エゴのお話 | こめじるしるーむ

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そんなこんなで、17回目の今回は「エゴ」のお話だ。




エゴ、エゴって言われているが、エゴってなんだろうな。


そんなこんなでエゴってやつを、相も変わらずwikipedia先生に聞いてきたぜ!







エゴ

自我(エゴ)という概念は「意識と前意識、それに無意識的防衛を含む心の構造」を指す言葉として明確化された。

自我(エゴ)は意識とは異なるもので、飽くまでも心の機能や構造から定義された概念である。
有名なフロイトの格言としては「自我はそれ自体、意識されない」という発言がある。
自我の大部分は機能や構造によって把握されており、
自我が最も頻繁に行う活動の一つとして防衛が挙げられるが、
この防衛は人間にとってほとんどが無意識的である。
よって「自我=意識」と考えるのには注意しなくてはならない。


引用:wikipedia



エゴを唱えたのもフロイト大先生だ!!


此処に書いてある事を纏めると、自我(エゴ)は自分を守るためにあるもの…って事になるな。

この他に、自我には「エス(イド)」と「スーパーエゴ」ってやつが存在するそうだ。


エス(イド)はざっくり説明すると、今までの経験が沢山つまった潜在意識(無意識)や欲求の事で、

スーパーエゴはルールや道徳観、良心、禁止などを保有している、エスとエゴのかけ橋をしている部分らしいぜ。


そしてエゴに防御を命令しているのが、このスーパーエゴらしい。




例≫


ラーメン 夜中に猛烈にラーメンが食べたくなった。

(食べたいという本能→エスの働き)


ばつ だがしかし夜中にラーメンなんか食べたら胃がもたれそうだし、なにより太るぜ。

(常識などを考えて、まったをかける働き→スーパーエゴの働き)


うーん どうしようかな・・・

(欲求(エス)か理性の判断(スーパーエゴ)どちらを選ぶのか→エゴの仕事)







スピリチュアルがきっかけでもええんちゃうかな?


ブロック解除と同じくらいよく言われているのが、「エゴを手放す」ってもんだと思う。

スピリチュアルな言葉を見ていると、エゴがもの凄い嫌われ者のようになってるよな…

上の説明を見ている限り「エゴ」は特別に悪い奴でもないような気もするぜ。



だが、自分勝手なやつの事をエゴイストって呼ぶしな。

何となく、エゴって言葉があんまり良くないイメージを持っている事は確かだな。




日常的に使われているエゴを俺的にいうと、

ウルトラ級に我がまま人間って事かと思ってるんだがどうだろう。




自分の事しか考えない。自分さえよければそれで良い爆弾!!




この考えは、ワンネスの重要性を唱えるスピリチュアルな教えにおいてはかなり邪魔な思考だな。

それなら手放せっていってる意味がよく分かるぜ。




あともう一つ、それは頭の中にいる自己中心的な考えをする自分って考えもあるな。



とりあえず「自分が得をする事」のみを選択しようとする働きだ。

その「得」の部分も独特だと思う。



例≫


【疑問】

進路どうしようかなー


【心の中】

A 子供のころからの夢だったミュージシャンになりたい!

B やはり大学を出て普通に就職した方が将来的にも安全だ。


【頭の中】

私の夢はミュージシャンだけど、世間の常識では会社員がやっぱりいいわよね。

私が会社員になった方が両親も安心するしね。

未練は残るけど、やっぱり普通に生きる事を選択しよう!そうした方が冷たい目で見られないし!!




りんーご 例の最後の頭の中をフロイト先生の用語を借りて詳しく見ていくぜ。


【私の夢はミュージシャン】だけど、【世間の常識では会社員】が、やっぱりいいわよね。


→エスとスーパーエゴの戦いだな。

そして「スーパーエゴ」の方を選択した下線部のエゴの働き。

エゴは基本的に自分を守るものだ。ここでは、「世間の風」から自分を守ったってのが見てとれるな。


私が会社員になった方が両親も安心するしね。


→スーパーエゴは別名「親の置き土産」 親を悲しませてはいけないという道徳が働いたんだな。

親を安心させるのが子供の仕事だと漠然と学んだのかもしれない。


【未練は残る】けど、やっぱり【普通に生きる事】を選択しよう!そうした方が冷たい目で見られないし!!


→エスには抑え込まれた欲求が残るが、スーパーエゴの「世間の常識」攻撃で結局、欲求を押し殺す行動をとってしまう。

最終的なエゴの判断は、やはり「自分が世間から冷たく見られない」方法をとっている。






スピリチュアルがきっかけでもええんちゃうかな?


本当にしたい事をないがしろにして、社会の常識を選択してきた人はとても多いと思う。

そして「そうしなければ生活していけない」という思い込みが一般常識化している。


したい事をして生活できる人は選ばれた人で、ほとんどの人はしたい事をせずに、したくない仕事をして苦しい思いをして生きていくもの。


こんな常識が何故か社会に溢れている。


本当は嫌なのに、本当はあれがしたかったのに。

ああ、私の人生は窮屈だ。私の人生には自由が無い。


たぶん、こんなセリフは沢山すぎるぐらい聞いてきたと思うぜ。


窮屈や、自由がないと思うのは「したい事」が自分の中に押し込まれているからだな。

解消しきれなかった「欲求」を上手く昇華していけたらいいが、昇華も難しいとこれまた常識的に言われている。

そして俺達にとって絶対的な存在である常識(社会の思い込み)に従う…



この常識はいつから産まれたんだろうな。



本当は誰だってしたい事して生きていきたいはずだぜ。

じゃないと、こんなにも 「生きにくい」 という人が増える筈がないんだから。



生きにくいと思うのなら、自分から行動をしなきゃいけないっていわれているよな。

そう言われると「いきなりしたい事をしろ」と言われているように捉えてしまうかもしれないが、

いきなりそれはつらいと思うから、とりあえずこの常識(社会の思い込み)を頭から外事から初めて見たらどうかな?



悪 常識バイバイ!うえーーーい!

ヤンキー 好き放題するぜ!犯罪もやりたいほうだい~~~~!!!!



常識を外すってそういう事じゃないぜ。

犯罪や他人に迷惑をかける行為は道徳を失っているんだ。道徳はもっとこうぜ。





多分その道を選んだのは、 「自分を何かから守るため」 だったと思う。



それは世間から冷たい目を向けられたくないからの選択だったかもしれない。

それは両親からの圧力から逃げるための選択だったかもしれない。

それは友人たちとの間に距離を作りたくない為の選択だったかもしれない。

それは自尊心を守るための選択だったかもしれない。



そういった選択は必ず最初に守るものに 「自分」 が入る。

どうやったら、どういう選択をしたら 社会からはみ出さない自分ができるか それを考えてしまう。



これを「自己中心的な考えをする自分」って俺は呼んでいる。






スピリチュアルがきっかけでもええんちゃうかな?



常識は、知ってて当たり前、やってて当たり前、もってて当たり前、経験していて当たり前…etc

と、いう言葉を生み出す。


だが「あたりまえ」なんて事は何一つない。




人はこの常識から自分が外れるのを恐れるもんだ。


だから、毎日嫌いな仕事をしてでも「常識的に考えて良いという方」を選択している。

好きでもない男と結婚しても「常識的に考えて結婚している方が幸せだ」という思いで自分の自尊心を保つ。


だがその選択は 多くの人の恐怖から産まれた思い込み を物差しにしているにすぎない。

大事な自分を捨ててまで、そんな恐怖にしがみつく必要は無い!…と、俺は思うぜ。





人にはそれぞれのリズムがあるんだ。


他人と比べたって、他人の真似したって、たぶん自分の「エス(欲求)」は満たされないはずだ。






自分を満たすために、自分であろうぜ。


















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