一流のスポーツ選手だから、一流のダンサーだから、一流の技の使い手だから姿勢がいい。
この道を志したとき、当然のように思い込んでいた。
ほどなくして、そのことが違うということに気づくのだが何を目標に姿勢つくりを目指せばよいのか、本当に困った。
猫背を治したいという程度の姿勢作りなら、猫背にならないように意識をすればよいこと。
健康のための姿勢作りなら、健康を害さない程度に姿勢を意識すればよいこと。
そもそも、姿勢とはどういうことなのか考えるようになった。
まだ、長男が伝い歩きを始め、一人立ちをして歩き始めたころ、何とも言えない絶妙なバランスを取る姿に感動した。
歩き始めたばかりの幼子を見て、誰も姿勢がいいねとは言わないだろう。
意識をして姿勢を正していると姿勢がいいねといわれる。
この差は何だろう。
無意識、自然、ありのままの人の立ち姿というところか。
姿勢には、からだの構え方と心構え、外観と内観の意味がある。
歩き始めたばかりの幼子の外観姿勢はありのままの人の立ち姿、内観姿勢は汚れなく素直な心の姿という印象だ。
クラシックバレエのレッスンでは、幼いころから地道に姿勢つくりを重ねる。
一流のバレリーナに成長してもなお、自分の姿勢がパーフェクトだといえないだろう。
知れば知るほど、姿勢とは奥深いものだということがわかる。
つまり、姿勢を目指すということは、人の自然を目指すことなのだと考える。
人間の骨格構造を理解する、人間の運動を理解する、人間と自然を理解する。
もう、幼子のあの頃に戻ってその感覚を味わうより他ないのか。
などと、思いめぐらせているととても果てしないもののように感じてしまう。
それを浪漫というのだろう。
私は中途半端な姿勢だ。
外も内も...。
だが、私には計画がある。
まずは姿勢を正す。
姿勢を正すというのは、骨格構造を立て直すということ。
型がどのようなものなのか、そして型をつくる。
その構造から運動を体感しやわらかいということ
を知る。
そのあとは...。
種を植えて自給自足でもするのか?
姿勢は良く見えても、悪く見えても正解ではない。
姿勢がいいということを実感したい。