ガダルカナル戦書籍一覧


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↓ガ島中央戦跡要図
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal

作文 従軍慰安婦・慶子
十四~十八日の 西山日誌
十四日以降 若林日誌絶筆後の第十中隊の記録 完
十二~五日の 亀岡日誌
十四~五日の アウステン山の記録
十五日~六日の 堺台第一拠点の記録
堺台第二拠点 歩228連隊12中隊のガ島戦
十六日~十七日の 矢野大隊の記録 
十六日~十七日の アウステン山・独山10連隊の記録

第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長
小川陣地亀岡隆夫中尉の日誌 昭和十八年一月十六日以降 

一月十三日以降の記録はガ島撤退後、記録されたものです。


十二~五日の亀岡日誌→ こちら

1月16日以降2月3日まで
海岸線を猛進して来る米軍を阻止するため、数度の防御戦闘を行いつつ逐次後退を続け2月3日夜に到り、初めてガ島撤退を知らされ、唯茫然とするのみであった。
撤退をもっと早く知らせておいてくれたなら、傷兵等をもっと多く連れて帰れたのにと思うとたまらぬ気持ちがしたことを覚えている。

2月3日夜半、駆逐艦五月雨に乗艦してガ島を去ったわけだ。
10月14日タサワロング(タサファロング)に上陸した時の中隊の兵力は97名、作戦間追及したもの星軍曹以下10名、計107名であった。
然るに10月14日より2月3日までの激戦につぐ激戦、病魔と飢餓による戦死・戦病死は甚だしくガ島撤退の際の中隊兵力は驚くことなかれ、僅か9名であった。


亀岡隆夫中尉の日誌は以降中隊員の戦死状況を詳細に綴られております。
ガ島撤退日を2月3日とされておりますが他の資料と整合すると2月4日が撤退日となります。

1月12日以降、戦闘が激しく亀岡中尉は日誌を綴る事が出来ず撤退後の回顧録となっているので海岸線で繰り広げられた後退しながらの防御戦闘を読み取る事が出来ません。
後退防御戦闘については他の資料より掘り下げてみたいと考えております。

↓亀岡日誌の最後に添付されていた資料
 亀岡隆夫中尉が戦後、代議士となられ1989年昭和天皇の大喪の礼で倒れ亡くなられた際、陸軍士官学校 OBの機関紙に掲載された追悼文
ガダルカナル Guadalcanal

ガダルカナル Guadalcanal

自分が注目した記述は二頁二行目より始まる
ガ島では、同じく私が担任した51期の勝股治郎君と向かい合って大隊長代理を交代した由である。
の部分です。

歩兵第二十九連隊第11中隊長・勝股治郎大尉が歩兵第16連隊で大隊長職を勤められていた事実は先月16日に冥府へ旅立たれた歩16の最後の戦友会長・長谷川榮作様より口伝で御教示戴いた事実と合致します。
他の資料からは読み取る事が出来ずに居たのですが、この追悼文により確認が取れた事となりました。

戦後、代議士となられてからも遺骨収集事業にご尽力された亀岡隆夫(高夫)さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます 合掌

追記
余談ではありますが追悼文に記述されている「ビルマ戦で戦傷され子供を作れなくなった体になり養子をもらった」とあるご遺族の「好青年」は福島一区の代議士亀岡偉民氏です。

ガダルカナル Guadalcanal
自分の所在地と選挙区は違いますが、陰ながら応援申し上げております。
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
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お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
石坂准尉の八年戦争さまと相互リンクさせて戴きました。

平成24年8月18日(土)より9月1日(土) 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
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