菊池寛『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』 | 文学どうでしょう

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藤十郎の恋・恩讐の彼方に (新潮文庫)/菊池 寛

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菊池寛『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』(新潮文庫)を読みました。

いやあ面白かったです。参りました。菊池寛すごく面白いです! 素晴らしい短編集ですよ、これは。興奮、感動、感涙ものです。単純に面白さだけでいうと、ずば抜けたものがあると思います。おすすめですよ。

歴史小説の領域のものがわりと多いんですが、どの話も明確なテーマを持っているので、歴史的な背景をあまり意識せずに現代小説のようにすらすら読むことができます。

現在、純文学とエンタメのどちらが読まれているかと言えば、圧倒的にエンタメの方だろうと思います。その理由は明らかで、エンタメの方が読みやすく、分かりやすく、面白いからですよね。

ですが、それが日本文学史の中の話になると、不思議と逆転現象が起こります。難解で読者を選ぶようなものが好まれる一方で、通俗小説や大衆文学など、読みやすく、分かりやすく、面白いものは軽視されがちなんですね。

深い思想が組み込まれたり、描写や文体が素晴らしかったり、単純な面白さでは計れないような、文学作品ならではのよさというのはもちろんあります。

ですが、読書に面白さを求めている人は、騙されたと思ってぜひ菊池寛を読んでみてください。短編も戯曲も長編もそれぞれに面白いです。今回いくつか読み直してみて、ぼくのとても好きな作家になりました。

ところで、O・ヘンリーというアメリカの短編小説作家がいます。このブログでも以前、『1ドルの価値/賢者の贈り物 他21編』を紹介しましたよね。

1ドルの価値/賢者の贈り物 他21編 (光文社古典新訳文庫)/O・ヘンリー

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O・ヘンリーの短編は、ハートウォーミングなテーマと斬新なオチを持つ、抜群に面白いものです。ぼくのとても好きな作家なんですが、非常に好かれる一方で、その物語性の強さが嫌われたり、否定されることもよくある作家です。

斬新なオチがあるということはつまり、「現実には起こりえないこと」をハートウォーミングなテーマに沿って、無理矢理描いているという側面もあるわけです。

「よくできすぎている」という批判がされうるわけですね。そしてその批判はそのまま菊池寛の短編にも当てはまります。

普通、短編小説というのは、なにしろその特徴としては「短さ」というのがありますから、ストーリーではなく、感覚的な表現や文章の美しさが光るものです。

それはたとえていえば粉雪のようなもので、美しく繊細であればあるほど、手のひらの上に触れた瞬間に消えてしまうような、淡い印象があります。もちろん、それはそれで一つの魅力ではありますが。

一方で、O・ヘンリーや菊池寛の短編というのは、ぎゅっと拳を握って、そっと手を開くと、手のひらの上になにかが残っているような短編なんです。あたたかく、感動的な、物語の核のようなものがしっかり残ります。

よくできすぎていて、通俗ではあるかもしれませんが、それだけにぐっとくるというか、感動しやすいんですね。とにかく面白い短編です。

さて、この辺りから『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』の内容に入っていきますね。

『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』には、「恩を返す話」「忠直卿行状記」「恩讐の彼方に」「藤十郎の恋」「ある恋の話」「極楽」「形」「蘭学事始」「入れ札」「俊寛」の10編が収録されています。

まず「恩讐の彼方に」と「藤十郎の恋」について先に触れておこうと思いますが、この2作品は戯曲のバージョンが、戯曲集『父帰る・屋上の狂人』に収録されていました。

戯曲と短編を比較すると、最も大きく違うのは情報量の差です。どちらの方が情報量が多いかというと、短編の方です。

実際に舞台で観るとなると話は別ですが、文字媒体として比較すると、「恩讐の彼方に」では市九郎の目の前に立ちはだかる壁の圧倒的な存在感が、「藤十郎の恋」では藤十郎の心理描写の点で戯曲よりも短編の方が優れているように思います。

作品のあらすじ


「恩を返す話」

島原の乱が起こります。キリスト教を信じる農民たちが反乱を起こしたんですね。大名に仕える神山甚兵衛は、戦いに出て反乱軍と戦います。

戦いの最中、甚兵衛は危ない所を若武者に助けられます。若武者は「惣八郎、助太刀を致した」(12ページ)と言います。それは、同じ大名に仕える佐原惣八郎でした。

甚兵衛と惣八郎は犬猿の仲というわけでもないんですが、いわゆるライバルです。同門で学び、大事な試合で負けたことがあるので、甚兵衛はいつか借りを返してやろうと思っていました。

それだけに、甚兵衛は惣八郎にだけには恩を受けたくないんです。惣八郎が全然恩着せがましくないのにも腹が立ちます。「今にも、恩返をしてやると心の裡で思っていた」(15ページ)甚兵衛ですが、なかなか機会は訪れず・・・。

「忠直卿行状記」

福井の大名で、徳川家康の孫の忠直卿(松平忠直)は、戦で手柄を立てて褒められ、有頂天になります。家臣を集めて、槍術の試合をすると、誰も忠直卿に敵うものはありません。

自らを豪傑だと思い、満足する忠直卿ですが、酒宴の後で庭を散歩していると、家臣が自分の噂をしているのを耳にします。「以前ほど、勝をお譲り致すのに、骨が折れなくなったわ」(46ページ)と言って笑いあう若侍たち。

「生れて初めて、土足を以て、頭上から踏み躙られたような心持がした」(46ページ)忠直卿はブルブルと震えます。つまり、槍術の試合では殿様だからと相手はわざと負けていたわけですね。

忠直卿は自分の人生を初めて振り返ってみて、すべてのことがそうした偽りだったのではないかと思います。圧倒的な孤独感に打ちひしがれた忠直卿は・・・。

「恩讐の彼方に」

主を殺してしまい、その他にも大罪をいくつも犯した市九郎は、大きな後悔にかられ、出家して僧になります。迷いつつ旅を続ける市九郎が見つけたのは、「鎖渡し」という難所です。

絶壁があって、その絶壁にそって橋があるんですが、何人もそこから落ちて死んでいるという危険な場所です。それを見て市九郎は、「二百余間に余る絶壁を刳貫いて道を通じよう」(95ページ)と決意します。

つまり、絶壁を掘っていって、穴を開けることによって安全な道を作ろうというわけですね。みんなはあまりにも無謀だと馬鹿にします。しかし市九郎は、ただひたすらに穴を掘り続けて・・・。

「藤十郎の恋」

京都で活躍する歌舞伎の名人、坂田藤十郎。江戸から中村七三郎の歌舞伎の一座がやって来ます。藤十郎は七三郎の芸を尊敬はしているものの、自分の方が上だと自負しています。

七三郎の芸というのは「人間の真実な動作をさながらに、模している」(125ページ)ものなので、自分の方が芸の型としては完成されているというわけです。

ところがそれはある種のパターンに他ならないわけで、藤十郎は次第に自分の芸に行き詰まりを感じるようになります。やがて人妻との禁断の恋の役柄を演じることになった藤十郎は、その心理に悩んで・・・。

「ある恋の話」

〈私〉は妻の祖母から秘密の話を聞きます。祖母は早くに夫に死に別れ、幼い子供を抱えて暮らしていましたが、唯一の楽しみは芝居を観に行くこと。中でも染之助という俳優にぞっこん惚れ込んで劇場に通うようになります。

染之助の素顔を見たいと思うようになった祖母に、その機会がやって来ます。しかし・・・。

「極楽」

誰からも好かれたおかんは、寿命を終えて亡くなりました。薄暗い中をただひたすらに歩いて行きます。この道の先は極楽だろうか地獄だろうかと迷うおかんですが、ひたすら念仏を唱えながら一心不乱に先へ進みます。

たどり着いたのは、極楽でした。聞いていた通りの美しく素晴らしい世界が広がっています。蓮の台の上で先に死んでいた夫と再会します。ところが夫はあまり嬉しそうな様子ではないんですね。

「ほんとうに極楽じゃ。針で突いたほどの苦しみもない」(183ページ)と澄んだ心で言うおかんですが、夫はなんとも答えません。穏やかで幸せな日々が続きますが・・・。

「形」

中村新兵衛という名高い武将がいました。深紅色の羽織と金色の兜を身につけた新兵衛の槍を誰もが怖れています。

ある時、主君の側室の子供で、新兵衛が我が子のように可愛がっている侍が初めて戦場に出ることになりました。手柄を立てたいから、羽織と兜を貸してはくれないかと頼まれた新兵衛は、快く引き受けます。

新兵衛の羽織と兜を身につけた侍は戦場で大活躍。それを見て満足そうにしていた新兵衛も出陣しますが・・・。

「蘭学事始」

オランダ語で書かれた医学書『ターヘル・アナトミア』を『解体新書』として翻訳した杉田玄白と前野良沢の物語です。

西洋の文化に感心を抱く仲間ですが、周りとはあまり群れず、それでいて知識の豊富な前野良沢に畏怖の念と劣等感を抱いている杉田玄白。

ある時、罪人の死体の解剖に立ち会える機会がやって来ます。前野良沢に対して複雑な思いを持っている杉田玄白は、その知らせを伝えるかどうか迷いますが、結局伝えることにします。

死体の解剖を見て、人間の臓器を『ターヘル・アナトミア』と比較して、「和漢千載の諸説は、みな取るに足らぬ妄説」(218ページ)だと分かります。中国や日本の医学は間違いで、西洋の医学の方が正しいということが分かったんですね。

そこで、『ターヘル・アナトミア』を翻訳しようとするのですが・・・。

「入れ札」

役人に追われることとなった国定忠次とその仲間たち。いよいよという時が来たので、金を分けて別れようとします。しかし、やはり親分を1人で行かせるわけにはいかないということで、3人の子分がついていくこととなります。

問題はその3人の子分をどうやって選ぶかです。親分が指名するとなると、選ばれなかった者は面白くないわけで、当然角が立ちますし、くじ引きでは本当に必要な子分が選ばれるかどうか分かりません。

そこで、選挙のようにみんなが1票ずつ投票していって、ふさわしい子分を選ぼうということになります。それを聞いて困ったのが、稲荷の九郎助という古株の子分。

昔は親分の右腕的な存在だった九郎助ですが、有能な新しい子分が入り、最近は他の仲間や親分からあまり人気がないんですね。ここで選ばれないとなると、今までなんとか保っていた面目が丸つぶれになってしまうわけです。

悩んだ九郎助が投票したのは・・・。

「俊寛」

平家を倒そうと陰謀を企てたのが露見し、鬼界ケ島に島流しにあってしまった3人の男たち。誰が悪かったと責任のなすりつけあいばかりしています。

ある時船がやって来て、2人は罪が許されて都へ帰れることになりますが、俊寛だけはなぜか罪が許されず、1人島に取り残されることとなります。

絶望し、激しい怒りにかられる俊寛。しかしやがて、この島が「仮のすみか」ではなく「ついのすみか」だと腹をくくります。すると、見えている世界が大きく変わります。

 ふと、寝がえりを打つと、直ぐ自分の鼻の先に、撫子に似た真赤な花が咲いていた。それは、都人の彼には、名も知れない花だった。が、その花の真紅の花弁が、何と云う美しさと、浄らかさを持っていたことだろう。その花を、じっと見詰めていると、人間の凡てから知られないで、美しく香っている、こうした名も知れない花の生活と云ったようなものが考えられた。すると、孤島の流人である自分の生活でさえ、むげに生甲斐のないものだとは思われなくなった。(264ページ、原文では「むげ」に傍点)


都の風流な暮らしを思い浮かべるのはやめて、島で1人たくましく生きていく俊寛。ある日、島に住んでいた少女と出会って・・・。

とまあそんな10編が収録された短編集です。「極楽」「形」は短いながら、ウィットとシニカルさを兼ね備えた秀逸な短編です。ふふっと笑ってしまった後で、しんみりさせられます。

「俊寛」の主人公俊寛は、歌舞伎や様々な物語で悲劇の主人公としてよく取り上げられる人物です。ただ、この短編は史実とも他の物語ともまったく違うものになっていて、ちょっと意外だったんですが、これはこれですごくいいですね。

「恩を返す話」「忠直卿行状記」「蘭学事始」「入れ札」には共通するある要素があって、それは劣等感とも言うべきものが、物語を貫く大きなテーマになっていることです。

劣等感というのは感覚なので、必然的に心理が丁寧に描写されることになります。なので、劣等感が描かれるだけで作品はぐっと面白くなります。

自分が劣等感を感じていても、肝心の相手はなにも感じていないという、そこに差があるのも面白い所です。劣等感というのは、常に独りよがりなものなんですね。それがどうストーリーを動かしていくのかにぜひ注目してみてください。

「蘭学事始」は誰もオランダ語が十分に出来ない中、ほとんど暗号解読のようにして翻訳に取り組んでいくわけですが、語の意味が分からないことによる苦しみと語の意味が分かった時の喜びに胸が熱くなります。

杉田玄白と前野良沢の考えの違いが徐々に浮かび上がる構成も素晴らしいの一言。『解体新書』について歴史的なことを知っていると、より楽しめるかも知れません。

表題作の「恩讐の彼方に」と「藤十郎の恋」ももちろん名作だと思いますが、今回一番印象に残ったのが、「ある恋の話」です。あらすじの紹介ではほとんど触れられませんでしたが、この短編は非常に面白い作品です。

描かれるのは恋愛ではないんです。見る者、見られる者の立場があって、観客である祖母と演者である染之助がお互いを強く意識するわけですが、お互いが見ているものが実は微妙にずれているんですね。

どの短編も非常に明確なテーマを持ち、とにかく面白いので、機会があればぜひ読んでみてください。おすすめの1冊です。ぜひぜひ!

明日は、三島由紀夫『近代能楽集』を紹介する予定です。