ガダルカナル戦書籍一覧


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見晴台6 より続いております。

現在地はガダルカナル島中部戦跡・見晴台

赤線徒歩移動  橙色線自動車移動

↓昭和18年1月10日に米軍によって撮影された航空写真に現在地書き込むと



旧トンガ宅より二本の樹を超え
眺望の良いヒル52南端台上を少し下ったところで金属製のエンブレムのような物が・・・

これは・・・何なのだろう

続けて円形の金属


サンディも初めて目にするらしく真剣な眼差し


続けてスピーカーが発見され


周辺で拾い集めた小物群

スピーカーがある事からラジオか・・・
戦中の物か後に村人が持ち込んだ物か判断の難しい所ですが掌下部にある曲線の金属は錆が少なく七十数年を経過したように思えません。
もしガ島戦時の物だとすれば米軍が投降を呼びかけたスピーカーか・・・
いくら眺めても結論は出ないのでありました。

眺望の良いヒル52北端よりヒル57へ向かうべく
一挙に傾斜をくだり・・・

ルートはこのような感じ

下りきった所に小流が・・・

日米両兵士の喉を潤したのではないでしょうか。

その小流の近くに・・・米軍の弾倉らしき物


これは・・・何か不明でありますが

米軍の物ではないでしょうか。

シムズリッジ南端の傾斜を登り高台より望むヒル57方面

今回も曇天ではありますが暑さは半端なくヒル57まで一挙に踏破するのは無理と考え昨年も休んだ水場で小休止する事に

見晴台に咲く花

コスモスのように思えました。
この花の左前方に見える密林は昨年あまりの暑さに逃げ込んだ水場のある密林


一年振りの水場は何も変わる所無く我々を迎えてくれました。


昨年は南緯九度の太陽が全力で我々を焦がしていたので、かなり危機的体調でこの地に逃げ込んだのですが・・・

今回は幾分余裕がありサンディのペットたちに水の湧くポイントへの先行も微笑みながら見守る事が出来ました。

小休止中のサンディ


そして上空

この見上げる写真があると言う事は・・・
間違いなく五十路のおっちゃんが 行倒れて 仰向けになり積極的に体力の回復を図っているところであります。

現在地を確認

自分が調べた範囲ではこの密林が既に第三大隊本部が位置した密林になるのですが・・・
100%間違い無いかと問われればいたく自信がないというのが本心であります。

昭和18年1月10日米軍侵攻図


1月11日、飲料水欠乏により侵攻を一日休止

そして昭和18年1月12日から13日にかけての侵攻図

ヒル56周辺の密林に布陣した若林中隊が完全に孤立した状況を読み取れます。
そしてヒル52で激戦を繰り広げた深田中隊がヒル53方面へ追い込まれて行く状況がよく判る要図であります。

現在地周辺で昭和18年1月11日から13日の状況は↓記事の通りであります。
※二年前に編集したので第三大隊布陣位置が違っていますが現在公開している位置が正しいと信じます。
西山日誌 1月11日
前田歩兵砲 1月9~11日
西山日誌 1月12日
深田中隊勝野准尉 1月13日
西山日誌 1月13日

深田中隊の生き残りと若林中隊の生き残りを集め大隊本部で最期の一戦を交えんとする西山大隊長の記録
1月13日
全員餓死すども一名の手足動くものあれば最後の一発ずつを撃ちて戦わん、傷者は既に皆既に第一線なり。
総員約二百名、既に四百名を失う。


1月16日、第三大隊本部陣地
部下中脱出を議するものあり。
静止の連続は、十一日十二日の壮烈なる戦闘の興奮下の決意を鈍らせるものか。
今此の包囲下になす事もなく自滅せんよりは、脱出、将来の一戦を企図するに然ずも然り。
着意可なるも指揮官として、死守の任を放棄して、何ぞ脱出し得んや。
脱出或いは可能ならん。
予は二個中隊を壊滅せし今にして何で脱出の望あらん。
唯、死のみが予の道。
部下を思う時、二百の生命の尊くも惜しきを思う。
部下の心情も可憐なり。
隊長の苦悩、愈々増加す。


1月19日 前日、師団へ連絡に出していた可知軍曹が帰着した場面
十四時頃、可知来る。
嗚呼、可知帰り来る。
而も師団命令をもたらす。
伊東、西山部隊は敵を突破し、二十二日までに師団司令部位置に来るべしと。
嗚呼、其の嬉しさ。

可知の連絡任務こそ珠玉なり殊勲甲。
閣下以下二百の勇将兵の命を救ふ。


大隊本部と歩兵二個中隊総勢600名が三分の一となり残る二百名も負傷者多数・・・弾なく食なく
1月13日から米軍の積極的侵攻は止まり大隊本部陣地において凡そ一週間、後退命令を待ちわびる指揮官の苦悩が読み取れます。

西山第三大隊長は命令により後退出来ましたが・・・
見晴台より望むギフ高地の歩228稲垣第二大隊(歩124岡部隊へ増援)へも17軍より後退命令は出されていたのですが、米軍に完全包囲され伝令が生きて稲垣大隊長の前に現れる事はありませんでした。

後退命令が届かず自らの決断でギフ高地脱出を決断する稲垣大隊・川井兵長の記録

稲垣大隊予備陣地でギフ高地へ撤退命令を届けようとする丹羽衛生兵長
1月22日夕刻
1月23日

命令を貰い疲弊消耗した大隊を指揮し帰還された見晴台・西山大隊長。
命令届かず眼前に望む見晴台から銃砲声が消え、苦悩しながら独断専行・敵前逃亡の誹りを覚悟で陣地から脱出を決意し散華されたギフ高地・稲垣大隊長。
「軍隊は運隊だ」と語っていた今は無き叔父の言葉はこの事かと思い知らされるのでありました。

つづく


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