経済学と経済教育の未来 | 秋山のブログ

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ゴールデンウィークに、経済学に関する書物を何冊か読んだ。その中の一つが塩沢教授にご紹介いただいたこの本、「経済学と経済教育の未来」である。結構売れているのか他の書籍より後に届けられたが、読んでいて知らなかった情報も得ることができたし、様々なことを考える切っ掛けになった。そこで何回かに分けて、考えたことを書いていこうかと思う。

この書籍が書かれることになった発端は、大学における教育の質の保証のための参照基準が経済学に関しても作られることになったことである。他の学問に関しても作成の作業はおこなわれているが、経済学に関してはこれが大問題になったのだ。
経済学で何を教えるかという基準は、米国では新古典派に牛耳られており、多くの大学生が騙され誤った道を歩んでいることは、前々から問題視されている。しかしこの参照基準を日本で作るとなると、国際的な基準を考慮せざるをえないことからも、作り手は日本でも大勢をしめる新古典派ということになるであろう。つまり新古典派に敵対する人間、私のように新古典派の経済学によって不況や格差の拡大がおこったと考える人間にとってはとんでもないことであるから、何が何でも止めさせたいところとなるだろう。加えて、日本ではマルクス経済学が生き残っていて、まだそれなりの勢力を持っている。本書のマルクス経済学者の部分を読んでみれば、これはダメだなとも感じたが、彼らは阻止するための援軍にはなるだろう。

さて、まず最初に考えたことは、この書籍についている帯の文章である。金子勝氏による推薦文だ。引用する。
『本書を推す。生物も社会も多様性を失うと滅びる。経済学も例外ではない。』
特化の度合いが強すぎて、環境の変化についていけずに亡んだ(と言われている)生物は山程いる。しかしこの事実をもって多様性を失うと滅びると言ってしまうのはあまり賢明ではない。なぜならば、亡んだのは環境の変化に適応できなかったからに他ならず多様性の有無が絶対条件ではないからだ。本来、環境の変化に対して自分自身を変化させるということの方が、たまたま変わった環境に適応する何かが存在するということより重要であるはずだ。
そもそも経済学以外の分野では、参照基準を作ることがほとんど問題になっていない。余程確実な事実だけで作られているという理由もあるが、参照基準になるような内容が、後から引っくり返ることはありうる。そこで経済学と他の分野で何が違うかと言えば、経済学以外の学問の場合、今まで信じられていたことと異なる理論が出てきて、事実によって裏付けされた場合、過去の理論等は容易に捨てられ、新しい内容に置き換わり、理論体系自体も変化する。つまり、適切に変化することができているということに他ならない。経済学でおこなわれているような、現実と一致しないというデータを突きつけられても、それが一致しない理由探しをおこなって理論体系を守ろうとするといった行為は、これとは真逆のものである。
まとめれば、学問にとって重要なのは多様性ではない(イノベーションという視点では多様性は重要である)。重要なのは事実に基づいた着実な体系作りである。そして間違ったら積極的に修正していくというポリシーである。