噛んだあとのガムの吐き捨ては殺人?  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
テーマ: 犯罪心理学の盲点      
   
title: Is the vomiting throwing away of the chewing gum after it bites a homicide? 
   
   
      
   
   
ひさびさに畑仕事 手伝うと
…疲れんな。やっぱし。
それはもう昨日の話なんだけど、今日は風が強い。
子供と海辺の公園へ遊びにいく約束してたんだけど
ダメだ。
すまん。お父さんは強風の中で遊びたくない。
明日は新穂ダムとかいうところへ行って
そこでなんかの祭りがあるのかなにか知らねぇけど
一龍【いちろう】子供、息子6歳・小学校1年が通う空手教室の
演武とかいう催しが午前中にあるんだけど
天気はどうなんだ? 
明日は雨なのか? 
一龍はトンファーを持ってなにかやるらしい。
練習してたよ。幾日か。
俺は、
今の時代、どこで何があるか解んねぇからな、
自分の身は自分で守れ

ということで、空手を習わせてるんだけど
「攻撃は最大の防御!」
とかいう考え方? 常識? 企業でも戦国時代の教訓でもなんでも。
ああゆうのってのも、どうも好きになれないんだよな。
だいたいにおいて、トンファーとかヌンチャクという道具が
単に武器ではなく、
本来は身を守る…自分の命を守るために開発されたモノなのに
ちなみに、両方ともオモチャ以外は持って街を歩くと銃刀法違反らしい。)
武道の世界の精神はともかく
俺もそうだったけど、現代の子供っちゅうか、男の子ってのは、
どうしてもミヨウミマネで
トォッとかキーの世界が好きなので
   
    ridercard337  
    カルビー2003仮面ライダーチップスのカード№337より
   
テレビを観ていても棒状の、そうゆう? 
それを振り回すことに憧れたり燃えたりしちまうんだよな。
べつに誰か目の前にいて、その相手にも自分にも怪我を負わせるようなことがねぇなら
チャンバラくらいやったっていいんだけどさ。
「攻撃は最大の防御!」とかなんとか言ったって
攻撃の際には必ず隙ができるんだ。
そのタイミングを先読んで、ボクシングとかでは決定的なパンチを決めるわけだろ。
瞬間的に。
やったこたぁねぇけど、そーゆーもんだと思う。
ホントは合気道とかを習わせたかったんだけど近所にねぇんだよ。
片道制限速度で40分かけての両津には、最近できた模様。
   
でもなぁ、どうしてそんな、小学校一年生の“大人ではない体格”で
まだ習いたてはじめなのに、トンファーなんて持たせるのか? 
そーゆーのはさぁ、
 
「ああ、あの人、今、猛スピードで走ってたクルマに撥ねられたのに
どっこも なんともないみたいよ! ピンピンしてるよ。」

 
というほど…たとえが極端だけど、生身の身体、素手の状態で
自分の身を自分で守れるくらいに、その手の道を窮めてからなら、ちったぁ判る。
そこではじめて、少林寺36房の一人前として認められるわけだろ。 (?。) 
でもって、棒術とか剣術とかの「きわめたいなど追究は、
やりてぇヤツの自由で、その先にあるはずなわけよ。
俺の頭ん中ではな。
ところが、瓦一枚まだ気合で割れないような段階から、
どうして、トンファーなの? 
   
通わせるの「やめようかな…」とも思ったんだけど
本人が「やりてぇっ!」ということなんで、やらせてる。バカな親だな。
ともあれ、殺されず、ヒトも殺さず、元気でいてくれりゃぁいいんだけど
精神的にはどうなのか? 
空手っちゅうもんの世界は? 
なにか自分を追究できるもんがあるのか? 己の道を。
ブルース・リーみてぇになっては困るぜよ。 なんない、なんない 
俺も中学生の頃には、自分で拵えたヌンチャク振りまわして
それはそれなりに、地元のゴキンジョ様の同級生の間では
「ヤツにヌンチャクを持たせたら、右に回ってはいけない 
    (本人が周囲をよく見てないので怪我をするため。) 
ということで、
そこで真剣にやってる自分は、ブルースLEEみてぇになってる…、つもり? 
思い込み、その時は、そういう気分で生きてたんだけど 
人間、“思い込み”ってのは恐ろしい。
妄想も、一種の思想だ。
それがほんとうに世界中の誰もが認めるほど、認められるほど
その筋の道にたけてりゃぁ誰も文句は言わねぇし、
あまり他人様にも迷惑にはならねぇんだろうけど
中途半端な思い込みはよくない。
なにかから逃げて、自分自身の勝手な決めつけで偏った考え方の人間になっちまう。
  
今の俺のことか? 
 
  
そうじゃねぇよな。俺は自分が誰だか知っている。 そういう問題なのか?
 
まぁいい、そのうち目の前の問題も啓けてくる。
なんせ、バンソウコウ男なので。
 
ああ、また意味が通じなくなってきた。
 
 
あのなぁ、畑仕事やってても、
自分の足元に、誰が置いたわけでもない石コロとかがゴロゴロしてると
それを見つけて、
コンニャロー! ここは人参つくる場所なんだ邪魔だ退け
とか想いながらやってしまうわけ。今の俺は。
これはなぁ、非常にマズイ。
自然界に生かされている人間として原点だ。そのうち、販促切符を切られちまう。
世の中に銃とか刀とか、核兵器だとか、原子力潜水艦とか、スティルス爆撃機? 
そーゆーのが廃絶される以前に、
自分自身の中で、なにかを敵対視する気持ちを抑えるのではなく
超えられる己にならない限りは
世の中に愛と平和なんてありえない。 笑わないでください。)
   
俺自身、過去の自分と現在の自分を比べてみても
誰になにを言われるまでもなく
自分自身で自分の愚かさを振り返ることもある。すくなからず。
とくに、人間の肝臓と、その肝臓に蓄えられる血液が循環する全身の筋肉という肉体。
その肉体と心の関係、バランスの不具合については
これまでの“ヒトの常識”で、人間の目に見える部分と見えない問題も含め…
http://ameblo.jp/badlife/entry-10013489579.html  June 11, 2006
http://ameblo.jp/badlife/entry-10019040113.html  October 28, 2006
http://ameblo.jp/badlife/entry-10009275409.html  March 15, 2006
  これらのページで、なるべく丁寧に細かく書いてはあるんだけど
俺にとっては、他人ゴトではなく、自分のこととしての問題でもある。
俺が書いている『犯罪心理学の盲点 』というテーマは、一応は世間様の常識にあわせて
そういうカテゴリーの名称を掲げてはいるけど
そんじょそこいらの精神世界公害なネタを興味本位に扱っているわけではない。
自分が実際に体験した事実も含めて、自然界と人間の関係を説明する上で
必要な限り、今の時代の人間の世界との照らし合わせや
読む人にとっても色々なことをつなぎあわせて判りやすいようにしようとしている。
なにを?って、人間の見える世界と見えない世界の関係をな。
「あなたの知らない世界」は俺の知ってる世界でもあるけど
俺の知らない世界は、
あなた自身がまだ気づいていない人間の創られ方の道理の中にある。 ここも笑うところではないっス。)
そして今後は大勢の者が、その答えを自分で導き出せないために
不可解な事故とか、独り、人の人生に大きな傷を負わせる兇悪事件も
これからは今日よりも更に増え続けてしまう。
なにがなにを狂わせてきたのか? そして今も狂わせつづけているのか? 
常識を破壊すべきは個人の内面であるのに
その破壊精神が、どうして自分の中から勝手なカタチで投げ出されてしまうのか? 
つまり、殺人やテロ、殺戮や戦争、虐待や虐殺…
そうしたものが現実的に人の生活や人類の営みにおいて決して必要ではないのに、
必要に迫られるほど、バイオレンスな内容の過激さは日増しに度を越していっている。
なのに、人類の意識の低下は、著しく急降下な日常にある大衆意識…。
どんな惨劇でも悲劇でも、その結果に至るまでの原因を誰も追究できないほど
見て聞いて、訊かされて知る人々の肉体と心が、
もう立ち直れないほど どん底に陥れられ、疲れ切ってしまう。
そしてまた、ほとぼりも冷めないうちに、繰り返される。思いもよらぬ大きな衝撃として。
   
ここ最近は、非常にそういうことが目立ってきた。
既にこの事態を紋証・理証・現証として克明に予告していた人もいたんだけど
http://ameblo.jp/badlife/entry-10002850915.html  May 30, 1992 
それを俺が世の中やインターネット上に公開するのも、もう遅かった。すまん。
なにを責任をとるつもりもないけど、ちょっと遠回りだったな。 …俺も笑ってしまうよ。)
   
んで、問題は…                      “Mind Resolve” CMコーナー!  
ええっと、問題というのは、前述の、          最近、プロフィール写真をFLASH画像っぽくしてみた。顔をクリックするとヒラキマス。 
   
   殺人やテロ、殺戮や戦争、虐待や虐殺…
   そうしたものが現実的に人の生活や人類の営みにおいて必要ではないのに、
   必要に迫られるほど、バイオレンスな内容の過激さは日増しに度を越している。
   それなのに、人類の意識の低下は、著しく急降下な日常にある大衆意識・・・・
   どんな惨劇でも悲劇でも、その結果に至るまでの原因を誰も解明できないほど
   見て聞いて、訊かされて知る人々の肉体と心が、
   もう立ち直れないほど どん底に陥れられて疲れ切ってしまう。

   
これはいったい、誰がやらせているのか? 
いつ、どこで、誰が、なんのために、何事の目的において
そのように大衆意識を操作しているのか? 
   
この問題は、普通の世間一般常識で探るには危険な部分も多い・かもしれない。
また、それをそうしようと今も頑張ってる人たちもいるかもしれないけど
情報を掻き集めて丁寧に検証してゆくやり方には、個人の力に限界もあって
そこに共感を扇がせるにも限度がある。マスコミやメディアにも無理だ。
なぜなら、一人一人の人間が今、自分自身が何なのか? を解らないために。
正常な人間として生きようにも、正常ではない人間が目立つようになってきた。
   
あのぉ、今ここを読んでいる人の中には既にもう
何を云っているのかがチンプンカンプンの人もいるかもしれないけど
俺は今、もうちょっと先の時代の
 そうだなぁ、あと何年か…何日か先の)
人々の心の中の状態を書いてんの。
だから、今ではないので
 べつに予言ではないよ。なにかの宗教の話でもない)
話が見えない人もいる…と思う。
でもいずれは、そこへ進むことになるので覚悟も必要だ。
んで、また部分的に云い方を換えて繰り返す。

   
   殺人(自殺も含む)やテロ、殺戮や戦争、虐待や虐殺…
   そうしたものが現実的に人の生活や人類の営みにおいて、…そんなに必要ではないのに、
   自分とは別な意識によって必要に迫られるほど、
   バイオレンスな内容の過激さは日増しに度を越している現実がある。
   ところが、今の地球上での人類意識の低下は、著しく急降下に、
   日常にある大衆意識は、最初に創られたときとは大きく、くいちがってきている。
   どんな惨劇でも惨事でも、その結果に至るまでの原因を誰もが明確にできない。
   それを見て聞いて、無理やりにも訊かされて知る人々。その肉体と心は、
   そこから立ち治ることが赦されないほどにまで、不毛の地へ陥れられ 
   ほんとうに疲れ切ってしまうことが、最近は非常に多くなってきた。世界的に。

   
これはいったい、誰がやらせているのか? 
いつ、どこで、誰が、なんのために、何事の目的において
そのような大衆意識の操作を企てているのか? ショッカーのイチミではないぞ。)
そして、そんなことが、いつまで繰り返され、いつまでつづくのか? 
   
俺はこの問題を、そういう連中の存在の昨日と、今日までの常識を覆して
人の心を読み、自然界の動きを記す。
   
それでも、あまり丁寧に書くと、またもや長くなって、それはそれは、それなりに恐ろしいので
今日は雑に書く。
   
   
   
早朝の人気の少ない静かな駅のホーム。とくに都心部とか、都会の中心部にある駅。
あそこの路面、コンクリートの上には
「これは何者のシワザだ!?」
と唸ってみても仕方ないほど、いわゆる大衆意識の反吐みてぇなもんで 
「ペッ」だとか「プッ」だとか、
そういうふうに
踏んづける人の靴が汚れる迷惑は簡単に無視されるほど
勝手に、無造作に捨てられた、ガムの跡がある。
そして世の中には、そのような「渡る世間に鬼のクソ」がへばりついている感じの、
場所によっては、そういう処を定期的に掃除をして廻っている係りヒト、
その役割にあることを満足して生きている人もいる ・と思う。ところが、
それチューイングガムなどを作ってる企業の精神がどんなに、
おいしく噛んだあとは紙に包んで捨てましょう!」
と唱えても、一部の駅のホームなんてスゲェぞ。
なにか、生き物が死んで、そこに大量に踏み潰された痕のようになってる。
たしかに、どうにかして、なぜかイライラする自分をわずかながら抑えられたり、
煙草の吸えない電車の中で気を紛らわせたりするには
ガムを噛むこと…クチを動かすことで気分を整えたりするのに役立ったり、
その、ガムという嗜好品も、大勢の人間に必要な社会なのかも知れない。
ここはもう、俺の書いているページは、ハナっから、そんなガムの効用や効果なんてもんが
今更、現代人の精神安定にどのように役立ってるとか
「ストレス」だの「脳内の変化が」なんだの言ってるような浅墓なテレビ番組とはちがう。
   
まぁ、ほとんどは巷の小中高生のみなさんのシワザと信じたいけど
やってるのはおそらく、大半が大人なんだ。
それはやがて必ず、
   
「どうせ見てるヤツなんていないからいいや」
    
「みんなやってんだから、かまうこたねぇ」
    
「捕まらなければ何をやってもいい」

   
という、自由意志の兇悪な暴走、魂の堕落に発展してしまう。
   
自由意志というのは、客観的に捉えたうえでの、“人の心の中身”のことで、
簡単にいうと、朝昼晩に いろいろと変わり巡る気持ちのことを云う。
最近は、それが感情に制御されずに、勝手に暴走してる者が多くなってきてる。
それはまず、肉体の不具合。とくに筋肉の異常に問題がある。
これまで医学で言ってきたところの「精神病」というものは、単に結果だけであって
原因はすべてにおいて、精神ではなく肉体の異常だ。
しかも、その肉体の異常が、生きている人間の中身である精神とのバランスを狂わせている。
そしてそれをクスリの力で安定させて、
なんとか自分ではない自分を落ち着かせている人たちも多い。
そして、さっきの、もうひとつ、
魂の堕落というのは、
人間の魂は、肉体の成長や老化とは別に、本来は、
一日一日ずつ利口になっている
 (前向きに成長している…と云ったほうが判り易いのかなぁ?) 
という道理があるのに、それに叛して、
成長を止めている、あるいは、止める決断を解かないままでいる状態を示す。
そういうことについて、さらに詳しくは、
 こっちのページで。
http://ameblo.jp/badlife/entry-10022540496.html  December 27, 2006
   
今日の俺は、またその先へ話を進める。
んで、なんだかもう、アタマの中がいっぱいいっぱいの人も
「おめぇの話なんか理解できる奴なんていねぇよっ!」
などという人も、ここで今一度、心を落ち着かせてもらいことにして…
なんか飲みたい人は飲みながらでもいいよ。
タバコ吸いたい人は、どんどん吸いながらでもいい。
手許にチューイングガムでもあるなら、クチャクチャやってみりゃぁいい。 
なにかの恐怖に慄いてる人は、物を喰うか、喰うものがないなら、
ヴィヴァルディの『四季』でも聴きながらでもいいよ。 もっとねぇっつーの!
俺は、…シェイクスピアの4大悲劇や、ドフトエスキーの『罪と罰』なんてもんじゃねぇぞ。
かつて釈迦が悟りを切り拓く以前に見た世界の、
それ以上の地獄。その、今後の人類が避けては通らざるおえない、歩む道筋を書く。
大丈夫、その先もある。 さぁて、本番だ。こっからはもう、笑う角には鬼がでるぜ。
   
   
「どうせ見てるヤツなんていねぇんだから、いいやいいや…」
    
「みんなやってんだから、かまうこたねぇだろ」
    
「捕まらなければ なにやったっていい」

あるいは、
誰かを悪者にしないと、小さくひつとにまとまれない人々。その多く。
   
この、こういうネガティヴな図式、現代地球人の大衆意識についてを
ここからは、ザックバランに書く。
   
   
「どうせ見てる奴なんていないからな。いいや」
    
「みんなやってんだから、かまうことはねぇ!」
    
「捕まらなければ何をやってもいい。やればできる!」

   
法律に雇われる警官や警備隊がいないなら、やってもいいのか? 
過去も、昨日も今日も、みんな ヒト殺してきたのなら、やってもいいのか? 
捕まらなければ自殺して逃げたつもりになってもいいのか? 
    
例)  このページは、ほとんど読む必要はなく、それらの現実を映像で認識できるようになっている。
http://ameblo.jp/badlife/entry-10031367561.html  April 16, 2007 09:11:00
   
んで、
世間の大人ぶった連中が
どこでどんなに
モラルや倫理、マナーや道徳についてを議論したり、叫んでみたところで
なんにも変わってねぇどころか、
日増しに悪くなってきてるじゃん。最近の人類ってもんわ。
ケータイ遣ってヒトゴロシやりあってる子供もいるしな。
 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10028979868.html  March 26, 2007
 
   どうして? 
 
 
 
 
 
 
 
    FarmBeginners40wipe  
 
あのねぇ、そういうこと考えはじめると
俺はどうにも、暢気に畑なんて耕してらんないわけよ。
子供とどっかへ遊びにいく暇もない。
書かなきゃなんなくなる。その先を。
それは、誰かが本を読んで生きてきた頭の中の整理整頓なんてもんじゃねぇぞ。
自然界の整理整頓。
今この世に生かしておくべき者と
生かしておいては、大勢の生かしておくべき者にとって迷惑な存在。
その区別、識別、判別。
それは今後も、決して俺ではなく、自然界が決めてやっていくわけなんだけど
どうにも、人間の常識ってもんが邪魔をして
ヒトの世界が、自然界の整理整頓に追いつかない状態。
そのうちに、死ぬつもりもなく、マジメに人間やっていこうとしていたヒトまで死んじまう。癌という医原病にしても。
この不条理。理不尽。掟からの外れ方。物事の道理に叛した人間の勝手さ…
ガムを路上へ吐き捨てんじゃねぇっ! 
 
いや、俺も以前はやってたよ。
誰でもあると思う。ガムに限ることはなく。
 
もう自然界は許さない。
 
俺は今後、その構造についてを書き示す。克明に。
読んだ人の中には、その場で死んでしまう者もいるかもしれない
死にたくはないので、
逃げて、別のページで今まで通りの自分を演じて行こうとするかも知れない。
でも逃げられない。
なぜなら、世の中は、時代は、自然界は、
決して、このまま今まで通りではないので。
 
俺の存在はおろか、書いている内容を残すことが何か危険と想うなら、それでもいい。
だけどなぁ、
「なぜ? どうして? なんでなの?」
という気持ちで死んだ人というのは絶対に、
その肉体を失った瞬間に、そう思ったまま、その場所を彷徨ってるんだ。
どうして、そんな彷徨える再生不能な を増やしつづけるのか? 
この地球上にたったひとつしかない肉体を持って生きて生かされるってことは
そういうことではないだろう。
人間はもっともっと、素晴らしい世界で生きてもいいはずなんだ。
呼吸を止められる前に、ガムは吐き捨てずにな。
   
   
   
   
   
と、上の最後の一行には二つの意味が込められている。
その両方を理解できた人は
自分で自分を救うことができるはずだ。
 
いや、これも俺が決めたことでもないし、思い込みの激しさでもなんでもない。
自然界が決めたことだ。人類の道理
http://ameblo.jp/badlife/entry-10026826079.html  February 14, 2002
強烈だけど、人間は このエネルギーの前では
どんな者も、手も足も出ない。
   
それを言葉にするなら、
禍福に門なしすべて己の招くところによる
ということだな。
ザマミロ
俺もな。
   
   
   
   
   
ここまでを読んで頂いたのに
なにか自分自身の中で“困ってしまった”という方は、
とりあえず、
http://ameblo.jp/badlife/entry-10031281206.html  April 20, 2007 03:33:33
  このページへ…どうぞ。
そこに書いてあることを読むと安心できると思う。   たぶんな。
   
   
   
   
   
   
      2006sep2nd_fin   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
    関連記事 self text
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10030419791.html  April 10, 2007 
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10025653644.html  February 14, 2007