「ボクシングやったことがねぇ奴が、ボクシングを偉そうに語るな」…の議論に関して
以下は過去エントリーと皆さまの多数コメントのリンク…
「ボクシングやったことのねぇ奴が偉そうに語るな!!」…について
続「ボクシングやったことのねぇ奴が偉そうに語るな!!」…について
実は、このテーマを取り上げるのは相当な覚悟があったことを先に述べさせていただきたい。
この議論に関しては「延々たる平行線」の予感が初めからあったのはもちろんのこと、その一方で、これに触れないでずーっとこのようなブログ運営を続けてゆくのもまた困難である…というせめぎあいの果てに思い切って挑んだ内容であります…
そして、「理解し合えなかった場合」結果としてこの議論が『毒薬』のように一部熱心なファンや、一部関係者のかたの心を蝕む可能性があることも承知していましたが、これは僕自身への問いでもあった…
すなわち、「お前はどの程度ボクシングが好きなのか、あるいは、愛しているのか?」…という意味の問いかけでもありました。
言ってしまえば、ブログ、活字、言葉… どれも、所詮は「頭の中」だけの話…
そこに僕という人間の感性や観察眼、人間としての僅かな経験値…が内包されているにせよ、「机上の空論的虚しさ」との戦いであると同時に、「そこまで厭らしい中傷を浴びてまで関わることでもあるまい」という心の奥底からの声との戦いでもありました…
で、今回挑み、そして、多くの方のご意見を拝見するにいたり、より複雑な気持ちになってしまった部分は否定できない…
なんといっても一番堪えたのが「経験者」の方が「悲しくなった」という声…
まぁ、このテーマを論じる上では、どうしても対決図式としての「経験者=未経験者(素人)」の構図にならざるを得ない場面に遭遇することは必至でありますが、しかし、ここでいうところの「素人」が多数である現実が、もしかしたら「経験者」の方の発言を曇らせてしまったのではないか…という懸念であります。
で、これは安直な想像の域を脱することができないから適切ではないだろうけど、「うまく喋れないけれど、表現したい、戦いたい、俺が望む俺になりたい」…という「目的」が彼らの中にあったとして、そこを汲み取る感性が僕には欠けていたかな…という反省が存在しているのも事実であり、「毒薬」としての性質の方が思った以上に作用してしまったか…と、正直をいえば、今は感じています…
つまり、「ボクサーは拳で語る」…という意味の、その「拳の中の声」を汲み取ることが果たして出来ていたのか、否か…という意味です。
「拳」に秘められた声…なんて、これまた「言語化」するのが難しい難題でありますが、それは当然リングの中にあるわけですが、もしかしたら、こういう議論を煎じ詰めてゆくと、ある瞬間、それらが埋もれてしまっていたかもしれない…という意味。
すなわち、頭では「敬意」を表していても、「言葉」を連続して使い続けるうちに、その「敬意」が結果として「霞んでしまった」ように見えていたのではないか?あるいは、白熱の果てに、影に落ち込んでいたのに、気づけなかったのではないか…? という懸念。
しかし、いかなる形状の論争になろうとも、その根幹に「ボクシング」への尊敬と愛情があれば乗り越えられると考えていた僕の根拠の、その危うさと脆さを結果として露呈してしまったかな…と言うのが今の気持ちであります。
もちろん、後悔はしていません。
ただ、そのような意味で、今回の議論で「言葉になれなかったもの」の幾つかが、存在するとするならば、「毒薬」を撒いた責任が存在するな…と意味の「総括」をさせていただきます。
で、「ボクサーを取り巻く環境としての現実」と「ボクサーたちの戦いの原動力としての精神世界」を同じ場所に配置する形で議論のスタート位置を僕が設定してしまった部分に非はあったかな…と考えています。
もっとも、僕を含めた「素人衆」には全く悪意はない。
…が、双方にとって、何かが捩れてしまった結果は否めないかな、と感じる。
ボクシングの理想を簡潔に述べればこうだ…
「ボクサーは自己実現のためのファイトを果たし、観客はそのファイトを賞賛したい」
この自己実現なるものの定義は千差万別であると思いますが、観客にしてみれば、目の前のファイトが「素晴し」ければいかなる形であっても受け入れられるはず…
双方が、ただ、それを無我夢中で「欲し合っている」というこの単純明快な地平に、もう一度立ち返りたい…
この双方の「純粋無垢な希求」にこそ、ボクサーと観客の健全な関係性が存在しているという確固たる事実を、もう一度噛み締めたい…と、激しい想いが溢れてくる。
そして、告白をすれば、幾つかの中傷との個人的な対決でもあったわけですが、それに皆様を巻き込んだことをお詫びしたいと思います…
しかし、それはあらゆる誹謗中傷を駆使し、人間としての尊厳を無視し、それを踏みにじる外道との戦いであった側面を理解していただきたいと思います。
軽はずみに人の生き死にを言葉にし、その混濁した頭脳の中で他人を貶めることでしか「生きられない俗物」よ、もう僕は同情はしない…
…なんて書くと、また「イジメ」られそうなので、それはこのくらいにしますが、改めて、今回のエントリーにご参加してくださった多くの「素人」のみなさま、多くの「関係者」のみなさま、多くの「ボクサー」のみなさま、本当にありがとうございます。
インターネットの世界は多くの悪意と偏重に縛られているとはいえ、このような形でかつては「繋がり」づらかった当事者のみなさまと観戦者を「結んで」くれたのも事実であります。
双方にとって、多数の不愉快、多数の理不尽、多数の困惑が溢れた内容であったかもしれません。
しかし、その一方で肌で感じ取れたこともたくさんあったのも事実であります。
構造改革や意識改革の役に立てたかどうかは甚だ疑問が残るかもしれませんが、「無益」では決してなかったとの自負はあります。
苦しみの共有、疑問の共有、未来像の共有、そして、喜びの共有…
これらを放棄したら、「幸福の追求」への道は間違いなく閉ざされてしまうでしょう…
素人の戯言と笑っていただいて構いませんが、どうせ掲げるならば「圧倒的理想の追及」を掲げたいじゃないですか…?
改めてお詫びと感謝の気持ちを申し上げさせていただきます。
そして、毎度毎度の出過ぎた発言、お許しください。
御愛読感謝
つづく