『ことぼ・記号論 ~意味の主観性~ 』の続き。
前のブログで述べたように、使い手によって言葉の意味は、変わります。
実は、言葉の使われる場面によっても、その言葉の意味が変化していきます。たとえば、『このうさぎ』という言葉の指し示すうさぎは、場面によって変わります。
言葉の意味とは、曖昧で流動的で恣意的です。
この言葉の意味の恣意性の影響をよく受けるのが、物事を評価するときです。『赤い』や『大きい』などの形容詞・副詞は、評価するときに使われますが、形容詞・副詞は、その影響を顕著にうけます。
これについて見ていきます。
まず、『言葉の意味が分かる』とは何かについて、改めて確認します。
『意味が分かる』とは、『その言葉の指し示すモノの集合が分かること』と換言できます。 ある言葉の表現する集合の要素が分かることと、その集合とその補集合の要素を区別できることは、同じことです。
言葉には、こういった補集合が存在します。そして、その補集合は、基本的には空集合ではありません。
評価するのに用いられる言葉には、必ず空集合でない補集合が存在します。
補集合が存在しなければ、わざわざその言葉を使う意味がなく、評価することもできません。形容詞・副詞をはじめとする評価に用いる言葉には、必ず空集合でない補集合があります。
たとえば、『経済大国』という単語は、経済が優れた国を意味し、評価に用いられますが、『経済大国』の補集合の要素、経済大国ではない国が、存在します。
評価に使われる言葉の多くは、使用される場面や前後関係で意味が変化します。
たとえば、『重い』という単語があります。ある場面では、『物体Aは重いから持ち上げられない』と評される。同じ物体でも、ある場面では、『重くないので、台風によって飛ばされる』。これについて矛盾を感じる人が、いますが、そうではありません。場面によって、重い、重くないの基準が変化しているのです。すなわち、『重い』の意味が変化したのです。この物体は、人の力に比べたら重いが、風の力に比べたら軽いのです。
これらの言葉は、絶対的ではなく、相対的です。言葉を用いる場面が変われば、比較するものが変わり、言葉の意味が変化し、評価が変わります。
評価に用いられる言葉の意味は、話し手の立場によって多分に変化します。なので、話し手の立場も同時に考えて、その意味を捉えないといけません。
言葉の曖昧さを逆手にとって詭弁を言う人がいます。そのような人にだまされないようにしないといけません。
追記.
前述のように、評価に用いられる言葉を用いるときは、必ず基準があります。
『重い』という言葉なら、重いか重くないかの基準があります。その基準より重い場合、『重い』となるわけです。
これは、比較という作業を行っているのに他なりません。
基準は、具体的なものであったり、抽象的だったりします。
『AはBより重い』の場合、Bが基準です。『Aは重い』と言えば、その場面で発言者が理想と思う姿より重いわけです。
何と比較して評価しているか、基準が何かを、強く意識したほうがいい。