大人になるとは、自立することだという人がいます。では、自立とはなんだろうか?自立と言うと、様々な自立がありますが、ここでは、他人からの自立について考えてみます。
自立には、二種類あります。精神的な自立と、肉体的な自立です。
肉体的自立とは、生きるために必要な物質を自分で得られるようになることです。無償で何かを与えられている状態は、自立しているとは言えません。仕事をして自分で生活費を稼いで、自分の家を持っていて、一通り自分ひとりで生きるための物が賄える状態、これが、肉体的自立です。
経済的な自立は、肉体的自立の一部です。
それに対して、精神的自立とは、他人に振り回されることなく、自分の意見や価値観を形成していることです。
他人の考えを聞くとき、その結論だけを聞いて満足するのではなく、その結論に至る過程・思考をよく理解し、その真偽を考えることができないといけない。
実際には、自分が知っている知識の発信元や、自分が持っている考えの過程を、完全には理解することはできない。理解している人は、いないでしょう。普段使っている機械の原理を、全ては知らないことからもわかります。
しかし、ある程度は自分で考えないといけません。思考を停止させてはいけません。そのためには、あらゆる考えに対して、懐疑的でなければいけません。そして、物事を冷静かつ客観的に分析する思考が、必要不可欠です。権威的な人の意見や、多数の人の意見であっても、鵜呑みにしてはいけません。
自分の考え・思考だけでなく、自分の価値観・道徳心も自立しないといけません。
他人に自分の嗜好を否定されても、これが自分の価値観だと開き直れることが大切です。自分の嗜好が他人に強い影響をうけ、周囲の人とただ同じ物を選択しているのではいけません。
道徳心を培うにしても、なぜそれをしてはいけないのかを理解しないといけません。道徳を自分で合理的に考える必要があります。これができて初めて、道徳心があるといえます。
精神的自立は、非常に重要だと考えられます。精神的自立は、自我の形成と言っても構いません。
これは、生きることと同じくらい大切なのではないでしょうか?
『人間は考える葦である』という格言がありますが、考えるという行為が可能なために、人間の尊厳があるといえるのではないでしょうか?
また、会議など話し合いの場において、自分の意見がない、他人と同じ意見ということは、存在しないのと大して変わりません。
自分で考えることを放棄してはいけません。自分の考えを持つことや、自分なりの道徳を確立することが大切ではないでしょうか?
さらに、自己の価値観の形成も、同様に大切だと考えています。
以前人生の勝ち組・負け組なんて言葉が流行しました。この言葉は、『結婚できなかったら、負け組』のように使われましたが、この言葉に踊らされるのは、自己の価値観を形成していない証拠です。人生に満足するかどうかは、その人の価値観に依拠するところが大きいはずです。勝ち組・負け組などと、一概に言えることではありません。にもかかわらず、負け組という言葉によって、脅迫観念をよびおこしています。
自己の価値観を持つということが、充足感ある人生を送るのに必要なのです。
非常に重要な意味を持つ精神的自立ですが、精神的な自立する上で大切なことがあります。肉体的自立です。
肉体的に自立していなければ、精神的な自立は揺らいでいきます。生活環境が精神を蝕んでいきます。たとえば、肉体的に自立していなければ、自分に関係していないことに関して、思考を放棄しがちです。精神的自立の欠如をひきおこしかねません。
第一に目指すところは、精神的な自立ですが、それを得る過程に、肉体的自立が重要です。
あとがき
1. 心のよりどころをどこに求めるかは、重要です。精神のモノからの独立、依存症や宗教からの独立がなされているほうが、より良いと考えます。
2. 日本の文化では、精神的自立がなされにくいのかもしれません。村社会の感覚をひきづっており、日本には、他人に合わせ自己主張ができない人が多いように思えます。また、学者の発言や、ニュースなどを聞く際、結論だけを聞き満足しているように思えます。
このような状態では、クリティカル・シンキングも精神的な自立も、養われません。
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