ガダルカナル戦書籍一覧


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↓ガ島中央戦跡要図
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal

作文 従軍慰安婦・慶子
十四~十八日の 西山日誌
十四日以降の 若林日誌絶筆後の第十中隊の記録 完
十六日以降の 亀岡日誌 完
十七~九日の アウステン山の記録
十五日~六日の 堺台第一拠点の記録
堺台第二拠点 歩228連隊12中隊のガ島戦
十六日~十七日の 矢野大隊の記録 
十六日~十七日の アウステン山・独山10連隊の記録

↓アウステン山陣地布陣予想図
ガダルカナル Guadalcanal
↑図の124i各部隊、独山10聯隊とも16日に撤退を開始しマタニカウ川右岸の稲垣大隊予備陣地とギフ高地の稲垣大隊主力しかアウステン山陣地に日本軍は存在しない状況です。

↓米軍からの1月18・19日の侵攻を凌いだ稲垣部隊。
 度重なる攻撃にも屈しない稲垣部隊に対し22日戦車を戦闘に再び攻勢がかけられた。
ガダルカナル Guadalcanal
↑図と稲垣大隊の資料を合せた要図↓
ガダルカナル Guadalcanal

マタニカウ川右岸予備隊に位置する丹羽幼三氏の記録概略
1月22日夕刻

夕闇迫る予備隊陣地、マタニカウ川に隔てられた裏山の彼方より声がしたように思えた。
静かに耳をすまし裏山のジャングルを見つめる。
「稲垣部隊…稲垣部隊…」声を殺した低い声だ。
誰も答える者は居ない。

一人ポツンと壕に居る丹羽氏、答えてやらねばと
「オーイ、オーイ、オーイ・・・」
声を殺して返事をしている。

「岡部隊から連絡に来た。予備隊本部に案内してくれ。重大命令だ」
岡部隊は1月15日頃、連隊長以下独歩可能な者全員撤退している筈。
岡部隊配属の稲垣大隊には何の連絡も無しに退いていたのに・・・今それを言う時ではない。
岡部隊連絡下士官を小滝副官の許へ案内する。

闇は濃くなり午後八時か九時頃であった。
命令を聞く小滝副官。
「解った。ご苦労さまでした」
連絡下士官の持ってきた命令は稲垣大隊の撤退を指示したものであった。
命令を伝えた連絡下士官は予備陣地の静けさに危険を感じたのか、連絡の大任を果たした後に姿を消していた。

小滝副官は予備隊の各中隊命令受領者を集め命令を下している。
昭和18年1月22日命
23日早朝より稲垣部隊予備隊は単独撤退する。
①大隊本部要員は功績書類持参。早朝より。
②各隊の傷病者(但し歩行可能な者)は戦友が同行。
③予備隊最後の歩哨線を引き上げる。
④小滝副官他4名、特に元気で行動出来る兵、山上部隊本部に連絡する。


翌23日未明。
夜明け前より稲垣大隊予備隊は後方へ向かい出発している。
小滝副官・萱沼軍曹・丹羽兵長・副官の当番兵、計四名。
「岡部隊長よりの撤退命令を1月22日薄暮、予備隊にて受領。稲垣大隊は直ちに撤退せよ。」
以上を大隊長に報告すべし。

丹羽氏は連絡要員に選抜されている。




※岡部隊からの連絡下士官は、岡部隊長が後方で撤退命令が出ているのを確認し陣に埋めた軍旗を取りに戻った際、稲垣大隊へ派遣されたと思われます。
とすると・・・
岡部隊一時後退は稲垣大隊に知らされていなかった事となりますが・・・
現実はどうであったか・・・他の資料の確認が必要です。

つづく

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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
石坂准尉の八年戦争さまと相互リンクさせて戴きました。

平成24年8月18日(土)より9月1日(土) 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
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