North,East,West,South…世界は拡く、人生はあまりに短すぎる。…独りではな。 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
   
   
もう今まで通りとはちがう、『時代は変わるよ 』の世の中で
この日本では最早、人々の生活にある不安の種はつきない。
   
今日はもう『犯罪心理学の盲点』のコーナーに移っちまってるけど 
Dead Or Live の現代人が生き凌ぐ現代常識に向けての俺からの挑戦状は
こんなもんじゃ済まされない。今後もまだまだ継く。
命ある限り、この青い星の生命がつくる晴れ渡る空の下で、
今まだ、人間の営み、人類の生息が許されている限り、俺は書きつづける。
いつまで? 
What A Wonderful World .  
の、人類意識向上の展開が、いつの日か地球を丸く治められる、その日まで
解放運動は俺も辞められない。
かつて犯罪(自殺願望)と背中合わせに生きてきた 俺も 
自分の人生をロクでもない七でもない8の格好で終わらせるつもりはない。
もうこの時代には、人間の姿カタチとして存在していても 
見た目には解らない部分でも
教育によって破壊された母体の胎内で変形したまんまの
筋肉や細胞の異常に苦しんで生きてる人もいる。
知識は財産ではない。教育が宝でもない。
意志の疎通も意識の享有も、ある特定の時代の価値観や常識の枠の中では
誰の心の、何の問題解決にも至らない。
人間の死は、生きる場所…この地球上という生息区域と
生かされている時間からのエスケイプではない。 
精神を語るなら肉体を無視できない。
肉体という物体を理解するなら目には見えない精神を無駄には遣えない。
約束してね。
この世に何度とクリスマスが訪れようとも 
勝手に命を絶つことが脳裏をよぎることも自然界への叛逆…犯罪だ。
生きることは限りなく義務の遂行でしかない。
今は ちょっとこの地球上には多すぎるような数 60億人。その誰においても。
だからたとえ、今後、何かの事実や真実を目の当たりにしても
決して自分から自分の人生を放棄しちゃダメだよ。
必ず、何らかの役割を持って、この世に産まれてきたんだ。
    
んにゃ、堅苦しい話に片栗粉を混ぜ合わせるようなことは、よそう! 
粘ついて読者がひいてしまう。 もう寝てるよ。)
学者さんも薀蓄の雑学大将さんも気をつけてね! 
   
俺もさぁ、こんな世の中の こんな時代に産まれちまって
こんな頭の構造だと、生きていてホトホト疲れることもあるよ。
3000グラム以下で産まれてしまった子供がいても 
かつて子宮内膜症で悩んだ妻がいても 
少々のカネがあっても・なくても 
一本の煙草を吸える自由があっても 
孤独を感じることは常にあるし、
今こうして読んでいただいている方には失礼ですが
「誰もいない茶の間のテレビが光を放ってるだけのような…」
俺が今こうして書いていることはすべて、そんなもんでしかない…
「それ以下だな…」
と思うこともある。
常日頃、自分で自分の命を守ることで手一杯なことも多い。
でも逃げ出したい気持ちはない。以前とは違う。
40年以上も生きることができたと想うと、更に今までとはちがう。
煙草に一本、火を点けて吸うたびに、誰かを憎んだ心も消えてゆく。
それでも、前へ向かう餓え。
投げヤリや捨て鉢になる潤いのない心とはちがう。
Everybody's got a hungry heart...
そんなに強い人間ではないんだ。誰でもそうだろうけどな。
一応、いまのところは一夫一婦制の社会の中で
理性(…理性って何?)を保つという名目上は、ほかへ目移り があっても
完全なる浮気根性っぽい汚れ方もしてないけど 
(…浮気が悪いというわけではない。
世の中には江戸時代に橋の下でゴザを持った女性が存在する以前から 
人によっては、一人を相手にしているだけでは満足できない女性もいるし 
日に何度も性行為を交わさないと、最初から女のとして創られた心も身体も 
落ち着かず、満たされないという女性もいる。確実にいる
だから、そういう職業もあれば、それを仕切る人も世の中にはいる。
教育や宗教の教えで、それを束縛し、押さえつけるから、
人も社会も、おかしくなってしまったという、教育の弊害もある。 
但し、「やればいい」「気持ちよけりゃそれでいい」というような 

義務を伴わない権利や人権尊重、人権保護の傘を被った社会の中で
ただ快楽の虜になって自分自身を見失ってるような乱交を許せないだけだ。俺はな。)

世間一般の×症候群にハメラレた勘違いな連愛感情のモツレの中で
誰が離婚披露宴 をやろうと やるまいと
ある日、突然に電流が走ってヒトメボレの電撃結婚も
高級ブランド米のコシヒカリとはちがう。
「…ああ、ワタシにはもう、この人じゃダメ!」
「やっぱり、あっちがいい!」
「こっちの味はどうかな?」
「ここなら休めるかも知れない…」

なんて、そんなふうになっちまったS君や、その他、
N君の沖縄問題の思想的な違いにしても どちらも同級生。)
世の中には、性格の不一致より性の不一致で別れた男女は大勢いる。
地球にはS曲もあるし、N曲もあれば、
電気の流れる方向にも、なんの電気機械の中の電極にもプラスとマイナスがある。
それこそ人間の体内に流れる血液の中にもNとSの区別もあるし、
微力でも電流の流れる方向も細胞内の中に取り決めがある。
そんなことは俺よりも詳しい科学者も、この世には大勢いる。
なのに彼らは、人間の創られ方の基本を知らない。
そして時には、イルカの集団座礁 を見て騒いだりしてもいる。
勝手なもんだよな。
自分たちの人間が住む場所、生きる場所、育つ場所が
とりあえずが安全なら、
この地球上の今の時代に一緒に生きているはずの他の生息生命のことなんて
(俺も含めて)ちっとも大切にできねぇし、
津波でも地震でも洪水被害でも、自然界のなすがまま、
手も足も出せずに、あとになって端で見ているだけだ。
どんな情報を見聞きし、ネットを介して閲覧するにもな。
できることなら俺は、あらゆる人々の中で止まってるような意識の、
そっから先へ話を進めたい。 
   
   
   むかし昔の大工さんは
   一軒の家を建てるのにも一本の柱も梁も
   どうでもいいものではなくって
   山から採ってきた材木も
   自然界の決まりに基づいて造っていたそうです。
   朝陽が昇り夕陽が沈む四季の繰り返しの中で
   山に生えた樹木は東西南北において
   その育ち方や丈夫さのすべての質がちがう。
   それを家の西側には山の西側斜面に生えていた木を
   東側の柱には山の東にあったものを
   南向きに構える玄関まわりの支えには
   山の南で育ち伸びた樹木を
   北側は北側のものを…
   というように、そうやって材質を吟味した骨組みを
   一年以上は雨風にさらしておいて
   梁や柱の締まりを整えさせる。
   置けば置くほど頑丈な骨組みになるらしい。
   その家の座敷(客間)も実に広々としていた家々の造りがあった。
   今はもう、おそらく、そんな技術を持った大工さんもいないだろうし
   2x4のプレハブ住宅も2週間もあれば、ほぼ完成してしまう。
   「耐震強度も安心設計」「100年は大丈夫」
   などというフレコミもいっぱいある。
   だけど書類にハンコを押して造る家の中は狭い。
   ほとんどが四畳半~6畳で
   広くても10畳、12畳のリビングは少ない。
   内側の空間が広ければ広いほど
   支えや突っ張りは頑丈でなくてはならないので
   最近のマンションや一般住宅には当然、
   ある程度の限界があった。
   それを風水とかの知識で建てている人もいれば
   設計技師や施工業者の職人の経験とは関係なく
   ブランド名や流行の建築資材に乗せられて
   家を建てて購入している人も少なくない。
   それは果たして、人間の住む家なのだろうか? 
   
   人間の五臓と対象に創られている自然界では
   かつて、城でも砦でも
   5階建て以上の建築建造物は存在しなかったという。
   とくに四季の移り変わりがハッキリとしていた、この日本においては…。
   それでも、中に住んでいる人間同士の仲が悪かったり
   他力本願な病人ばかりだったり、仮面夫婦だったり、それ以上に
   お父さんという大黒柱がしっかりしてないと
   そういう家屋は傷みも激しく、崩れやすくなってしまうこともあった。
   また、人がまったく住んでいない場所は、どんな家でも損傷が激しい。
   だから、中に住んでいる人が仲良く元気で
   「おとうさん!」という人が常に頼りがいある頑丈な人なら
   大丈夫でしょ。
   たとえどんなに大きな揺れに襲われて建物が潰れようとも
   城の主は必ず家族を守って、自分の人生の建て直しも貫く。
   「どっからでも かかってこいっ!」っていう余裕が大事だ。
   そういう意味で、『地震・雷・火事・オヤジ』だったんですよ。
   つい最近までは。
   ところが今は、『地震・雷・火事・イボ痔』みてぇなもんで
   どこのお父さんも頼りない。
   そりゃぁ、崩れても文句は言えねぇべよ。
   家を使って住んでいる“人間の大黒柱”そのものに
   何事にも微動だにしない健全な肉体と精神が
   備わってないんだから。
   お母さんの方がよっぽど頼り甲斐がある。
   …俺んちも似たようなもんだけどな。
  
   2006-08-10 15:09:30 ~ 15:16:53 みなみ まさあき
   記事タイトル: 特集 中司達也という人物のブログは ここを読め!  
August 10, 2006
             の、コメント欄
より
   
   
日本人は中国から仕入れた漢字を今も遣って
自然界の方角を「東西南北」と言ってる。
地球の北と南を縦に軸にして考えて図式に表わすと
   
          北
          ↑
          |
    西ー←ー |ー←ー東
      \   |
        \ ↑
          南
   
こんな感じで、自分が居る場所で太陽が昇って沈む方向を基準に
西から南、北へ辿るのが、「東西南北」という文字の並べ方。
ところが、最近の日本人は北も南も西も東の区別も関係なく、
家を建てる材料の柱も梁も間に合わせのように、
自然界の道理には関係なく、テキトーに伐採した樹木を遣っている。
そしてその情報を世間にバラ撒く。
メディアであろうとクチコミであろうと…。
(俺も含めて)今の日本人の多くが大好きな西洋文化圏では
「NEWS」という文字を方角の頭文字から作って
常に様々な分野で配信される情報に広い目を持ってる人も多い。
   
          N
        ↙
       /
      W       E
      \     ↗
        \  /
          S
   
んまぁ、「東西南北」という言葉そのものは単に方角のことを言ってるだけだと思うので
それを直訳したところで、「North, South, East, West 」ということにしかならないけど
「NEWS」という文字は最新の情報とか、「知らせ」のことを意味する。
島国根性とコンチネンタルな人々の違いなのかも知れないけど
欧米人のすべての人が一つの情報に振り回され 
何の疑いも持たずにノラリクラリしてるわけじゃない。
そういうことはこの一年、中司さんのブログ も非常に参考になったけど
何事も自分を基準にして一ヶ所だけしか見ていなかったり、
限られた範囲内で一通りのすべてを知ったつもりになっても、
それは限られた範囲での知識や情報の認識でしかない。
だから、どんな思想も宗教も教育も、
自分が生きるためには、それがすべてではないんだよな。
広く、いろいろな人から人へ伝わって残ったモノこそが確実であって
自分だけを基準に狭い世界で競い合ったり
自分の立場や考えを他人へ押し付けてみても 
それはそん時だけだ。
そういう意味で、世間様に離婚や決別、断絶があったり、
家にしてもカネの問題にしても、(俺の父親の兄弟のように
骨肉の争いで、わずかな財産に拘ってみたり…
政教分離とか、「ここでは舞台が狭すぎる」などとほざいてみては、
結局は政治家も宗教の教祖も、限られた思想範囲という狭い枠の中では
それがいつまでも、たとえ自分の末代に何を残そうとも、ずっと永遠に
自分の築き上げた果敢無い地位や名誉とか城そのものも守ってくれやしない。
どっかの信仰教祖や何かの集団の幹部ばかりでなく、
科学や経済思想にしても同じだよ。
ちっぽけな人間独り、そのどんな功績も栄誉も、成功したつもりの気分も
誰も見向きもしない時代は必ず訪れる。
人間が人間として生きるために必要な知識だけが、この世に残る。
そういう意味で、かつて出逢って燃えあがるような恋愛をしてもしなくても
やがて互いの趣味や志向にまで疑問を持って
「もう顔も見たくない」というほどにまで、相手が気に入らなく思えても 
そういう関係には果たして、最初から友情の絆や愛情があったのか? 
愛は求めるモノではなく、与えるのみだし 
感謝というものは義務の遂行あってこそ実感できる幸福感だ…と思うよ。俺もな。
とくに今、現代…、人間が人間の姿カタチをしていても 
集団から食み出すまでもなく 、それが男なのか女なのか? 
判断に困るような現代人が多くなった“欧米文化、浸透しかけ”の今の日本の社会では
考え方や生き方にある価値観の相違とかを並べ立て仕る以前に、
肉体の問題。
男が女を満足させられるかどうか? 
その女がどこまでその男を支えられるかどうか? 
男女の恋愛も含め、互いの夫婦生活の安心感てのは、
そこに尽きる。 と思う。俺はまだ8年生だけど…。
ええっ! もう出逢ってから10年近いのか? …こりゃ考えもんだな。

ともかくだにゃぁ、夫婦喧嘩とフスマはハメレバ治るんだ! 
その合体…結合の結果に、
この世に形づくられ、完全なヒトの姿として存在する以前に 
今日の症状や支障に至るまでの過程として、
どこにどのような原因があったのか? 
「1」や「10」からの視点で考える葦の巨木になっても仕方ない。
学習は犯罪、教育は公害。現代医療ほど危険なアスレチック・コースはない。
これまで数千年の歴史の中に築かれた人類の英知は
最早、決して、「宝だ!明・かだ!」…じゃない。 ごめんなさい。)
世界最高峰の教育を受けたつもりの人も銀座のチャンスセンターに並んでるような時代だ。
時間にしてせいぜい、60~70万時間程度の、
この地球上に自分が生きていられる間に、
いっときだけの財産利益に振り回されていてどうするんだ? 
大切なのは、自分の「0」【ゼロ】
原点はどこにあるのか? 
魂の素性を明らかにする前に、
今の心がコントロールを失いかけている肉体の起源について考えてみよう! 
期限切れになる前にな。
   
   
   まだつづく。 ☞ ほっとけ、ホトケ!
              http://ameblo.jp/badlife/entry-10022540160.html