狼について考えたのは5月の初め。
日経新聞の朝刊では、ニホンオオカミと日本人の関係を探求したというコラムを発見。
---column---
狼、怖いだけじゃない
◇日本に息づく儀礼や伝承、全国回り探求◇(菱川晶子ひしかわ・あきこ=愛知大学非常勤講師)
ニホンオオカミは1905年、奈良県東吉野村で確認されたのを最後に、絶滅したとされる。
しかし、全国には狼に関する伝承や信仰がまだ多く残されている。20年あまりにわたって、私は文献をひもとき、各地を訪ねる調査を重ねて狼と日本人の関係について探求してきた。
狼の肉使ったオイノ酒
例えば岩手県大槌町は98年から数年間にわたって訪れている。今も「狼祭り(おいのまつり)」と呼ばれる民俗儀礼が行われているからだ。毎年2月19日になると、人々は峠や山の尾根にある祭祀(さいし)場に出向く。そして狼にお神酒や小豆飯などの供物をささげ、人間や牛馬を襲わないように祈願してきた。江戸時代、盛岡藩では山に馬が放牧されていた。このため狼が馬を襲うことも多く、被害を防ぐために、祭りが行われるようになったと考えられる。
町内には、狼の肉を使ってつくられたという「オイノ酒」を保存している家がある。約200年前、仕留めた狼の肉などを瓶(かめ)に入れて水と塩で漬け込んだものだ。肉は溶けて黒く濁っている。味見させてもらったが、とても塩辛い。心臓病に効く薬とされ、当家の女性が代々大切に受け継いできた。現在はこの1軒だが、以前は集落ごとにオイノ酒を持っている家があったそうだ。
オイノ祭りは、秋田県や山形県など東北各地でも行われてきた。広がったのは埼玉県秩父市に鎮座する三峯神社などの影響が考えられる。三峯信仰では狼を神の使いの眷属(けんぞく)とみなしている。江戸時代、修験者ら民間宗教者が東北地方を活動拠点の一つとして、「三峯様を祀ると狼の害がなくなる」と説いて回り、各地に広まったのだろう。
狼が土着の神と結びついた地域もある。群馬県北部や新潟県、長野県のあたりでは、安産や子育ての神として「十二様」という山の神が信仰されている。これらの地域には、子供を産んだ狼に小豆飯などを供える「産見舞い」という儀礼があり、群馬県六合村では十二様は狼であると伝えられている。古くは人間の子供の成長を祈願した儀礼でもあったと考えられる。
500に及ぶ説話
一方、狼に関する説話も数多く、各地に500話ほど確認されている。主な例を二つ挙げてみよう。
まずは「鍛冶屋の婆(ばば)」狼の群れに襲われた旅人が樹上に逃れる。狼は肩車をして旅人に迫るがあと少しで届かない。そこで群れは「鍛冶屋の婆」と呼ばれる狼を呼び、婆は肩車の一番上になって襲ってくるが、旅人が斬りつけると逃げていった。翌朝、旅人が鍛冶屋の家を訪ね婆に刀傷があるのを確かめて切り殺す。日に照らされた婆は狼の姿に戻り、家の床下からは本当の婆の骨が見つかる、というあらすじだ。様々なバリエーションがあるが、山中で肩車を組んだ狼に襲われるという恐怖が話の核になっている。
「狼の眉毛」は貧しい男が将来をはかなんで、山へ狼に食われに行く。しかし、狼は「おまえは正直者だから」と食わずに、眉毛を男に与える。眉毛をすかして見ると、人間の本性が見え、男はその力で幸福になる。こちらでは狼が不思議な力を持つ霊獣であり、人間に福を授けてくれるものとみなされている。
このように、儀礼や伝承をみていくと、人は狼に対して恐れと同時に、畏敬の念も抱いていたことが分かる。そして、狼の行動の意味について様々な解釈を試み、その知恵を伝えてきたのだ。
椋鳩十の物語のきっかけ
各地に残る民俗を求めて、これまでに約50市町村を訪ねた。その地の古老から昔話や言い伝えを聞かせてもらい、分類、整理していく。大槌町のように何度も訪れた土地の人とは年賀状を交わすなどの交流も続いている。
狼に興味を持ったきっかけは、子どものころに椋鳩十や戸川幸夫らの動物物語を読んだことにある。大学で学んだ後、いったん就職したが、研究の道に進むため、スウェーデンに留学して、民間伝承学を学びながら狼を追ったこともあった。北欧の雪原で足跡を発見したときの感動は忘れられない。
今春、これまでの研究成果をまとめ、「狼の民俗学 人獣交渉史の研究」(東京大学出版会)として出版することができた。調査を進める中で、狼が昔語りの中だけでなく、日本人の生活や信仰に今なお息づいていることを実感した。伝承を知るお年寄りは年々少なくなっており、書き留めておかなければならないことはまだたくさんある。
(2009年6月1日 日経新聞)