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2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
現在地はガダルカナル島中部戦跡・見晴台
赤線徒歩移動 橙色線自動車移動
↓昭和18年1月10日に米軍によって撮影された航空写真に現在地書き込むと
丸山道案内人トンガの自宅跡地を後にして
ヒル57方面に向けて出発したところ
すぐにバックル?のような物を発見
何か有るかも知れぬと周囲を捜索すると
骨片が・・・緊張が走り
御遺骨かも知れぬと総員周囲を念入りに調べると幾つかの骨片を発見の後
随分と立派な歯が・・・
ラファエル・サンディ共にピッグツース!!と声を合わせる。
どうも豚の臼歯らしい。
聞けば野豚か・・・この地で豚を解体しバーベキューをしたのではないかとの事
緊迫した雰囲気から一挙に開放され・・・溜息一つ
次の探索へと移行
少し二本の樹に近づいたところで米軍の薬莢が
2メートルも離れていないところでまた薬莢
こちらにも薬莢
明らかに複数の米軍兵士が目標を狙って射撃したと思われました。
K隊員の指さす位置が薬莢位置
おそらく狙撃目標は二本の樹、昭和18年1月10日の航空写真にはこの樹は写っていないので禿山だったと想像します。
この稜線に米軍兵士の狙撃対象となった
日本軍兵士が居られたと考えて間違いなさそうです。
早速樹を目指し辿り着いたところで振り返ると
赤丸薬莢発見位置
樹が邪魔なので少し右へ移動すると
このような位置関係であります。
↓昭和18年1月10日の米軍侵攻状況図
第27歩兵連隊H中隊がこの地を前進しております。
先ほどの薬莢はこのH中隊の隊員が狙撃した際の物と考えて間違いないでしょう。
旧・トンガ宅より右へ視線をずらすと
米軍の侵攻は三方向から迫って来たが覗えます。
参考までに日本軍呼称イヌ高地に米軍の砲撃を誘導する観測所が設けられその後方に野砲陣地がありました。
さらに右へ視線を移すと
稲垣大隊玉砕の地ギフ高地、ヒル27を挟んで右が福岡歩兵第124連隊が布陣したシーホース。
ヒル51は歩228第三大隊不可だ中隊の監視哨と思われ逸早く米軍迫撃砲隊が進出した丘であります。
左シーホース
右の台状の丘が深田中隊が激戦を繰り広げたヒル52。
映画シン・レッド・ラインで機関銃座のあったところと思われます。
ラファエルとK隊員の立つ我々の位置からヒル52までの稜線を総称してヒル52と呼んでいたのかもしれません。
この稜線の左で米軍は飲料水を補給するため侵攻を一時停止した記録が残っております。
さらに右へ視線を移すとシムズリッジ・エクストンリッジが遠望出来シムズリッジの奥にヒル53。
右ウォータホールは2014年あまりの暑さに避難した水場。
その手前で御遺骨を発見致しました。
その時の記事 見晴台15 御遺骨
その後方密林が高田中隊・若林中隊の所属する第三大隊本部ではないかと想像します。
第三大隊長 → 西山少佐の日誌
第十中隊長→ 若林中尉の日誌
少し右へ
多分あの辺りが九〇三高地だと思われ、右に目指すヒル57、右奥に見える山裾が日本軍が撤収したエスペランス岬。
さらに少し右へ視線を移して
若林中隊の布陣したと思われる密林が見え始めます。
この谷間となっている密林が若林中隊の布陣位置
深田中隊の布陣位置と違い密林に覆われているので米軍歩兵との白兵戦は殆ど行われず砲弾の雨により被害を広げ消滅玉砕されたと思われます。
そしてトンガ宅
現在地からの360度の眺望でありました。
現在地は
この位置が見晴台の多くを見渡せる事が出来る位置だと編集しながらたった今気付いた次第であります。
つづく
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勇一三〇二
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉 長谷川榮作さまのホームページ
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。
新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。
ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 公式ブログ。