6月8日に、イギリスで庶民院の総選挙がある。メイ首相はEUとの交渉結果が英国に不利な影響を及ぼすようなら、合意なしで離脱することもありうる考えを示した。

これに対し、野党労働党は合意なしでの離脱はありえないとしている。

 

 英国の文化は、もともと欧州大陸のそれとは著しく異なる。そのことは以前の記事で何度か話してきた。具体的には、英国は独仏と大きく違う点として、現実主義、経験主義の考え方を好み、仏独などの他の欧州諸国は、理想主義、観念主義を好むことが見られる。理想主義で突っ走り、王様の首をちょん切って今日まできたフランスと、王様の首は切ったもののそれではどうもうまく回らないと言うことで、ちゃっかり王様を戻したイギリスとでは、そもそものものの考え方が違うわけである。なんでかはよくわからないが、王様がいた方がどうも政治や行政がうまく回るから残せばいいやと考えるイギリス人、人間は平等だから王制など許すまじきと理念を先に立たせて行動するフランス人。大きく異なる。

 

 ドイツはといえば、皇帝がいないもののそれは彼らの意思に反してのことであったという見方もできるが、文化の端々にこの理想主義的な姿勢が見て取れる。例えば、環境保全を強く叫び、ゴミの分別やマイバッグの思想を広めながらも、全体として日本よりもはるかに多くのゴミを出しているという現実との矛盾。現実には日本よりもはるかにゴミを出しながら、環境保全という観念を優先してゴミを増やす方向で動いていることなどは、まさしく、観念主義、理想主義である。また、経済政策でいうと、金融緩和を病的に嫌い、ただ嫌いだから絶対に許さらないとするドイツの姿勢は、他の欧州諸国に多大なる迷惑をかけている。現実的には金融の量的緩和が必須であっても、理念的にそれを拒否するわけである。

 

 このように、英国と独仏はもともと異星人のように考え方が合わないのであるから、欧州連合などは茶番に過ぎなかったわけである。

 

 一方の東アジア。西欧人などは簡単に、「EUにできてどうしてアジアで共同体が成立しないのか」などというが、日本文化と、大陸や半島文化との間にある溝は、英国と独仏の違いどころの騒ぎではない。英国人が独仏にとって異星人であるならば、日本は、大陸や半島の文化から見れば同じ次元(三次元か四次元かなど)の生き物ではないほどの違いがある。

 

 国際関係において、行動の動機となるものは経済的な要因であるが、実際に協調できるかどうかは、常に、文化的、つまり、精神的な要素が決定することは、客観的な事実である。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 

 初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 


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