Archrival BossLog 岩手県盛岡市内丸 西海岸系セレクトストア

Archrival BossLog 岩手県盛岡市内丸 西海岸系セレクトストア

Archrival(アーチライバル)のBossが書き綴るBlogです。

Amebaでブログを始めよう!

こんちは♪ 元Boss@Archrivalです♪ 今年の1月末に盛岡のArchrivalを閉店し、店舗の片付けや住居の転居を2月の中旬に済ませ、元々のホームタウンである東京へ戻って来ました。 

転居後の1週間は転居届けやら何やらでバタバタ・・・未だに引越し荷物が片付いていません・・(笑) 

さて・・・東京へ戻った今、オイラの仕事はアパレル業界から離れまったく違う業種に就いています。 

元々、東京から岩手県の盛岡市へ転居し店を始めたのも被災地でみんなと笑えるような何かやりたい!ってな気持ちでスタートしました。 

皆さんもご存知の通り、最後には岩手県内の某スポーツチームの選手に暴行され右手がグローブのように腫れ上がり、仕事が出来なくなり、やむなく店を閉店する事になりました。 

しかしながら被災地に移り住み商売をやり生活をして6年半に色々と思うことがありました。 

何より岩手県で最大の街である盛岡の大通りですら活気は年々低下、人通りも6年半で減少、疲弊している感がぬぐえない現状を目の当たりにして来ました。 

とはいえ、オイラ一人が何やったってたかが知れてるし・・・ たまたまアパレル繋がりで知り合った方とお話をして今回のプロジェクトに参加しました。

仕事の内容としては今の日本で数少ない成長産業の1つ、物流関係、その中でも軽貨物の運送業です。

早い話が右肩上がりの物流業界で皆さんもご存知の通り圧倒的にマンパワーが足りてない、人材不足です。 正社員雇用でも無いし仕事内容的には厳しい業界でもあります。 

しかしながらオイラが所属しているグループは基本的には大手物流業界の下請け的な立ち位置ではありますが稼げます!

 ここでオイラの2月末からの経緯をお話します。 

正直、舐めてたワケじゃないけど厳しかった・・・_| ̄|○ 3/1からの正式勤務の前に研修を私が所属しているグループのベテラン配達員のMさんに指導して貰いました。 

運転はデカいアメ車も転がしてたオイラなので楽勝と思ってたら大間違い・・・

 配達の基礎的体力も無く、また配達時に使う端末機の使い方もままならない状況 基本、常に小走りでの配達作業も含め精神的にも肉体的にもボロボロになりました。 

そして正式勤務が始まり知らない土地の地図を元に配達をするワケですがナビに慣れ親しんでいたオイラに地図が読めない・・・ 

3月のお休みは配達エリアでの道を把握する為、毎週、走りこんで必死に道や建物の位置関係を覚えました。 

そしてボロボロな精神状態、疲労困憊の中、1ヶ月が経過しました。 

最初は道に迷い、1日かけて12個しか配達出来ないオイラでしたが80個程度は配れるようになりました。 

ここで配達個数と報酬について説明致します。 

基本的にオイラが所属するグループは配達する個数 x @170円が売上になります。 

その売上の10%がグループへの所属経費として計上、つまり引かれます。 車は持ち込みでもOK、オイラの場合は任意保険代等も込みで月に4万円でリースで借りてます。 

さて1日に80個程度の初心者のオイラはさておいて、一般的な配達員は1日に100~150個は配達します。 

仮に100個 x 25日 = 2500個 2500個 x @170円 = 425,000円 ここから10%の所属経費とリース代の4万円を引き、ガソリン代(35000円程度)を差し引くと307,500円、これが手取りになります。 

配達能力にもよりますが日に120個だとすると、510,000円の売上に対しリース代とガス代を引くと384,000円。 今の時代、普通自動車の免許証と五体満足な身体があり、やる気のある方であればこれだけ稼げます! 

そう、雇用の少ない、賃金が高くない被災地の中で東京で稼ぎたい人達の受け皿になるべく、オイラは東京へ戻り、まったく違う仕事を始めました。 

この稼ぎであれば諸経費の高い東京でも十分におつりが来るし、貯金も出来ます。 

そう、1年やるか?3年やるか?5年やるか? 人それぞれではありますが、疲弊し高賃金の仕事がない被災地に5年いても時間が経過するだけでおそらく何も変わらない・・ ならば東京で稼ぎ出し、その金で生まれ育った街に戻り、事業を始めるなり、店を開くなり、家を買うなりしてもらう 

それがオイラが企んだ、被災地の人達にたいするお手伝いの第二弾と考えました。

日本にはなかなかセカンドチャンスは掴みにくい環境、一度仕事をやめたらその報酬と同じ職種に就くことは困難 

家族がいて稼がないといけない環境の方、店の経営や事業に失敗し、次が見えない方、事情はそれそれあるかと思います。

 しかし前にも書いたように年齢も学歴も一切構いません、普通自動車の免許証と五体満足な身体、それと根性があれば高収入が得られます。 

オイラが身を持って経験した厳しさや辛さも含め、成長産業である物流業界を東京でオイラと一緒にやってみたい方 ウチのグループでもマンパワーを必要としています。 

興味のある方archrival.jp あっと gmail.comまでご連絡をお待ちしています!

こんちは♪Bossです♪

最後のご挨拶
予め用意するなんて気持ちがこもらないから
全て終わったその時に素直な気持ちで書こうと思ってた
でも・・・まだ終わるなんて実感が全然なくて
泣くまいと思ってたけど、書きながら涙が止まらない・・・

18歳から業界入りして人生の大半を費やし過ごしたオイラのアパレル人生
デザイナーズから始め、インポートの波が業界を包み
世界各国へ買い付けに奔走し大変だったけど楽しかった。
でも・・・・
昨年の10月、理不尽な暴行を受け、不本意な形でやめざるを得なくなったから
悔いが無いなんて決して言えないし、思えもしない・・・

だけど・・・これだけは言える
取引先や同業友人、そして何より多くのお客さんに恵まれオイラは幸せでした!
ありがとう、みんな!
きっとまた会えるから・・・
また、いつか、どこかで・・・・
こんちは♪Bossです♪

年末年始のお知らせです♪




よろしくお願いします。

でわでわ!(^.^)/~~~
こんちは♪Bossです♪

前回のブログで話した通りオイラは6年間いた岩手を離れる事にしました。
まぁ東北じゃこんなジジィの仕事なんて無いだろうから
おそらく東京へ帰る事になるかと思います。
(行き先はハワイやLA、アジアも検討中ですが・・・)
そこで最後に店頭限定でセールを行います。



尚、通販は適用外、何故って?
最後にちゃんと皆さんの顔を見て話したいから♪(笑)
そして今回の事の真相も聞きたい人もいるだろうし・・・。
12/1(金)の12時よりスタート!
基本的にブランドに関わらず全て50%OFF、但し基本、お支払いは現金のみとさせて頂きます。

最後に沢山のお客様の1人1人の顔を見て話したいと思っています。

皆様のお越しをお待ちしています。



でわでわ!(^.^)/~~~
こんちは♪Bossです♪

前回の続きです。

店舗移動をしArchrivalの第2幕が2014年のゴールデンウィーク。
その後、GWを周年とし毎年この時期にアニバーサリー物をリリースしたり
9月の某フェス時期には前日から当日にかけて色々と企んでみたり
少しずつですが当店独特の企画などが浸透し皆様に楽しんで頂けたかと思います。

そんなこんなで秋になり毎年恒例のメディカルチェック、いわゆる定期健診を受けたら
結構なヤバい数値が出て、馴染みの先生から紹介状を書いてもらい専門医に診察を受けました。
元々、私の母がその病気の合併症で還暦を迎える前にポックり逝っちまってるので
遺伝的な血筋も十分頭には入っていて自炊ながら食事も相当に気を使い暴飲暴食も控えてました。
しかしDNAってのは怖いもんで・・・しっかりと負の遺産を引き継ぎ静かに発症していました。
医師には上記、つまり食事的な点は注意していた云々の話をし消去法で原因を考えると
意外な答え・・・ストレス・・だそうです・・・・_| ̄|○
今の生活習慣の中でストレスになってる事を洗い出し改善しないと・・的な事を言われましたが
いやぁ~いろんなストレスまみれで・・・・どう改善をしろと・・・(T_T)
取り合えず処方箋で頂いたお薬を決まった時間に決まった方法で始めました。


しかし・・・ストレス・・ねぇ・・・無いヤツいねぇだろ?w

そんなこんなで事件は起きました!

続きます。
こんちは♪Bossです♪

前回の続きです。

6月に盛岡へ滞在し3日ほどマーケティングをした結果
概ねの盛岡の人の流れを把握し、その後に不動産屋を数件回りました。
そして当時は空き店舗ではありませんでしたが休業中のレストランを発見。
タフなネゴシエーションでしたが無事契約に辿り着きました。
そう、Archrivalの第1幕は映画館通りに面した某ライブハウスの1F。



そして2年が経過しビルのオーナーが変わり新しい家主(ライブハウスのオーナー)に
家賃の大幅値上げを迫られ、ウチのスポンサーは憤慨し手を引きました。
残された私は盛岡に残るか? それとも東京へ戻るか?いろいろ考えました。
2年と言えどそれなりに顧客も増え、街にも慣れ、愛着も出てきた頃でした。
最終的に長年乗っていた愛車を始め、資産的な物を全て売却し資金を作り
現在の店舗のある所に店舗移転をし私がオーナーとして第2幕が上がりました。



幸い、岩手公園の目の前のロケーションで某フェスの時など大いに賑わい
また店舗スペースは1/2になりましたが、かえって好評で結果的に正解でした。

続きます。
こんちは♪Bossです♪

前回の続きです。

Cさんの母の無事、釜石中学校で保護し数回の休憩をとりつつ東北自動車道を南下
夜の9時を過ぎる頃、ようやくCさんの自宅に到着!
玄関では彼の奥様や娘さん達の出迎え、そして全員の安堵の表情。
「お疲れ様でした、どうぞおあがり下さい」
私に苦労をねぎらう奥様に対し「貴重な家族団らんの時間を楽しんで下さい」と
丁重にお断りをし、車を自宅に向かいました。
帰宅後、疲れや喜び、達成感と共に釜石で見た光景が頭から離れず
1人、近所の飲み屋でチビリとやりながら考えふけました。

翌日、Cさんから電話があり丁重なお礼と頂きミッション完了。
改めて、人と人の繋がりの大切さをこの歳になって実感しました。

当時、渋谷の駅前では多くのボランティアが募金活動をしていました。
しかし、ひねくれた性格の私はイマイチ賛同できず
「募金活動している私ってえらいでしょ?ねぇ見て!」ってな覚めた目で見つつ
「ホントに思うならなんでドカチンのバイトでもやって募金すりゃいいじゃん」
とかひねくれた考えたりし、「んじゃ、オレは何が出来るんだ?」
自問自答しながら自分なりにやれる事をしようと思いました。
その後、2011年のゴールデンウィーク、春物のWebの商品アップを終え
少し時間が出来た私は連休を利用し東北を回り自分なりのボランティアに参加。
GWの後半には自分の中でぼんやりしたある1つの考えがありました。

当時、取引のあった取引先の社長に自分の考えを相談しました。
何が出来るか判らないし決まってないが東北で何かやりたい。
ついては今の店と社員を今の給料のままで引き取ってもらえないか?
もちろん、無理は承知で言ってるつもりだからそちらからの条件は全て飲む。
ほぼ快諾してくれた社長から思いがけない提案を貰いました。
「ウチが資金出す、場所は任せるから店を出せ」
願っても無い提案、私も即決しました。
そう、東北のどこかで店を出し地域に貢献するのが私なりの復興のお手伝い。

そこから個人的な友人や仕事上の仲間に報告しました。
面白いもので昔の不良時代の先輩や仲間達は
「おう、お前、偉ぇな!頑張れ!」
「すげぇ、応援します!」
的な事を言ってくれました(笑)
しかしLAの友人達は否定的で
「○○、ホームタウンって東北だっけ?東京!だったら何で?」
「放射能の影響があるのになんで○○が行かなきゃいけない?反対だ!」
などなど・・・心配してくれるのは嬉しいけど・・・ね・・。
こういう行動は気持ちの問題。
ここで行かずに後悔し一生、「あの時行っておけば・・」とこの先ずっと
後ろを振り向きながら生きて行くぐらいなら行ってから後悔すれば納得する。
その思いと情熱で東北へ移住し店を開く事になりました。


続きます。


こんちは♪Bossです♪

注意(被災地の当時の画像があります)

前回の続きです。

車に搭載しているナビで目的地である釜石中学校を目指しました。
しかし現地の近くに到着すると目を見張る光景が・・・。
以下は私のカメラで撮影した当時の釜石市中心部の画像です。











前にも書きましたが・・・
音の無い世界、車などの音はありますが本来ある街の音
信号機を始めとした生活音がまったくなく絶句しました。
途中、ナビで記されている道が通行止め等で苦戦しましたが
何とかCさんの母が待つ釜石中学校へ到着!



無事、生存確認が出来てCさんも含め全員が涙・・・。



帰りにりんごを頂いて帰りました。



そして釜石道から東北自動車道に乗り最初のSAで休憩を取る事に。
Cさんの母親さんに「食事休憩を取りますが何か食べたい物は?」
「暖かい物・・・なら・・なんでも・・」
避難所でのご苦労を察しました。


続きます。
こんちは♪Bossです♪

前回の続きです。

Cさんとオイラは彼の母を東京へ連れ戻すべく岩手県の釜石市へ向かいました。
当時、東京都内でも東日本大震災の影響でどこのGSでもガソリンが買えず
買えるGSには1キロ以上の車列が並ぶ異常事態が起こっていました。
私のアメ車は燃費が悪く週に100Lほど買っていた馴染みのGSに事情を説明したら
営業時間後に連絡するからいらっしゃいと・・・有難かったです。
車に100L満タン給油し、20Lの携行缶を4つ車内に積み出発!
幸いに前日、東北自動車道が規制箇所がありつつも開通の一報が入り一安心。
「この状態でオカマ掘られて事故ったら爆発炎上で即死だよね」
とか冗談を言いつつCさんとの東北自動車道を北上する珍道中。
高速の途中、給油出来るSAのGSでこまめに給油しながらと思ってましたが
やはり皆さん、同じ考えでドコも混雑していました。





高速で併走する車もみんな被災地に向かう災害支援車両。







こうしてまずは初日の目的地である盛岡を目指しました。

続きます。

こんちは♪Bossです♪

久しぶりにブログを書きます。(サボってばっかりだ・・)
これから数回にわたり色々と伝えたい事など長文になります。
まずは私が岩手県に来る事になったきっかけをお話したいと思います。

まず2011年の秋にArchrivalは岩手県の盛岡にオープンしました。
きっかけは2011年の3月に起こった東日本大震災でした。
当時、私はStreetWiseと言う店を営んでおり店頭業務はスタッフに任せつつ店のWebを担当していました。
そしてあの忌まわしい3.11があり日本中が混乱と不安に覆われていたかと記憶します。
大地震の数日後、仲のいい同業の友人(Cさん)から相談があると電話があり、その夜に居酒屋で落ち合いました。
衰弱しきった雰囲気を察し、アルコールと言う潤滑油が彼の身体に回るまでゆっくりと時間をかけました。
Cさん曰く、自身は岩手県の釜石市の出身で故郷には年老いた母が一人で暮らしてるとの事。
今回の地震による津波の影響で幼少の頃から暮らしていた家が流されたとの事。
ここ数日間は電話も繋がらず、安否確認も出来ず、不安の日々だった事。
不幸中の幸い、家は失ったものの、彼の母の命は無事、釜石中学校に避難している事が昨晩やっと確認出来たとの事。
安心もつかの間、年老いた母の体力、そして精神状態を考えると今すぐにでも迎えに行きたいとの事。
しかし現状は新幹線はおろか東北自動車道も不通、しかも車も無い。
途方にくれながら私に電話して話を聞いて欲しかった事。
即決、即答でした。
「Cさん、行こう!釜石へ!」
こうして私とCさんとで数日後に彼の母を釜石から東京へお連れする事が決まりました。
翌日、スタッフに事情を説明し予定を立て日程が決まり1泊2日でのプロジェクトが始まりました。
当時のBossLogのログが残ってたんでここへ置いておきます。