野口悠紀雄著「経済危機のルーツ モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか」
思ったより昔に書かれた本でした。
インターネットで本を買うと、しばしばこういうことが起きるのが難点です。
しかしこの本は、70年代に作られた現在の世界経済の仕組みや80年代に大きく転換した経済の基本理念、90年代以降に起きたIT革命や金融技術革命の本質、リーマンショック前の未曾有のバブルとその崩壊の仕組など詳しく解説されており、なるほどと思えることが多数。
日本経済がなぜ失われた20年と言われる長い経済低迷に落ち込んでいるか、さすが野口悠紀雄、かなり専門的に解説しており、未来を知るために歴史を振り返るにはかなり良い本です。
それにしても日本の未来は暗い…。
以下抜粋。
西ドイツでも日本でも、戦災によって戦前からの工場の多くが失われた。しかしそのために、新しい技術体系にあった新しい工場を造ることができた。技術が大きく変化した世界では、生産性向上のために、そのほうがかえって望ましかったのだ。それに対して、イギリスやアメリカの工場は戦災を免れたが、そのことが戦前の古い技術体系からの脱却に対しては障害になった。したがって、生産性の向上日本や西ドイツほどには急速に進まなかった。こうして、誠に皮肉なことに、敗戦国のほうが生産性を向上させることができたのだ。
70年代までのコンピュータシステムは、メインフレームコンピュータを中心とする集中型のものだった。
このため、経済システムにおいても中央集権型が有利だった。ソ連式の計画・指令経済が、50年代、60年代を通じて、軍事以外の分野においても優れたパフォーマンスを示したのは偶然ではない。それは情報処理システムの特性がもたらした必然の結果だったのである。
ところが、70年代に、コンピュータの技術が大きく変化し始めたのである。まず70年代初めに、プログラム電卓が登場した。そしてパーソナルコンピュータが、70年代から80年代にかけて発展した。こうしためざましい発展に、社会主義圏はまったく追随できなかった。80年代後半になっても、PCは、教育機関や研究所でごく限定的に用いられるにすぎなかったのである。
仮に生産面における非効率性がなかったとしても、全体主義的・集権的政治システムは、分散的な情報処理システムには進めなかったはずである。なぜなら、全体主義と新しい情報処理技術は、本質的に矛盾するものだからだ。
社会主義国家では、最も簡単なPCでも、個人が所有することはまったく考えられなかった。ソ連の指導者たちは、「パーソナルなコンピュータは国家の安全を脅かす」と考えており、その使用を妨げようとしたのである。
全体主義的・集権的体制は、新しい情報技術の下では効率が下がるだけでなく、生き延びることすらできない。社会主義国家の崩壊は情報技術の転換とほぼ同時期に起こっているのだが、これは偶然ではなく、必然だった。
企業が従業員の共同体的な存在になっていること、自動車産業が強いことなどを見ても、日本とドイツは実によく似ている。そして70年代に破竹の勢いで世界経済を制覇するかに思われたが、どちらも駄目になったという点でも同じだ。
これは、日本・ドイツ的な産業構造を持つ国の特性だ。90年代に日本とドイツが没落したのは、歴史の必然と言ってよい。
日本もドイツも、中国が事実上の鎖国を続けて工業化しなかった70年代までは、世界経済の中で高い地位を占めることができた。その意味で、日本もドイツも冷戦によって大きな利益を受けたのである。
中国の工業化によって、世界的な分業体制の基本条件は大きく変わった。中国と同じことをやっている国が没落し、中国ではできないことに転換した国が成長したのである。これは国際分業の立場から見て、当然のことである。
日本の実質純輸出は、長い間GDPの1%程度だったが、02年以降顕著に上昇し、07年度には5%に達した。これによって、02年度に507兆円であった実質GDPが、07年度に約563兆円になった。つまり10%超増加した。これが02年以降の景気回復である。
これは、「外需依存の景気回復」と言われる。日本の貿易依存度は、もともとそれほど高くない。高度経済成長は外需依存で実現したと考えている人が多いが、そうではなかった。高度成長の最も大きな牽引力は、国内の設備投資だったのである。外需依存で経済成長が生じたのは、02年から07年にかけての特殊事情だ。
輸出の増大によって企業収益が増大し、また株価が上昇した。これは配当やキャピタルゲインなどの資産所得を増大させた。その半面で、賃金は低下した。国際市場で、中国などの低賃金国と競争しなければならないからだ。
雇用形態でいえば、正規雇用がほとんど増加せず、非正規雇用が増加した。正規雇用者は80年代の中頃には3300万人程度であったが、最近でも3400万人程度と、ほぼ同水準である。これに対して非正規雇用者は、80年代の中頃には600万人程度であったが、08年の秋には約1800万人にまで増加した。
賃金が上昇しないので、景気回復の実感はほとんどなかった。この間に格差が拡大したと言われたが、それは賃金が上昇せず、その半面で高所得者の所得である資産所得が増大したからだ。これは、外需依存経済成長がもたらした必然の結果だった。
金融危機を起こしたのが金融立国モデル側にあったことは間違いないが、影響はそこにとどまらず、製造業中心国に及んだのだ。
どちらの受けた影響が、より深刻だったろうか。経済成長率の落ち込みで見る限り、影響が深刻だったのは、むしろ製造業立国の側である。
金融危機が金融部門から生じたにもかかわらず、そのような結果となるのは、何故だろうか?それは世界経済が貿易によって密接に結びついているからだ。
金融業中心国で危機が生じると、輸入が減少する。それは、製造業中心国の輸出を減少させる。これが製造業の生産を激減させ、GDPの激しい落ち込みをもたらす。
このような影響は08年以降の日本に極めて顕著に生じたが、ヨーロッパの工業国においても、似たようなことが生じたのだ。
日本経済は、1990年代以降長期にわたる停滞を続けている。日本、中国、アメリカ3国の90年代以降のGDPの推移には、大きな差がある。農業社会から工業社会に変貌しつつある中国の成長がとびぬけて高いのは当然のことであるが、アメリカのGDPも、90年から2008年の間に約2.5倍増加したことに注意が必要だ。それに対して日本のGDPは、1.1倍にしかなっていない。95年以降は、誤差の範囲でしか変化していないのである。しばしば「日本の失われた20年」と言われるが、事実そのとおりのことが起こったのである。しかも、それは日本に特有の現象であって、世界は
この間に大きく変化したのだ。
なぜこのような事態が生じてしまったのだろうか。その原因は、80年代後半のバブルが崩壊した影響でもないし、高齢化・少子化でもない。また、よく言われるようにデフレでもない。基本的な原因は、90年代以降の世界経済の大変化に、日本が対応できなかったことである。
第一に、冷戦終結と中国工業化という大変化が生じた。これは、経済的な観点からすれば、製造業の労働力が急増したのと同じことであり、製造業を中心的な産業とする日本経済に本質的な影響を与えた。しかし、日本はこれに対応できなかった。
第二に、金融とITの面で、大きな変革が生じた。ITは新しい産業革命と言えるほどの大きな変化を経済活動にもたらしたが、日本は対応できなかった。ITは個々の産業に限定されない一般的な技術であり、それに対応できないのは、電気の時代に蒸気機関に固執するようなものである。また、80年代以降進展した新しい金融技術も、アメリカやイギリスの経済活動を一変させた。しかし、これを受け入れることについても、日本は否定的な態度を取り続けた。
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