「どうしたの?」
いつもと違う悟の様子に、カレンが心配そうな顔を寄せた。
「なあ、カレン」
悟の声は、暗い響きを帯びている。
「裏切者は、許さへんのやろ」
「そうよ」
戸惑の表情を浮かべながらも、カレンはきっぱりと答えた。
「なら、ヒューストンも、許さへんつもりやんな」
「何が言いたいの? 言いたいことがあるのだったら、はっきりと言ってくれない」
悟の回りくどい言い方に、カレンからは戸惑いが消え、苛立った顔つきになっている。
「なら、はっきり言うわ。どうせ、ヒューストンも殺すんやろ。俺、もう、人が死ぬのは見とうないねん。東京に来てから、何人、俺の目の前で死んでいったんや。俺、もうこんなことはうんざりや」
カレンを見る悟の顔は、これまでに見たことのない苦悩が浮かんでいる。
「わたしを、裏切る気?」
カレンの形相が変わった。
殺気を帯びた眼で、悟を睨む。
「何で、そんな話になるんや。俺は、ただこれ以上、人が死ぬのを見とうないと言うてるだけやないか」
「今更、何を言ってるのよ! あなたは、わたしの夫でしょ」
「まあ、待て、カレン」
カレンが尚も尚も言い募ろうとしたとき、スコットが割って入った。
「いいか、カレン。サトルは民間人なんだぞ。ここまで耐えてきたこと自体が、凄いことなんだ。よく、これまで正気を保ってこれたもんだと思うよ」
「私と一緒に居るのだったら、これくらい、慣れてもらわないとね」
宥めようとするスコットを、カレンはにべもなく撥ねつける。
悟は、カレンの顔を見ようともせず、俯いて唇を噛みしめている。
「そうは言うが、これ以上は酷というものだ。どうだろう、今回はサトルを置いていった方がいいと思うんだが?」
カレンが、宙を睨んだ。
暫くそうやっていたが、やがて、肩の力が抜けたように、ため息を漏らした。
スコットに向けた顔は、穏やかになっている。
「確かに、東京へ来てから、気の休まる暇もなかったし、サトルも精神的に参っているのかもね」
「参らないほうがおかしいんだよ」
「そうね」
カレンが、寂しげな笑みを浮かべる。
「でも、そうなると、誰がサトルを守るというの?」
いつもの悟なら、このようなカレンの言葉を聞けば、自分の心を殺してでもカレンに従うのだが、今回はいつもと違う。
何も言わず、俯いたままだ。
「私が、付いていよう」
俯く悟を見ながら、スコットが力強く言った。
「あなたが? わかった。今回は私一人で行くわ」
カレンが、寂しげな表情で悟を見る。
「ごめんな」
ぶっきらぼうに悟が謝る。
これまでカレンに対して、悟がここまで逆らったこともなければ、冷たい態度を取ったこともない。
多少の文句は言っても、いつもカレンの好きなようにさせてきた。
確かに、カレンと出会ったとき以上に、今回は多くの人が死んでいる。
だが、カレンと一緒にいればいつかはこうなることは、悟には十分わかっていたはずだ。
「いいわ、私も少し言い過ぎたし。サトルは、スコットと一緒に待ってて」
カレンが、無理に作った笑顔を悟に向けた。
悟は、それに応えることなく、静かに頷くのみだった。
そして、また俯く。
「ヒューストンの居場所はわかっているな」
「ええ」
俯く悟を見ながら、カレンが心ここにあらずといった様子で答える。
「ことが片付いたら、連絡をくれ。私は、悟と一緒に待っているよ」
「わかった」
カレンはもう一度悟を見ると、吹っ切るように背を向けた。
そんなカレンを見ようともせず、俯いたままの悟の肩に、スコットの手が置かれた。
「私たちも、行こうか」
優しく言うスコットの言葉が、悟には悪魔の囁きに聞こえたが、そんなことはおくびにも出さず、悟は黙って頷いた。
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