心の病弱な人は生きているだけで偉い


生きていることに疲れた人は真面目な人である。努力してきた人である。


努力している時に、まさか自分がこのようになってしまうとは予想もしなかった。
まさか自分の人生が、このような形で行き詰まるとは予想していなかった。
でもいま、生きることに疲れて、何もする気にならない。


非抑圧的の人(注:heihachiroの解釈「図太い人=繊細でない人」)は、生きているということは当たり前のことであり、偉大なことでも何でもない。
社会のために尽くし、人のために働き、自分のことを後にして人のことから先にしても、それはある視点から見れば大したことではない、当たり前のことである。

同じ生きていてもその価値は、天と地ほどの違いがある。もちろん社会的に見れば、社会に貢献した人は偉大な人である。

心の病弱な子として生まれた人は、いま自分が社会的にまともに生きていることは「とてつもないこと」なのだと評価をしていい。
生きることに疲れたあなたは、自分が偉大なことを成し遂げているのだと気がついてほしい。死んで当たり前なのに生きているのである。

死んで当たり前の人が生きているのと、生きるのが当たり前の人が生きているのとは違う。死んで当たり前の人は、生きているだけで価値がある。

大切なことは、いま自分が生きているということの偉大さに気がつくことである。

【加藤諦三著『心の休ませ方』PHP研究所 より抜粋】





「悩むということは若いんだから」

「こころに余裕がないからだよ」

― 私が嫌いな言葉です。―