独立直観 BJ24649のブログ

流行に浮かされずに独り立ち止まり、素朴に真っ直ぐに物事を観てみたい。
そういう想いのブログです。


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 17日、渡部昇一氏が逝去された。

 ついこの前までDHCテレビで元気な姿を拝見していただけに、私にとっては唐突であった。

 

 

 

「「知的生活の方法」渡部昇一さん死去」 NHKニュースウェブ2017年4月18日

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170418/k10010952431000.html

 

「保守派の論客として知られ、「知的生活の方法」がベストセラーになった上智大学の渡部昇一名誉教授が、17日、東京都内の自宅で亡くなりました。86歳でした。
渡部さんは山形県出身で、上智大学の大学院を修了したあと、ドイツの大学で博士号を取得し、英語学者として長年、上智大学で教べんを執りました。

専門の英語学以外でも多くの著作を発表し、「腐敗の時代」で日本エッセイストクラブ賞を受賞したほか、昭和51年に出した「知的生活の方法」がベストセラーになりました。

保守派の論客としても知られ、歴史認識や教育論、生命倫理などに関しても雑誌や新聞で積極的に発言しました。去年11月には天皇陛下の退位などを検討する政府の有識者会議のヒアリングに参加して意見を述べるなど、最近まで言論活動を続けていましたが、上智大学によりますと、17日、東京都内の自宅で亡くなったということです。」

 

「評論家の渡部昇一氏が死去 第1回正論大賞、「知的生活の方法」など著書多数」 産経ニュース2017年4月18日

http://www.sankei.com/life/news/170418/lif1704180003-n1.html

 

「 本紙正論メンバーで第1回正論大賞を受賞した英語学者・評論家で上智大名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)氏が17日午後1時55分、心不全のため東京都内の自宅で死去した。86歳だった。葬儀・告別式は親族で行う。喪主は妻、迪子(みちこ)さん。後日、お別れの会を開く。ここ数日、体調を崩していた。

 昭和5年、山形県鶴岡市生まれ。上智大大学院修士課程修了後、独ミュンスター大、英オックスフォード大に留学。帰国後、上智大講師、助教授をへて教授に。専門は英語学で、「英文法史」「英語学史」などの専門書を著した。

 48年ごろから評論活動を本格的に展開し、博学と鋭い洞察でさまざまな分野に健筆をふるった。51年に「腐敗の時代」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。同年に刊行された「知的生活の方法」は、読書を中心とした知的生活を築き上げるための具体的方法を論じ、100万部超のベストセラーとなった。」

 

http://www.sankei.com/life/news/170418/lif1704180003-n2.html

 

「 57年の高校日本史教科書の検定で、当時の文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせたとする新聞・テレビ各社の報道を誤報だといちはやく指摘し、ロッキード事件裁判では田中角栄元首相を擁護するなど論壇で華々しく活躍。一連の言論活動で「正確な事実関係を発掘してわが国マスコミの持つ付和雷同性に挑戦し、報道機関を含む言論活動に一大変化をもたらす契機となった」として60年、第1回正論大賞を受賞。東京裁判の影響を色濃く受けた近現代史観の見直しを主張するなど、保守論壇の重鎮だった。平成27年、瑞宝中綬章。主な著書に「日本史から見た日本人」「ドイツ参謀本部」など。フランシス・フクヤマ「歴史の終わり」など翻訳も多数手がけた。」

 

 

 

 私は渡部氏を尊敬し、政治や歴史の見方をよく渡部氏に求めていた。

 平成26年末、日韓両国外相が慰安婦問題日韓合意を表明し、保守系論客たちがこれに猛反対した。安倍政権不支持を宣言する者もいた(http://ameblo.jp/bj24649/entry-12119356525.html)。

 私はかかる保守系論客を批判する記事を書いた(http://ameblo.jp/bj24649/entry-12115592297.htmlhttp://ameblo.jp/bj24649/entry-12117273749.html)。「軽挙妄動」とまで言った(http://ameblo.jp/bj24649/entry-12111845946.html)。

 この時、実は私は不安であった。

 渡部氏がこの合意についてどういう見方をしているのか知らなかったからだ。

 その後に出た論考で、渡部氏は、

「日本、特に保守派は日韓合意などにうろたえることはない。」

「戦う相手を間違えてはならないのである。」

と、安倍政権を攻撃する保守派を諭した(「日韓慰安婦合意と東京裁判史観」(WiLL2016年4月号、ワック)39ページ)。

 私は渡部氏よりもこの合意を積極的に評価しており、渡部氏と異なる見方をしていたのではあるが、この合意にうろたえて安倍政権を激しく攻撃するのは間違いだという点においては認識を同じくしており、胸をなで下ろした。

 

 

 

 

 渡部氏は著作が多い。600冊以上あるそうだ(https://youtu.be/Ko5jJ_hEFjA?t=14m42s)。

 思い入れのある著作は人それぞれ違うと思う。

 最も有名なのは上記引用記事に挙げられている「知的生活の方法」であろう。

 私は東日本大震災後に保守言論に関心を持った。

 初学者が短期間に保守系の人々の共通認識を身に付けるにはどうしたらよいのだろうと私は考えた。

 共通認識を身に付けるなら権威ある大御所がいい。その中で誰がよいのか。幅広い教養を持ち、発言が多く、著作が入手しやすい。そういう条件を考えたとき、私は渡部氏に学ぶのがよいと考えた。

 そして購入したのが、「決定版・日本史」(育鵬社、2011年)であった。現在は増補版が文庫で出ている。

 何冊にもわたる通史は読み切れないが、これは1冊で完結しており、通読可能な分量だ。歴史問題の有名な論点も盛り込まれており、便利な本だと思う。

 ちなみに、今では当たり前のように使われている「東京裁判史観」の語は、渡部氏が使い始めたものだ。これの対義語をご存じだろうか。「東條・マッカーサー史観」である。

 

 

 

「【追悼・渡部昇一さん】 言論界の巨大な星 深い教養が生んだ正義の人 杏林大学名誉教授・田久保忠衛」 産経ニュース2017年4月19日

http://www.sankei.com/column/news/170419/clm1704190004-n1.html

 

「 初めて渡部昇一さんとお会いしたのは40年ほど前、ラジオの番組でした。当時、渡部さんはベストセラー『知的生活の方法』で知られる上智大の若手教授。私は時事通信の記者で、2人で対談をやりましてね。第一印象は、こんなスマートな人がいるのか、という驚きでした。体もスマートなら言うことも非常にシャープで、背景には万巻の読書があるのだろうと思わされた。以来40年、「渡部昇一の新世紀歓談」(テレビ東京)など、渡部さんがホスト役を務めるさまざまな番組に、ずいぶん呼んでいただきました。

 最後にお会いしたのは、先月末のことでした。あまりに痩せられていたので、びっくりしましたね。声も非常に細かった。その際の渡部さんの主たる関心は、米国トランプ政権で国際状況がどう変わり、日本はどうしたらいいか、ということでした。最後まで日本の行く末を考えていた。

 渡部さんの一貫した関心は、日本の現状に対する憂いでした。国家の基本問題である外交、防衛、教育がなっていない、と。そういった国体の問題、つまり皇室の問題にも関わる憲法について、これを早く改正しなければ、と終始一貫説いていた。その点で安倍晋三首相を支持し、書斎派の知識人でありながら実際の運動にも一生懸命に携わった。勇気あるまれな人だった。いまは保守の流れが大きくなっていますが、そのずっと前から一人で戦いを続けてきた渡部さんは、まさしく保守の中心的存在でした。その源流が大きな流れとなってこれから前に進んでいけば、渡部さんも本望でしょう。」

 

http://www.sankei.com/column/news/170419/clm1704190004-n2.html

 

「 直接接して感じた人柄は、人事やお金など小事への執着がない。天下国家ばかりを論じていた。あまり他人の悪口を言う人ではありませんでしたが、人の倍も3倍もいろんなものを読んでいますから、同じ保守派に対しても批判するときは「あのときはあの雑誌にこういうことを書いていた」と痛烈にやっつける。

 著作の中で特筆すべきは、やはり歴史ものですね。学問の世界から、一般の人が読みやすいものに変えた。これで国民がどれだけ助かったか。皇室の問題から学界で議論されている細かなテーマまで、あの人らしい柔らかい表現で、中学生でも分かる本にした。これは巨大な仕事です。

 いろんな分野でタブーなき言論を行った勇気ある知識人であり、しかもその発言は正義感と深い教養に裏打ちされていた。渡部さんは日本の言論界にとって、巨大な星のような存在でした。(談)

                   

 評論家・英語学者で第1回正論大賞を受賞した渡部昇一さんは17日、心不全のため死去。86歳だった。」

 

渡部昇一 「戦後七十年の真実」 (育鵬社、2015年) 42,43ページ

 

「 上院軍事外交合同委員会の聴聞会に呼び出されたマッカーサーは、そこで実に驚くべき証言をしました。彼は大戦前の日本について次のように述べるのです。

「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もない。彼らは綿がない、羊毛がない、石油製品がない、錫がない、ゴムがない、その他にも多くの資源が不足していた。それら一切のものがアジアの海域に存在していたのである。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。したがって、彼らが戦争を始めた動機は、その大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのだ」(引用箇所)

 マッカーサーは戦勝国である連合国から委嘱され、東京裁判(極東国際軍事裁判)を開きました。そのときに日本の”罪”を裁くために国際法を直に使わないで、『東京裁判所条例』(マッカーサー条例)をつくり、この条例に基づいて東京裁判を開きました。これによって、それ以前に存在しなかった事後法(「平和に対する罪」「人道に対する罪」)を定めて裁判を行ったのです。東京裁判はマッカーサーそのものであり、マッカーサーが日本を侵略国家として断罪するためのものであったといっていいでしょう。

 ところが、そのマッカーサー自身が東京裁判の判決が下りた約二年後にリビジョニスト(歴史修正主義者)になりました。リビジョニストというと悪い意味でとらえられがちですが、基本的な意味は「歴史を見直す」ということですから別段悪いわけではありません。マッカーサーも歴史を見直し、自らの誤解を訂正したにすぎません。

 重要なのは、それが彼のつぶやきでもなければ、友達に語った言葉でもなく、日記や伝記に書いたことでもない。最も公な上院軍事外交合同委員会の聴聞会で証言したという事実です。

 東京裁判を開いて日本を侵略国として断罪した張本人であるマッカーサーが、日本が戦争を始めたのは主として自衛のためであったと公に認めたのです。それはなぜなのか。マッカーサーは朝鮮戦争の指揮を執るうちに共産主義の脅威を感じ、日本が同じ脅威を常に感じていたことを身にしみて知りました。その結果、「日本は悪くなかったのではないか」と思うようになったのです。

 さらにいうならば、彼の証言の趣旨は、東京裁判のときに東條英機が最終弁論で述べた内容と同じです。日米開戦時の首相であった東條英機は「日本は常に受け身であった。やられたからやらざるを得なくなったのだ」と述べているのです。

 私は「日本に戦争責任があった」という見方を「東京裁判史観」と呼んでいますが、「日本に戦争責任はなかった」という歴史観を「東條・マッカーサー史観」と名づけています。そして、あれから七十年たって振り返ってみれば、「東條・マッカーサー史観」のほうが正しかったということが明らかになってきています。

 

 

 

 

 

 知の巨人であり、歴史の証人でもあった渡部氏。

 保守言論界は大きな柱を失ってしまった気がしてならない。

 渡部氏という重鎮がいなくなった保守言論界はどうなってしまうのだろう。

 安倍政権を過剰に攻撃する者らに抑えがきかなくなるのではないか。赤旗がそこかしこに立ってしまうのではないか。

 そういう不安をおぼえる。

 渡部氏は数多くの著作を遺した。

 渡部氏の知識や経験が後世に伝わることを願う。

 

 

 

 渡部先生のご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

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