松本零士インタビュー〈パート3〉 | アディクトリポート

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パート3 クリエイターの生涯
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--マンガとアニメ以外に、先生の作品に影響を与えた平面作品や映像作品は、なんでしょう?

映画は世界中の作品を、いっぱい観てます。
北九州では邦画はもちろん、ソ連時代のロシア映画まで、世界中のあらゆる映画を上映してましたから。
ですから全部を見比べてみて、色感の違い、アメリカのテクニカラー、イーストマンカラー、ロシアの……元はドイツのアグファカラー、それから日本のコニカラー、発色が違うのに気がつきました。

好きな映画の最たるものは『風と共に去りぬ』で、あの映画の中でスカーレットが、地面からなんか抜いて、かじって、"I'll never go hungry again!" というセリフを言いますが、全く同感で、俺も二度と飢えないと言う気持ちでした。
本当に腹減りましたんでね。

しかもシルエットがロングで引いて行く場面が、実はディズニープロのアニメーションなんです。
ハリウッドで、揺れずによく引けますね、と、訊いてみたんです。
そしたら途中からアニメなんだと教えてもらいました。

で、たしかこのディズニープロの若者2人だったと記憶しますが、まだ戦争の影響が尾を引いていた時期に、ハリウッドで私に真顔で近づいて来て、「あなたは広島、長崎についてどう思ってるんですか?」と真剣に訊かれました。

彼らの胸中にも、人の命についての思いがあるというのが、よくわかりましたね。
お互い、人間、ひと同士だというのがよく理解できたんです。
自分の胸の中のパールハーバーなどの同じ思いもありますし、ハワイに行けば自分だって複雑な気分になりますから、この2人の青年が問いかけてくれたことに、感謝してるんです。

他に印象に残っている映画と言えば、『若草物語』(1949)では、家が破産する少女がいて、その妹が、「しかし、私には小説がある」というセリフを聞いて、「ああ、俺にはマンガがある」と思いました。

きわめつけは『我が青春のマリアンヌ』(1955)、ハイリゲンシュタットを舞台にした映画ですね。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-sanntai
この映画のヒロインはメーテルの原型で、それは顔が良く似てるからなんです。
それとやはり、少年との物語なんですよ。
友人が、「お前は必ず彼女と会うことができるだろう。おれはそう信じている」というのがエンディングのセリフで、そういうところが、非常にきれいにまとまっている。

こうして世界中の映画に慣れ親しんだので、アメリカ映画、フランス映画、ドイツ映画で、国による表現力の違いに気がつきます。
『我が青春のマリアンヌ』では、
「私はあなたが来るのがわかっていた」
「自分はアルゼンチンから帰ってきました」というやり取りの後、
「私がこの世で、一番遠いと思っているところ」は、
フランス語版の場合は「ギャラクシー(galaxie)」、
ドイツ語版では、「時間と空間の彼方」なんです。

ここに表現の差がある。

もともとはペーター・ド・メンデルスゾーンの、『悩ましきアルカディア』という題名の小説が原作なんですが、表現に違いがあることに気がつくと実に面白い。
言語によって感覚も違うというのが、よくわかりますね。

--アメリカのファンは、先生のSF作品はおなじみですが、日本ではSF以外の作品も、とても人気があるようですね。
SFとそれ以外の作品では、どこら辺がどのように違うのでしょう?


自分の中では同じなんですが、アニメになりやすい題材が、たまたまSFだったというだけのことです。
実は私は、動物ものとか少女マンガとか、ファンタジックなものもいっぱい書いてる。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-maetr
『銀の谷のマリア』だとか『火の森のコーシカ』だとか。
コーシカというのはロシア語でネコですが、実は日本橋にあるお店の名前で、店主のロシア人のおばさんに、コーシカって何なのと、意味を教えてもらいました。

--そうすると先生は、『風の谷のナウシカ』という題名を聞いて、どう思われましたか?

いや、実はナウシカというのは、『今、オレの家にはネコがいる』、今のネコ=ナウ、コーシカをもじったもので、命名者は私なんです。
『ヤマト』の企画書にも、護衛艦としてコーシカ、ナウシカと書いてあります。
出たばかりの、『大クロニクル』にも、記載されてるんじゃないかな。
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-dai
※編注:現時点で確認は取れておりません。


それで企画書というのは、業界関係者の目に触れるから、しかたない。
先に使った方が勝ちだから、それはとやかく言わない。

ガンダムだって、『ダンガードA』(1978)の企画書に、宇宙空母の名前の候補で、ダムを最後につけてくれと言われて、バンダム、ジャスダム、ドンダムと並んで、ガンダムも提示したんです。

私は自分で射撃もやってるから、ガンをつけてみたが、『ガンフロンティア』も先に書いていたし、収まりも悪いから、最終的にジャスダムになった。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-hasydamu

ところが名称案は渡しちゃって、活字になって出回ってしまう。
目に触れれば誰か使いますよ。それはそれでいい。
ガンダムもナウシカも、がんばってくれたでしょ。
そうすると回り舞台で、その時期、その時代で、がんばってくれる作品があると、いずれ自分にも出番が回ってくる。
だから逆に、取った取られたじゃなくて、みんながんばれって、応援してるんですよ。

--新谷かおる先生や板橋克己先生のように、松本先生のアシスタントから、その後ご活躍されたマンガ家もいらっしゃいますが、他にもアメリカのファンが注目すべき、別の才能ある方がいらっしゃいますか?

誰がいるのかなあ……。
何しろこれだけ長い間やってると、大勢といっしょにやりましたから、もうわからなくなってます。
ただこの自由業というのは、保証のない世界ですから、みな厳しい。
だから覚悟を決めてやるかという問いかけはするんです。
そしたらやると、みんな言うから。
ですから、しいて言えば、皆もれなく全員ということになりますかね。

--『プロジェクトA子』のハーロックや、『エクセル・サーガ』のメーテルのように、松本先生のキャラがパロディとして扱われることを、どう思われますか?

それはそれで、楽しくていいと思います。
それとは別に、国の内外を問わず、私の作品を愛するあまり、その続編だとかを、私のキャラクターを使って展開して、私の世界を引き継ぎたいという熱心な方も時折います。
しかし私はマンガ家協会の著作権部長もやってますから、個々の作品にオーケーを出すかどうかは、実際に作品を見てみないと、なんとも言えません。

--先生の作品を見てから、軍に入隊したり、宇宙飛行士を志す人に、先生の作品はどんな影響を与えたと思われますか?

我々もそうですしね。
自分がこの世界に入ったのは、やっぱり小さい時に見たり聞いたりしたものに影響されて、踏み込んできたわけですから。
それは創作物を発表する以上、逆にうれしいことです。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-nikori

--逆に先生から、ここに集った外国人に質問があれば?

日本の漫画やアニメを最初に見た時、奇異に感じませんでしたか?

ティム・エルドレッド(アメリカ人)
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-kokoko
--いえ、反対にワクワクしました。アメリカのアニメ番組は1週に一度、土曜の朝に観るだけで、どれも似たり寄ったりでした。そこに和製アニメが登場して、爆弾でも放り込まれたようにビックらこきました。キャラクターにも物語にもドラマがあり、その差は歴然でした。


グウィン・キャンベル(オーストラリア人)
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-guinn
--オーストラリアでは、70年代にはスタッフロールが完全に放送国向けに直されていて、日本製だと示す手がかりはありませんでした。
それでも、これはどう見ても国産ではないと気づいてすっかりハマり、いずれはこのアニメが作られた日本に行きたいと考えました。
ところが祖母は大反対。
なぜなら連れ合いの祖父が、第二次大戦で日本と戦って亡くなっていたからです。
行く行かないで大口論の挙げ句、祖母が私の日本行きを承諾したのは、まさに『ヤマト』の、沖田艦長の生き様を観てのことだったんです。


オーストラリアの東にあるバヌアツ(共和国)のコンビニに立ち寄ったら、近くのレストランの店先でハーロックの看板にバッタリ出くわして、不思議な気分でした。
それ以降は世界中旅して、自分の作品の各国語版を色々買い集めるようになりました。


--大泉学園の駅は、よくお使いになりますか。
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ekichou
2010年11月6日。松本氏は勲四等旭日小綬章(? たぶん・この記述はテキトーです)を記念し、大泉学園駅で一日駅長を務めた。/駅舎だけでなく、街灯にも松本作品の意匠がちりばめられている。

ええ、よく行きますよ。
あそこにも私の絵があるので、ヘンな気分になりますね。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-kabe
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-eki
今度、駅の大改造をして、こちら側は26階建てのビルになるんですが、練馬区と色々と相談しています。
基本的な構造物の大きさはもう決まってますが、今以上に私の絵が大きな割合を占めるようになるでしょう。

--先生が駅にいるのを見つかったら、ロックスター並みの騒ぎでしょうね。

囲まれたりしたら逃げ出しにくくなるので、人目につかないように気配を消したり、うまく変装して歩いてます。

だから、クルマで出かけることも多いんですよ。
私はレーシングマシーンに乗れる、B級ライセンスも持っていて、富士スピードウェイなんかも、ずいぶん走ったもんですよ。
レースに出たわけではなく試乗みたいな感じですが、それでも350キロぐらい出しました。

--最後に、想像力を働かせてお答えください。
あなたは100円で1回作動する、タイムマシンの前にいます。
1.歴史のどの時点に行ってみたいですか?
2.過去のご自分に、どんなアドバイスをされたいですか?
3.最後の100円玉を、どう使いたいですか?


最後の1枚で、地球最後の日を見たい。
最初の1枚で、地球誕生の瞬間に立ち会いたい。
真ん中の1枚で、全宇宙の生命体の探索をしたいです。

$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-かべがみ
有名なご自慢の壁紙の前で。
2010年のNHKテレビスペシャルよりの画像


というのも、この壁紙の写真は、アポロ17号からサーナン宇宙飛行士が撮影した写真ですが、サーナンさんに直接会ってじかに訊いたんですが、ご自分で地球をご覧になってるわけですよ。

私は地球を何度もたくさん描いておきながら、写真しか持ってない。

この目でじかに見ないと、写真資料だけだと平面しかわからず、その後側まではわからない。
描いた絵が立体的にならず、いかにも平面の写真の引き写しになってしまうんですね。

たとえある方向からだけ描いた絵でも、裏側まで知っている人間が描いた絵と、そうじゃない絵というのは見抜ける。
だから私は、できれば全部その周りをウロウロして、つぶさに確かめるようにしています。

ですから地球だって、外からこの目でじかに見なきゃ気が済まない。
だから打ち上げてもらえるならば、帰れなくてもいいぐらいの覚悟で飛んで、この目で見たいんですね。
この目で見ると、描く地球の雰囲気が変わると思うんです。

この前、去年だったかな、若田光一さんから、朝の6時5分にいきなり電話がかかってきまして、宇宙船きぼうの中から。
「今どこ?」って訊いたら、中南米の上空でした。
私は宇宙時計のデザインを2個やってますんで、それをみんなに渡してあったから、時計もちゃんと動いてますよって言われて、じゃあ東に飛んでますから、太平洋の方を見てくれと。
そしたら水平線の丸みがきれいですよ云々のやりとりがあって、かれこれ5分間通話しました。

今はもう宇宙とじかに話ができる、そういう時代が来てるんですよ。
それなのに自分で見てない。
これは見なきゃ気が済まないんですよね。
見れば、もう少しましな地球が描けるはずだと思います。


かくして3時間近いインタビューが終わり、アメリカ人3名、オーストラリア人とロシア人各1名は、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-わかさ
怒濤の撮影およびサインのセッションになだれこむのであった。

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