青年が悲痛な思いを音楽にする。でもそれは彼が音楽にしている時点でどうしても音楽の世界のことになる | 『TMダイエット〜T理論と気功で頑張らずに痩せる!?〜パクリ気功団の挑戦』

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東京・新宿にて、「まといのば」公認のパクリでダイエットを中心にセミナーを開催しております。ブログにてそのお知らせをしております。

生前「教授」と親しまれた偉大な音楽家の自伝を読みました。高校生の頃ひたすら彼のアルバムを聞いていたことを最近思い出しました。なんで忘れていたんだろう?

 

その中で印象的だったのが、ある青年が戦争で妹を喪い、彼がその悲痛な体験を音楽にしようとした時点で、その悲痛な体験からは離れてしまうというお話です。

 

悲痛な体験を音楽にした時点で、音楽の世界になってしまう、と。そして文章もそれと同じだろう、と。(※1)

 

確かに僕たちは音楽や文章を通じて、何かを追体験したり、あるいは追体験させることができます。

 

でもそれは自分自身の体験や経験ではありません。あくまでも他者の体験を音楽や文章といった抽象的なもので追体験しただけです。

 

その一方で「教授」は音楽や文章にすることで、その青年が死んでしまえば消える悲痛な体験が音楽になることで、共同体のなかで共有物として遺る可能性があるとも言います。(※2)

 

確かに僕たちは文章を通じて釈迦やイエスとヴァーチャルに出会い、また音楽を聴くことでモーツァルトやベートヴェンといった天才たちの観た景色を追体験できます。

 

それは尊いことですし、有難いことです。共同体の中でそれらが受け継がれることで、短い人生の中で出会えるか否かの人物との出会いや風景を自分も追体験できるからです。

 

しかしそれはあくまでも追体験であり、どこまでいっても自分自身の体験ではありません。

 

僕たちの恋い焦がれているビジョンやゴールというものは、追体験ではなく自分自身の体験に属するものです。

 

自らを挑発し、掻き立て、自然と行動を促すようなものが良いゴールです。(※3)

 

そのゴールを目指して走ることが、すなわち生きることです。

 

逆にゴールを失うと人は一年六ヶ月で死んでしまうとされています。(※4)

 

また変わりたいと思いつつ変われないのは、そもそもゴールが何かわかっていないからです。(※5)

 

音楽や文章といった(少し前に流行った言い方だと)メタバース(※6)は、追体験させるためのものです。すなわち自分の人生では経験できそうもないことを音楽や文章、あるいは映画や漫画といった形で追体験することができます。

 

そしてそのメタバースによる追体験を通じて、次々と仮想でゴールを達成していき、僕たちは真のゴールへ近づくことができるとされています。(※7)

 

つまり、あくまでも音楽や文章といったメタバースは追体験して自分のゴールを見つけるための道具だということです。不遜な言い方ですが、あらゆる芸術や作品は全て自らのゴールを見つけるための道具だと僕は思います。

 

すなわち生きるための道具です。そこを履き違えると、なかなか苦しいことになります。

 

僕たちの依拠する理論のモチベーションである釈迦の思想は、あくまでも生者のためのものでした。それゆえに釈迦は葬式を禁じ、死後の世界のことは「無記」として語りませんでした。(※8)

 

またもう一人のモチベーションであるイエスは、死者は死者に葬らせよと語りました。(※9)

 

僕たちはその系譜の果てにいます。

 

すなわち生きることが何よりも大事だということです。そして生きるとは設定したゴールを追いかけて突っ走るということです。

 

僕たちは今死んでいないくらい若いのだから、後先考えずに設定したゴールめがけて突っ走りましょう!!

 

そのゴールを設定するためにメタバースや気功を始めたとしたテクノロジーをガンガン使って、理論に基づいてフィードバック(※10)を重ねていきましょう!!

 

思い出や過去は死ぬ直前に嫌になるくらい思い出せますから、生きている僕たちはひたすらゴールと未来をめがけて突っ走りましょう!!

 

突っ走るあなたのサポートを、セミナーやセッションでできれば幸いです!!

 

お申し込みお待ちしております!!

 

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【脚注】

 

(※1)

たとえば、今(2006年)レバノンで戦争をしていますが、戦争で肉親が死んだとします。あるレバノン人の青年が、イスラエルの空爆で愛する妹を失ってしまう。そしてその青年が、悲痛な思いを、音楽にする。でもそれは、彼が音楽にしている時点で、どうしても音楽の世界のことになってしまって、妹の死そのものからは遠ざかっていく。  きっと文章でもそうでしょう。何かを文章にする時点で、文章としての良さ、文章としての美しさ、文章としての力、そういう、文章の世界に入っていかざるを得ない。音楽もそれと同じで、妹の死に本当に悲痛な思いを持っているにもかかわらず、音楽を作っている限りにおいては、音楽という世界の問題に入っていってしまう。それは、現実の妹の死というものとは全然違うレベルのことで、そこには乗り越えられない距離がある。(坂本龍一「音楽は自由にする」)

 

 

(※2)

ただその一方で、ある青年の妹の死というのは、その青年の記憶がなくなってしまえば歴史の闇に葬られて消えてしまいかねないけれど、歌になることで、民族や世代の共有物として残っていく可能性があります。個的な体験から剝離することで、音楽という世界の実存を得ることで、時間や場所の枠を超えて共有されていく、そういう力を持ちうる。(坂本龍一「音楽は自由にする」)

 

(※3)

良いゴールとは、自分をドライブさせてくれるゴールです。
自分を挑発し、自分を夢見させ、自分をいつの間にか行動させるものです。
ですから、ゴールだけを(その字面を)いくら眺めても、それが良いゴールかどうかは判断できません。
そのゴールとやらと、本人とのカップリングがすべてです。
ですから「やせたい」とか「お金持ちになりたい」とか「健康になりたい」というような現状維持と思われるようなものであっても、その人を強く情報空間を移動させるならば、それは良いゴールなのです。
逆にどれほど完璧な文字面(もじづら)であっても、その人を鼓舞せず、動かせず、お題目で終わるなら、悪いゴールです(黒猫でも白猫でもネズミを取ってくれるなら良い猫です)。

「考えるな、感じろ」とブルース・リーは言いましたが。。ほんたうのゴール、ほんたうの「思考」とは? 2016年09月16日(「まといのば」本家ブログより引用)

 

(※4)

何度か触れたルー・タイスが設立したTPI(The Pacific Institute)がアメリカ労働省と行った調査の結果によると、「ゴール」をあきらめた人、もしくは達成してしまった人、つまり社会において機能を果たしていない人の平均寿命は、わずか一年六カ月だといいます。(苫米地英人「夢がかなう脳!」)

 

 

(※5)

変わりたいと思いながら、つい変われない理由、行動できない言い訳が出てきてしまう、という経験がある人は多いでしょう。もしかしたら、いままさにそのことを悩んでいるかもしれません。  そういう人がまず考えるべきことは、「自分にはちゃんとゴールがあるのか」ということ。  もしもないのなら、「ゴール」をきちんと設定することを考えるべきです。(苫米地英人「夢がかなう脳!」)

 

(※6)

言語にこだわる人は言語空間の広さと緻密さに感動し、興奮すら覚えますが、それもまた巨大なメタバースでしかありません。仮想世界なのです。
(メタバースは新世界ではなく、新しい電話であり、新しい手紙と「まといのば」では考えています。メディアです。伝書鳩であり狼煙です)

 

言語空間は現実世界の写像でしかないのです。
(現実世界がLogosという情報空間の写像でしかないということはまた別の話)

 

何が言いたいかと言えば、非言語の世界のほうがはるかに大きく、ほとんどのことは言語によって記述できないし、近似すら難しいということを我々は前提とすべきなのです。

 

ハワイで観た夕焼けの美しさや赤ん坊の寝顔の可愛らしさをどれほど言葉を尽くしても表現はできないのです。

言語空間は言語空間の素晴らしさがあり、物理的現実世界は物理的現実世界の素晴らしさがあります。

言語空間というメタバースはメディアとして便利に使いつつ、非言語空間にしっかり根付こう! 2023年01月20日(「まといのば」本家ブログより引用)

 

(※7)

もう一つ付け加えておくと、高い抽象思考のレベルが上がると、現実にゴールを達成するまでもなく、「仮想現実」で十分に、達成したのと同じ状態に自分をもっていくことが可能です。極端な話、「数日の瞑想だけで、次々と目標を仮装実現しながら、あっという間にコンフォートゾーンを上げて真実のゴールを見つける」ことも不可能ではありません。(「本当はすごい私」)

 

(※8)

釈迦が語ったことは、とにかく「縁起」に尽きるのです。  このことから極論してしまえば、本当に釈迦が教えたこと、つまり本当の意味での仏教は、「宗教ではない」のです。  「縁起」について語ること。それは世界観を究め、そこから一歩進んで、生き方について考えることではあります。しかし、死んだ後のことについては何を語るものでもありません。  西洋的な感覚からすれば、絶対神を信じないものは宗教とはいいませんから、そもそも仏教は宗教とは言い難いものです。それよりもっと広い意味での宗教を考えたとしても、やはり、死後についての思想を含んでいるものでなくてはいけません。(苫米地英人「夢がかなう脳!」)

 

(※9)

イエスは彼に言われた、「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。(マタイ8:22)

c.f.人間の活動はすべて、驚くほど複雑だ。天才の活動も例外ではなく、『奇跡』は一つもない。(ニーチェ) 2019年06月18日(「まといのば」本家ブログ)

 

(※10)

「まといのば」ではフィードバックが気功の肝だと思っています。

(このことを逆向きに言えば、気功技術という方法論については絶対的な自信を持っているということになりますが)。

 

きっちり観察し、観測して、フィードバックを得られることができれば、仮説がどんどん検証されていきます。仮説というのは他者の(もしくは自分の)内部表現に対する一定のモデルです。そのモデルが検証によって修正され、アップデートされていくのです。

その仮説と検証のプロセス自体が(仮説が正しくてもそうでなくても)有効な内部表現書き換えとなります。

だからこそフィードバックは最も重要なのです。

気功技術というインプットに対するアウトプットが確認できなければ、書き換えようが無いからです。

父親と母親が完全に毒親なのですが、やっている事が「軍隊」と言われてひどく納得しました。 2022年01月03日(「まといのば」本家ブログより引用)