【三橋貴明】グローバリズムの定義【前編】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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 三橋貴明氏が「グローバリズム」の定義を示し、物議を醸している。


あるケミストツイッター 2015年10月8日
https://twitter.com/Nipponium1908/status/651981911028461568


「未来のための投資」 三橋貴明ブログ2015年10月8日
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12081823180.html

「 安倍政権は、TPPや農協改革、発送電分離、労働者派遣法改正、外国移民に代表される「構造改革」に加え、介護報酬や公共事業を削減し、消費税税を増税する「緊縮財政」をバリバリ推進し、国民の貧困化に邁進しています。「構造改革」と「緊縮財政」を合わせて、グローバリズムと呼ぶことにします。
 日本に先行して「グローバリズム」路線を邁進した欧州が、現在、いかなる状況になっているかはご存じの通り。」


 三橋氏は、グローバリズムとは構造改革と緊縮財政を合わせて行うことであると定義した。
 国境を乗り越える要素があってこそのグローバリズムなのに、三橋氏の定義では内発的に構造改革と緊縮財政を行ってもグローバリズムになってしまうhttps://twitter.com/akichi_3kan4on/status/651984908529762304)。
 飯田泰之氏が鋭いツっこみを入れている。


飯田泰之ツイッター 2015年10月22日
https://twitter.com/iida_yasuyuki/status/657066464264884224


 鎖国していてもグローバリズムという、不思議な話になる。
 ていうか、欧州のグローバリズムで問題視すべきは、構造改革や緊縮財政よりもむしろ、(最適通貨圏を越えた)通貨統合ではないだろうか。

 三橋氏はグローバリズムについて、過去にどのような発言をしていたのだろうか。
 例によって、三橋氏の過去の発言を確認してみる。
 三橋氏の過去の著作をめくってみると、三橋氏がグローバル化・グローバリズムについて何度か論じていることがわかる。
 そのいくつかを紹介する。
 参議院議員選挙に立候補する前、三橋氏は、「日本の未来、ほんとは明るい!」という本を出した(平成22年6月18日に出版。参院選は同年7月11日)。
 奇しくも、上のブログ記事と「未来」つながりだ。
 時期的に考えて、同書は選挙公約の意味をも持つ。
 同書の最終章の締めくくりで、「グローバリズム」という単語は出していないが、三橋氏はこういうことを言っている。


三橋貴明 「日本の未来、ほんとは明るい!」 (ワック、2010年) 171~175ページ

世界が日本を真似し始めている

 それはともかく、同じ言葉を使う平均的に頭のいい人々が一億人も集まり、同じ文化や価値観、歴史観を共有している、という状況は極めて珍しく(と言うより唯一無二)、そんな人々が国内に単独の市場を形成しているのである。独自性を持った、一億人規模という巨大な市場である。だからこそ、コンテンツが育っていく。
 これこそが日本の最大の強みだろう。
 コンテンツ市場というのは、その価値を理解できる人間が、ある程度まとまって存在していないと成り立たないのである。
 デンマークをはじめ、北欧諸国では日本文化に影響を受けた人々が、同じような漫画やアニメの市場を立ち上げようとしている。だが、市場規模が小さすぎ、ビジネスとして成り立たない。六百万人程度の人口規模では難しいのだ。
 だが、日本は一億人もの人口がある。漫画人口だけでも、五千万人いるといわれている。日本人が日本人へ向けて、日本国内の市場だけで文化が熟成されていく。
 市場が外から隔絶された環境の中で、独自の文化が発展していくこの状態を「ガラパゴス化」と人は呼ぶかもしれない。しかし、グローバル市場などに目を向けるより、国内市場で日本独自の文化を次々と生み出していくほうが、結果的に世界をリードすることになると思っている。なぜなら、そんな真似ができるのは、日本しかないからである。それが可能だったからこそ、今まさに、世界が日本を真似し始めているのである。
 市場が小さい人口小国は、コンテンツ以外の製品でも、最初から世界市場を照準にする。最初から世界で売ることを前提にビジネスをしているので、必然的にすべてが「グローバルスタンダード」になっている。だが日本は、そんな真似をする必要も、グローバルスタンダードをありがたがる必要もない。日本の中で、日本のために文化を創っていけば、それが世界に受け入れられる、「ジャパニーズスタンダード」が、「グローバルスタンダード」になる可能性があるのである。アニメや漫画がそれを証明しており、さらに現在、文明フェーズを変えることで、ジャパニーズスタンダードを世界に向けるチャンスがやってきていいるのだ。
 日本は、日本市場向けに、日本語中心のビジネスを推し進めていけばいいのである。海外では、日本の漫画を読みたいがために、日本語を勉強する若者が増えている。
(中略)

「ジャパニーズスタンダード」こそが「グローバルスタンダード」

 政治の世界でも、同じような視点で、世界の中における日本のポジションを作り上げることができるはずだ。また実際にやっていかなければならないだろう。
 グローバルスタンダードという言葉が好きな人は、単純に「世界を真似しなきゃ」という感覚しか持ち合わせていないようである。しかし、本当の意味でのグローバルスタンダードとは、要は自分たちの価値観を外国に押し付けることだ。
 現実問題として、日本以外の他国はすべて、そういうことをやっている。皆が価値観を押し付けあい、いちばん強い国の価値基準がグローバルスタンダードということになる。ならば日本も、自分たちの価値観を世界に押し付ければいい。それこそが”グローバルスタンダード”なのだ。欧米礼賛者は、欧米に合わせることがグローバルスタンダードだと思っているが、そもそも欧米自身が、ちっとも他国に価値観を合わせようとはしていないのだ。
 「ジャパニーズスタンダードこそがグローバルスタンダードですよ」と堂々と口にして言えばいい。できないはずがない。現実に、世界中が日本を真似したがっているのだから。
 堂々と、日本人が日本人として、日本のやり方で成長していく。その先に見えるのは、明るい未来しかない。マスコミや知識人がどれほど暗い話をしても耳を貸さず、夢と希望を語り合ってほしい。前向きに成長し、これからも発展していけばいい。
 大好きな日本の中で、私はそうやって楽しく生きていこうと思う。」

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 三橋氏は、「グローバルスタンダード」を「自分たちの価値観を外国に押し付けること」と定義する。
 そして、「日本も、自分たちの価値観を世界に押し付ければいい」と言う。
 今の三橋氏からは想像し難いが、グローバル化推進の論調である。
 これはこれで一種のグローバリズムなのではないか。
 三橋氏は、日本発のグローバリズムを提唱していたのではないか。

 ところで、三橋氏は現在、食料安全保障を重視し、この観点から自由貿易に反対し、TPPに反対する。
 自ら「畢生の問題作」と称する「亡国の農協改革 ――日本の食料安保の解体を許すな」を出した。
 TPPによって農協が解体され、これが食糧安全保障に反するということである。


「思想の対決」 三橋貴明ブログ2013年10月6日
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11629263496.html
「(新古典派的な考え方は)国境を越えた規制も、緩和もしくは撤廃だ。自由貿易だ、TPPだ。グローバルだ。」
「上記の新古典派的な考え方には、三つ、突っ込みたいところがあります。」
「国家の安全保障(軍事のみならず、食料安全保障、エネルギー安全保障など含みます)は、『小さな政府』路線では、弱体化せざるを得ないでしょう
※ 「需要と供給能力」(三橋貴明ブログ2015年6月13日、http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12038295607.html)も、ロシアは経済制裁によりチーズの自由貿易を制限されたらかえってその供給力が上がったという話であり、自由貿易の制限が食糧安全保障を強化するという趣旨だと解され、こちらを引用したかったが、引用しにくかったので、こちらの少し古い記事を引用することとした。この点について三橋氏の基本的な考え方は変わっていないと解される。

「アメリカの輸出補助金」 三橋貴明ブログ2015年7月30日
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12056103274.html
TPPが「日本の食料安全保障を弱体化させる」という現実を理解できない人に、語るべき言葉はありません。」

「畢生の問題作「亡国の農協改革」」 三橋貴明ブログ2015年9月8日
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12070666716.html
単に国内の法改正のみで「農協解体」を実現した場合、さらなる法改正で元に戻される可能性があります。だからこそ、TPPという国際協定で縛りをかけるのです。
安倍政権の農協改革により、日本の食糧安全保障が危機に瀕しているという現実を知ってください。」


 「日本の未来、ほんとは明るい!」にも食糧安全保障の問題について論じられているので、ついでに紹介しておく。


三橋「日本の未来、ほんとは明るい!」58,59ページ

食糧安全保障の確保こそ責務

 そもそも国が豊かであれば、自給率が下がるのは当たり前のことである。なぜなら、お金に余裕があるので食糧を輸入するからだ。
 主要先進国は食糧を輸入するので、軒並み自給率が下がるのである。反対に貧困国は海外から食糧を買うことができないので、必然的に自給率が上がる。
 食糧安全保障のために自給率の低下を食い止めようと考えるのはかまわないが、日本の自給率はすでに十分なレベルにある。さらに日本は経済的に輸入する余裕があるのだから、どんどん外国から買えば済む話である。
 食糧安全保障を考えるのであれば、農水省が最優先でやらなければならないのは、輸入を途絶えさせないためのシーレーンの確保だろう。万が一、戦争が起こり、輸入ができなくなったらどうするのか、という問題のほうが、自給率の心配よりはるかに大切なことである。アメリカとオーストラリア、東南アジア。少なくともこの三つのラインを押さえておけば、日本は永遠に飢えることはない。
 たとえば、アメリカとのシーレーンをがっちり保護する海軍の組織を検討するとか、そういった国家観の安全保障の問題を、農水省こそが率先して考えるべきである。自給率の心配などというレベルで、思考停止している場合ではないのだ。」


 最近の三橋氏をウォッチしている人は、驚き呆れるだろう。
 今と正反対だと言っていい。
 参院選出馬前の三橋氏は、わが国の食糧自給率は十分であり、外国から食糧をどんどん輸入すればいいと言い、アメリカ、オーストラリア、東南アジアとの連携を深めるのが食糧安全保障に適うとする。
 これは、TPP参加国と経済連携を深めることが食糧安全保障の強化になると言っているのとさほど変わらない。
 「TPP亡国論」と相容れないとまで言えるかどうかはさておき、少なくとも相性は悪い。
 私は「日本の未来~」の方が正当だと思う。
 食糧の調達先をいくつも確保しておくことこそが、リスク・ヘッジになり、食糧安全保障に資する。

 上で引用した部分で三橋氏は、「先進国」と「貧困国」の食糧安全保障について述べている。
 では、今の三橋氏は、「先進国」および「貧困国」と重なり合う部分の多い「発展途上国」について、どう定義しているのか。


「超・技術革命で世界最強となる日本(後編)」 三橋貴明ブログ2015年5月29日
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12032396631.html

「「経済力」という言葉は、その辺の「識者」の皆様のように曖昧な意味で使っているのではなく、明確に定義をしております。

「国民の需要を満たすための、自国の企業、政府、人材が保有する供給能力」

 こそが「経済力」です。経済力が強い国、すなわち「国民の需要を自国の企業、政府、人材が満たすことができる国」のことを、先進国と呼びます。逆に、自国の供給能力では国民の需要を満たせない国が、発展途上国という「定義」です。

 無論、話は「0?1?」ではありません。度合いの問題になります。アメリカにしても、別に自国の需要を全て自国で満たしているわけではないでしょう。」


 参院選当時の三橋氏は、先進国か貧困国かについて、輸入できるお金があるかどうかを問題にする。
 今の三橋氏は、先進国か発展途上国(≒貧困国)かについて、自国の需要を満たす供給能力があるかどうかを問題にする。
 大雑把に言ってしまうと、参院選当時の三橋氏は需要を満たすために輸入できるのが先進国だと言い、今の三橋氏は輸入しなくても供給できるのが先進国だと言っている。
 かつては「輸入が勝ち」だったのが、今は「輸入は負け」と言っているようなものだとも言えよう。
 先進国の定義が反対ないしほとんど反対になってしまっている。

 今まで気がつかなかったのだが、参院選当時の三橋氏も、「TPP亡国論」で知られる中野剛志氏の影響を受け、リカードの比較優位説に懐疑を示していた(http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10405425601.html)。
 ただし、当時の三橋氏は、リカードの比較優位説は恐慌経済時には成り立たないとは言うものの、通常経済時については成立を否定しない。
 ところが三橋氏は、「TPP亡国論」を深めていくと、「自由貿易の前提であるリカードの比較優位論が、「セイの法則」や「完全雇用」「資本移動がない」といった無茶な前提になっている」と言い、通常経済下でも成り立たないという理解に変わってくるhttp://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11016375138.html なお、三橋氏の挙げる前提条件などなくても比較優位論は成り立つ。http://ameblo.jp/khensuke/entry-12062041210.htmlhttp://ameblo.jp/hirohitorigoto/entry-12080999363.html)。
 かかる比較優位説の理解の変化が、食糧の輸入に肯定的か否定的かという態度の変化に影響しているような気はする(なぜかかる前提条件が必要なのかという論証は特になく、「理解」と言ってよいか迷うところだが)。

 話を本筋の「グローバリズム」に戻す。
 「日本の未来、ほんとは明るい!」の半年後に出された「経済ニュースが10倍よくわかる 日本経済のカラクリ 円高がわかれば日本経済がわかる」になると、少し論調に揺らぎが見える。
 三橋氏はガラパゴス化推進という従来の主張は維持しつつ、グローバル化に反対する。
 「グローバルスタンダード」の定義にも変化が見られる。
 同書で、三橋氏はグローバリズムの定義を示している。
 当時の三橋氏にとっての「正しい定義」ということになる。
 これが出版されたのは平成22年12月14日であり、その1カ月前の11月13日に菅直人内閣総理大臣(当時)が「平成の開国」と銘打ってTPP交渉に参加することを表明していた(http://jp.reuters.com/article/2010/11/13/idJPJAPAN-18158620101113)。
 前書きを見ると、「2010年11月」に書き上げたことが記されているだけで、同月13日より前なのか後なのかはわからず、TPPを意識して執筆していたのかどうかはわからない。
 ここらへんで、「グローバリズム&自由貿易推進 vs ナショナリズム&自由貿易反対(保護貿易推進)」という対立構造の意識が濃くなってきているように思う。
 とはいえ、まだまだ「グローバリズム反対」の意識は薄く、今の三橋氏を思うと、吃驚するような記述が見られる。
 おもしろい話がたくさん出てくるので、長めに引用する。


三橋貴明 「経済ニュースが10倍よくわかる 日本経済のカラクリ 円高がわかれば日本経済がわかる」 (アスコム、2010年) 103~130ページ

第3章 グローバル化は歴史の必然か?

日本はグローバル化したほうがいいのか

 この章では、日本はグローバル化したほうがいいのか否か、一度、確かにグローバル化した世界が、今後どうなるのかについて考えてみたい。
 まず、国際競争力を考えた前章で述べたことを思い出していただきたいのだが、国同士はそれぞれ人口が違う以上、まったく同じグローバル戦略を取るということ自体がありえない話だ。
(中略。フィンランドという人口小国のノキアが付加価値の高くない携帯電話を世界中に売りまくったという例を示す。そして日本の携帯電話メーカーはノキアに倣うべきではないとする。)
 そもそも日本のメーカーは、海外の需要のために製品を開発し、成長してきたわけではない。1億3000万人近い人口がいる巨大な国内市場でもまれにもまれ、叩かれに叩かれて磨き上げた製品だからこそ、海外でも売れたのだ。
 その「根っこ」を忘れてはいけない。
グローバルスタンダードなどと言い出すと、日本企業の本質を忘れた物言いを始める人が少なくないのだ。
(中略。日本の携帯電話市場がガラパゴス化し、海外市場ではいまいち売れなかったことを言う。)
 では、携帯電話メーカーはガラパゴス化から脱却するべきなのだろうか。
 まったくの逆である。むしろガラパゴス化を進めるべきなのだ。
 グローバルスタンダードということであれば、今ガラパゴス化している日本の製品を、グローバルスタンダードに押し上げればいい。政府もそれを支援すべきだ。アメリカは、当然そういう考え方で物事を進めているのだから。

 グローバルスタンダードとは何かというと、インド人の労働者でも中国人の労働者でも日本人の労働者でも、同じ標準で作れば同じ物が作れるということである。
 つまり、世界的に一物一価になるということに他ならない。
 日本の企業は、この差別化が難しい、価格競争に陥りがちなグローバルスタンダードに乗るべきなのか。マクドナルドが世界を制覇したからといって、同社のスタイルにの模倣に力を注ぐべきなのだろうか。
 絶対に違う。企業の儲けの源泉は差別化であって、標準化ではない。
 他社と違うモノを作れるからこそ、付加価値が高まるのである。同じ物を作れば、たちまち値下げ競争の始まりである。
 この種のスタイルが、人件費の高い日本で成立するわけがない。無理に成立させようとするからこそ、国民が不幸になってしまう。
(中略。企業の英語公用語化に反対する。)

グローバル化した結果、社員の給料は下がる?

(中略。グローバル化は平均給与を下げる要因となり、近隣窮乏化を招く。)

グローバリズムは大間違いだ

 今さらで恐縮だが、はっきり言えばグローバル化など大間違いである。
 グローバル化は不可避だ、歴史の必然だなどというのは、大嘘だ。
 そもそも、グローバル化の本家本元のアメリカが、すでに否定し始めている。かつて散々グローバリズムを礼賛していたローレンス・サマーズまでもが、否定をし始めているのである。
(中略。グローバリズムの過去の事例を示す。グローバリズム全盛時代から保護主義が勃興する時代になり、第二次世界大戦に到ったことを指摘。)
 グローバリズムとは、簡単に言えば貿易が拡大するということ。各国の経常収支の黒字や赤字が膨らむことである。
 それが経済成長に結びつくかどうかは、直接は関係ない。日本が最も成長した時代は、グローバリズムのかけらもない、東西冷戦期である。
 もちろん輸出もしていたが、日本の輸出依存度は、今よりも高度経済長期のほうが低かったのだ。
(中略。アメリカの不動産バブルに支えられたグローバリズムが終わったこと言う。)
 グローバル化が不可避だ、などというのは大間違いである。
 政府は、自分の国民を幸せにする方法を考えなければいけない。それは別に、グローバルな輸出企業が儲けることではない。国民が幸せになれないのならば、グローバルスタンダードなど捨ててしまえばいいのである。

今後、世界は保護主義、自国優先主義になる

 グローバリズムが崩壊する以上、大国の進む道は保護主義化しかない。
 すなわち、国内である程度経済を回し、国民の平均給与が上がっていく方向、あるいは失業率が改善する方向に持っていくのだ。もはや、グローバル競争で給料が上がらない方向に行くべきではない。
(中略。保護主義化の兆候を示す。保護主義化する世界の中で日本が生き残る手として、アメリカとの共通通貨「ドレン」導入を提案。)

勝ち残るため過当競争を加速せよ

 ドレン構想は、まあ、極端ではある。それでは保護主義化していく世界経済の中で、日本は現実にどうすればいいのだろうか。
 今までの日本は、国内にガリバー企業を作らず、国内市場でガリガリと競争してきた。この状況を、より一層強めればいい。誰かにひとり勝ちさせてはいけない。いけない、というのは別に政府に何かしろというわけではなく、消費者が自らの知恵で市場競争を維持し続けるのだ。
(中略。厳しい日本市場がイノベーションを加速し、企業競争力が磨かれ、消費者が得をする。)
 日本企業はある意味で「世界最悪」な市場でもまれた技術を育て、保存し、より高める努力を続けなければならない。グローバリズムの弊害的な、アメリカ型の働かずにお金がチャリンチャリン入って来る方向へ行ってはいけない。
(中略。株主重視経営は間違い。)
 結局、経済とはモノ作りであり、サービスの提供なのだ。供給能力を研ぎ澄まし、拡大することが国民経済の本質である。

金融業のグローバル化

(中略。円高に乗じて世界中の企業や金融機関を買い漁る戦略的投資には賛成。銀行が預金を国内に投資するよう、政府は公共投資などで国内需要を増やすべき。)

なぜ円高なのに株価が下がるのか

(中略。日本人投資家は株を一度保有するとあまり売らない。外国人投資家の売買で東京市場の株価が動きやすい。)
 まさしく円高になると、外国人は一斉に株を売ってしまう。円高で為替差益が出ているのだから、現金に換え、一旦、本国に持ち帰ってしまうわけだ。
 株取り引きとは、ゼロサムゲームである。ある時点で誰かが得をしていれば、その裏側で誰かが損をしている。
 外国人が円高で売った時には、誰かがその株を買っているのだ。保有する株価が下がれば、その人が損をする。外国人は、円が安くなったらまた買いに来る。
 外国人の多くは、日本経済のファンダメンタルなど関係なく、円高になったら自動的、機械的に売るような投資をしている。
 考えてもみてほしい。外国人が日本株に投資する際は、日本円を買って株を買うのだから、本来は円高・株高でないとおかしい。しかし、実際にはそうなっていない。
 外国人投資家は、基本的にはキャピタルゲインが目的だ。
 だからこそ、円高になっている時に株価が上がっていれば、絶対に売ってくる。そういう意味では、為替レートが大きく円高に動かない限り、株が大暴落する心配もない。
(中略。日本の投資家の方が健全。)

リーマンショックで日本の株価が急落した理由

 通常は、通貨高と株高は同時に発生する。
 教科書的にはそうなのだが、日本では違っている。
(中略。リーマンショック前後、日本は円高だったため、東京市場の株価下落率が最も大きかった。業績の良い有名な輸出企業の株価も下落している。)
 特に有名な輸出企業の場合、外国人の持ち株比率が高い。結局、企業業績とは関係なく、為替差益目的で株が円高時に売られてしまう。
(中略。外国人投資家も稼がないといけないと、理解を示す。)

サービス業はグローバル化してもいい

 ところで、製造業の「グローバルスタンダード」は日本に合っていないとは思うが、サービス業にはグローバル化する価値がある。
 実際に、セブン・イレブンをはじめとするコンビニ業界は、海外で成功を収めている。その半面、ウォルマートやカルフールなど、海外の巨大小売業は日本で失敗している。
 これまた熾烈な競争市場で育てられた日本の小売業は、マーケティング能力の高さが海外大手小売業とは比較にならない。
(中略。ウォルマートはアメリカで成功したやり方を日本市場に持って来て失敗した。)
 ウォルマートの失敗を他山の石とするならば、日本で成功したモデルが当てはまりやすい市場、あるいは多少ローカライズすることで対応できる国には、積極的に進出すればいい。
 ちなみに、私がグローバル的に最も競争力があると考えている日本の業態は、宅配便である。間違いなく、世界最強だ。
(中略。宅配便サービスが海外市場で通用する理由を示す。)
 要するに、何でもかんでもグローバル展開すればいいというものではない。進出する国の水に合うと思うのなら、グローバル展開すればいい。
 むしろ気になるのは、日本企業がアジアにばかり進出したがっていることだ。欧米に行くのならば理解できるのだが、ユニクロの1000円のTシャツが高いと思われてしまう市場に出ていき、どうするのだろうか。

日本の農業もグローバル化するべき

 日本人は、間違いなく世界で一番おいしい果物を食べている。リンゴ、イチゴ、スイカ、桃・・・・・・。これらの「製品」は、世界の市場で高く評価されている。
 第一次産業というと、衰退しつつある印象を受けやすいが、日本の農業の場合、輸出産業に育てる余地は大きい。
 なにせ、日本は現在たった2000億円くらいの農産物しか輸出していない。イギリスでも日本の十倍である。日本の農産物輸出は、競争力がないとか、知名度がないとか以前に、まったく未開拓、未開のフロンティアなのだ。
 もっとも、小麦や大豆を輸出しようとしても、なかなかうまくいかない。果物のような、その場所でしか取れない稀少性やブランド力のある農産物にこそ競争力が生まれる。そうした作物こそ、大いに振興するべきだろう(評論家の皆様は、これもガラパゴス化などと、悪口を言うのだろうか?)。
 日本の農業が輸出産業になっていないのは、日本改造計画以来の悪習の遺産でもある。田中角栄は、国土を均質化しようとした。全日本を東京化しようとしてしまい、都会と同じような生活を地方でも送れることを目指してしまった。
 現在のニーズは、むしろ逆だ。地方も国も、特化していればしているほどいい。どこでもできる産業を地方に持ってきたところで、生産性が高まっていくにつれ、やがて人はいらなくなってしまう。本来は、工業は都市に集中させるべきだった。今、ようやく日本も、その地域にしかできない産業を見直す段階に来ている。
 その決め手になるの<ママ>、間違いなく農業だろう。そもそも日本は国内の需要が大きい。農家はきちんと生産すれば、十分食べていけるのだが、小規模で兼業農家的にやっているからうまくいかない。今後の日本に、兼業農家など不要だ。
 農業でうまくやっている人々は、日本国内だけでも相当に利益を出している(年収2000万、3000万がごろごろいる)。国内市場が飽和的だと言うのであれば、「ふじ」(りんごのブランド)や「とちおとめ」(いちごのブランド)をどんどん作り、海外に輸出すればいい。外国人も、一度食べれば決して忘れない味であろう。
 青森のリンゴ農家は金持ちである。アメリカに輸出もしており、青森にアメリカの防疫官がやって来ている。日本の農産物は、本気で取り組めばそのくらいの需要があるということだ。
 しかし、今までは、兼業農家的に小規模にやっており、利益が上がらない農家に対し、補助金をばらまいていた。これは農業の発展という意味では、最悪な政策だ。
 今回の、民主党の農家戸別補償という政策が間違っているのは、生産していない兼業農家を助け、延命させる方向に働いてしまうからだ。
 もう農業をやる気がないのであれば、土地を売って都会に来ればいい。余った土地を大規模に集めたほうが、必ず利益は上がる。生産性も高まる。
 ただし、農家には大変な集票力がある。戸別補償制度は、民主党の金と引き替えに票を稼ごうという考え方が見え見えだ。それを抜きにしても、日本の農業の未来のためにも良くない。
 農家の高齢化などと言われているが、これこそまさに兼業農家の問題だ。ろくに生産せず、農家の資格だけをぎりぎり残し、自分たちで食べる分プラスアルファだけを生産しているような農家は不要なのだ。高齢化して消えてしまっても、何の問題もない。
 その結果、ますます農村部の人口が減ってしまうという反論をする人もいるが、労働人口が減るとその地域の生産性がますます高まるだけの話だ。そもそも農業を辞める人を、農村に縛り付けておく必要などどこにもない。都市に行きたいという人を、引き止めることもできない。
 根本的な問題は、農業に産業としての魅力があるか、すなわち儲かるかどうかであろう。
 とてつもないビジネスになるのであれば、若者も定着するし、外からやって来る人も出てくるはず。人口が減るのは、単にその地域に仕事がないためだ。それならば仕事を作ればいいわけだが、東京と地方の仕事が同じであってはいけない。
 日本の農産物は、それこそ世界最高ブランドの地位を獲得できるポテンシャルをもっている。
 世界の農産物と価格面で競争などできない以上、圧倒的なおいしさと安全性で競争力を高く保ち、世界を日本の市場にしてしまえばいい。何しろ、農産物には今のところ「グローバルスタンダード」も「モジュール化」もないのであるから。」

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 かなり中野剛志氏の影響が見られるようになり、また、アンチ竹中平蔵氏の姿勢も色濃く見られるようになる。
 としても、今の三橋氏と印象はかなり違うだろう。特に農業のグローバル化については。
 今の三橋氏と比較して、ツっこみどころがあり過ぎる。
 とりあえず、グローバリズムに関する定義の話を片付けておく。
 三橋氏は、「日本の未来~」では、グローバルスタンダードを「自分たちの価値観を外国に押し付けること」と定義していた。
 他方この「経済ニュース~」では、同じ標準で作れば誰でも同じ物が作れることと定義する。
 いわば、前者は「日本人にしかできない」「相手を変える」のがグローバルスタンダードだと言い、後者は「日本人以外にもできる」「相手に合わせる」のがグローバルスタンダードだと言っているようなものだ。
 ものの半年でこれだけ考え方が変わってしまった。
 問題のグローバリズムについては、「貿易が拡大するということ」と定義する。
 国境を越えることが意識されている。
 三橋氏は、「グローバル化など大間違い」だと言い、グローバリズムを推進することに反対する。
 その理由は、アメリカが消費の低下と、平均給与の低下だ。
 しかしそう言いながら、サービス業や農業という、わが国の強い産業についてはグローバル化した方がいい、つまり、輸出を拡大した方がいいとする。
 ここらへんにまだグローバリズム反対論に染まり切れていない、迷いがあるように思う。

 株価について、「経済ニュース~」では、円高だから下落すると言う。
 「景気が悪いから、株価が上がる」という今の三橋氏とは大違いだ(http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12041376659.htmlhttp://ameblo.jp/bj24649/entry-12042807573.html)。
 「経済ニュース~」の方が妥当だ。
 今の三橋氏の解説を聞くと、経済ニュースが10倍よくわからなくなる。

 「勝ち残るため過当競争を加速せよ」など、今の三橋氏から出てくる言葉だとは思えない。
 昨年、三橋氏は、タクシー業界の過当競争の是正に賛成した(http://www.sankei.com/politics/news/140718/plt1407180035-n1.html)。
 中略としてしまったが、この節で三橋氏は、過当競争が消費者の利益になること、企業は「消費者のためにこそ存在する」と言う。
 「消費者としてはいい話かもしれないが、事業者側からの目線も必要だ。」と言う今の三橋氏と大違いだ(同リンク先)。

 「経済ニュース~」で三橋氏は、サービス業のグローバル化に賛成する。
 しかし、TPP反対論では、三橋氏は、アメリカのサービス業が日本になだれ込むからTPPに反対する、となってしまい、サービス業のグローバル化がTPP反対の理由になってしまう(三橋貴明「「震災大不況」にダマされるな! 危機を煽る「経済のウソ」が日本を潰す」(徳間書店、2011年)86ページ)。

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 農業のグローバル化については、最近の三橋氏の主張の細かいところは知らないが、さらに変節が激しいのではないか。
 「経済ニュース~」で三橋氏は、小規模兼業農家を保護しすぎだ、農家は大規模化して特産品の生産性を高めろ、そして世界に打って出ろ、ということを言う。
 今の三橋氏はこうである。


「日本ほど農業を保護していない国はない」 三橋貴明ブログ2015年7月28日
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12055296987.html

「 本書のラストにも書きましたが、「亡国の農協改革(仮)」は、三橋貴明の「正気の歌」なのです。」
「 現実のデータに基づく限り(つまり「妄想」に基づかない限り)、日本ほど農業を保護していない主要国は、地球上に存在しないのです。

 上記が事実であるにも関わらず、
「日本の農業は甘やかされている! 市場競争を導入し、世界に打って出るべきだ!」
 などと、寝言を言う政治家、官僚、学者、評論家、そして「国民」ばかりです。

 「頭の悪い」日本国民が農協や農家を悪者化し、我が国は食料安全保障が一つ、また一つと崩れていっているのが現実なのでございます。さて、どうしましょうか。

 とりあえず、真実を知るべく努めませんか。「日本ほど農業を保護していない国はない」という真実を理解した上で、日本の農業改革や農協改革を考えるならば、それは真っ当でしょう。とはいえ、現実は違います。

 真実を知ろうとせず、マスコミが垂れ流す「日本の農業は保護されている」という世迷言を信じ込み、農協を叩き、農業を叩き、自らの「生命」に直結する食料安全保障の崩壊を「推進」する。これを「愚民」と呼ばずに、一体、何と呼べばいいのでしょうか。

 真実を知ってください。日本ほど農業を保護していない国は無いのです。」


 「「日本の農業は甘やかされている! 市場競争を導入し、世界に打って出るべきだ!」などと、寝言を言う政治家、官僚、学者、評論家、そして「国民」ばかりです。」って、それ、5年前のご自身なのでは?
 「経済ニュース~」の読者を、世迷言を信じ込む愚民呼ばわりとは。
 「経済ニュース~」に書かれているのは「正気の歌」ではなく、世迷言だったのか・・・。
 「経済ニュース~」で三橋氏は、「農家には大変な集票力がある」と言う。
 そして三橋氏は、昨年、安倍内閣打倒宣言をしている(http://ameblo.jp/bj24649/entry-11891064050.html)。


「「私の第3の矢は悪魔を倒す」考」 三橋貴明ブログ2014年7月1日
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11887014825.html

安倍政権は、長続きしないでしょう。といいますか、長続きさせてはまずいことになります。しかも、「取り返しがつかないまずいこと」です。」


 農協改革の恐怖を煽ることで、著作が農家に売れるのみならず、農業票が自民党に流れることを妨害し、安倍内閣に打撃を与えることもできる。
 第一次安倍内閣に限らずだが、ねじれ国会になると短命政権になる。
 三橋氏は来年の参院選で安倍自民党が負けることを望んでいるのではないか。
 そんな目論見を疑わずにはいられない。
 そういえば三橋氏は、「亡国の農協改革」を全国会議員に送ったとのことだが(http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12071834006.html)、これは無償で野党議員に安倍叩きの武器を供与するということではないか。

 もう既に「お腹いっぱい」の読者もいると思う。
 しかし、「グローバリズム」について、三橋氏はさらに変節を重ねる。
 と、記事を続けようと思ったのだが、字数制限に引っかかってしまった。
 続きは次の記事に書くこととする。
 とにかく、三橋貴明氏を信用するのはアブない。
 YouTube動画の再生回数を見ても、次世代の党のタウンミーティングに行っても、三橋経済論の影響は保守勢力の間でいまだに大きい。
 保守を自認する人であれば、三橋経済論から遠ざかった方がいい。