G線上のアリア | 牧歌組合~45歳からの海外ミュージシャン生活:世界ツアーに向けて~

G線上のアリア


G線上のアリア100%


映画1

転校生


映画2

セブン


映画3

NEON GENESIS EVANGELION - DEATH (TRUE) 2 : Air / まごころを君に

【このコンテンツは批評目的により、バッハ氏の楽曲「G線上のアリア」の引用が含まれています。音楽の著作権は著作権者に帰するものです。また、個人的耳コピのため音楽的には間違った解釈である可能性もありますが、故意に著作権者の音楽の価値を低めようとするものではありません。著作権者の権利、音楽の美学を侵害した場合いかなる修正・削除要請にも応じます】


 「この曲がかかると必ず涙が出る曲」ってないだろうか? 僕はバッハの「G線上のアリア」がソレだ。バッハ(J.S.Bach)が管弦楽組曲第3番のために書き下ろし、名ヴァイオリニスト、A. ヴィルヘルミがヴァイオリンのG線一本で演奏できるようにアレンジしたこの曲を、僕はコントラバスの弓の練習曲としてきた。約15年間。ベースのG弦一本で歌う。出だしのEの音が難しい。そぉっと、入らなきゃならない。なかなかクリアで綺麗な音にならない。心を静め、音に対してもっと集中しないと、いい音が出ない。人間の精神世界にまで深く入ってくる音楽。それが、G線上のアリア。この曲は僕と一体になっている。


 特に、映画で効果的に使われると、もう駄目だ。涙が止まらない。大林宣彦監督「転校生」(映画1)。尾道御袖神社の階段で性が入れ替わった一美(尾美としのり)と一夫(小林聡美)。もう、その生活に耐え切れなくなり、2人は、駅前桟橋から、瀬戸田行きフェリーに乗り込む。お先真っ暗、行く宛てのないの2人と、社員旅行の下衆なおとなたち。生口島を抜けていくフェリーを夕日が包む。流れるG線上のアリア。号泣。


 連続して起こる猟奇事件。引退間際のベテラン刑事サマセット(モーガン・フリーマン)は、事件のコンテクストにダンテ「神曲」を読み取る。その裏づけのために訪れる図書館で、流れるG線上のアリア。しっとりと泣ける「セヴン(Seven)」(映画2)。神との出会いは人それぞれであり、その神も千差万別。


 新世紀エヴァンゲリオン(映画3)。再起したパイロット、アスカ・ラングレー(宮村優子)は、自分の過去と、使徒と、壮絶な闘いを繰り広げる。少女アスカの繊細な葛藤を、悩みを、血を、優しく包むG線上のアリア。もうダメ、号泣した。


 そう、超越的な美的な何か、なのだ、G線上のアリアは。

 完璧な螺旋構造を描く、コード進行の美学に浸ろう。進行中もっとも美しく、滑らかである完全4度上昇ループが描かれている。4小節ずつ見ていこう。テンションは省略。【B】パートは特定のリズムに縛られておらず、自由なテンポでの演奏が可能。様様な解釈があるようだが、ここでは一般的なもの(ゆったりめ)にしました。テンポが自由だから、「エア(Air)」という曲名らしい。


【A】

|Ⅰ-ⅠM7/Ⅶ|Ⅰ6/Ⅵ-Ⅰ/Ⅴ|Ⅳ-#Ⅳdim|Ⅴ-Ⅴ7|

 単純化すると、Ⅰ-Ⅳ-Ⅴ7に過ぎない参照 )。1~2小節目は本当はトニックだけのワンコードだが、ベースラインを「ド→シ→ラ→ソ」と下降するクリシェ(参照 )を用いている。3小節目、#Ⅳdimの挿入は、ツーファイヴⅡm7b9の#Ⅳdim代理による潤滑化パターン(参照 )。


|Ⅲm7|Ⅵ7|Ⅱm-Ⅱm7|Ⅴ7|



 トニックⅢm7から始まり、完全4度上昇してトニックへ戻る。


|Ⅰ-ⅠM7/Ⅶ|Ⅰ6/Ⅵ-Ⅵm7|Ⅴ7|Ⅴ7|

 冒頭と同じくクリシェ、Ⅵm7に代理してからドミナントへ、そして【A】パート冒頭に戻り、繰り返す。


【B】

|Ⅴ7-Ⅴ7/Ⅳ|Ⅲm7-Ⅲm7/Ⅱ|Ⅵ7|Ⅱm7|

 ドミナント→トニック(Ⅲm7)、4度上昇したⅥをドッペルドミナント(参照 )として、また完全4度上昇。


|Ⅲ7|Ⅲ7|Ⅵm7-Ⅲ7|Ⅵm7|

 このⅢ7もⅥmへ繋がるドッペルドミナント。



|#Ⅳdim|Ⅱ7|Ⅴ7-Ⅰ|Ⅴ7|

 前小節Ⅵm7から、Ⅱm7b9代理#Ⅳdimを挿入しつつ完全4度上昇を繰り返し、ドミナントへ。


|Ⅰ7-Ⅳ|Ⅱ7-Ⅴ7|♭Ⅵdim-Ⅵ7|Ⅱm7|

 トニックに戻るが、Ⅰ7はⅣのドッペル・ドミナント。2小節目はツーファイヴ、3小節目♭ⅥdimはⅤからの短2度上昇でかつ、Ⅲm7b9代理で、Ⅵ7へ、その先(Ⅱm7)も完全4度上昇。そのまた先も。




|Ⅴ7|Ⅰ|Ⅰ7|ⅥM7|

 完全4度上昇。いよいよクライマックス。前半下降していたラインが今一気に上昇、解放への階段を上る。


|Ⅱm7|Ⅴ7|Ⅰ-Ⅴ7|Ⅰ|

 サブドミナント代理でⅡm7になりツーファイヴ、解決、昇天。


 


 僕らは決して、崇高な世界に生きているわけではない。物理的にも、精神的にも。だからこそ、思わぬ場所/時に、崇高な精神に出会うと、驚きのあまり涙を流し、贖罪する。デパートのトイレ内で用を足しているとき、有線放送から流れたアリアに。あたかもO.ヘンリの短編、ホーボーが出会う教会のオルガンの音のように。


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ショーシャンクの空に  

キューティーハニー  


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