年間、3万人超の自殺者

▼数年前、古い友人が自殺した。報を聞いて、「まさか」と「ああ、やはり」が交錯した。

▼「最近よく眠れますかと、ちょっと声をかけるだけでも自殺予備軍の発見につながる」と秋田大学医学部教授の清水徹男さんはアドバイスしているという。
▼とはいえ、親しい人間がたまたま身近にいない人もいる。

▼気軽な相談窓口があり、弱音を吐けるだけでも救われる人は多いのではないか。

▼今国会、閉会まぎわに自殺対策基本法が成立した。自殺防止を個人の問題ではなく社会的課題とし、国、自治体、企業に対策を義務づける内容だ。
▼日本の自殺者は8年連続で3万人を超す。神奈川県茅ヶ崎市クラスの街が一つ消えた計算だ。

▼未遂者や遺族を含めると「自殺問題」に悩むのは年間200万人ともいわれる。
▼現状3万人の自殺者を10年間で2万5千人に減らすのが政府の目標だそうだ。
▼少しのんき過ぎないか。
【日本経済新聞6月17日付朝刊『春秋』より抜粋】

「まさか」「ああ、やはり」

私も、身内が自殺をして、「まさか」「ああ、やはり」でした。

しかし、仮に私が自殺すれば、身内・知人とも「まさか」「ああ、やはり」と思うに違いがありません。

人間誰しも、悩みや悲しみを抱えているものです。明るく振る舞える時があれば、深く落ち込む時もあります。

時々の振る舞いや態度から、「ああ、やはり」と思えますし、誰しも真の深い悲しみ、心の奥底を、打ち明けるものではありませんから、「まさか」と思うのも頷けます。

とても、難しいものです。たとえ、それを感じ声をかけても、その深い心の奥底にまで、響いていないこともあります。

そう感じる時は、とても悲しくなります。声をかけることが、かえって苦しませているのではないかと口を噤んでしまいます。

汚れた心を持つ私が接することは、崇高なる心をお持ちに方への冒瀆でしかありません。

でも、生きてほしい。そう願わずにはおれません。

少しのんき過ぎないか

「気軽な相談室」それが、どこにあるのでしょう。
ただ、注意しなければならないのは、親身になって相談に対応している方がいらっしゃるという事実です。このことは決して、忘れてはいけないことですが、問題はこのような方が極めて少ないという事実です。

これは、本記事に関係する相談室だけではありません。
藁をもすがる気持ちで、ご相談に行かれた方が、肩を落として帰られることがとても多いということです。

『個人の問題ではなく社会的課題』とすることも大切なことです。
しかし、それ以前に何の為の相談室なのか?をもう一度考えてほしいです。

相談員の資質の問題が大きいですね。その相談機関が意味のないものであれば、閉鎖すればどうですか?その方がよほど財政再建とやらに貢献するのではないかと思うくらいです。

相談員の対応が、他の役所の窓口担当の対応と全く変わらないでは、意味がありません。

人を労わる心

挨拶さえ、聞こえなくなった昨今ではありますが、人を労わる心を忘れず、気が付いたらさりげなく声をかけることは、誰に対しても、とても大切なことだと思います。


※元記事は、【 コチラ 】 です。