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作文 従軍慰安婦・慶子
二十四日の 西山日誌 完
十四日以降の 若林日誌絶筆後の第十中隊の記録 完
十六日以降の 亀岡日誌 完
ギフ高地予備陣地からの脱出記録 → こちら
ギフ高地主力陣地からの脱出記録 → こちら
岡部隊の撤退記録 → こちら
二十五日の 堺台第一拠点の記録
堺台第二拠点 歩228連隊12中隊のガ島戦
二十八日の 矢野大隊の記録
二十三日の アウステン山・独山10連隊の記録
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書名 第二次大戦回顧録
著者 荻野 輝三 氏
在ガ島戦当時
舞鶴鎮守府 第四特別陸戦隊 主計長
海軍主計大尉
発刊日 不明
頁数 52頁
発行所 不明
おそらく自費出版
目 次
一、陸軍より海軍へ転籍
二、ガダルカナル回顧
開戦より各地転戦終戦まで
一従軍略歴・・・27
二行動概略・・・30
1.「舞四特」主計長に補せられるまで・・・11
2.「舞四特」主計長兼分隊長拝命まで・・・13
3.「舞四特」ガダルカナル上陸・・・11
4.第三次ソロモン海戦・・・61
5.熱帯性マラリア、アメーバ赤痢猖獗・・・27
6.機銃掃射を受け重傷・・・30
7.敗色濃い戦況・・・32
8.辻参謀の打電「撤退やむなし」・・・34
9.転進直前のガ島・・・36
10.「舞四特」の転進、カミンボに集結・・・38
11.米軍来襲、駆逐艦で引き揚げ・・・40
12.ガ島よりラバウルへ・・・42
13.ラバウルよりトラック島へ・・・44
14.サイパンを経て横浜へ、大本営報告・・・47
15.舞鶴へ帰還、その後の海軍生活・・・49
ガ島陸戦に於いて海軍の記録は稀少です。
本書は舞鶴第四特別陸戦隊のガ島戦を回顧された貴重な記録となります。
著者は大学を卒業就職の後、海軍主計短期二年現役の試験を受け結果を待つことなく陸軍へ一兵卒として入隊しています。
旧満州国で苦労の連続する初年兵に海軍大臣より二年現役合格通知が届き、その日から待遇は一変、古兵が手の平を返した如く風呂では背中を流す始末。
演習にも不参加が認められ中隊長・大隊長・連隊長の官舎で連日の送別会に招かれている。
日本に帰国する際も陸軍中将の添え書きを貰い二等兵の軍服で一等車、四度の憲兵による尋問も陸軍中将の添え書きにより無事帰国、海軍主計士官への道を歩むこととなった。
著者の海軍経理学校の同期
中曾根元首相、鳩山威一郎、大村襄治、内海倫などの戦後活躍された逸材が居られた。
舞四特は昭和17年10月15日、第二師団の輸送船上陸の際、共に上陸している。
その後は第一線は陸軍、後方守備は海軍と分担されていたようです。
舞四特の守備担当地
各中隊の担当地
この地図を入手出来たことは自分にとって大きな収穫でした。
舞四特総勢約八百名のうち生きてガ島を転進出来たのは四十名との記述があります。
第一線で米軍と対峙した訳では無いのですが空からの機銃掃射、艦砲射撃、空爆が如何に激しかったかが読み取れます。
勿論、病魔に斃れた兵士も多くガ島では第一線に限らず後方に於いても死傷率の高かったことが覗えます。
ネット上に国分 虎夫氏の手記 「舞鶴鎮守府 第四特別陸戦隊の足跡」が公開されております。
本書の入手は困難を極めますが、国分氏の手記と上掲地図を併せ読むと「舞四特」のガ島戦が読み取れると思います。
どちらも海軍のガ島陸戦隊の貴重な資料と言えましょう。
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉 長谷川榮作さまのホームページ
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。
新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。
平成24年9月8日 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
○原発関連情報○
独逸天気予報より → 放射能予報
文科省発表 → 全国放射能濃度一覧
武田邦彦教授の → ブログ
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