告白と予告…など。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
   告白 1. 
   
   
すみません。コメント欄の対応が遅れてますが
主成分63%が“勢い”で出来ている 俺は
応えるまでに時間がかかることが多いです。
書きたいことが山ほどあって、平均睡眠時間が4時間弱になってます。
その上、実は、みなさんからの書き込みや
人様のページへお邪魔することにも メールの返信にも
兼ねてより、ビビってしまう傾向にあります。
正直に云いますが、俺という人間ほど、
自分の言葉に責任感のない悪いヤツはいません。と、思ってます。いつも。
ごめんなさい。
自分のことを棚にあげた発言も多く、むしろそれだけでしかない。)
他人の今日の心の片隅に咲いた、小さな草花も 
安全靴を履いた足でズケズケと踏んづけてしまったりもします。
卑怯者です。卑劣で、薄情で、どうしようもない愚か者です。
そういう自分の言葉が誰かの心を平気で傷つけてしまうことに恐れを感じ 
躊躇してしまう時間も否応にして…ある…わけで…ございます。
すんまへん。 謝るほど何か反省するほどの立派な人間でもねぇし…
   
ご存知の通り、ときどき、(このように?)
あまり関わらない方がいいような気配もありますが 
俺は、いちど踏み込んだ花壇から
容赦なく立ち去ることはありません。 お子様の味方くんにしてもな。)
空を見あげ、そこへ雨が降り注ぎ、
いつの日か再び芽を出してくれる勇気を望んで、
いつまでも待ってます。
俺自身もそうやって、何度も蘇ってやって、ここまで生きて来ました。
たったの40年間だけど。
   
一年前数ヶ月ほど前の“Mind Resolve”の立ち上げから今日に至るまで
いつも丁寧に読んでくださるお付き合い、ネット上のみのご交流ある読者の方々も
日頃、見て読んで知っての通り、“常識人ではない俺”なので
文面中の無作法は個人個人に許せる範囲と
そうではない場合が多分におありであることとは存知ますが…
それ以外の方々、今日ここへはじめて訪れた方も含め 
「なんだかようわからんけど
とりあえず黙って覗いて見ておいてやるか…」
というような感じで、今もこうしてこの行を読んで目で追っている瞬間にも
俺の頭の中には、その人の未来が浮かんでしまう瞬間…もある。
意味がよく通じないかも知れませんが 
ここは、そういうサイト…ウェブログです。
   
   
   
   
   告白 2. 
   
   
書きたいことが山ほどあって、平均睡眠時間が4時間弱の今の俺は
ブログ以外にも、いろいろなモノを書いて 
日中は、佐渡という島の中心部に位置する蔵元で酒づくりの仕事に携わっていますが
何か書くことはカネにならない趣味と作業です。今のところはな。)
最近は、情勢の動きにも、色々と著しい変化、変容、変貌が見られましての徒然なるままに 
医療も教育も経済も政治も宗教も、自然界の変異も、その激しい移り変わりは
一部の人々の嘆き苦しみ、怨み辛みでは済まなくなってきてしまっています。 
俺自身も数年前(20世紀後半)までは、あるひとつの組織集団の中にいて
今日このような、どうしようもない現実の日々が展開されることを予測し 
そこから湧き起こる底辺からの改善、改革、修復、革命…(言葉はどうだっていい)
の動きがはじまる兆しを読んで、見通して、
その中でまず、自分自身が今、どう生きて、どう在るべきか? 
という道筋や手立て、いくつかの改善策を
日頃、肉体と心の不具合を抱え、世間に訴え続けても
その悩み苦しみは何一つ解決改善されなかったような、幅広い年齢層の方々へ
提供する、指導する…などの仕事をやっていました。
ちょうど、20世紀後半の日本の世の中では、
第二次大戦後の高度経済成長期に栄えた末の飽食の時代に
数千万団体もの宗教法人登録者がいて、自分が勤めていた組織集団
そこは株式会社の地方出版社みてぇなもんだった)も 
そういうモノとの比較対照および、
「シューキョーっぽいね。そんなもんだろ」のような貧しい見方、捉えられ方
“そんなもん”と同等なモノと受けとめられしてしまう傾向にありました。一般世間にはな。
今になって想うと、何がどんなにスンバラシイことでも
それを絶対の権力のような勘違いで、
小さなお山の大将モドキな権力を傘に被った経営体質が
そこへ募り集まった身体の不自由な方々や
生活安定の不自由や精神の問題に悩める方々、
(創設者を除く)病弱なスタッフにより
ひとつの意識集結の勘違いと崇め奉りによって
世間様から隔絶された位置にあって
「舞台が狭すぎる…」の台詞を吐いて終ってしまったわけです。
簡単(?)に云うとな。
今はもう、その組織もなく、その一部を受け継いだ会社が
群馬県高崎市のとある街の片隅で、ひっそりと健康産業を営んでおられますが 
そちらの会社では、今日も様々な人が、素晴らしい健康法で救われています(のはずです)。
今の俺と俺の生活には、まったく関係していません。
単なる知人。
「むかし一緒に仕事してた」というだけの、想い出アルバム1800冊みてぇなもんです。
この“Mind Resolve”とは、まったく関係を持たない会社組織です。一応、有限会社らしい
   
なんで今になって、こんなことを云って書いてるのかというと
今の俺に、ある限界があるからです。
ズバリ、今後はどうなるか判りませんが
今の俺は、みなさんの心や身体の悩み苦しみを即座に
いとも簡単に解決することができません。
(以前は、 ---- カネの問題以外 ---- どんなことでもそれが可能だった。)
つい最近まで、「そうなりたい 」という馬鹿げた考えになったことも、
なくはない と云えば、なくはありません が 
そういうこと は実際、今も俺の役割ではなさそうなので
この行を書いている今この瞬間にデジャヴーのようなものを感じている限りは
それは真実のひとつなのかも知れない…。 ひらめき電球
ごめんなさい。
自然界に生きて生かされる人間の心と身体の仕組み、基礎、
人間の創られ方の道理を知って弁えていても 
他人様のどんな病気や怪我も治すことは今の俺にも
おそらく今後の俺にも、できはしない。
だから、そっから先(道理を知った先)は、どうか、
自分で自分を救う手段を自分で見つけ出してください。
    
と、『告白 1.』にも書いた通り、
今の俺というヤツは、このように無責任で
卑怯で、卑劣で、薄情なクズ野郎です。
どうか、いつも通りに嘲笑ってください。
でも決して、安易に誰かを憎まないでください。
人を憎んだ矛先は、必ず、倍以上になって
自分の苦しみとして返ってきてしまいます。
それは、俺自身にも、そういう経験があり、
また、そういう人を過去に何人か見てきました。
一度こころの底から誰かを憎みはじめると
それは日増しに己の魂を穢し、行き着くところは破滅…自滅のみです。
そういう意味では、最近は 
ビン・ラディンなんてヤツが本当に存在するのか? 
あれは、そういう愚かな意識へ簡単に陥りがちの人の心を
何者かが操作しただけなんじゃねぇのか? 
と、そんなことを思ってしまうアホな俺です。
    
…水は法縁の器に従い、人は善悪の友による。
   
誰かを、何かを悪者にしないと、ひとつにまとまれない。
これほど無様な生き方もありません。
それさえ、そういうクズな大衆意識にさえ巻き込まれないように
一人一人が真実を見極める眼を養い、
自分は自分。他人は他人。自分のモノと他人のモノの区別をつける…
ということが、すべての人間の生きる姿勢において可能なら 
おそらく人類には、戦争やテロも人種差別も
機密情報を抱えた人間が書類として処分されることもない…と思います。
「ちいさく まとまんなよ!」
という三上博さんの台詞が、あのドラマの中で 
明日(11月27日)、誕生日を迎える浅野忠信さんに受け継がれたのは
そういうことだと思います。
たとえば、
「オレの舞台はここでは狭すぎる…」
そういう考えとは別な意味での、
「ちいさく まとまんなよ!」
ということだと思います。
   
「日本の夜明けは来るのかぁ~っ!」
   
最近は、ああゆうのを演ってくれなくなった。
さびしいです、先輩。 って、俺がテレビ観てねぇだけか?
   
   
   
   
   余談。 
   
初代、Beップイスクールの映画主人公コンビの片割れの俳優さんで
一方はNHKのアニメーション番組でナレーションのお仕事もされてますが 
かつて俺がまだ役者志望で養成所にいた頃
ある任侠モノの人気ビデオ映画シリーズ最終篇のロケ撮影へ
何度か足を運んだことがある。
タイトルは、『獣のように』
今もその時に渡された台本を持ってる。
東京都内、とある貸しスタジオの3階と4階が控え室兼撮影現場になってたんだけど
某マンションの一室のシーンで
まだ世の中に売れる以前の豊川さんの姿があった。俺の記憶が確かならな
結局、そのワンシーンに登場するのみの、
巷のチンピラ拳銃ブローカーだったかな?の設定で
主人公の舎弟に灰皿で殴られて死んでしまうという役なんだけど 
その当時から豊川さんは背も高く、紳士的で、礼儀正しい人だった。
その後まもなく、 Night Head とかいう深夜ドラマで
今井さん やサックスの武田さんと共演。話題を呼んで
深夜枠からゴールデンタイムへ
NHKの大河ドラマのお約束出世の道は通らなくても
話題の映画俳優にまで昇った…よな。
   
スタートなんて、なんだっていいんだ。 なんでもいいけどどうでもよくはない。)
自分が本当にやりたくて決めたことなら 
ちいさく纏まらずに、そこから這いあがるなら 
それが自分の中でホンモノであるかぎりは
いつか必ず、道は開けてくる。
   
   
   
   
   予告 
   
   
今ねぇ、書いてるのはねぇ、まだまだ書いてる途中なんだけどねぇ…
ここ数日は、メシを喰う間もない。
長い。
今までブログ記事として書いた中では、いちばん長いかも知れない。
しかもへヴィ級。軽く乗せておいて、突っ込みます。この世の果てまで。
どんな内容? 
この一年間、俺が書いてきた内容の総括…に、ほぼ近い。
泣いて笑って怒って気づいて立ち直れる内容…にしてある・つもり。編集中 
できることなら…、今の人類が滅んでも、
次の文明の言語訳にして読んでもらいたい箇所もある。 (すべてではない。)
ただし、今の日本人全般に向けた内容のため 
日本人ではない人の方が理解しやすい…かも知れない。
普通の常識(?)でマトモに読むと頭がパッパラパー!
になる恐れあり。 書いてる本人まずパッパラパー!だしな。)
だから、あまり真剣に読まないでください。  …大丈夫だよな。)
素直に受け入れられない人は、翌朝は起きあがれない・かも知れない…
という気持ちもあって、過激さはハンパではない。
地獄と天国は、あの世ではなく、この世にあることを証明する! 
地獄の50番街からの這いあがり…。
いや、そんな大げさなモノではない。
でもヤバイ。
公開は来年の正月明けにすべきか? 
それまで誰が何人、今まで通りにこの地球上に生きていられるのか? 
やっぱり近日中に公開すべきか? 後悔のないように…。
お楽しみにしないでください。
アジア圏のインターネットは98%がクズであることをお忘れなく。
そうではない残りの2%のうち、1%は、あなたの心。
そして残りの1%は・・・・?。
   
   
   
   つづく ☞ http://ameblo.jp/badlife/entry-10014839960.html