貿易について その1 | 秋山のブログ

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「新・日本経済入門」の貿易の部分は、自由貿易のありえないほどの礼賛である。

 

根拠としてお約束の比較生産費説が出てくる。『比較生産費の考え方については「わかったようで実はわからない」とこぼす人が案外多い』から、『輸入を自由にしていると』『すべての産業が日本品に席巻されてしまう』などというような議論が横行するなどと記述している。しかしこの勘違いはかなり痛いだろう。比較生産費説はどこも難しくない。現実と一致しないから腑に落ちないという話になるのだと思う。何故一致しないのかと言えば、セイの法則が現実においては全く成り立たないから、需要には限界があるからであり、それに気付けば、この理論が現実的には役に立たない詭弁に過ぎないことが分かるだろう。(他には価格の問題もある)
得意なものに特化して生産し、交換をおこなうことはもちろん双方の利益になるが、時にそれは技術、生産性の進歩を遅らせることもありうる。グローバリズムに反対する姿勢を、内向きとか、閉鎖的とかの言葉で表せば印象は悪いが、そのようにレッテルを貼ってイメージで考えることこそ幼稚なことであり、個々の事例に対してメリットデメリットを過不足なく具体的に考えなくてはいけない。どちらがいいとかの単純な思考には価値はないのである。

 

日本では2005年から急激に貿易依存度が上がっている(2005年といえば小泉内閣の頃である)。自己完結性の高い国であった米国も、昔と比べて輸出依存度を上げている。面白いことは、工業力の高い日本などよりも、新興国の輸出依存度が高いということだ。

アジアにおける経済成長は、外資の直接投資による生産能力の向上による。ここで留意しなくていけないのは、以前書いたことでもあるが、向上をもたらしたのは投資したお金ではなくて(お金が足りないのならば日本のように中央銀行が供給すればよい)、直接投資によってもたらされた知識、技術である。ところで、生産能力が上がっても需要が増えなくては意味が無い。生産を増やした分現地の収入が上がれば需要も上がるのだが、新興国の場合は現地の国民の収入はあまり増やさずに、国外への販売によって需要を確保した。新興国の輸出依存度が高いのは、このようなことだろう。投資者が生産性の増大分のいくらかを、技術の代価としてもらう構造である。この構造が分かれば、法人税のパラドックスの理由も分かるであろうし、日本が外資の直接投資を呼び込もうとすることや法人税減税競争をすることが、いかに馬鹿らしいかも分かるだろう。

 

重商主義は、陥りやすい誤りである(国と個人の混同がもとにある)。これが誤りであることは、アダム・スミスの大きな貢献であり、それを疑うような事実も存在しないが、政策をみる限り、間違っている人間が今も少なくないようにも思われる。輸出は、輸入によって国民がより豊かな生活を送るためのものであって、輸出の利益は社会全体に還元されなくてはいけないはずだ。ところが現在の政策を見れば、輸出企業が有利なように政策を考えているだけで、再分配に関して配慮されていないのではないだろうか。また、経常黒字は国や企業が借り入れをしなくても貨幣を増やすというよい面もあるが、通貨高に傾ける要素であり、また他国の赤字によって達成されることであるので、現代では推奨すべきものではないだろう。

日本政府のTPPの利益の説明は、検討してみれば無茶な仮定を積み上げた、現実の予測能力が皆無の数式によって計算されておりそもそも話にならないが、単なるGDPの増加をもって利益としているのは、いつもながら単純過ぎるやり方だろう。

 

「新・日本経済入門」では、GATTからWTOにいたる推移、それがうまくいかずに地域経済ブロック化が進んでいる状況が記載されている。このような事実関係の記載がこの本の優れているところであるのだが、出来事の理解、評価が全くよろしくない。日本が経済連携協定に関して『積極策に転じた』などと評価している。

TPPに関しても、自由貿易協定の経済への影響に関して『理論的にも体系的な説明はない』としているにも関わらず、『域内の成長にはプラスの効果があることは間違いなさそう』とか、『国際競争力を強化するには避けて通れない道』などと無責任な記述が目立つ。TPPの問題はISD条項という悪質極まりない部分(私の以前書いたものは、現時点より知識が少ないために、少々浅い)であって、日本にとって関税の撤廃は功も罪もあるものである。しかし功といってもたいした影響などないだろう。現時点でも関税は低水準であり、為替の影響の方が余程大きい上に、関税撤廃によって輸出の方が増えるという状況にでもなれば、また円が上がってもしまうだろう。