゴッドファーザーDVDコレクション/フランシス・フォード・コッポラ
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PARTⅠPARTⅡに続く最終章。

ファミリーのビジネスを合法的なものに変えていこうとしていたマイケル・コルレオーネは、教皇庁への巨額の寄付によって叙勲され、そのパーティに離婚した妻、ケイトと暮らしていた娘のメアリーと息子のアンソニーを招待します。マイケルは、ヴァティカン銀行との提携やヨーロッパの金融業界への進出のチャンスを得ますが...。

マイケルの家族を愛し、守りたいという願いに嘘はなかったはず、そして、厳しい状況の中でも、できるだけ正しくあること、合法的であることを目指したことも事実。けれど、思うようにはならず、血を流さない平和を望みながらも、血で血を洗う抗争から抜け出すことができず、そのために、一番欲しかった家族との温かな繫がりを失うことになります。

そして、本作では、ファミリーの稼業を合法的なものに"浄化"するために聖職者の力を得ようとしますが、その聖職者たちの間に繰り広げられるマフィア顔負けのドロドロとして抗争に巻き込まれていきます。俗世でも神聖な世界でも、そこに何らかの利権が関わってくれば、結局、こんなことになる...ということなのでしょうか。

多分、動機ではなく、手段に問題があったのでしょう。第三者的な立場で状況を見ることができる者がそれを指摘することは簡単ですが、渦中で必死に戦い、瞬時に判断を下していかねばならなかったことを考えれば、マイケルの選択はギリギリのところでの最善だったのかもしれません。ただ、マイケル自身が彼の選択をどう捉えているのか...。"裏切り者だから仕方ない"という言い訳だけでは消化しきれない想いの分部をもう少し見せて欲しかった気もします。

メアリーが殺され、人目を憚らず泣き叫ぶマイケルとそのマイケルに向けられるケイやコニーの視線。特に、ケイのマイケルを見つめる表情が印象的でした。この場面、メアリーを演じたソフィア・コッポラが、あまりに残念な演技力で、そこが惜しまれます。

"ゴッド・ファーザー"シリーズの様式美を引き継いでもいます。マイケルの苦悩、裏切り、抗争、華やかな舞台の裏で繰り広げられる殺戮。けれど、決してマンネリになることなく、個々の物語にそれぞれの力が感じられました。

孤独の中で死を迎えるマイケル。それが、抗争から離れた死であったことに、せめてもの救いを見たくなります。本当に欲しかったのは、愛する家族とともに過ごす平穏な日々のでしょうけれど、少なくとも、命の遣り取りとは離れた場所で過ごすことはできたようですから。死を目前にして、マイケルは、愛した女性たちとの日々を想い起します。殺された最初の妻、離婚したケイ、殺されたメアリー。愛し、守ろうとした女たちを、次々、失っていった寂しさが伝わってきます。

マイケルのものとはかなり違った形ではあっても、人は、多かれ少なかれ、計画していたり、望んでいたものとは違ったところに行き着いてしまったりするもの。そして、自分の想いを実現させるために邁進する体力、気力も、年齢を重ねることで、徐々に、手放していくことになるのも世の常。あまりに違う世界に生きたマイケルですが、意外に、私たちは、自身の姿を重ねることができるのかもしれません。そこが、観る者を引き付ける要因の一つなのかもしれません。

マイケルは、兄、ソニーの忘れ形見であるヴィンセントを後継者に指名します。マイケルよりは、ビトに近い雰囲気を持つヴィンセント。果たして、この先の難しい時代に、ファミリーの舵を取っていけるのか、ちょっと心許ないキャラクターのような気もしますが、どうなるのでしょうか。

マイケルの生涯を描く一大叙事詩を締めくくるに相応しい作品と言えるでしょう。PARTⅠ、PARTⅡの後に観ておきたい作品です。
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レインメーカー

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レインメーカー [DVD]/マット・デイモン
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ジョン・グリシャムの小説「原告弁護人」を映画化した作品。原作は未読です。

弁護士志望のルーディ・ベイラーは、コネもなく、ロースクールを卒業後、就職先探しに難航しますが、やっと、悪徳弁護士のブルーザー・ストーンの事務所で働けることになります。ルーディは、ロースクールの実習時代に相談を受けた白血病の青年の母親の相談と一人暮らしの老婦人の遺産問題をそのまま仕事として引き受けることになります。その青年は、骨髄移植の治療費支払いを保険会社から拒否され、余命幾ばくもない状態。しかし、保険会社は、優秀な弁護団を雇い、判事も訴訟に乗り気でなく和解を勧めてきますが...。

タイトルの"レインメーカー"は、法律事務所のトップ弁護士を意味するとのこと。金を雨に例え、事務所に雨(=金)が降らせることができる弁護士ということだそうです。

主演のマット・デイモンが随分と若い感じがして、かなり前の作品...だろうと思ったら、1997年の作品でした。マット・デイモンは1970年生まれですから、当時27歳。

基本的には、経験がなく未熟な正義の味方、ルーディが老練な悪徳保険会社に立ち向かうという物語なのですが、ルーディに勝利をもたらす決定打は、拝金主義的な弁護士であるブルーザーの助言によるものだというのも味なところ。本作の物語が単純な勧善懲悪の物語でなく、ルーディの成長に繋がっていく設定になっていますし、いろいろと考えさせられます。勝訴でルディが金持ちになって...という安易なハッピーエンドにならないところも好感を持てました。

アメリカの医療制度の問題、保険会社の悪徳振り、訴訟社会と弁護士たちの拝金主義、ベトナム帰還兵、DV...。ベトナム帰還兵の問題は、アメリカが関係している他の紛争地域からの帰還兵の問題に変わっていますが、それ以外は、今も解決されていない問題。社会問題として指摘されていながらも、19年たっても、多くは未だ解決されていません。残念なことではありますが、そのためもあり、作品にはあまり古びた感じがありません。

問題の取り上げ方は、多くのものが盛り込まれ、散漫な感じになってしまっていますが、社会にある様々な問題に触れながら、裁判を通じて成長するルディの姿は印象的。ラストのルディの決断も、甘い感じはします。彼が感じたような問題は、どのような仕事の中でも多かれ少なかれあるもの。何らかの"役得"からの誘惑とどう向き合うかというのは、彼が次のキャリアとして考える"教える仕事"の中でも考えなければならないことでしょう。

そして、ルーディも絡んだケリーの離婚成立後の"事件"の処理はあれでよかったのか、疑問が残ります。正当防衛というにはギリギリかもしれませんが、相手の側にかなり非があったことは確かだし、堂々として対処すればよかったのではないかと...。保険の裁判への影響を考えてのことなのでしょうけれど、本当なら、警察が事件の真相を見抜くところなのではないかと...。見抜けなかったということになっているようですが、その辺り違和感がありました。原作がある作品なので、これが原作の問題であればやむを得ないのですが、このエピソードは入れなくてもよかったような気がします。ケリーの元夫が騒いだけれど警察に通報して逮捕されて万々歳で十分だったのではないかと...。

盗聴器まで仕掛けた保険会社側だから、裁判中のルーディの行動を監視していたとしてもおかしくないわけで、"事件"を裁判を有利に進めるための材料に使っていた可能性も考えたりしたのですが、保険会社側はその辺りの情報は持っていなかったようで、意外に情報網は荒いようです。

気になる部分もないではありませんが、法廷での遣り取りなど、ルーディを演じたマット・デイモンと相棒のデック役のダニー・デヴィートの凸凹コンビは味があって楽しかったですし、脇もベテランで固められた出演陣の演技力もあり、迫力を感じましたし、見応えありました。観ておいて損はないと思います。
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ぼくの伯父さんの休暇

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ジャック・タチ「ぼくの伯父さんの休暇」【DVD】/アンドレ・デュボワ
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ユロ氏が登場する初めての作品。本作ではユロ氏は、誰の伯父さんでもないのですが、日本では、本作よりも第二作である「ぼくの伯父さん」の方が早く公開されたため、邦題に「ぼくの伯父さん」が入れられたとのこと。

多くの人が海辺を目指すバカンス。汽車もバスも大混雑です。ユロ氏も小さなオンボロの車で海辺を目指し...。

パリでも、バカンスの海岸でも、ユロ氏はどこまでいってもユロ氏です。海辺の町で繰り広げられるひと夏の騒ぎ。ただでさえ、普段の堅苦しい生活の息抜きとばかりに弾ける人がいるのでしょうけれど、そこに、ユロ氏が油を注いだり、ヘンな形でプレーキをかけたり...。ユロ氏自身の思惑とは別に、人々の休暇やバカンス客を迎える人々の仕事を掻き回していきます。

ちょっと離れたところで眺めている分には楽しいけれど、身近にいると迷惑な存在ってところでしょうか。つかの間の遊びのためにやってきたバカンス客にとっては、ユロ氏の存在も楽しい想いでの一部なのでしょうけれど、邪魔をされた仕事な人たちにとってはイイ迷惑。ユロ氏に向けられる周囲の人々の視線も、それぞれの立場によって違っていて、その辺りの描写も面白かったです。

繰り返されるゆるいギャグも、休暇という場面設定にピッタリな感じがしました。

フランスの民族文化の資料ともなる得るような時代の雰囲気を感じさせる映像も心に残ります。まさに"古き良き時代"ラ・ベル・エポックなフランスが感じられます。作中で、国民機危機を訴える大統領の声明がラジオから流れる場面がありますが、そんなの関係ないという雰囲気のゆとりのある人々。まぁ、ある意味、困った人々ですが、こうした人々がほんわkと時を過ごせる時代こそが豊かな時代ということになるのかもしれません。

ラストの映像が洒落ていて印象的。

レンタルのDVDで十分かとは思いますが、観ておいて損はない作品だと思います。
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幕末太陽傳

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幕末太陽傳 デジタル修復版 DVD プレミアム・エディション/芦川いづみ
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古典落語「居残り佐平次」をベースに、「三枚起請」「品川心中」「お見立て」など、廓噺の要素を散りばめた物語を描いた映画作品。

6年後に明治時代を迎えることになる幕末の品川宿。100軒ほどの遊郭が軒を連ね、1000以上の女たちが遊女として働いていました。佐平次は、偶然、長州の高杉晋作が落とした懐中時計を拾い、それを修理して相模屋に長逗留していた高杉に届けてやります。相模屋には高杉を始めとする長州の志士たちが滞在していましたが、女将のお辰と婿養子の伝兵衛には煙たがられていました。相模屋の遊女たちの中で稼ぎ頭は、こはるとおそめで互いに相手をライバル視していますが、最近では若くてずる賢いこはるの方に分がありました。佐平次は金もないのに盛大に遊び、勘定をせがみに来る使用人の喜助を口八丁手八丁で丸め込んで泊まり込みます。ある日、佐平次はついに一文無しであることを白状し"居残り佐平次"として相模屋で働き始め...。

落語をベースにした物語で、落語自体の物語の雰囲気と本作の時代設定や空気感がぴったり嵌っています。テンポが良く、最初から最後まで飽きない軽快なコメディに仕上がっています。1957年の作品ですから、もう59年も前の作品ということになります。確かに、登場人物たちは着物姿ですし、文化風習を見れば昔の世界だし、モノクロだし、どこからどう見ても古い作品なのですが、今でも十分に笑えます。そこは、落語の力なのでしょう。

ほとんどの物語が相模屋を舞台に紡がれ、相模屋の人々、様々な客たち、店に出入りする業者...と登場人物が多いのですが、2時間に満たない時間の中で、分かりやすく、物語を破たんさせることなく、巧く纏められています。細部まで丁寧に作り込まれていて、物語の世界を堪能することができました。

ヘラヘラしていて相当に強かな佐平次を演じたフランキー堺が、見事に役柄にはまった演技で魅せてくれています。このキャスティングで、本作の味わいが決定づけられたといっていいかもしれません。本作を名作にした大きなポイントになっていると思います。

ラストは、佐平次が舞台セットを破って現代の品川を走って行くシーンが考えられていたとのこと。そのラストであれば、間違いなく時代を超える傑作としての評価を得ていたのではないかと...。残念です。

それでも、十分に楽しめる良質のコメディだと思いますし、日本映画史に残る名作と言うべき一本だと思います。一度は観ておきたい作品だと思います。落語も改めて観たくなりました。

僕だけがいない街

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僕だけがいない街 スタンダードエディション [DVD]/杉本哲太
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三部けいの漫画を実写映画化した作品。原作は未読です。

売れない漫画家でフリーターの藤沼悟に、事件や事故を未然に防ぐまで時間がループする現象"リバイバル"が起きるようになります。何度もリバイバルを経験した彼は、何者かに母親を殺害され、彼は18年前に戻ります。小学生の頃に身近で起きた児童連続誘拐殺人事件と母親の死に関連性を見出した悟は、過去と現在を行き来しながら事件の真相に迫り...。

割と早い段階で犯人が分かってしまいます。まぁ、犯人を隠すために無理して描写が不自然になってしまうのも困りものですが、分かりやすく怪し過ぎたのは残念。もうちょっと、謎を抱かせてほしかった気がします。

それになかなか解決されない事件の真犯人にしては行動が稚拙。生徒と担任の教師、いくらでも自然な形で2人きりになれたはずなのに、他に生徒がいる教室の中でターゲットに声をかけるというのもヘン。もっと慎重に行動するのが本当なのではないかと...。大きな事件なのですから、それなりにしっかり捜査されているでしょうし、そこに、彼が容疑者や参考人として挙がってこなかったというのは、捜査が杜撰だったとしか言えないような...。原作の問題なのかもしれませんが、犯人像や事件の経緯の設定に綻びがあるような...。

そして、悟の中で犯人が明らかになってからの展開。相手は連続殺人犯なのですから、いくらなんでも、もっと警戒して行動すべきでしょう。中身は大人だけど、身体は小学生。1対1での対決になったら明らかに不利なのですから。真相を探るという点においては、明らかに未来からやってきた悟の方に利があるワケで、犯人から反撃されることを予測し、その対策をした上で追い詰めることもできたのではないかと...。加代の救出に向けては、結構、しっかりとした策を練っていたのですから、それができる能力は持っていたはず。

悟のリバイバルの能力についても、何故、彼にそれが備わったのか、ここは大切な分部なので、その辺り、言及して欲しかったです。まぁ、それをしているとただでさえ足りない時間がますます無くなってしまうということなのかもしれませんが...。

雛月加代を演じた鈴木梨央、藤沼悟の子ども時代を演じた中川翼、子役たちが好演しています。一部だけ違う同様のシチュエーションが繰り返させるのですが、そこが自然な感じで見られるのは、子役たちの演技力も大きいのだと思います。悟の母、佐知子は、過去も現在も石田ゆり子が演じているのですが、過去を演じている時の若返り振りは見事。

原作の漫画は全8巻とのこと。2時間程度の映画に収めるのはやはり無理があるのかもしれません。原作未読なので詳細は分かりませんが、かなり話を端折っているような印象を受けました。前後編に分けても良かったのかもしれません。ただ、ストーリー自体は面白いと思います。原作は読んでみたいと思います。

ゴッドファーザー PARTⅡ

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ゴッドファーザー PARTII<デジタル・リストア版> [DVD]/ロバート・デ・ニーロ
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「ゴッドファーザー PARTⅠ」の続編。PARTⅠの感想はここに書いています。

イタリア、シチリア島。父親が地元のマフィアに歯向かったことから殺され、その復讐を企んだ母親も殺され、孤児となったビトは、移民としてNYに渡り、イタリア人街で頭角を現していきます。ビト・コルレオーネ亡き後のファミリーを率いる三男のマイケルは、ラスベガスを支配し、さらにキューバの利権を狙いますが...。

ストーリー自体は、左程、複雑なものではありませんが、細部まで丁寧に作り込まれていて、映像にも厚みがあり、迫力が感じられました。

孤児となり故郷から逃げるしかない状況に追い込まれながらも、新天地で権力を握っていくビトとⅠの冒頭では温かい家族や仲間たちに囲まれていながら、徐々に家族を仲間を失っていくマイケル。それぞれの物語が時に重なり合い、時に変化し、ビトからマイケルに流れる血と、彼らを取り巻く環境の違いが描かれていきます。

暴力や武器を使った争いもありましたが、義理と人情といった気持ちの部分にも重きが置かれていたビトの時代。そして、不信に支配され、敵対する側への歩み寄りさえ復讐のための布石でしかないような裏切りが重ねられるマイケルの時代。

マイケルは、ファミリーを守るために当初の希望を変えてまでボスとなり、ファミリーを維持するために努力したはずが、その結果として、次々に家族を失い、仲間を失っていきます。それは、決して、マイケルの望んだことではなかったはず。けれど、不信がもたらす争いを止めることができません。血が流され、さらに、その血を贖うための血が流される悪循環。必ずしも意図したものでない方向に引き込まれていくマイケルの姿が痛々しく切なくもあります。どこでどう間違えたのか、どこが問題だったのか...。望んでいたものとは違った場所に来てしまったマイケルが、将来に夢を抱くことができた頃を懐かしく想いだすラストが心に沁みました。

ビトにはビトの、マイケルにはマイケルの苦悩があり、孤独があり、彼らの心情や周囲の人々との関係やその変化が丁寧に描かれ、そこに圧倒的なドラマが生まれています。

PARTⅠあっての本作ということにはなりますが、Ⅰの物語を捕捉する内容になっていて、Ⅰの内容を思い出しながら興味深く観ることができます。続編として実に見事な出来栄えで、コルレオーネファミリーを描く一大叙事詩となっています。是非、Ⅰを観てから観たい作品。Ⅰも177分と長いうえに、本作は202分とゆうに3時間超えですが、最初から最後までたっぷりと楽しめる作品となっています。お勧めです。

神のゆらぎ

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ある日、飛行機が墜落し、多くの犠牲者がでますが、奇跡的、一人生き残り、病院に運ばれます。看護師でエホバの証人の信者であるジュリーはその患j者に特別な興味を寄せるようになり、細心のケアをします。ジュリーの婚約者、エティエンヌは白血病で、輸血で症状を改善できる可能性が高かったのですが、血が穢れるとして輸血を許さないエホバの証人の教えを大切にする彼 は、頑なに治療を拒みます。ベネズエラから帰国したサイモンは、麻薬入りのカプセルを飲み込み麻薬の密輸で大金を手に入れようとしていました。空港に到着し、組織のメンバーと落ち合い、ホテルに向かった彼は、ホテルの部屋の中で60個のカプセルを排泄して取り出そうとします。ギャンブル依存のマーティンとアルコール依存のエベリンの夫婦は、毎年、必ず新婚旅行先だったキューバで休暇を過ごすことにしていて、その日も、飛行機に乗ろうとしていました。マーティンからその話を聞いたカジノの従業員、レイモンドは、不倫関係にある同僚のリーゼをキューバに連れて行こうとして...。



以下、ネタバレしています。







時間が前後するのですが、飛行機事故を軸にしながら考えると個々の場面の時間軸が整理しやすく、ストーリーが追いやすいよう構成が工夫されています。事故で死んだレイモンドとリーゼが登場する場面は、全て事故前。サイモンが元気で登場する場面も事故前。マーティンとエベリンが電話で遣り取りする場面も事故前。エベリンは飛行機に乗らないことをマーティンに宣言して1人、空港を後にし、その後、マーティンも飛行機に乗らず引き返します。これも、もちろん、事故前。ジュリーの勤務する病院に重傷を負ったサイモンが運ばれた後の物語は、事故後。ジュリーとサイモンの物語は、事故前から事故後に続いています。

サイモンが運び屋をしていることについては、少々、分かりにくいかもしれませんが、サイモンを待ち受けていた人物との遣り取りなどから犯罪がらみであることは明白ですし、サイモンが体内に隠し持っていたものが価値のあるものであることも分かります。で、警察官登場の場面もあるので、そこを繋げばなにがどうなっているのか見えてきます。

エティエンヌは、命を賭けても神の教え(と信じていること)に従うべきか否か、
ジュリーは、教えに背いても患者の治療のために自分の血を輸血するべきか否か、
マーティンは、ギャンブルを続けるかどうか、
エベリンは、酒をやめるかどうか、マーティンとキューバに行くかどうか、
サイモンの兄は、サイモンに海外に渡るための便宜を図るかどうか、
レイモンドとリーゼはそれぞれの配偶者との生活か不倫相手との人生か、飛行機搭乗をやめるか否か、

それぞれ、何らかの決断、選択に迫られています。サイモンについては、本作で描かれるより前の段階で、姪に渡す大金を手に入れるために麻薬の運び屋するという選択をしています。そして、その決断が、何らかの形で誰かの運命に影響を与えます。

ジュリーとエティエンヌがエホバの証人の信者であることも関係して、宗教的な色合いが濃くなっています。神の存在や神の意思を問うような場面もあり、神について考えさせられます。「全知全能の神がいるなら飛行機事故は起きない」という意味のセリフが繰り返し出てきますが、神が善なる存在で絶対的な力を持つなら、何故、善き人の上にも悲劇がもたらされるのか...。完全なる善である絶対的な唯一神を信じる宗教において、この世に悪が存在することの理由を説明することは難しいことでしょう。悪をなくす力を持っているにもかかわらず信仰篤き者の上にも不幸をもたらそうとする神の意図は何なのか、それを真摯に考え、自らの進むべき道を考えることこそが神を信じるということなのかもしれません。

ジュリーの決断とエティエンヌの決断。ジュリーが輸血せずに同じ結末を迎えたとしたら、ジュリーは輸血をしなかったことを一生後悔するかもしれません。少なくとも、ジュリーの決断は、その後悔からジュリーを救ったのではないかと思います。エティエンヌの決断も、彼の信じる世界がこの先も揺るがないのだとしたら、"ジュリーの誘惑に負けず信仰を貫いた"彼に幸福をもたらすのでしょうし、信仰が揺らぐのであれば、ジュリーの助言に耳を貸さなかった自身の決意を後悔することになるのでしょう。

何が幸せで、何が不幸なのか、安易に決められることではありませんし、周囲が判断できることでもありません。自分自身でさえ、本当のところは分からないのかもしれません。事故を起こすことになる飛行機に乗るかどうか、その分かれ目も、ホンのちょっとしたことだったりします。ある部分だけを捉えれば、飛行機事故は天罰だったのかもしれませんし、ある部分だけを捉えれば理不尽な悲劇ということになるのでしょう。

神が存在するかどうか、何が善きことなのか悪しきことなのか、誰もが納得できる明快な解がないからこそ、人は悩み考え、世の中を深く理解するようになり、本当の喜びや幸せを知るようになるのかもしれません。

何か大きなことが起こったり、バラバラな登場人物たちが一気に繋がったりする気配を覗かせながら、あまり派手な展開になることなく終わってしまうので、ちょっと肩透かしな感じは否めませんが、それでも、ズシリと胸に響くものがある重厚な作品でした。見応えあります。独特な雰囲気があり、好き嫌いが分かれる作品かもしれませんが、観て良かったと思います。





公式サイト
http://kaminoyuragi.com/

ぼくとアールと彼女のさよなら

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ぼくとアールと彼女のさよなら(特別編) [DVD]/コニー・ブリットン
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高校生のグレッグは、父親の影響を受け、幼馴染のアールと名作映画のパロディを作って楽しんでいました。学校では、全てのカーストの学生たちと適度に付き合いながら、極力、目立たないように過ごしていました。八方美人で、他人には深入りせずにいたグレッグですが、母親の意向で、白血病になった同級生の女の子の相手をすることになり...。

登場人物たちが、如何にも今どきの若者な感じです。ちょっと背伸びして大人ぶって素直じゃなくて、けれど、子どもの幼さい真っ直ぐさも残していて、自意識過剰で、どこか自信を持てなくて...。当たり前に熱い青春を謳歌するタイプじゃない高校生たちを等身大に描いた感じで、観ていて懐かしいさが呼び覚まされます。

素直な"難病モノ"ではありません。病気をしていることの大変さは描かれますが、ヘンに悲劇的な要素を強調するような演出はないし、"病気の幼馴染のために自分を犠牲にして悲壮感たっぷりに頑張る"的な安易な友情物語にもなっていません。その典型的な路線を拒んでいる辺りもグレッグとアールの性格に合っていると思います。

「市民ケーン」「めまい」「時計じかけのオレンジ」「勝手にしやがれ」「羅生門」「ブルーベルベット」...、実に多くの名作のパロディを作っています。この元ネタの選定の仕方も、ちょっと狙いすぎな感じもしますが、素直じゃない高校生らしいと思います。パロディ映画を作り始めて僅か数年という設定で、その時に既に42作を製作しているというのは、あまりにハイペースな感じがします。本作の物語の中でも、それ程長い期間ではないはずなのに、何作も撮っている雰囲気ですし...。パロディの捻り方など、高校生が遊びで作っているにしても安っぽい感じがするのですが、それにしてもペースが速すぎます。かなりの超短編作品ばかりってことなのでしょうか...。多くの作品が取り上げられている面白さはありますが、ここは、制作のペースにもっとリアリティを持たせても良かったような気がします。それに、なかなか渋い元ネタの選び方をしていることを考えれば、もっと1本1本を丁寧に拘って作る方がキャラクターに合ったやり方だったのではないかと...。

レイチェルに対しても、なかなか自分の素直な想いを伝えられなかったグレッグが、最後にレイチェルに見せた作品は、それまでのパロディ作品とは全然違った雰囲気の作品でした。

主要人物3人を取り巻く、グレッグの両親、レイチェルの母親、グレッグとアールがよく一緒に過ごしている学校の先生といった人々が、それぞれにちょっと変わっていて個性的なのですが、ヘンな部分だけが強調され、人物像の掘り下げが不十分で、全体に薄味になってしまっていて、その点も残念でした。

いくつか気になる点はありましたが、それでも、"古典映画のパロディを作り続ける高校生"という登場人物の設定は面白かったですし、ナナメな感じでありながらも、レイチェルとのかかわりの中で成長していくグレッグの姿には清々しさが感じられました。

日本では劇場未公開というのは、勿体ない感じがします。観ておいて損はないと思います。

ソング・オブ・ラホール

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タリバーンの台頭により活躍の場を失った音楽家たちが国外に活路を見出していく様子を描いたドキュメンタリー作品。

芸術の都だったパキスタン、ラホール。かつては、映画や音楽といった文化活動が盛んでしたが、1977年にムハンマド・ジア=ウル=ハクが独裁政権を樹立すると、極端なイスラム化が始まります。多くの文化活動が禁止され、ラホールでも多くの音楽家たちが職を失いますが、そんな中でも音楽を細々と続けていった人たちがいました。伝統音楽を守ろうと小さなスタジオを開き、音楽活動を再開します。ある時、彼らが伝統的なスタイルにジャズを融合させ、"Take Five"を演奏したところ思わぬ反響を得ます。さらにライブ映像をユーチューブにアップすると、これが瞬く間に世界中から注目を浴び、世界的なトランペット奏者ウイントン・マルサリスの目に留まり...。

クライマックスのリンカーン・センターでの演奏シーンが圧巻です。本場のジャズの一流ミュージシャンたちは、遠くからやってきた演奏活動がままならなかったラホールの音楽家たちにも容赦しません。ラホールの音楽家たちも必死になって食らいつきます。そして迎えた本番。それぞれが持てる力を存分に発揮した見事な演奏。ミュージシャンたちの幸福感溢れた表情。妥協せず最高のものを追い求めるプロの姿勢とその中で生まれる演奏の素晴らしさ。人の心を動かす演奏を生み出すことの大変さとその中で得られる幸せが伝わってきました。

演奏会場の名称に入っているリンカーンが、奴隷解放を成し遂げた大統領の名であり、奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人の音楽と西洋音楽が融合して生まれたジャズを黒人と白人の演奏家たちが演奏し、そこにパキスタンの音楽家たちが加わっての演奏。宗教や民族や文化的背景の違いを超え、同じ曲をともに演奏する。その音楽が多くの人々の心を動かす。音楽の力というものを実感させられます。この音楽の持つ大きな力を知ればこそ、タリバーンたちは、音楽を禁止するのかもしれません。

そして、インターネットの力も感じさせられます。影響力の大きい分、善いことばかりではなく、悪いことに利用されることも多く、人々に深刻な被害をもたらす手段とされてしまうことも多いワケですが、昔は、小さな地域で封じ込められていたことでも、今は、ほとんどコストをかけることなく世界の人々に直接訴えかけることができます。

日本でも"サッチャル・ジャズ・アンサンブル"のCDが発売されていて、9月には来日公演も行われるとのこと。

日本でも、自国では廃れていた伝統が海外で評価されて再評価されるということは珍しくありませんが、ラホールの音楽家たちの場合、宗教が絡んでいるだけに、そう簡単にはいかないのかもしれません。けれど、少なくとも、これまで音楽で収入を得られなかった音楽家たちが演奏で食べていけるようになれば、細々とでも伝統は生き続けることができるのでしょう。

ドキュメンタリーなのに、脚本があるようなちょっと出来過ぎのサクセスストーリーだったりはしますが、演奏が見事で見応え、聴き応えありました。お勧めです。


公式サイト
http://senlis.co.jp/song-of-lahore/

ゴッドファーザー PARTⅠ

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ゴッドファーザー PARTI<デジタル・リストア版> [DVD]/アル・パチーノ
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マリオ・ブーゾの小説を映画化した作品。原作は未読です。

言わずと知れた名作。これまでにも何度か観たことはあるのですが、改めて、三部作を通して観直すことにしました。数日間ずつ、間を開けてになるかと思いますが、順番に感想を書いていきたいと思います。

まずは、PARTⅠ。

とある屋敷の一室。暴行を受けた娘の復讐をして欲しい、故国に送還されることになる娘の恋人がアメリカに留まれるようにしてほしい、プロデューサーの反対で出演が叶わずにいる映画に出たい...。敬愛を込めて、"ドン"、"ゴッド・ファーザー"と呼ばれるヴィトーの元には次々と客がやって来ます。この日はヴィトーの娘、コンスタンツァ・コニー・コルレオーネ・リッツィと、ファミリーの一員であるカルロ・リッツィの結婚式が行われていて、外は大勢の人で賑わっていました。コニーの兄でありヴィトーの三男であるマイケル・マイク・コルレオーネは恋人のケイに自分の家族の紹介をしていました。長男のサンティノ・ソニー・コルレオーネが荒っぽいことや、血のつながりのないものの兄弟のように育った弁護士で一家の相談役のトム・ヘイゲン...。ケイはファミリーの話を聞いて驚きますが、マイケルはマフィア稼業に手を染めるつもりがなく、一家もマイケルを巻き込むつもりがないことをケイに説明して安心させようとしていました。そんな中、麻薬組織から取引を持ち掛けられたヴィトーは、それを断りますが...。

結婚式という様々な人が集まる場面を最初に持ってきて、そこで一気に登場人物を紹介してしまう、それも、誰も知り合いがいないケイに主だった人物をファミリーの一員であるマイケルが紹介するという自然な流れ。そして、それと同時に、それと並行して、ヴィトーと客人たちの遣り取り、コルレオーネ・ファミリーのビジネスの実情を示すエピソードが重ねられます。ヴィトーの優しさや人懐こさが感じられる一面と同時に彼の中にある恐ろしさ、マフィアの冷酷さが見事に浮かび上がります。

"裏切り者"や自分たちに害をなす者に対してはとことん残酷で、敵に対しては手段を選ばないヴィトーですが、友人や家族に対してはどこまでも面倒見が良く、少々、意に沿わないないようでも頼まれたら断れないようで、無理をしても願いを叶えてやります。そして、そんなヴィトーの周囲には、様々な人が集まります。ボスとして彼を敬愛する者、利害のために縋る者、恐怖からおもねる者...。願いを叶えてやる代償として、友情や尊敬を求める彼の姿には、孤独感も漂います。

麻薬取引を拒絶し、"友人たち"の便宜を図り、家族を愛する姿に、ヴィトーの正義感や優しさが伝わってきますが、けれど、彼の"ファミリー"が犯罪を行っていることも紛れもない事実。冒頭の結婚式にヴィトーの裏の仕事が遂行される様子を重ね、クライマックスの洗礼式に敵を抹殺する場面を重ねる描写が、表の顔と裏の顔の乖離を印象的に表現しています。

そして、マフィアの世界とは距離を置いて生きていくはずだったマイケル。父を尊敬し、兄たちを愛してもいたマイケルですが、当初は、ファミリーの"ビジネス"とは距離を置き、ケイと普通の生活を営んでいくはずでした。その気持ちに嘘はなかったでしょう。けれど、一方で、父や兄たちとの関係も、自身のポリシーやケイとの幸せ以上に大切で、その狭間で悩みつつも、結局はファミリーを背負う立場になっていきます。運命に飲み込まれるように願っていたものとは相反する方向に引き摺り込まれていくどうしようもなさと、その中で、ドンとしての役割を果たしていこうとする決意がにじみ出る姿と...。ラストのケイへの対応は、彼女に対して冷たいものですが、そこには、ケイをマフィアの世界の外に置くことで守ろうとする夫としてのケイへの愛情と家長として責任感も滲み出ています。

それでも、ケイとの約束を守らず裏切ったことは確か、洗礼式の誓いも明らかに嘘。裏切り者を許さず冷酷な対処をしたマイケルは、自身のケイと神に対する裏切りをどう自分の中で消化していたのか...。

マフィアの世界を嫌うケイとの関係とボスとしての立場の両方を維持していくことに遠からず限界が来るであろうことも確か。ケイの目の前で扉が閉じられるラストに、マイケルのその後の道とケイとの関係の行く先が見えてきます。冒頭の結婚式とクライマックスの洗礼式が対になり、クライマックスでは、ボスとして地位を確立するための抗争と子どもの人生のスタートとなる洗礼式が重ねられます。こうした構成も見事です。

ヴィトーを演じたマーロン・ブランド、マイケルを演じたアル・パチーノは勿論、周囲を固める出演陣もそれぞれ存在感を出していて物語に厚みを加えています。

殺戮の後のエンドロールに重ねて流される"愛のテーマ"を始め、音楽の使われ方も実に効果的で印象的でした。

177分と長い作品ですが、細部まで丁寧に作り込まれ、無駄がなく、とても濃密な作品となっています。1972年の作品ですから、44年前の作品ですが、古さを感じさせません。不朽の名作というべきでしょう。一度は観ておきたい作品です。