信用創造の本質 | 秋山のブログ

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以前より信用創造の概念が重要であることを主張してきた。ところがどうもこの概念に関して一般の評価は芳しくない。参照基準にも入っていない。そこで信用創造に関して書かれているものをいろいろ読んでみたところ、私がいうようにお金の本質を表す概念ではなくて、銀行のちょっとした機能という理解だったり、ベースマネーの供給からストックマネーが増える屁理屈という理解だったりしているようだ。これでは尊重されないのは当然だろう。

信用創造というのは、企業等が融資を受けることによってお金が増えていく仕組みだ。融資を受けたお金は、別の人の手に渡るにせよ、結局銀行に預けられることになるから、社会全体では別の誰かに融資するための元手になる。融資する際には法定準備率に従い、日銀に一定額を預けなくてはいけないので、無限に拡大できないように、日銀がある程度コントロールできるようになっているが、準備率次第でいくらでも大きくなり得るものである。さて、ここで注意しなくてはいけないことは、トータルとしてのお金は、全く増えていないということだ。銀行等に誰かが預けている預金、持っている現金等の合計は確かに増えているが、融資の際に企業等は同額の負債を負うことになるので、トータルでは全く増えていないという前述の結論に行き着くのである。
このことから分かるお金の本質は、少なくとも現代では、誰かの預金が増えたということは、別の誰かが借金を増やしたということに他ならない。そしてここでいつも使っているグラフがでるのである。

家計の貯蓄の合計は、企業の負債の合計と国の負債、日本の経常黒字(外国の日本に対する負債)の合計といかなる場合でも常に合致していることが分かるだろう。
信用創造とは、Wikiにあるような説明ではなくて、誰かが借金することで増える、信用通貨の仕組みのことであり、国の通貨の管理上銀行が重要な役割を担っているというふうに考えた方がいいと思われる。

ここまでだと単に今まで言ってきたことであり、何の進歩もないのでちょっと掘り下げてみよう。

上のグラフを見ながら今の日本の状況を考えてみよう。企業は新規の融資をあまり受けなくなっており、それだけでなく内部留保を貯めようとしている。つまり、上のグラフの青い部分は、どんどん縮小に向かっているのだ。国に関しては税額を増やし支出を抑え、財政を再建しようとしている。つまり赤い部分をどんどん縮小しようとしている。輸出超過を考えなければ(重商主義は誤りであり、これに期待はできない)、この結果起こることは家計の貯蓄の減少である。貯蓄と負債の関係は絶対だ。もう少し具体的に国や企業がすることを述べれば、国は家計や企業からとる税を増やして、家計や企業に対して払う支出を減らすということで、企業は、国や家計に対して売る商品の価格を上げて、賃金は低く抑えるといったことをすると言える。つまり、一般家庭におこることは、買う商品は高くなる。公共サービスが少なくなって自分で払わなくてはいけなくなる。税金は上がる。給料は下がるといったことである。どうだろう。完全に今日本で起こっていることと一致するのではないか。

また、こんな考察もできる。家計の貯蓄を、労働者層と国債をたくさん買っているような資本家層にわけてみよう。企業と貿易は中立と仮定する。そうなるとどうなるのか。国債には利子がつくので資本家の資産は年々大きくなるだろう。これだけでも労働者層との間に格差が生まれてくる。だから国としては、資本家への税を大きく、労働者層への給付を大きくする必要があるだろう。ところがキャピタルゲインに対する税率は低く、一律だったりするのだ。完全に間違えていることが分かるだろう。さらには消費税で幅広い集金を増やすつもりでもいる。それが利子の支払いにあてられるならば、労働層の資産から資本家の資産へのお金の移動になるだろう。

二つだけ例を上げたが、これはいくらでも考察のもとになる。インフレや成長、老人や生活保護層に関する考察もできるだろう。何がどう変化したら、どう変わるか適切に判断する助けになる有用なモデルだ。自明のことで何も生み出さない三面等価とか、明らかに誤謬(貯蓄率等)を含んでいる国民所得の恒等式とは全く違って、物理の法則なみに強固でもある。必要あるとも思えないが数式化も可能であろう。現実的ではない均衡、ガラクタな曲線のスライドから考えるのではなくて、各経済主体のスタックの関係とその変化から考えるべきではないだろうか。