人知れず微笑まん-心の波

つらかった昨日より…☆人間には誰しも心の波があります


人間には、

バイオリズムのように、心の波があります。

バイオリズムのように、と言いますのは、

私は、若干異なるものだと思っているからです。


持って生まれたもの、

生い立ち、

現在の取り巻く環境と苦しみ、

それぞれの自己の意志・感性などによって、

個人差がとても(それ以上に)大きいと

思うのもその理由の一つです。


悩みに上下というものはなく、

その人の背負っている苦しみ・悲しみは、

他の人には、すべて理解することなど困難なことです。


心電図と同じように、心の波は、常に波打っています。

「心の波」図というものがあるとするならば、

縦目盛りは、0から始まって上に、数を重ねていきます。


仮に0から100までとして、

こういう方は極めて少ないと思いますが、

平均値が70~90までの人がいるならば、

その人は、とても自分勝手で傲慢ではなかろうかと思いますし、

どなたであっても、上が、100を超えれば、

様々な問題が生じるものだと思います。


また、全体の平均が30~80までの間の波の振幅だとした場合


私は、多くの苦しい方に比べちっぽけな悩みでしかありませんが、


持って生まれたもの、

過去のトラウマ、

今日までの歩いた道のり、

そして、現状から、


はしゃいだり、騒いだりすることがありません。

それは、

調子がいい時(心の波が高い時)ほど、

その後のリバウンドとしての

心の落ち込みを経験則としていますから、

そんな時ほど、怖いのです。


過去、人を傷付けてきたことも

そういう時が多かったように思います。

それで、「謙虚・慎重・平常心」なのです。


滅多にない、いいときほど、不安が募るのです。


そこで私は、

私の心の波の平均値を、20~30としています。


過去のある時期、

10の目盛りを切ろうとすることが続いたことがあります。

これは自分としての危険水域なんですね。


心の波が、0になってしまった

身内や知人などがたくさんいますから、

そうならないために、

「ちょっぴりよければそれでよし」と思うようにしています。


「それで良し」ではないのです。

「それでよし」なんです。


良いことなんて何もない、

つらかった昨日より、

「ちょっぴりよければそれでよし」なんです。


ただし、

私としての危険水域である、10台前後になると、

「ちょっぴりよければそれでよし」

など思えるような心境ではありません。

自己否定と自己嫌悪と「もういいや」という厭世観です。


ですから、

そうならないように念じているというところでしょうか。


とにかく、

波の底が少しでも深くならないように、

底から底までの周期が少しでも長くなるようにと、

今日は、20だな、25だなと

毎日、自己分析して過ごしているのです。



※バイオリズムについて、
生物の活動にみられる一定の周期的な変動のことで、
人間で言えば、
心臓拍動、呼吸のリズム 睡眠と覚醒の繰返し、女性の月経など、
植物では開花の年周期など、動物では冬眠や季節移動の周期性などであって、
人間の体のリズムは、
身体のリズム、感情のリズム、知性のリズム、の3つがあり、
これらは一定の周期で、高調期と低調期を繰り返しています。