ニューオーリンズは沈まない November 27, 2005 追記 3 & 4  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   Nice to meet you.
     
 
     このページは みなさんのコメントやトラックバックにより、
     必要に応じて記事内容を更新してゆきます。
     特に、先のハリケーン被害における ニューオーリンズ関係の
     積極的なご意見を反映させる意味でも 、
     このページの”本チャン”のコメント欄を中心に展開しています。 
     なお、トラックバック送信に何らかの誤り等が生じた場合、
     申し訳ありません。他の大切なTB送信と区別した上で処理 願います。
 
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   元のテーマ:RollingStones 今日の一曲  
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     sub work title : カトリーナはアティーナへの仕返しなわけねぇよな  
   
   

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  http://ameblo.jp/badlife/entry-10006522849.html  November 27, 2005 (self text )
 
          このぺーじのつづきです。
 
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   追記 3 2005年 12月10日(土) 21時37分 
 
今月、12月号の『MUSIC MAGAZIN』という月刊誌が
がんばれ ニューオーリンズ!というタイトルで、
ニューオーリンズの現状や音楽の歴史を満載して、
音楽都市復興の総力特集をやってくれている。
やはり、編集長の 中村とうよう氏にとっても、
あの悲劇には胸を絞めつけられる思いだったのかも知れない。 (…タイトルがちょっと気に入らないけど)
 
反体制派のミニコミ誌のような形式でスタートした その雑誌も、
俺は、1990年代に入ってからは、どうも、
巷の流行に流されがちな内容になってしまったようで、
CDレヴューであろうが緊急企画の記事であろうが
読み応えに欠け(俺にとってはな)、
ここしばらくは定期購読をやめて、ストーンズ関連特集の月のみ、買っていた。
(それまでは1983年3月号から 毎月 欠かさず買ってたよ。
 ・・・編集部本社がある神保町まで履歴書を持って、
「なんでもいいから使ってください!」って、
中村とうようサンに頼み込んだこともあった。
当然、不採用だったけどな。1988年春)
 
が、今月号(2005年12月号)だけはチガウ。
ドクター・ジョンやB・スプリングスティーンの記事も興味深かったけど、
世の中のミュージシャンや音楽家、CD販売業者、そして我々リスナーという、
音楽を演奏する側、聴く側にとって、
ニューオーリンズという場所が どのような処なのか?
それを懇切丁寧に判りやすく解説されている記事が素晴らしい。(と思う)
表紙は ルイ・アームストロングだ。
姉妹誌のような『レコード・コレクターズ』という月刊誌や
『ブラック・ミュージック・レヴュー』という黒人音楽専門のマンスリー企画もあるけど、
そういうモノの、ここ20年来の歩みを
今月号の『MUSIC MAGAZIN』一冊が網羅している…と、これは云いすぎか…。
で、
アメリカ大陸における黒人奴隷時代の暗い歴史から、
ラグタイム ~ JASS ~ JAZZ、ビバップ ~ スウィング・ジャズ、
そして、R&Bやブルース、ロックンロールへの展開、
更には 現在のヒップホップ・ムーブメントに至るまで、
ブラック・インディアンと音楽の歴史や世界のジャズ界の歩み、
ニューオーリンズからシカゴ、モータウンへ流れたソウル・ミュージックの歴史まで、
かなり正確な捉え方の詳細記事がある。
(残念なことに、今回のストーンズの活躍 については記述がない模様…) 
まぁ、参考まで。定価は税込で¥700だったっけかな。
 
ロックやソウル・ミュージックの基本を知らずにカラオケの延長にあるような
現在の日本のミュージック・シーン全般を改革するためにも重要な一冊だ。
俺は買ったぜ。酒づくりの職場 で休憩時間に読んでる。
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10006684495.html
 
 
さて、俺がこの記事 を毎日、色々な方へトラックバック送信している、
…別に、ボランティアや募金運動のサポートでやってるわけじゃない。
純粋に、ニューオーリンズという音楽都市が人類から消えてほしくないだけだ

そういう中で、今日は、こんなページを発見した。
 
 
何とかしようよニューオリンズ
            http://www.nantokashiyouyo.net/
 
 関連するブログ http://ameblo.jp/studyabroadnola/entry-10004998009.html  

 
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ニューヨーク同時多発テロのとき、あのふたつのビルが崩れ落ちる瞬間を
自分の部屋の窓から見ていた坂本龍一氏。
どんな心境だったか? 
平和ボケ発展過剰国のぬるま湯の中にいる我々日本人の多くには想像もつかない。
ところが、あのときも、世界中のアーティストが自分達の利益には関係なく、
様々な活動を繰り広げて今日に至っている。
 
生きるためには石油も重要かも知れない。
自分の生活のスグ近く、手に届く範囲の流行もブランドも、
その心の欲求を、ただその時だけ満たすためにも大切かも知れない。
また、そこから外れて生きることが不安な人もいるかも知れない。
それはそれでいいと思う。
俺も以前のように、それを簡単に非難することは、もう止めようと思う。
(…ちょっとだけ成長したぜ
ただ、他人の苦しみや不幸をネタに自分の欲求を満たすような行為…
言動、発言、記事の作成も含め、そういうことは おかしいと思うし、許せない部分はある。
たとえそれが本人の意思とは関係ないところで利用されたとしても、
自分に必要最低限の生活費や気持ちの余裕が確保できているなら、
それ以上の望みは愛情に飢えた心の渇きからくるものかも知れないけどな。
 
知識も経済も美貌も努力も、自分自身にとって必要以上に追求することは
「これから先を どう生きるべきか」という本能を麻痺させるだけだ。と思う。
 
ネズミという動物は、常に何かを齧って前歯を削っていないと
生まれ付いてある、その鋭い前歯が内側に丸く伸びて喉を突き刺してしまうらしい。
持って生まれた能力の中に、持って生まれた宿命がある。
そして、難破船の甲板から海の中へ集団自殺を図るネズミは、
その船に残された命が飽和状態になった時、
次に残されたわずかな子孫が、いつか別な場所で繁殖できるように
ドボドボと海へ飛び込むのかも知れない。
 
 
    mouse2005
 
それでも、阪神淡路の震災の時には、数千のヒトの亡骸はあっても、
丸焦げになったネズミや潰れたネズミの屍骸は、ほとんどまったくなかったらしい。 
 
本来、集団で自滅を図らないはずの人間。その一人一人には、
どんな能力が与えられ、生まれついて備えられているのか?
果たしてそれは、どんなに小さな命であろうと
「生きよう」とする目的に反して在るものなのか? 
   
   
地球を浄化するため、20世紀までの人類の行いへの清算のように
「神や仏は もう人を救わない」と云わんばかりの
自然災害や各国でのテロ破壊行為。
たった一人の力も、どんなに大勢の人間の経済支援も
そこには微力な抵抗でしかないかも知れない
それでも、歌が唄えることの自由や、
聴く、踊ることの喜び、開放は、
たとえ耳が聞こえなくても眼が見えなくても、手足が不自由になったとしても、
この、今ある人類にしか与えられてない。
俺は、“書くこと” で、それを次の世代へ残す。
…自然の成す業には手も足も出ないから、
ちっぽけなもんかも知れないけどな。 
   
   
 
    今日の一曲。
 
 
       Blinded By Rainbows ”      

 

.

    
    The Rolling Stones
     
Voodoo Lounge より
 
 
   関連記事 http://ameblo.jp/badlife/entry-10003326424.html  (self text )
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   追記 4 2005年 12月11日(日) 19時32分 

   
     http://power-power.blog.ocn.ne.jp/power/2005/09/post_8091.html  
   
        世の中、今、暗いことばっかなのに 
        なんかいい話じゃないか。
        実に人間的で
        こういう存在が実在することが嬉しいじゃないか。
        阪神淡路の震災のとき、自分でどこかへ非難しようとする人の群れの中、
        瓦礫の中から見ず知らずの御婆さんの命を引っ張りあげた男性がいた。
        凄いパワーの持ち主だ。生きることをナメてない。
        そんな愛情に満ちあふれた姿・・・そう簡単に実行できるものではないよな。
        そういうことも想い出しながら、
        俺は これだけの記事 を読んで涙が込み上げてきた。   

        ありがとう。
 
 
 
         2005年 12月11日(日) 22時26分
 
で、下の最初のコメント欄の内容は無視して、
ニューオーリンズ関連で突っ走ります! (みなさんも できれば無視してくれ)
先日、様々にトラックバックを返信してくださった方々へ、
 
   この問題は今後、地球温暖化等による
   大きな人災問題へのなげかけとして展開してゆきます。 
 
などというコメントを、ほとんどブーメラン状態で送ってしまった俺。
よくよく考えてみて、なんかオカシイ。
縺れて遣い物にならなくなった糸を いつまでもホグシてる努力に懸命な 科学者
のようなことを云ってる。・・・バカなヤツ、俺。
で、
 
     地震も津波もハリケーンも森林火災も
     自然界が今の人類へ制裁を加えるように
     今後も様々に出てくるかも知れないけど、
     そのとき、自分には何ができるだろうか? 
     素直に そう思った瞬間。
     そこからスタートしたことを常に忘れないように
     自分にできることをやって行く。
     そういう気持ち、大切にしたい。  
 
このコーナー、最初のページの冒頭に掲げたコメントも俺自身なんだけど、
まぁ、そういうこった。少し(・・・かなり)反省してる。
地球温暖化が云々以前に、いま自分が何をやるべきか? 
そういう初心というか、原点というか、ストーンズの free CD の姿勢 というか・・・
要するに、漠然とした形のモノだけを並べる曖昧さに偏ってはマズイ。
ということに気づいた。・・・というより、気づかされた。みんなのコメントやTB返信記事に。
で、俺自身の素直な気持ちで、これも どこか重複するけど、
「ニューオーリンズという音楽都市が人類から消えてほしくない」
という・・・ここ数日は、そんな気持ちでしかない。基本的には。
これをいつまで続けるかは判んねぇけど、
正直、カネにならないボランティア運動みてぇな格好では終りたくない。
って気持ちもあって複雑だ。 (・・・かといって、 コレをカネに換えようというつもりもない。今は)
他人の不幸をネタに這い上がるなんてのは
本当の自分の力とは思えないしな。
で、今も被災地で必死に生きようとしてる人たちにはワルイかも知れないけど、
来春、ストーンズが来日して、あのCDを 手に入れる募金をするまでは
(たぶん、日本公演でも実施してくれると思うので・・・それまでは)
コレ (ニューオーリンズ関連の記事を書いてTB送信する)を地道にやって行こうと思う。
   
かつて、一応、同じ新潟県内の、中越地震のあとで、
被災地に救援物質を送る各所の運動が盛んになり、
そのドサクサに紛れて大量のゴミを現地へ贈ったバカがいた。
震災の被災者を装って、”フリコメ詐欺”をやってたクソな野郎もいた。
丁度、そういう犯罪をマスコミ報道が流行らせてしまった時期に重なって、
全国の分別ゴミの法律が改正される されないかの間際だった。 
 
迷惑トラックバックを送信しまくる連中も、それに似たヤツも(下の一発目のTBは別にしとくけど)
自殺サイトの横行や、探偵モドキな野郎の殺人請負出会い系サイト、
闇米業者さんのサイトでの闇米販売、全国の米泥棒・・・。
全部、ぜ~んぶ、やってるのは日本人同士だ。現代の。
そして今、俺の住んでる佐渡にも、詐欺はいっぱいいるけど朱鷺はいなくなった。
絶滅寸前だ。
野生として生きられる朱鷺なんて、もう一羽もいない。
実家の父親の出身地、広島のカブトガニも絶滅危惧種。
あの干潟のムツゴロウも、
実家の母親の出身地、群馬の利根川にいたはずのサンショウウオも・・・。
 
BSE、ヤコブ病問題が騒がれてる中、
昔から佐渡牛の子牛が松坂牛の”タネ牛”になってたとしても、
佐渡の米が魚沼産と並んで旨いと称されてるとしても、
かつて曽我ひとみさんが見たはずの、海、山、川、田んぼ、畑とは ちょっと違う。
トンボもセミも少なくなった。スズメも以前のようには群れを成してない。
田んぼの泥の中ではヤゴやオタマジャクシは いくらかいても、
ゲンゴロウやミズカマキリ、タガメや緑色のヒルはいない。
稲の品種改良も農薬も化学肥料も水質汚染も、
すべてがブランド米のためにあるようなもんだ。
高額な農耕器具ひとつ、日本の減反システムに法られて販売されてる。
昔ながらの重労働な稲作をできるほど高齢者農家は元気がない。(漁師もな)
   
コシヒカリという品種の素は、”カメノコ”という稲だったらしい。
現在市販の、どのコシヒカリよりも数段・・・美味しかったという。
ただ、雨風に叩かれると、たとえば一回の台風で、稲が泥の中へ寝てしまい、
その年の稲作は台無しになってしまう。
そこでご苦労な科学技術の登場!
品種に品種に品種という改良を重ねて、
現在のような栽培しやすい稲に変わった。
時代の気候の変化、変動。
そういう自然界の変貌にも合わせなければならない。
人間が便利に、ラクをできるようにも、まぁ色々と工夫が成されてきたってわけだ。 
 
 
ここで俺が何が云いたいのかっていうと、要するに、
   環境の破壊が人間の精神の破壊に繋がる
  
ってことだ。
 
唐突に聞こえるかも知れないけど、この意味は、たとえば Nixe さんなら判るでしょ。 
 
人間の心、精神の容器は肉体だ。
その人間の容器が、この自然界、地球ってわけ。簡単にいうと。
 
で、この地球環境が、今日も今も、今現在の一秒毎にも、
刻々と破壊が進んでいる。全世界各国、世界規模でな。
進歩、改善、復興は決して、その激しい劣化に間に合わない。
それがどこであろうとも。
こういう云い方も失礼かもしれないけど、
見た目に、一時的に、その場凌ぎには、カネを賭けて、
復興されたように整えられている場所はあるかも知れない。
でも、そこに住んでいる人々の心までは完全に復興はされてない。
そういうこと(背景)もあって、神戸市須磨区の1997年春の事件があった。
 
人間、肉体が病めば、心が悩み、
心が悩めば肉体は苦しくなってくる。
どんな病気や怪我においても。
で、肉体が破壊されれば、その容器の中に心は居づらくなる。
完全に破壊・・・心臓が停止して肝臓機能も止まって冷たくなれば、
その容器の中から精神、心は離脱する。
つまり、死んでしまうということだ。
で、その人間の住んでいる場所。人類の容器。
その、人類の住み飼いが今まだ なんとか許されている地球上、太陽系、銀河系、その外側の・・・
この自然界が破壊されれば、当然、そこに住み飼いすることは難しくなってくる。
そして、また明日にも、どこで何が起こっても、おかしくはない状況にあるのが
この自然界の動き・・・。
たかだか数千年の人類の歴史の中で、
その、ほんの数百年で破壊した結果がこれだ。
大雨も洪水も、異常発生の台風や竜巻、地震も土砂災害も、火山噴火も
凄い変貌・・・一定の期間にまとめてやってくる。
(といっても、ある一定の期間、修正をしてる状態だど思うけど。俺はな)
 
それでも、山古志村の人々は生きている。
三宅島の人々も他に行き場がないのではなく、そこがいいと思ってる。
何十万人という命を奪ったインドネシア・スマトラ沖の地震津波あとの復興の遅れも、
ニューオーリンズも同じだ。
総額数千億ドルという被害。
それ以上に、今まだ、人が住める場所ではない状態。
着る物も食器も、一滴の水も無駄にはできない
 
それに引き換え、俺たちの欲しいモノはなんだ?
アイポットか? 次世代DVDか? サラウンドを楽しめる大画面か?
ブランド車か? 窓から東京タワーが見えるマンションか? 
余った小遣いで買う白い腕輪か? みんなが付けてるからなのか?
アイツも持ってるゲームもか? 
 
押入れのCDラジカセじゃダメなのか? ぱなからーのテレビじゃ駄目なのか?
洗濯機も乾燥機付がいいのか? 冷蔵庫の中の腐りかけた喰い物は いつ買ったんだ?
最新食器洗い機 と 64bitパソコン と 燃料電池で動く車が”三種の神器”なのか?
靴下が何足ある? 
古着屋の購入価格にケチをつけるスカーフやネクタイは、ウォームビズの流行には合わないのか?
子供のクリスマス・プレゼントはXBOXの予約か?
そもそもキリスト教信者なのか?  (・・・隠れキリスト教徒?)
台風14号にビビッた日本人は どこへ行った?
あれから自分の中で何が起こった?
 
 
そういう俺も、次のストーンズのコンサート では
アリーナに座るつもりでいるんだけどな。
 
no body told me .  
   
   
                               つづく。 
   
   
   
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    http://helpNO.exblog.jp/
 
 
             12126helpno  
 
 
         2005.12.16、トラックバック返信 ありがとうございました。
 
 
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http://www.aozorany.com/story/message/20050926-2.php   ビル・マッキベン氏 の記事 
 
     この記事の内容には俺も かなり共感する部分も多く、
     こういう解釈での警鐘なら一般人にも伝わりやすい・と思う。
  
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   追記 4 2005年 12月16日(金) 19時38分 
   
   
 
『現在のニューオーリンズの状態が「どういう状態なのか?」が把握できておりませんが、』
という、2005-12-14 21:16:49 のコメント にお応えして・・・。 
   
例えば、(http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/dc09af906925fd67226e399434dcad11
報道写真家の中司さんのように、
実際に現場へ降り立ち、そこで「自分の眼で見た事実を伝えてゆく」ということが可能なら
俺も、もっと心置きなく云いたいこともセーブすることなく
読む人の生活にも役立つ内容をリアルに提供できる・・・と思う。
さしあたり -------- これが責任逃れに聞こえようと、どう思われようと仕方ないけど --------
現地にいない俺が何をほざいても、「おめぇは ”あまちゃん” なんだよ」と、矢島くん(過去の友人)にも
突っ込まれるのが関の山で、 
 
今の俺に何ができるか? 
 
それを冷静に考えた場合、   ・・・何もできやしないけど。
 
   
http://ameblo.jp/studyabroadnola/  の、みずのとくんのページや、
 
   
http://helpNO.exblog.jp/    と   http://scw.jugem.jp/
 
のように、現状のニューオーリンズを詳しく伝えている情報公開ページを
俺なりのやり方で紹介することくらいしかできない。今のところは。 
 
ただ、これは考え方の相違で、俺は決して、
よくありがちなチャリティの普及やボランティア活動の一環として やっているわけではない。
今の人類にとって、この百有余年に渡る、
ニューオーリンズにおける音楽の歴史ってのが何なのか?
ってことに大きな意味がある。俺にとっては。
それは、もしも今この瞬間、今日を境に、生きるか死ぬかの選択を本当に迫られたとき、
一個人を通して失われる大きなモノと、その周辺の破壊・・・壊滅による大きな損害が
後々、誰かが残すべき重要なモノまで巻き込んで失われてしまうことの恐怖・・・。
 
そういう理屈も、「テメェの知ったことか・・・」で、終らせたくない。
他人が、何か重大な問題に直面したことが
自分達に関係しているとは考えられない人も、
自分の利益を追求する狭い範囲では、愚かにも、他人と自分を比較して、妬み、憧れ、羨ましがる。
俺もそうだ。少なからず、自分の中にある。
そこから一歩、前進できるかどうか。
俺はそこに、ただ簡単に
「前向きに」という言葉や「ポジティヴ」という使い古された言葉を並べるのも嫌いだけど、
目的は自分を成長させるところにある。 
 
言葉を並べるのは簡単だ。
上には上がいて、「本をたくさん読んでいる者ほど優れている」と思い込んでる連中も多い。
反対に、自分の限界を知り、それ(・・・考えたことの実行)が精一杯の人もいれば、
”自分にできる範囲”を調節して要領よくやっている人もいる。
その上で、「全力を尽くす」とか「最善を尽くす」「努力する」というのも、もはや曖昧な言い回しでしかない。
(その辺は日本の政治家・・・役人のみなさんが得意とするところだな。)
だから、疑うべきは、まず自分だ。
常に、「俺は本質から外れて生きていないか?」「これでいいのか?」
という疑問を日常の中で抱きながら生きている。
違うと判れば、辞めてしまえばいい。
「ぜんぶ捨てる覚悟も必要だ」という云い方はしない。・・・それも もうやめた。
次へ進むには抱え込むより、切り替えた方がラクだ。
俺は今、そうやって生きている。
   
   
        
http://ameblo.jp/badlife/entry-10007093505.html  へ つづく。