『分析心理学』・Lecture5 | くらえもんの気ままに独り言

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 先週から続いておりますカール・グスタフ・ユング氏の『分析心理学』ですが、今回で最終回となります。


前回までの内容はコチラ

『分析心理学』

Lecture1 http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11944828373.html

Lecture2 http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11944889018.html

Lecture3 http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11950612967.html

Lecture4 http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11950640778.html


 さて、前回は神話的な話を見た男性の話の解説の途中で講義が終わったのですが、聴講者の方が転移の問題について聞きたいということで、転移についての話が始まります。


 転移とは人と人との間に起こる現象で投影の一部であるとユング氏は言います。ちなみに投影とはある種の主観的な内容を対象に置き換えるという一般的な心理機制のことです。


 本書の例を借りると、「この部屋は黄色です」と言ったとします。


 でも、実は「この部屋」が「黄色」なのではなく、自分が「この部屋は黄色だ」と思っているにすぎないのです。そう、あくまでも主観的なことなのに、あたかもその部屋自体が黄色である、客観的にそうであると思ってしまうことを投影というのです。ちなみにこれも無意識の仕業です。


 そして転移とは、たとえば「自分の父のイメージを別の男性に投影する」というように、その男性は父ではないし、父のような属性を持っているわけでもないのに、父のような男性なのだと無意識に思い込んでしまうようなことを指します。


 この転移はもちろんコントロール不能なうえ情動と絡み合ったりしています。そして、感染力も高いです。


「全く知らない言葉を話す国へ行ったと仮定してみて下さい。誰かが冗談を言ってみんなが笑えば、あなたも白痴のように笑うに違いありません。(P224)」


 英語のプレゼンなんかを聴いてて、自分は分からなかったけど、発表者がジョークかなんかを言ったりすると会場全体でドッと笑いが起きたりします。こんな時、私も結構つられて笑ったりしますね(‐^皿^‐)


 この情動のパワーと転移というものは密接に絡み合っているわけですね。


 ちなみにこの転移というものはよく愛と勘違いされることが多いようです。


 ある男性が理想の女性像をある女性に投影して、勝手に理想の女性と思い込んで、好きだという感情が高まってしまったりと。


 通常、転移なるものはカウンセリングの現場で見られるものなのですが、この場合、患者はセラピストのことを好きだ、愛してると勘違いしたりしてしまうんですね。


 この現象は患者と治療者のあいだの信頼関係が不十分なときに発生しやすいようです。そこで、無意識的に自分に興味を引き付けようとするために愛情表現を治療者に対して繰り出そうとしてしまうようです。


 逆に治療者側も患者(自分と別の性)のことを愛している(または性的対象として見ている)と感じたときは信頼関係の構築が不十分なのではないかと思わなければいけないとのこと。と言っても自分で意識するのは無理なので、患者の事を夢に見たときとかに「あっΣ(゚д゚;)これは!?」と気づかなければならないと。ユング氏も患者を夢に見たことがあり、患者との信頼関係が構築できていなかったことに気付いた経験があったようです。


 転移には自体愛的なものもあり、周りのものを拒絶しつつ、周りの人たちとの関係を強く求めるタイプのものもあるようです。


 ちなみに治療者側はこの転移を無理矢理に取り払おうとすると、患者は激しい拒否反応を示します。これをどうにかするには患者が大爆発して自ら転移を解消するしかないのです。この大爆発をなるべく穏便に済ませるためには治療者はなるべく上から目線ではなく患者と同じ目線で付き合わなければならないのです。


 また、患者も治療者も同じく神経症的で傷を持つ者同士の場合、お互いが転移し合って最悪の状態へ陥ってしまうケースもあるようです。


 転移はもちろんなければないに越したことはないのですが(フロイト派によれば転移は必要と考えたりするようですが、ユング氏はこれを否定していました)、なにせ無意識的に起こってしまいますので、この問題を解決するのに夢分析などが役に立ってくるという訳なんですね。


 しかし、投影は感染性が強く、特に元型的な特質をもつ投影は特に厄介と言われます。その一つの救世主コンプレックスですが、患者が治療者の事を救世主と思い込むと、それが感染して治療者側が「俺、もしかして救世主なんじゃね?」なんて思っちゃったりしてしまうようです。


 もしかして、安倍総理も安倍信者たちの救世主コンプレックスの投影を受けて自分は救世主だと思い込んでしまったりしているかもしれませんが・・・。


 それにしても患者からの投影を雨あられのように受けまくるアナリストとかセラピストといった職業の人は大変ですね(;^_^A

 実際、精神療法家の方々で心を病んだりする方は結構いたりするのかもしれませんね。


 さて、個人的無意識を投影しているケースでは、患者自身の経験から元々のイメージを探り当て、それを意識化させることで治療へと結びついていくのですが、元型的な内容を投影されたときはどのように対処すればよいのでしょうか?


 個人的無意識は意識化して取り払えばよいのですが、普遍的無意識つまり元型的なものは人間にとって必要な要素であり、取り払ってしまうことは不可能ですし、すべきではありません。救世主のイメージを投影していたからといって、「救世主などいないのだ!!」なんてやってしまうと精神が崩壊してしまうかもしれません。救世主を望む気持ちは全人類に共通のものなのです。その拠り所として宗教的なものがあるのでしょうね。


 人類の歴史を決定してきたのは普遍的無意識によるものであり、決して意識によるものではありません。第一次世界大戦前、人々は理性を過信し、グローバル化の世の中で戦争など二度と起こらないと信じ込んでいましたが、そんな意識の力など普遍的無意識の力の前では無力。誰も逆らうことなどできずに戦争へ突入したのです。


 さて、患者の元型的イメージをどのように処理したらよいか?これをうまく処理できないと、前回の患者の例のように死へと走っていきかねないので、なにか対象へイメージを移行させる必要があります。昔であれば特定の宗教の像などに元型的イメージを投影して処理するなんて方法もありましたが、現代ではなかなか難しいですし、既存の宗教がそれを解決してくれるとも限りません。


 答えはどこにあるのか?


 それは自己というものの中心にあるのではないか・・・。


 と、気になるところで時間が来て講義終了!?


 なんじゃそりゃーヽ(`Д´)ノ


 ちなみに質疑応答の部分で無意識の世界へのアクセス方法その3である能動的想像についてと、元型的イメージに冒された人がそれを処理したケースの紹介がなされておりました。


 なんとなく消化不良な感じもしますが、私が思うに自己という無意識世界も含めた自分の中心部分にある特定の姿を持つイメージに元型的イメージを投影することによって、自己実現的なものが可能になってくるという風に解釈しました。


 そもそも普遍的無意識に冒されていることを意識すること自体が不可能ですし、そういうものがあるということを知っておくだけでも知らないよりは全然違うのかもしれませんね。


 というわけで全5回にわたり『分析心理学』を取り上げてみました。長々とお付き合いいただき誠にありがとうございました。


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本書はコチラ

分析心理学 

カール・グスタフ・ユング 著  小川捷之 翻訳

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