![$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-kokoko](https://stat.ameba.jp/user_images/20110212/20/addicto/42/ab/j/t02200182_0394032611044190241.jpg?caw=800)
松本零士氏へのインタビュー。
その主要部分は、エルドレッド氏が拠点とする「スター・ブレイザーズ」公式サイトに、
![$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ほそながお](https://stat.ameba.jp/user_images/20110201/13/addicto/69/1a/j/t02200405_0386071111019304854.jpg?caw=800)
2月1日から公開中。
〈訳文その1〉
〈訳文その2〉
〈訳文その3〉
これとは別に、3月22日発売の、OTAKU USA(オタクUSA)にも、
![$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-おたこん](https://stat.ameba.jp/user_images/20110324/12/addicto/28/83/j/t02200269_0245030011122627568.jpg?caw=800)
インタビューの他の部分が掲載されたので、
![作家集団Addictoe オフィシャルブログ-1](https://stat.ameba.jp/user_images/20110325/01/addicto/11/de/j/t02200132_0800048111123953291.jpg?caw=800)
![$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-2](https://stat.ameba.jp/user_images/20110325/01/addicto/9c/58/j/t02200132_0800048111123955032.jpg?caw=800)
今回から分載で、訳文を紹介します。
アニメとマンガ界の伝説の巨匠、
松本零士に、
オタクUSAが訊く
ー自由と冒険ー
![作家集団Addictoe オフィシャルブログ-きじ1](https://stat.ameba.jp/user_images/20110325/01/addicto/c6/af/j/t02200292_0600079611123953290.jpg?caw=800)
子供時代の環境
--海外のファンのために、先生がマンガ家になるまでの過程を、ざっと教えていただけますか?
私の父親はパイロットでした。戦時中なのに、父親が無類の映画好きだったので、映写機とフィルムを持っていて、南方戦線で戦っている間に、息子の私と弟は、家でミッキーマウスやポパイのアニメを映写して見てたんです。
北九州には映画館が31館もあったので、子供時代はアニメに限らず、世界中の映画も観られる環境にありました。
『白雪姫』(1937・日本公開1950)
![$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-howaito](https://stat.ameba.jp/user_images/20110325/03/addicto/3b/e7/j/t02200137_0534033311124031817.jpg?caw=800)
『ファンタジア』(1940・日本公開1955)
![$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-teijia](https://stat.ameba.jp/user_images/20110325/03/addicto/ec/58/j/t02200146_0478031811124033227.jpg?caw=800)
なんかを映画館で観て、とにかく同じ作品を何度も何度もくりかえし観て、目に焼き付けたもんです。
そして次第に、アメリカ、フランス、ソビエト等、国によるアニメの表現力の違いにも気がついていったんです。
戦時中は、父の任地で航空基地のあった、神戸の明石に家族で引っ越しました。それで1943年、昭和18年に明石の映画館で、『くもとちゅうりっぷ』という、虫を主人公にした、ミュージカルアニメーションを観たんですが、
そしたら同じ映画館で同じ日に、手塚治虫さんがいっしょに観てたんですよ。
私より10歳年上で、私は5歳、手塚少年は15歳。で、同じ画面を見て、同じように火がついてるわけです。彼のお父さんも、家に映写機を置いてたんです。環境が非常に似てたんですよ。
だから後年にお互いに、「なんだ、その時に出会ってるじゃないか」と、ビックリしてひっくり返りました。
また石森章太郎氏、彼と私とは、生年月日が全く同じなんです。
それでこの3人が集まって、いろんな古道具を買ってきまして、フィルムも『風と共に去りぬ』(1939・日本公開1952年)
![$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ごうん](https://stat.ameba.jp/user_images/20110325/03/addicto/d1/b2/j/t02200157_0800057011124034993.jpg?caw=800)
から何から全部買ってきて、この3人で集まって、3大アニメマニアと自称してました。
少年時代に話を戻すと、父は戦争が終わってから失業して、ものすごい貧乏だったんです。
ところが貧乏でも、10セントコミックというアメコミは、終戦直後とはいえ、アメリカ兵が持って来てくれたのが町中にあふれてて、5円、10円で買えたんです。だから山ほど持ってるんですよ。
で、ここでもマンガの違い、日本とアメリカと、ヨーロッパの『バーバレラ』などのフランスの表現の違いに気がついたんです。
![$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-てき2](https://stat.ameba.jp/user_images/20110325/03/addicto/bc/87/j/t02200197_0600053611124040789.jpg?caw=800)
それから後につながる科学技術への萌芽といえば、まだ高校一年生の頃(1953~54)に、地元の駅のすぐそばの、井筒屋というデパートで科学展というのがあって、そこへ行ってみたら、日本製のカラーテレビが、いきなり展示されてたんですよ。
この年は日本でテレビ放送が始まっただけで、カラーテレビ放送は7年後の1960年に本放送が開始。一般に普及するのは、科学展からかれこれ20年ぐらい後ですからね。
北九州というのは一種の異空間で、こうした不思議な出逢いが色々あって面白く、勉強になりました。そうした色々なものが、自分の中の刷り込みになっていますね。
つづく(何回連載になるかは未定)
ポチよろしく~。
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