ガダルカナル戦書籍一覧


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↓ガ島中央戦跡要図
ガダルカナル Guadalcanal


作文 従軍慰安婦・慶子
十四~十八日の 西山日誌
十四日以降 若林日誌絶筆後の第十中隊の記録 完
十二~五日の 亀岡日誌
十四~五日の アウステン山の記録
十四日の 堺台第一拠点の記録
堺台第二拠点 歩228連隊12中隊のガ島戦
十日~十五日 矢野大隊の記録 

十五日の第一・二拠点の状況

第一大隊 早川大隊本部
各隊からの現況報告を受け、早川大隊長は独自の判断をもって各中隊に第一大隊本部への陣地転換命令を発するも各陣地とも包囲孤立していた。
一中隊への伝令 岸田宗一兵長(一中)敵の重囲に阻まれ本部に引き返す。(既に一中隊玉砕)
三中隊への伝令 鈴木曹長 戦死
四中隊への伝令 内山軍曹 戦死
その後数日をかけ各中隊の生存者との連絡を取る努力がはらわれた。

第一中隊 大舛隊
報告の命を受け唯一第二拠点の一中隊陣地より安田曹長は三日間を要し本部へ到達、一中隊玉砕の状況を早川大隊長へ報告。
安田曹長の他、一中隊の生存者は大隊本部で戦傷の回復を待つ傷病者と連絡要員のみとなった。

第二中隊 室田隊(予備隊)
十五日15:00
三田伍長・杉浦上等兵は大隊長の「第一拠点は大隊本部位置へ陣地転換せよ」の命を伝達すべく第一拠点へと向かう。
三・四中隊員の命運が掛かる連絡である。
同日22:00敵の間隙より侵入、翌朝無事拠点に到着命令伝達、三中隊小崎大尉の要請により本部までの撤退経路を先導十七日08:00本部位置まで三・四中隊員は本部に到着した。


第三中隊 小崎隊 小崎大尉の記録
十五日敵包囲の中、犠牲者は続出し緊迫の度は高まる。
二小隊の横地伍長は大隊本部へ現況報告・弾薬と糧秣の受領を果たさんと本部派遣を小崎中隊長に進言している。
小崎中隊長は横地伍長を見殺しに出来ずとこの進言を却下するもその後二度「是非行かせてくれ」との言葉に心を動かされ通信紙に連絡事項走り書きし横地伍長を送り出している。
十六日10:00大隊より派遣された第三次連絡斥候三田伍長が奇跡の到着、大隊命令が届く。
二ヶ月に亘り死守したこの拠点、多くの犠牲者の残るこの陣を今頃撤退とはと悩み四中隊長加藤大尉と相談するも加藤大尉も陣地転換にはとんでもないとの意見であった。
三田伍長
「大隊長命令です!!第一大隊は一・十二中隊とも全滅しています。ここで三・四中隊が玉砕しては一大隊は全滅です。大隊長は三・四中隊を基幹として大隊を再編し戦局を挽回する意図であります。」
と泣いて訴える。
再度加藤大尉と協議のうえ陣地変換(撤退に非ず)を決意するに至った。

第四中隊 加藤隊
大隊本部からの撤退命令に、死守を誓い合い友軍の総攻撃まではと隠偲自重多くの戦友の血が染みる第一拠点を後に、戦友相助け合い敵陣を潜り抜け、断崖を這い登り、ジャングルをくぐり大隊本部に到着したのは夜も白み始めた十七日の朝であった。

第十二中隊 小林隊
十四日敵は我陣に残存兵力ありと認め朝より猛砲撃が開始された。
包囲網もグッと狭められ、砲撃により密林は棒杭となり命中弾を受けるようになり被害が続出して来た。
十五日03:00左分哨長今井伍長より「第二師団は今暁沖川の線へ陣地転換するとの連絡を受ける。
十三日一中隊陣地を敵が浸透していく際、全く抵抗しなかったのは既に撤退していたからではないか。
五日以降何の連絡もなく判断に苦しむ。
今又二師団の陣地転換、然し二師団と共に行動を起すとしてもすぐ夜が明ける。
無謀な陣地離脱は敵の好餌となると判断し今晩まで待とうと決めた。
その日米軍の激しい攻撃に犠牲者を出しながら硝煙の立ち込める陣を後に二師団の通ったと思われる砲兵台の谷間を進むと二師団の大隊本部らしき部隊に到着、指揮官に連絡すると三八師団も転進していると聞かされた。
二師団のある主計中尉が独断で乾パンを一袋与えてくれ、二師団にしても貴重な糧秣、あの時の有り難さは今尚忘れ得ず、地獄に仏とはこのことである。
疲労困憊しながら早川大隊本部へ何とか辿り着き早川大隊長に申告。
隊長は十三日に全滅したと思っていた我々の姿を見て涙ながらに労を慰め、赤鉛筆で抹消された名簿に青鉛筆の丸をつけてくれた。

1月13日の堺台米軍侵攻図
ガダルカナル Guadalcanal

歩228第一大隊(早川大隊)第三中隊(小崎隊)
重野義夫上等兵の記録より概略

一月十五日
壕より一歩も外に出ず仰向けに寝たきりで一日を過ごす。
寝ているのではない倒れたまま起き上がるのが困難なのである。
唯こんこんと死人のように眠った。
寝ている間に戦闘があったかも知れない。
周囲はこの世の生き物が死に絶えたかのように静まり返っている。
いや堺台第一拠点の兵隊は皆殺しにされ俺一人見落とされ助かったのかも知れない。
たとえ置き去りになったとしても皆について行ける体力の自信がない。
すっかり弱気になる。
 
十六日
死期が近づくとこうなるのか、過去の記憶、現在の自分の居る場所、何をしているのか意識すらなく、肉体の感覚が薄らいで行く。
もうだめだ、無性に眠くこのまま死んで行くのかも知れない。
十四時、稜線上に米兵の喚き声と銃声が聞こえる。
死の境をさまよっていた私は再び現世へ呼び出されたかのようだ。

壕の外より「重野上等兵撤退だ、擲弾筒を分解放棄して指揮所前に集合」の声
馬鹿正直に擲弾筒を握り壕外で分解にかかる。
脇田、飛田、伴の三人は一点を凝視し座り込んだまま動かない。
生きる屍のようだ。
連れて退けば助かる。
助かる者を見殺しにするしかやむをえない。
誰しも自分一人のことで精一杯だ。

私は三人に「行くんだ」と声をかけるが無言のままで、置き去りにされるという意識を失っているのだ。
しばし互いに凝視しあう。
もうこれ以上待てない。
私自身、置き去りにでもされたら餓死か明日にでも敵に殺戮されるだろう。
「後から迎えに来る」と言葉を遺し指揮所へ向かう。
既に指揮所には人影は無く北方三十米の密林に四中隊最後尾の兵隊が今まさに没せんとしている。
あと二・三分遅れていたら私自身置き去りにされるところだった。


現在のガ島上空から見た布陣図
重野上等兵の三中隊の現在地は第一拠点

ガダルカナル Guadalcanal



置き去りにされる兵士、連れて行きたくとも連れて行けなく止むを得ず置き去りにする兵・・・

歩16の長谷川さまも同じ体験され語られている。
「投降ビラにあるように米軍が紳士的であるなら」と祈りつつ少ない糧秣を壕に残し陣に残した兵士が居たと。
幸いにもその兵士は敗戦後幅員されたが、数少ない幸運な例だと思われます。

陣に残され、陣に眠る兵士の御霊に心よりご冥福を祈りつつ・・・合掌

つづく
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



平成24年9月8日 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
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○原発関連情報○

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文科省発表 → 全国放射能濃度一覧

武田邦彦教授の → ブログ




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