1987年3月の物理学会参加から、1989年6月のアメリカAAPTへの参加まで、じつに様々なできごとがありました。ぼく個人にとってもそう。「いきいき物理わくわく実験」の出版に伴い、マスコミの取材を集中的に受けたのもこの時期です。
なにかが動き出すときは、本当に、あっという間ですね。
今回はのらねこの「海外進出」がテーマなので、周辺の事情は割愛しますが、関わりのあるところは書き留めておきます。
まず、なんといっても、「いきいき物理わくわく実験」を新生出版から出したことですね。1988年5月のことです。
新生出版は理科教育関係の本をたくさん出版してきたところ。三井さん(故人)の家に実験装置を持ち込んで、編集会議だか飲み会なんだかわからない楽しい会を何度もやっていたのですが、いよいよ出版をする段になって、出版社の社長が編集会議にわざわざ顔を出してくれました。
イラストを最初に配置して、イラストを見るだけで実験のあらましがわかるようにする。文章はイラストの後に続ける。この新しい構成の仕方に、社長は難色を示しました。「そんな本は出したことがない。タイトルがあり、文章があり、実験の手順の説明のためにイラストを配置するのが、ずっとやってきた本の作り方だから」というのです。
ぼくたちは、イラストを中心に据えた本の構成に自信をもっていたので、みんなで社長を囲んで、「絶対にベストセラーになるから、この方針でやらせて欲しい」と交渉しました。
いざ出版してみたら、当時のその種の本の常識を超えて、たくさん売れました。再版に次ぐ再版で、社長は大喜び。その後、その出版社から出される理科の本は「いきわく」そっくりの構成になりました。
こちらが、新生出版「いきいき物理わくわく実験」の表紙。この表紙のデザイナーさんはすごく才能があって、ぼくのイラストを上手く使って、インパクトのある表紙を作ってくれました。
みんなも「これはいい!」と感心しきり。ぼくも「さすがにプロは違うな」と思いました。
この本の冒頭にぼくの「ガラスの上のレンガ割り」が載っていて、それがマスコミ受けしたんでしょうね。編集会議を統括していた三井さんは、広報能力の優れた人で、新聞やらラジオやらに売り込み、取材が続きました。ぼくも三井さんからいきなり電話で指示されて、わけのわからないまま、ラジオ出演したり新聞の取材を受けたりと、めまぐるしい日々を過ごしました。
定時制高校で実験していたときの実際の様子が上のイラスト。最初試しにやったときはTシャツを着ていたのですが、それを見せた同僚の教師たちから「そのTシャツがあやしい」(笑)といわれ、脱ぐことにしたんですね。
「おれたちがあやしいと思うんだから、あいつら(生徒)も絶対にそういうぜ」
この発想は、実際にやってみるまでなかったですね。さすが、経験豊富。よくわかってらっしゃる。
ところで、本の編集をしている頃、川勝さんの提案で、川勝さん、スギさん、ぼくの三人で、新潟で行われた「高校教師のためのワークショップ」に参加しています。イギリスから概念形成の授業を紹介する目的でブラックさん(イギリスの物理学会の偉い人)が自国の優秀な高校教師を連れて、その実践を紹介するワークショップでした。日本の側からも何本かレポートして、理科教育の交流をするという会でした。
そこに、三人で共同レポートを作り(といっても、直前に川勝さんから声がかかったので、突貫工事で仕上げ、それを会場にいって待ち時間に英訳するというむちゃくちゃなスケジュールでした)、クルマいっぱいに実験装置を積み込んで、発表したんですね。そのとき、「レンガ割り」もやったんですが、それまで静かに見ていたイギリスの先生たちが、「Crazy!」と叫んで立ち上がり、ばしゃばしゃと写真を撮り始めました。
たぶん、このときの発表の様子を見て、東京の物理教育学会や物理教育研究会の人たちが、思うところがあったんでしょうね。
ある日、東京の後藤道夫さんから手紙が届きました。1988年3月の応用物理学会のシンポジウムで、60分の発表をして欲しいとの内容でした。
一人で60分はちょっと大変だったので、岐阜の小川さん長野さんに電話して、手伝ってもらうことにしました。本当は愛知物理サークルの人に頼むことなんですが、愛知の人たちはその時期に別のイベントがあってだめだったので、厚かましくも小川さんたちに頼み込んだんですね。今思うと、けっこうずうずうしいお願いだったんですが、快諾していただきました。
この発表を見た読売新聞の記者から最初の取材が入ったという話は、前に書きましたので、ここでは省きます。
さて、こんなふうに、あっちでどたばた、こっちでどたばたしているうちに、アメリカから「AAPTに招待するから来て欲しい」と連絡が。招待といっても、旅費は自費です。向こうの人は「企業にお金を出してもらえ」というんですが、そんな景気のいいパトロンはいないので、自腹です。
しかも、お恥ずかしいことに、参加しようというメンバーは誰一人、渡航経験がなかったんですね。パスポートを取らなくちゃいけないし、トラベラーズチェックを手に入れないといけないし、ドルもある程度用意しなくちゃいけないんですが、なにもかも初めてで、みんな右往左往しました。だいたい、英語、だれも喋れないし(笑)・・・
詳しい経緯はわかりませんが、この初旅行には、海外旅行経験豊富な発明協会のAさんという人がついてきてくれました。海外は日本みたいに治安がよくない、荷物から離れて歩き回っていると、戻ってきたときにはなくなっているなど、さまざまな注意を受けました。
向こうでどんな実験装置があるのかわからないので、かなりの実験装置を空輸で運び、それでも運びきれないものを持っていくことになりました。これがまた一騒動。重い荷物の人の分は飛行場ではねられ、しかたなくみんなのトランクに分散して入れました。
岐阜の人たちはなんと、「のらねこ学会」の幟(のぼり)を持っていきました。折りたたんでコンパクトにしてましたが、竿、長いし(笑)。
・・・向こうで何をやるつもりなんだろう!
アメリカに行く前に、何度か岐阜と愛知で共同の発表をしてきたのですが、「ヘリクツの愛知、ハジシラズの岐阜」というキャッチコピーの通り、岐阜の人たちの発想の柔軟さには毎回びっくりさせられました。
アメリカの研究会に幟を持っていこうなんて、普通考えませんよ。だいたい、幟、日本語だし。
ところが、これが向こうでも目立って、話題になるんだから、わかりません。
でも、やっぱり、このメンバーで初めての海外旅行。普通には始まりません。
事件は、アメリカの空港に着いたときに起こりました・・・
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