前のブログ『ことぼ・記号論 ~意味の主観性~ 』・『ことば・記号論~形容詞・副詞の意味と、その相対性~ 』の続き。



 言葉というものは、その曖昧さゆえに、問題を抱えています。



 帰納によって言葉の意味を覚えます。

 それゆえに、言葉の聞き手・受け取り手は、言葉の意味として“自分にとって”典型的なものをイメージする傾向があります。ある言葉の意味として、要素aと要素bが含まれる場合でも、aとbは等価とは限らない。要素aによく触れていたら、要素aの方を先に、意味として思い浮かべがちです。

 たとえば、『りんご』という言葉を聞けば、赤いりんご、如何にもりんごらしいりんごを想像しがちです。しかし、リンゴといっても黄色いリンゴも存在します。

 また、『重い』という言葉を聞くと、30kgw以上などのイメージを持ちがちです。実際は、5gw程度かもしれないのに。

 “自分の”よく触れてきた『りんご』『重い』を思い浮かべがちです。


 言葉の意味というものは、主観的であり相対的です。それだけでなく、言葉の受け取り手は、自分にとって典型的な意味でそれを受け取ります。
 それらを理解せずに、言葉を受け取ってしまうと、問題が起きます。言葉の恣意性を理解していなければ、言葉を発する側の意味と、言葉が受け取る側が抱くイメージは、たびたび乖離します。



 言葉の抱える問題は、それだけではありません。

 言葉には、レッテル貼りの一面があります。

 

 レッテル貼りは、次の2つの言葉の特徴によって引き起こされます。

 言葉を使うことによって、人や物事の多様性に目がいかなくなります。

 なぜなら、言葉の意味を、“自分にとって”典型的意味で捉え、言葉の意味全てが、典型的な意味であるとミスリードされるからです。

 また、言葉というものは、それが使われた場面の記憶と結びついて覚えます。そのためか、プラスかマイナスのイメージが、言葉にはついて回ります。


 レッテル貼りというと、マイナスイメージを持つ人が多いでしょう。

 物事を認識する上で、レッテル貼りは避けがたい。とは言え、レッテル貼りを改善しないといけません。

 事実と認識のずれを引き起こすからです。


 たとえば、『左翼』や『右翼』などは、レッテル貼りの効果が強い言葉です。
 一言に左翼団体と言っても、様々な団体があり、主義主張は異なっているようです。さらに、同じ団体の団員でも考えが異なっているかもしれません。

 左翼云々と一言で切り捨てられるものではなく、個々の場面において合理的な考えるのが、正しいと思います。



 これらの問題点がある言葉ですが、その言葉には、利便性もあります。

 なので、言葉を使わないという選択は、明らかな間違いだと言えます。


 まず、意思疎通をするためには、言葉は必要不可欠です。顔の表情やボディランゲージだけより、言葉を交えた方が、意思疎通が実現できます。

 言葉には、問題点がありますが、使わないよりはましだ、ということです。


 他には、思考するのに便利である、というメリットが、あります。

 一つに、思考する際に言葉を使うことで、思考のロスが減る、という一面があります。言葉を使わず思考すると、その言葉の指し示す集合を一々イメージしないといけませんが、言葉を使えば、その言葉をイメージするだけでいい。

 一々集合をイメージするのが、正しい思考だと言うのも、尤もな意見ですが、言葉の利便性として認めるべきでしょう。


 もう一つは、物事の概念を理解しやすくなる点でしょう。

 言葉を用いることで、一緒くたに理解している異なる概念を区別することが、容易になります。

 たとえば、一言に、自立と言っても、様々あります。『肉体的自立』や『精神的自立』などの言葉を使うことで、おぼろげだった認識・区別が、はっきりしてきます。


 おそらく、これは、出力することの恩恵ではないかと、考えています。言葉という形で思考を出力することで、客観的に自分の考えを見つめるようになり、自分の考え・思考を深めているのだと思います。



 言葉というものには、利便性があり、使わないということは間違っています。

 言葉の問題点に気を付けながら、賢く言葉を用いていくのが正しいでしょう。



あとがき


 他人を説得するという立場に立っても、レッテル貼りは問題点があると思います。

 レッテル貼りなどの印象操作は、即効性がありますが、対立する立場の人も同じことができ、応援合戦になってしまいます。また、説得される相手が賢ければ、いつかはその印象操作も解けてしまうのではないかと、思います。 

 より合理的に説得することが求められるのではないでしょうか。外見ではなく、中身で勝負することも、怠ってはいけません。


 論理で説得することを目的としたら、印象操作や外見を取り繕うようなことは、むしろ邪魔だと思います。これは、極端かもしれませんが、説得する相手の確証バイアスは、大きい方がいいのではないか。バイアスが反対に傾いている状態で、説得できたなら、それは、本当に論理的に理解された、ということです。



関連記事

・『なぜ仕事が遅いか?~出力することの大切さ~

・『自立