my countdown  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
 
 
    41年前の23時。 
    降りしきる雪の夜、産まれたらしい。
    17歳のとき、「32歳までに死ぬ」と決めてから
    死ねずに この歳まで生きてしまった。
    なんだか いろいろあったけど… 
    長かったな。
    でも今日まで生きてきた。
    結婚して子供ができて、36歳からの残りはオマケの人生 と想っている。
    これからもまた過酷だったり、何をやるにも やる気が失せたりすることも
    …あるかもしれない。あるいは、なにもないかもしれない。
    または、これから30年後も60年後も80年後も 
    あわただしく あっというまかもしれない。
    「明日は我が身…」という不安。そして、災害や犯罪と背中合わせでも 
    今日までは大病を患ったり、大勢の命が灯が消えるほどの
    なにか大きな災難とかには遭遇しなかったけど 
    自分の未来がすべて解るわけでもないので 
    ひとつの肉体で二人も3人も、それが人間なのか ? クタバリ害いなのか ? 
    そういうこと にも区別・識別をつけて、精神病院やクスリの世話になることもなく 
    このまま それなりの人生なのかもしれない。
    
    最近ようやく、
    「生きていて よかった」と素直に思えるようになった。
    自分から勝手には死ねなかったけど、死ななくてよかった。
    五体満足で、たいした苦労もなく 
    かといって中途半端なヒトナミやツキナミもなく 
    呼吸をして全身に血を巡らせて、そこに必要なモノを喰って生きてきた。
    
    口にしてきた物も割と安全なモノだったと思うけど 
    住む場所と着るモノにも仕事をしてカネを払い、 
    そうやって独りで生きてたつもりのときは、なにか、
    「これが美味しい」とか、「あれが食べてみたい」という贅沢など ほとんどなく  
    「今日を生きるために とりあえず何か腹に入れておかねぇとな…」 
    という感覚でしかなかった。
    とにかく、口へ放りこんで噛んでも噛まなくても飲み込む。
    独りで物を喰う淋しさや虚しさのアタリマエなスタイル…。
    そして必要に応じてクソや小便で出す。要らないモノを。 
    できるかぎり自分を見失わないように 
    呼吸も血の巡りも常に、自分自身で把握しておく。
    そしてまた腹を空かしたときに何か食べる。 
    朝があって、夜があって、太陽と月があって 
    営みをつづけられる大地が海に囲まれていて 
    ときどき浜辺や山へ行って星空を仰いでみたり… 
    そういう中に生かされている存在のひとつであることを常に忘れず 
    今日までを生きてきた。
    なんとか。ここまではな。
    自分の力量、手に入れられる範囲内で「ほしい」と想ったモノ、
    心に強く想い描き、望んだモノを手に入れても 
    そういったモノの管理や保管より 
    まず自分自身が今日を生きることが優先だった。わりぃけど。
    
    家族全員で顔をあわせて食事をするという経験も少なかったので 
    今は、独りで物を喰っていた頃の癖や喰い方の習性、習慣の名残りなのか? 
    どこで誰と食事をしても、その頃に身についてしまったスタイルがつきまとって 
    一緒に食べることが大切で 
    それが「楽しい」と、心の底から そう思えることがない。
    あるような気がしても、やっぱりない。
    これには問題がある。
    なぜなら、今の俺は自分独りだけで勝手に生きているわけではないので。
    
    人間、独りきりでいる時間が長いと 
    いつか誰かと一緒に暮らすようになったとき 
    カタチだけのツキアイや団欒ということが煩わしかったり 
    目の前にいる誰か、相手のペースに合わせることが 
    うっとうしく感じてしまったり… 
    そういうのも、自分以外の他人には迷惑がられたりすることもある。 
    
    なぜ物を喰うのか? 
    生きるために必要で、それが 
    生かされていることの絶対条件のひとつなんだから…なんだけど 
    俺自身は、なにか「食べる」とか、“入れる”以前に、
    既に喰った物が消化されて 
    自分自身に不必要なモノが身体の外へ しっかりと排泄できないことが 
    今日は大丈夫でも、明日以降は非常に危険なことだと認識している。
    
    今の時代は、自分の身のまわりに 
    あまりにも必要以上のモノが多い。
    おそらく…
    1985年頃から、そういうことに気づいている人は 
    今後これからも・・・・中略。 
    
    なにをどんなに、おいしく、たのしく呑んだり喰らったりしても 
    知識にしても、それが今の自分が今を生きるために
    役に立つ栄養以外のモノなら、
    クソはクソとして、小便はショウベンとして 
    しっかりと自分の外へ出ていかないと気が済まない。
    潔癖とか律儀、堅実…などという立派なことではなく 
    自分自身に要らないモノは要らない。
    余分なモノは必ず出す! 徹底的に。 
    解脱などを目的に断食するという意味ではない。) 
    誰かと酒を呑んでいても、酔った勢い(など)で 
    もしも喰い過ぎてしまったときは 
    トイレへ行って、口の中へ指を押し込んででも吐き出す。
    なので、クソでも小便でも、出すのを我慢するってことができない。 
    20代のはじめ頃から徐々に、そうやって生きてきて 
    やはり喰ったり飲んだり、
    自分の中に何かを“入れる”よりも“出すこと”のほうが優先。
    それこそ、何かモノを喰いながら出すことを先に考えてる。
    「考えてる」というより、それを身体に命じて、
    「くそぉ~!」と思って喰っている。なんでも。
    なので、周囲との団欒てのは無理。
    
    そういうアホな日常を繰り返して今日に至る。
    今は未だ41だけど、顔に皺はない。白髪もない。
    30歳のとき78キロあった体重も、今は60キロを超えなくなった。
    ジーンズのサイズは29~31。
    身長は170くらいなので体力的に 
    この体重では、ちょっと足りない気もするけど 
    腹の中にクソを溜め込むことはないので 
    筋肉が硬くても酒で回せば なんとか動く。
    
    さいきんは目的あって、
    世間様の勝手気ままな長生きの秘訣 は無視して 
    俺は俺で誰と比較する必要もなく長生きをするつもりでいるので 
    このままでは あと数十年ももたないな。 
    現状維持。
    難しいと云えば難しいんだけど 
    難しく考えないようにすると、意外に簡単な場合もある。
    
    とにかく、ここまで来て、死ななくて善かった。 
    その実感はある。
    20年前の俺自身とは明らかに違う。
    今から数年前の俺ともちがう。 
    
    要するに、肉体の老化に伴う精神の成長の確認ってことだ。 
    肉体の老化に精神の成長が追いつかないヒトが多い世の中でな。
    そういう連中が果たして、いつ頃から 
    本来の自分自身の在り方を見失っちまったのか? 
    これはまた、いずれ、俺自身が還暦を迎えたときにもハッキリする。
    …ええっとぉ、
    さいきんは、俺が書いてるページを中学生や高校生も読んでくれているようなので
    簡単に説明すっと、
    「還暦」【かんれき】ってのは、
    今そこにいて次の朝に太陽が昇った瞬間。
    その、日の出の時刻と日の入りってのは必ず、
    60年後の同じ瞬間に、まったく同じ位置で同じ場所に太陽が昇り、
    その日は、陽が沈む時間も、60年前の夕方6時●●分の●●秒と 
    寸分の狂いもなく規則正しく日没するってことが決められてる。
    60年を一定のサイクルとした一定のリズムの中で 
    人間そのものの営みも、成長も、何かが産まれたり始まったりする瞬間も 
    すべてにおいて地球上の時間は60年周期で一旦はリセットされる。
    どこにいても、そういうことになってるわけ。
    誰が否定しようもなく、既に誰もが創られ、産まれ、育ち、死に逝く…という、
    それ以前にな。
    
    んで、その間に、人間なら人間は、男であろうと女であろうと中間・中性体であろうと 
    それなりに人間として、やることをやらなきゃなんなかったわけ。
    ところがだ! 
    最近の世の中21世紀初頭の人類社会の狭い日本の人間の世の中では 
    やるべきことをやらずに死んじゃってるようなヒトも多くなってきた。
    これはなぁ、のちのちの人類にとって、かなり問題がある。
    それは単に、結婚する時期とか、初潮を迎えて子供を産む時期とか… 
    生態的な問題ではなくって、生態系を崩した環境の問題でもなく、
    これまで脈々と肉体を持った人間同士により受け継がれてきた、
    魂の配列や自然界に生かされる上での魂の階級の問題。
    ここ数十年ぽっちの人間の教育や思想、宗教、必要以上の経済や便利さの追求によって 
    今は表面的に、男女平等だの人権保護だので、社会やヒトの世は 
    横一列になってる感じで、地球の南半球も北半球も 
    人間という生物の生息区域は
    ウワベだけ世界が一家!」 
    の、ドル資本に振り回されてる文明格差みてぇになってるところもあるんだけど 
    この日本では、実は明治維新の前に 
    学校の歴史教育や大河ドラマでやってるような内容が無いような噺とは別に 
    明治政府や大本営が他国に操られないようにする動きもあった。
    それはそれで、どっかの誰かが「マズイ!」ちゅうことで 
    ほとんど抹殺されちまったんだけど 
    仲には今も、つい最近まで一部、生き残ってた、そういうセクトの末裔もいて 
    それは戦後の宗教法人の乱立にも伴ってバラバラになっちまった。
    要するに、最初のスタートが自然界の摂理や人間が動かせない法則にそぐわなかったために 
    そのあとに続く弟子も分派も様々に枝別れして 
    結局は誰にもどこにも統率が執れない状態。
    たとえば海外…欧米にしても、ヒトラーが、あの独裁政権国家を築いて 
    ユダヤ人を600万人も殺害した事実 の裏側にも 2008-12-25 21:08:30 
    誰が何を操っていたことが何の思想と食い違ったためだったのか? 
    心身ともにバランスよく正常な人間なら、
    ヒトが一人、ヒトを殺すなんてこともタイヘンなエネルギーなのに 
    そんな自然界に勃る地震災害での死者を上回るような 
    大量殺人をしてしまうほどのエネルギーを反動させたモノはなんだったのか? 
    果たして、ヴィンラディンなんて野郎は存在するのか? 
    テレビとか新聞で勝手に報道してる連中が実際にソレに会ったことあんのか? 
    ニューヨーク911の貿易センタービルの破壊(大量殺戮)は、
    誰の、なんのためだったのか? 
    どうして今、ガソリンの値段あがってんのか? 
    『テロ対策』というタテマエの侵略戦争は、誰のカネ儲けでやってんのか? 
    そのカネ儲けで築かれる莫大な富は、何の開発費に注ぎ込む予算確保なのか? 
    そういうことは俺よりも丁寧に詳しく扱っているサイトも 
    世界中にいっぱいあるんだけど 
    言語の壁 とか以前に 
    人がヒトとしての正しい思考や意識の向上に誰も統率が執れない状態をつくっているような、
    世界的な経済支配もある。
    どこに?って、我々のスグ身近なところに。
    
    人間という存在が人類として、この地球上にあって 
    いま生きている者の数より死んだ者の数が多い世の中で 
    今の人類の19世紀も20世紀も、それ以前には16世紀も紀元前もあって 
    仲には自分独り、もしくは自分達ファミリーだけで 
    アサハカに世界支配を企んだ連中も大勢いて、
    それはまた今でも過去を引きずって生きてるオメデタイ奴もいる。 
    そういう一部のモノが、どうすりゃぁ大勢を支配できるか? って問題にぶつかったとき。
    簡単だ。独り一人に飴ほおばらせて鞭で叩いて、自分自身を見失わせりゃぁいい。
    まんまと今の日本人21世紀初頭の国連加盟国の現代日本人の多くの若者には、
    ケータイとアニメとゲームを生命の成長を麻痺させる薬物のようにして 
    その大衆意識は、人生の一秒一秒の存在確認を見失わせる方向へ嵌められている。
    それ以外の団塊世代とか戦争体験者の年寄り連中のほとんどは 
    自分自身が日本人として生きてきていながら、既に1985年という昭和60年の時代の還暦以降、
    自分の存在が、この人類で、どんな役割にあったのかが意味不明な状態。
    かろうじて今の、40代後半から60代前半の人たちの中には 
    この地球が今、今後も人間が心身ともに住みよい場所であるのか? 
    …などということに疑問を抱いてる。
    でも、その疑問を今、どうすることもできない。
    なぜなら、自分自身の肉体に健全さがないので。
    
    あのねぇ、ちょっと前の世の中なら、今の60代、70代の人たちが 
    30歳~40歳、50代前半だった時期は 
    産業でも農業でも漁業でも、どこにどんな立場で携わっていても 
    みんな今よりもっと元気だったの。男も。女も。 
    まず、喰ってる物が自然に近かったし、生きることの意欲にも満ちあふれていた。
    単なる反戦運動とか、赤組連中の好きなウタゴエ喫茶でもなく、
    エセなチャリティ・ソングの流行やヒッピーだのフラワーだの、サイケとかパンクだの、
    ビートニクとか、そういう“懐かしのカテゴリー分類”とは別に 
    今の60代、70代の日本人の人たちが見失わないようにしようとしてたことってのは 
    すべてにおいて、唯一、本来の人間の自由への解放だったはずだ。
    わりぃけど、もう踏み外してるよ。1985年にな。
    音楽業界ではYMOとケースケさんがわるい。 
    あの類いが、不思議な言葉を編み出しては捨てるケータイ世代へスライドさせたモノは 
    人間が人間として認識すべき時代の節目や ひとつひとつのケジメとかを
    どうでもいいことのようにメンドクサイものにしてしまった。 
    最近は、そういう「そんときだけ気持ちよけりゃいい!」って感じで 
    「世の中、自分が生きてるだけで終わり…」っぽい意識に自らが不信を抱くように 
    自分自身が歌ってきた唄の数々を歌い直してみたりして 
    清算するものは清算して、チラチラとセルフ・カヴァーのキャンペーンに浸るなど。)
    なんとか見失ってきたモノを獲り返すような活動をはじめてる人も幾人か…いるようだけど 
    もう遅いよ。間に合わない。
    人間が人間として育つ場所がちがう。
    それでも、気づいた人は、今まだ五体満足なら肉体の修復も可能。かろうじて。
    
    人間の肺につながっている手の親指が 
    大腸につながっている人差し指が 
    顔にある鼻と肛門筋肉や肩の関節筋肉の中心と関係していて、
    そうやって雨の日も晴れの日も呼吸をしてるかぎり。
    手の小指と中指が心臓とつながって舌の返りに関連して
    胸の鼓動にあわせて言葉を発することができるかぎり。
    足の第一指が、人間の腰にある腎臓と、胸の中の肝臓と、脾臓(おなか全体の筋肉/腹筋… 
    …食べた物や飲んだ物が通過する大腸・小腸・膀胱・胆のう・胃、女性なら子宮も卵巣も、
    そういう陽の臓物が腹部の筋肉に囲まれて支えられている道理と基礎)
に関係しているかぎり。
    足の第二指と真ん中の指が人間の胃の活動と、口の筋肉から前頭部へ つながってるかぎり。
    足の第四指が人間の胆のうと肝臓の関係に左右して側頭部へ つながってるかぎり。
    人間の両足の小指が膀胱や尿道筋肉に関連して後頭部へ上昇するそれが 
    両足の裏側中心で陰陽の表裏を成して 
    子孫繁栄の義務を果たす役割としての生殖機能を司る腎臓と、頭の両耳につながっているかぎり。
    それは、どの人間も独り、産まれる以前の創られたときに既に決められていて  
    この世で生きるための能力 を発揮するために
    両方の手足の指が5本ずつと定められいたんだから 
    その能力をフルに遣って活かして 
    素直に歌って、演奏して、踊りたい人は踊りゃぁいい。
    だろ。
    
    いまさっきまで、そういう 人間の基本的な創られ方の仕組みや構造を 
    具体的に今の時代のヒトサマの日常生活に合わせた内容で書いてたんだけど。
    ちょっと待ってくれ
    またもや、かなり長い。
    でも丁寧にワカリヤスクな。
    なんせ、41歳の秋 なので。
    あなた心の、元祖天災バカばんそうこう! 
    いや、もう冬だ。
    佐渡は昨日から雪が降ってる。
    
    
    一年のうち、自分ばかりでなく 
    誕生日ってのは きっと誰にとっても 
    商業クリスマス騒ぎが明けた翌日とか
    なんだか知らねぇうちにオメデタイ正月? 
    よりも特別な日…だと思うんだけど。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    「お誕生日おめでとうございます。o(^▽^)o」 
     
意志の弱いオヤジ  (2007/11/19 22:56) 
 
    「お誕生日おめでとうございます。自分しだいで人生は決まりますよね!」 
     
mr.leon  (2007/11/19 15:20) 
 
    「お誕生日おめでとうございまぁ~す。」 
     
ひろみん  (2007/11/19 14:48) 
 
    「おめでとうございます。」 
     
つーたん  (2007/11/19 7:50) 
 
    「お誕生日おめでとうございます。素敵な1日にして下さい。」 
     
ラウル  (2007/11/19 6:16) 
 
    「Happy Birthday to You!」 
     
thaler  (2007/11/19 1:30) 
 
        
 
 
    このように、ミズシラズの他人から
    おめでとうコールを戴くと 
    正直、ふつうに嬉しいっス。
 
    どうもありがとう!